第14話 戦線崩壊

 クレメア教徒とキスレチン軍の南部部隊が攻防を繰り広げていた南部戦線。

 長きに渡り一進一退の攻防を続けていた両軍であるが、その膠着状態は次第に崩れつつあった。

 

 その要因は明確である。

 そう、それはクラリス軍の参戦にあった。


 そしてその結果として、キスレチン軍はかえってジリジリと後退の二文字を余儀なくされつつあった。



「いい加減にしてくれ、ライン公! 昨日も予定外の貴公らの攻撃により、我が軍の撤退タイミングが遅れたのだぞ!」

 キスレチン軍の首脳部が一斉に集った中、サービアン将軍の怒声が周囲に響き渡る。

 それに対しわずかに小馬鹿にしたような声が、間髪入れず彼に向かって返された。


「お言葉をそのままお返ししますよ、サービアン将軍。貴公らが前線で粘りすぎたせいで、我らの突入が遅れたのです。むしろ反省してもらいたいものですな」

「ふざけるな! あんな混戦の中、後退がどれほど困難かは自明の理だ。にも関わらず、それを無視して混乱を拡大させるのがいかに愚策かわからんのか」

「だとしたら、そもそも前線を入れ替えるなどと言った無謀な作戦を押し付けてきた、あなた方が愚かだったと言うことでしょう」

 軽く両手を左右に広げながら、エインスは眼前の大柄な壮年に向かいそう告げる。

 途端、目に見えてわかるほど、サービアンの顔面は真っ赤に染まった。


「貴様達がいつまでたっても自軍の権利を主張し、全く作戦行動を連動できぬから、やむを得ずあのような策を選択したのだ。貴公らはそのことを少しはわきまえろ」

 真正面から怒鳴りつけるように放たれたその言葉。

 それを耳にしたエインスの副官であるセロックスは、呆れた表情を浮かべながらその口を開く。


「おやおや、よくもまあそんなことが言えたものですね。もともとクレメア教団に東も南もいいようにやられて、泣きながら我らの助勢を求めてきたのはあなた方でしょう。さて、わきまえるべきは果たしてどちらでしょうかね」

「口を挟むな、小僧!」

 若い副官であるセロックスの発言を受けて、今度はサービアンの参謀であるモッテツェッレがいきり立つかのように立ち上がってそう発言する。

 一層険悪になった場の空気。

 にも関わらず、セロックスは全く気にした素振りも見せず、目の前の参謀に向かって言い返した。


「会議で意見を封じるとは、民主主義とは実に高慢な思想なのですね」

「その物言いこそ、貴様ら貴族主義の高慢さの表れにほかならん」

 セロックスとモッテツェッレは途端に、空中でお互いの視線をぶつけ合う。

 そんな光景を眺めやりながら、現在この南部方面軍を指揮するソラネントは深い溜め息を吐き出すと、たしなめるようにその口を開いた。



「……君たち、少しは落ち着き給え。我らが仲違いしては敵の思う壺になる」

「ふん、敵の思う壺……でやすか。数で上回ったというのに、こうして情けなく押し込まれているこの状況こそ、奴らの思う壺だと思いますがね」

 それはエインスに付き従う形で会議に参加したスキンヘッドの男の発言であった。

 それを受け、彼らの上官たるソラネントを侮辱されたと感じたサービアンは、再びその場で激怒した。


「貴様らが不甲斐ないからだろう。元々我らだけで戦線を構築していたときは五分、いや五分以上で戦えていた。全ては貴様らが来てからこうしていいようにやられているのだ!」

「おやおや、おかしな話ですね。あなた方がやられていたから我々が呼ばれたと記憶しているのですが? それに今の物言いだと、むしろ我々が来たのが迷惑だったとそう聞こえますが」

「だからそう言っている。わざわざあんな田舎からやってきたのだから、少しくらいは役に立ってみせろ! でなければ貴様らなんぞいないほうがマシだ」

 そのソラネントの発言の効果は劇的であった。

 エインスはその端正な顔を歪ませると、そのまま椅子から立ち上がる。


「……それがあなた方の本音ですか。では結構、ならばあなた方だけで好きになさい」

「待ち給え、ライン公」

 憤慨しながら立ち去ろうとするエインスの背中に向かい、ソラネントは慌てて声をかける。

 しかしながらそんな彼に対しても、エインスの言葉は冷たかった。


「待って下さいでしょう? いずれにせよ我々はあなた方の要望にて参戦したまで。あなた方が求めぬのなら、助ける義理など何一つ有りはしない。今日限りで軍を引き上げさせていただきます。では、失礼」






