第12話 プランB

 戦場全体を見渡すことができる小高い丘。

 その上には、二人の人物が佇んでいた。


「ふむ、連中は追撃してこなかったか」

「まあここで包囲させてくれたら、それはそれでよかったけど、さすがにね」

 トルメニア神聖軍が緩やかに前線を後退させていくのをその目にして、黒髪の男は頭を掻きながらそう告げる。

 すると、隣に立つ壮年の男性は苦笑を浮かべながら一つ頷いた。


「まあ予定通りといったところか。で、どうする? プランBに移行するので構わないな?」

「現状ではそれがベストではないかな。同じことを繰り返すと露骨過ぎて不信を感じさせるだろうし、昨日の今日だからもう少しさり気なく動いても気づいてくれるはずさ。段々と餌の匂いは遠ざけて嗅がせてあげるくらいがベストだろうからね」

 ユイは軽く肩をすくめながら、カロウィンに向かいそう告げる。

 途端、隣に立つ指揮官は眉間に僅かなしわを寄せた。


「匂いを遠ざける……か。どうも貴公のやり口には、近寄りたくない腐臭しか感じられん。ならば、遠ざけられたほうがありがたく感じる気がするが」

「はは、手厳しいね。でもまあ、味覚や臭覚は個人差があるからね。出来る限りトルメニアの彼らにとっては、良い匂いのように演出したいものさ」

 兵を引く神聖軍をその視界に捉えながら、ユイは薄く笑いつつそう告げる。


「匂い自体が臭いことは否定しないんだな。まったく貴公は……ともあれだ、何かの間違いで敵が突出してきた場合はどうする?」

「その時は予定通り、プランCに移行することなく、ここでケリを付けるだけさ」

 まったく迷いのない口調で、ユイはそう言葉を返す。

 それに対しカロウィンが、新たな皮肉を口にしかかったところで、突然後方から部下の声が発せられた。


「カロウィン様、我が軍の再編が完了いたしました」

「そうか……ならば、兼ねての予定通り本日は警戒を行いつつこのまま待機。その上で明日の早朝に行動を開始するよう伝えてくれ」

「はっ、直ちに」

 部下は深く頭を下げると、そのまま慌ただしく駆け出していった。

 その後姿を見送った二人は、再びその視線をトルメニア神聖軍へと向ける。


「はてさて、彼らはどう出るかな?」

「どう出ても構わんだろう、貴公にとってはな」

 敬意半分呆れ半分と言った口調で、カロウィンはそう応じる。

 それに対し、ユイは苦笑を浮かべてみせた。


「はは、否定はしないさ。でも……」

「でも?」

「どうせならば、私が一番楽な選択肢を取れることを強く願ってはいるよ」





「枢機卿、お休みのところ、申し訳ありません」

「マフズン……か。どうした?」

 枢機卿個人のために用意されたテント内にて、睡眠をとっていたヌルザーンは、突然来訪してきたマフズン司祭に対してやや不機嫌な表情を見せつつ応対する。

 それに対しマフズンは、真剣な表情を浮かべながら端的に事態を報告した。


「はっ、つい先程奴らが強襲を仕掛けてきました」

「なんだと!」

 その報告を受け、ようやく眠気が吹き飛んだヌルザーンは、閉じかけていた両目を大きく見開く。

 そしてそのまま、眼前の司祭に向かい状況の報告を求めた。

「で、被害状況とうちの対応は?」

「はい。さすがに今回はさもありなんと、十分に警戒しておりましたので、現状ではほぼ被害なく、敵の侵入も防げております」

「なら良い。で、銃撃隊の準備は?」

 頭の中を整理しながら、ヌルザーンは迷わず次の一手が打てるかどうか確認する。

 すると、枢機卿に向かってマフズンは力強く首を縦に振った。


「既に整っております。ご指示がありましたら何時でも前線に向けられます」

「結構だ、ならば奴らに自分たちの考えの甘さを――」

「失礼致します。枢機卿、連中が突然反転。またしても逃亡を開始しました」

