第15話 待ちし者達

 クラリス軍の撤退。

 それが意味するところは二つである。


 一つはクラリスがこのキスレチンとクレメア教団との戦いから手を引くことを示唆するということ。

 そしてもう一つは、相互の協力体制としては不完全極まりない状況だった南部戦線において、彼らの合流直前の状況まで巻き戻されたも同様であるということである。



 そしてそんなキスレチン軍の下へ、クラリス軍の撤退直後に一つの報告がもたらされた。

 そう、キスレチン軍の将兵の大多数にとって、最悪極まりないその報告が。


「このタイミングを狙って攻め込んで来たというのか。くそ、ケティスの奴め!」

 司令部の陣内にサービアンの怒鳴り声が響き渡る。


 彼の眼前で急速に迫りつつあるクレメア教団軍。

 まさに機を逃さぬといったその攻勢を前にして、キスレチン軍の陣内は混乱極まりない状況となりつつあった。


「くそ、こうなればクラリス軍に頭を下げてでも帰ってきてもらうべきだ」

「そんなことができるか。元々我らだけで、奴らとほぼ互角に対峙していたのだ。跳ね返してやればいい」

 陣内の誰もが好き勝手に持論を述べながら、迫りくるキスレチンに対して彼らは手をこまねき続けていた。


「もう時間がありません。ソラネント様、どうしましょうか」

「そうですね……ふむ、ここは引きますか」

 参謀のモッテツェッレの問いかけを受けて、この場における最高位のソラネントはあっさりとした口調でそう口にする。

 途端、サービアンは陣内に響き渡るほどの声で、疑問を呈した。


「ひ、引くですと!? 一体、どういうつもりですか!」

「ここで彼らと真正面から対峙しても意味は無い。むしろクラリス軍の撤退でうちの兵士たちの士気も落ちているし、今戦闘を行うのは愚策かな。だったら、クラリス軍を追いかける形で、ここを引くのも悪くないんじゃないかな」

「お待ち下さいソラネント様。せっかく築いたこの陣地を放棄するおつもりですか?」

 サービアンに続く形で、モッテツェッレも驚愕の表情を浮かべながらそう問いかける。

 だがソラネントは涼しい顔をしながら、逆に彼へと問い返してきた。


「ええ、何か問題が?」

「問題だらけです。現在、東部戦線は膠着状態で、首都にまとまった部隊は存在しないのですぞ」

「ええ、知っています。だから引くのですよ」

 ニコリと微笑みながら、ソラネントはそう告げる。

 しかしながらモッテツェッレは、首を左右に振りながら改めて正直な感想を口にした。


「意味がわかりません。なぜです?」

「東部戦線は硬直している。ならば、少なくともトルメニアの神聖軍は無視できることを意味していますよね。となれば、目の前のクレメア教団軍さえ倒せばいいわけです。それを踏まえると、この場は引いたほうが良いと思いませんか?」

「だからその意味がわから――」

「つまり狙いは連中の戦線を引き伸ばすことにあると……そういうわけですか」

 モッテツェッレの言葉を遮る形で、サービアンは顎に手を当てながらそう口にする。

 そんな彼の言葉を耳にしたソラネントは、笑いながら一つ頷いた。


「正解。彼らはナポライを根拠地としていますが、あれだけの信者を養うにはおそらくギリギリなはず。そんな状況下で、さて補給に負担をかければどうでしょうか?」

「前線に動員できる数が減少するというわけですか」

 眼前の飄々とした壮年の上官をその目にしながら、ややオーバーアクション気味ながらも驚いた様子を見せながらそう告げる。

 その仕草に苦笑を浮かべながら、ソラネントは陣内の者たちをぐるりと見回したあと、はっきりと今後の方針をその口にした。


「そうです。何も戦って倒すばかりが敵の数を減らす方法ではない。というわけで、さっさと引くとしましょう。彼らが付いてくればよし。付いてこなければ、その時はその時。より適切な選択をなすとしましょう」







「報告します。我らの行動に呼応する形でキスレチン軍もクラリス軍に続き撤退の動きあり」

「……つまりこの地を放棄するおつもりですか」

 敵軍に向かい前進を行っていたクレメア教団軍。

 その前線とされる位置で馬を走らせていたケティスは、眼前で報告どおりの行動を取る敵軍の動きをその目にしながらそう呟く。

 すると、彼の隣で不安そうな表情を浮かべていたハムゼは、そんな彼に向かい次なる指示を求めた。


「どう致しましょうか、枢機卿」

「我々をおびき寄せる罠のようにも見えますが……さて、彼らの真の狙いはいずこにあるか」

「真の狙い? ですが、あれが罠なのだとするならば、苦し紛れに過ぎないでしょう。何しろちゃんと計画性を持って物事を進めているのなら、クラリス軍と揉めることなどするはずがなかったでしょうから」