「主導権争い? ……それは本当ですか」

 クレメア教団軍の陣において、ケティスは彼らしくないやや驚いた声を上げる。

 一方、そんな彼に向かい、元外務大臣であったハムゼ・パミルは、周囲を見回しながら一つ頷いた。


「はい。連中の中に潜り込んでいる信者からの連絡にて、どうやらほぼ間違いないかと思われます」

「しかし、まさかそこまで連中の関係が悪化していたとは……」

 クレメア教団軍の前線を取り仕切っているローマン・ベイヤーは、呆れた表情を浮かべながら、言葉を見失う。

 それに対しハムゼは、情報は間違いないとばかりに彼なりの見解を口にした。


「ここのところ、明らかに彼らの連動性が悪かったのは事実。おそらく表面化こそしていなかったものの、以前より彼らは揉めていたのではないかと」

「どういたしますか、枢機卿」

 ハムゼの見解を受け、ローマンはケティスに向かいそう問いかける。

 だがケティスが口にしたのは、全く異なることであった。


「東部戦線はどうなっているのですか?」

「昨日到着しました連絡船からの報告によりますと、キスレチン軍が奇襲を繰り返すも、神聖軍はそれをなぎ払い戦況は優勢とのことです」

 昨日、トルメニア神聖軍からやってきた連絡兵からの報告。

 それはキスレチン軍が無謀な奇襲を仕掛け、その尽くを神聖軍が追い払ったという内容であった。


「ふむ、彼らの立場上、自軍が不利と言ってくることはないでしょうが……何れにせよ、東部戦線は膠着していると解釈すべきでしょうか?」

「そのようです。次の補給を機に、神聖軍は大規模な戦闘行動を計画しているようですが……ただ気になるのは、東部戦線にユイ・イスターツが姿を現したという報告です」

 そう、報告書に記されていたその名前。

 それこそがハムゼの最も目を引く内容に他ならなかった。


「ユイ・イスターツ……あの厄介な男は東部戦線に身を投じているということですか。となれば、連中は東部戦線を重視していると考えるべきでしょうな」

「クラリス王国としては、援軍本体は南部に向け、そしてユイ・イスターツを東部に送り込む。つまり両方をケアするように手配したのでしょう」

 ローマンの言葉に続く形で、ケティスはそう口にする。

 それに対しハムゼも大きく一つ頷いた。


「状況からみて、おそらくそうでしょうな。ある意味、あのユイ・イスターツを一軍と同等だとみなしているのかもしれませんが」

「何れにせよ、あの厄介な男がこちらにいないことは僥倖。これは我らにとって、まさに好機とみるべき――」

「ご報告します。敵の一部が突如撤退を開始しました」

 更なる戦闘を求めていたローマンの言葉を遮る形で、突然駆け寄ってきた兵士がそう告げる。

 途端、ハムゼはその目を見開き驚いた声を上げた。


「なに……まさか!?」

「はい、クラリス軍が北上を開始。おそらく、本当にこの戦いから手を引く模様です」

「これは好機です、枢機卿!」

 報告兵の言葉を受け、ローマンは詰め寄るかの勢いでケティスに向かい視線を移す。

 それに対しケティスは、顎に手を当てながら渋い表情を浮かべていた。


「わかっています。しかし、何か罠が秘められてはいないか……」

「その可能性は低いでしょう。何しろあの厄介な男がいないのです。クラリス軍にまとまりがかけるのもやむを得ないかと」

 この状況を逃したくないという思いが、ローマンの背を強く押していた。だからこそ彼は、ケティスに向かい迷うことなくそう告げる。

 それを受けケティスは、冷静に状況を見直す。


 東部戦線は最新の報告において、膠着状態にあることは明白。

 そして眼前の敵は仲間割れを起こし、現在混乱状態にある。


 ならば彼が取るべき選択肢は一つであった。


「そう……ですね。何れにせよ、このまま混乱し孤立したキスレチン軍を叩かぬは戦略上ありえないでしょう。結構です。行動を開始しましょう」

「その言葉、お待ちしていました!」

 期待していた回答を得て、ローマンは満面の笑みを浮かべる。そしてもはや迷うことなく、彼は自らの指揮する部隊に向かい駆け出していった。

 一方、そんな彼の背中を見送ったケティスは表情を引き締め直し、敵軍の、そしてキスレチンの首都が存在する北へとその視線を向ける。


「キスレチン軍を打ち倒し、首都ミラニールを落とす。これがその端緒となればと願わずにはいられません」

「はい。そのためにも東部戦線にはできるだけ頑張っていただきたいものです。彼らの主力をひきつけてもらうためにも」

「ええ、そのとおりです。何れにせよ、信者の方たちの力あってのこと。私もドラグーンの方がたとともに前線に出ます」

「枢機卿……それは!」

 思わぬ決意表明に、ハムゼは慌てて大声を発する。

 だが、ケティスは首を左右に振ると、はっきりと自らの決意を口にした。


「いえ、もちろん無茶をするつもりはありませんし、兵の指揮は皆さんにおまかせします。私が成すべきは、兵士たち一人一人の思いを強くさせることでしょうから」

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