 ヌルザーンが反撃の一手を指示しかけたそのタイミングで、隻腕のバイラムが憤りを見せながらテント内に飛び込んでくる。

 途端、ヌルザーンの眉は大きく吊り上がった。


「なんだと!」

 そのバイラムの報告を受け、一同は一斉にテントの外へと飛び出す。

 そして慌ただしく兵士たちが駆け巡る最中、敵の姿が僅かにその視界に映った。


「ちっ、実に勘のいい奴らですな」

 普段は比較的温厚なマフズンも、この時ばかりは苛立ちを隠せず舌打ちをしてみせる。

 するとそんな彼に向かい、ヌルザーンは一つの問いを放つ。


「マフズン、連中に背に向けて、射撃することは難しいか?」

「今から銃撃隊を前面に押し出してとなるとさすがに……」

「そうか」

 マフズンの回答を受け、ヌルザーンは苦虫を噛み潰した表情を浮かべた。

 一方、そんな枢機卿に向い、バイラムはやや迷いながらも確認を行う。


「枢機卿、追撃はいかが致しましょうか。何やらまた、奴らの動きがきな臭そうですが」

 彼の視線が捉え、そして懸念するところ。

 それは敵の両翼の後退速度が些か中央部に比べ緩やかであることにあった。


「先日ほど露骨ではないが、やはり我らを引き込んで戦いたそうな陣形だな」

「おそらく敵は我らの主力たる銃撃隊を警戒しているのでしょうが……」

 ヌルザーンの発言に対し、マフズンは最も考えられるその理由を口にする。

 途端、バイラムは苛立ち混じりの言葉を吐き出した。


「一撃離脱を繰り返し、慌てて突出した我々を包囲殲滅する……か。我らも甘く見られたものだ」

「基本的に奴らの思惑に乗ってやる必要はない。此度は追い払うだけで十分だ。先日と同じ小細工を見せるとなると、連中も手詰まりということだろうからな」

 バイラムの不機嫌さを肌で感じながら、ヌルザーンは極めて冷静に敵の動きをそう評してみせる。

 それに対し、マフズンも同意見とばかりに大きく頷いた。


「ですな。枢機卿、報告によると十日後に追加の補給部隊が到着するとのことです。そのタイミングに併せて一気に殲滅されるというのは如何でしょうか?」

「確かに、これで残弾の問題は解決か。いいだろう。小細工など通じぬ力。それを連中に見せてやるとしよう。ただしだ、その時まで警戒を怠るな。そして兵士たちには、連中の下らぬ挑発に応じぬよう徹底させろ」

 キスレチン側の出方を見きったと判断したヌルザーンにとって、既に警戒すべきは、味方の暴発による予定外の事象の発生のみであった。

 そんな枢機卿の懸念を理解したマフズンは、深く頭を下げるともう一つの確認事項を問いかける。


「わかりました。命令を徹底いたします。あと枢機卿、奴への連絡は如何いたしますか?」

「奴?」

「ケティス枢機卿です」

 その名を耳にした瞬間、ヌルザーンは渋い表情を浮かべる。

 しかしながら、無視することは出来ないと判断すると、シンプルな回答を口にした。


「そういえば定期連絡の頃合いか……まあ現状をそのまま書いておけ。敵はクラリスのユイ・イスターツとカロウィンなる男を投入してきたものの、依然我らが有利とな」

「了解いたしました。ではそのように記させていただきます」

 必要な回答を得たと判断したマフズンは、すぐさま手配の準備に動き出す。

 そんな彼の後ろ姿を目にしながら、ヌルザーンは正直な内心を虚空に呟いた。


「奴を図に乗らさぬためにも、さっさと敵を蹴散らさねばならんな。敵は目の前にいるものだけとは限らんから……な」

 こうして、キスレチンとトルメニアとの二度目の交戦は極々短期間にて終結し、後のトルメニア神聖軍の方針は定まった。


 しかしながら、彼らの計画は大きく狂うこととなる。

 そう、まさか繰り返されると思っていなかった三度目のキスレチンによる強襲によって。

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