「そういう見方もありますね。しかし何か違和感があります」

 ハムゼの発言に一理ある事は認めながらも、ケティスはちょっとした引っかかりを覚えて再び黙り込む。

 するとそのタイミングで、一人の報告兵が彼らの下へとやってきた。


「報告いたします。敵に潜り込んでいる複数の信者から、このような矢文が」

「ほう……」

 馬を走らせる速度を緩め矢文を受け取ったハムゼは、その文面に目を走らせる。そしてそのまま、彼はその文をケティスへと手渡した。

「なるほど」

 その矢文の内容を目にするなり、ケティスはそうこぼす。

 そこにはキスレチン軍の狙いが、長期的なクレメア教団軍の兵糧と補給にあることが記されていた。

 

「枢機卿、もしここで彼らを追撃せぬ場合、おそらくこの戦いは長期化します。現状として、我々はこのナポライだけでは信徒たちをギリギリ維持するのがやっとなのです。トルメニア軍が優勢と言いながらも攻めあぐねている現状を踏まえれば、やはり果断速攻こそが最善と考えます」

「ご決断を、枢機卿」

 ハムゼに続く形で、実働部隊を指揮するローマンは重ねてケティスへと迫る。


 そんな彼らの発言。

 それを前にしてもなお、ケティスは首を縦に振ることはなかった。


 だからこそローマンはもうひと押しとばかりに、改めて最も懸念する事象をその口にした。


「この地を守っているだけでは、万が一東部戦線を神聖軍が突破した場合、キスレチン本土を彼らに押さえられます。枢機卿、その事態だけは防がねばなりません」

「そう……ですね。彼らが膠着状態にある以上、我らの好機を放棄することは出来ません。わかりました。ローマンさん、お願い致します」

 そのケティスの命令を耳にするなり、ローマンは力強く頷く。

 そんな彼に向かい、ケティスは念を押すように更に言葉を続けた。


「まずはこの敵の撤退に合わせて追撃を行いましょう。但し、キスレチン軍の動向には細心の注意を払って下さい。何か怪しげな動きを見せれば、絶対に深追いは避けてくださいね」







「南部戦線もキスレチン軍の後退にともないクレメア教団軍は順調に北上中。このまま行けば明後日にもこの地にたどり着くわ」

「そっか。だとすれば、今のところは予定に狂いはない……かな」

 黒髪の女性の報告を受け、ユイは小さく息を吐き出すと一つ頷く。

 それに対し、クレハはやや険のある視線を彼へと向けた。


「計画をした本人はこうしてのんびりしていていい身分ね。ミラニールの人や、貴方の部下たちは土にまみれながら仕事をしてたっていうのに」

「それにはもちろん感謝しているさ。でも、私も東部戦線ではそれとなく姿を見せるという大事な仕事もこなしたわけだし、十分に超過勤務だよ。むしろ褒めて欲しいと思うくらいにね」

「そのセリフ、憎まれ役を無理やりやらされたライン大公にも聞かせてあげるわ」

「はは……たぶん次にあった時は怒られるかな、うん。まあ全てが終わるまではできるだけ顔を合わさないようにするとしよう」

 だから手紙でお願いしたわけだけどと思いながら、ユイは苦笑を浮かべつつ頭を掻く。

 それに対しクレハは、呆れたように首を左右に振った。


「ともかく、全ての仕上げは貴方の……いえ、貴方の軍の仕事よ。最後くらいキリキリ働くのね」

「耳が痛いね、まったく。ともあれ、そろそろ私たちも準備を始めるとしようか。このキスレチンに於ける戦いに終止符を打つために」

 そうしてユイはゆっくりと後方を振り返る。

 この地にてその時を待ち続けた者たちがそこに存在した。


 そう、帝国とレムリアック兵によって構成されたイスターツ軍と呼ばれる一団が。



 こうしてキスレチンとトルメニアとの戦いは新たな幕が上がることとなる。 

 首都ミラニールのわずか南に位置する、カセルタという名のこの地において。

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