第11話 公然の事実

「やはりあの方はそうだよな?」

 キスレチン東部方面軍として今回の戦いに動員されていた若き兵士であるロトリーは、同じ部隊に所属するリックルに向かいそう問いかける。

 すると、ロトリーの視線の先に存在するフード姿の男を確認したリックルはすぐさま頷き返した。


「たぶん……今回はマスクさえされていないしな」

「しかし変じゃないか? 俺は南部の指揮官として、我が国の今回の戦いに協力されると聞いていたぞ」

「ああ、それは俺も聞いた。うちの兵長の奴も、話が違うって憤っていたな」

 そう、彼らの耳にも西方の英雄は南部方面軍を指揮するという噂は届いていた。しかしながら現在、明らかに同一人物と思しき男が、新たなる彼らの指揮官とともに行動をともにしているのである。

 当然のことながら予定外の出来事に対し、心良く思わないものは無数に存在していた。


「うちの兵長は軍学校上がりだろ。まあそう言うだろうな。でも末端の俺達にとっては、一人でも優秀な上官が来てくれるのはありがたい話だぜ」

「しかもそれが西方の英雄となればなおさらな」

 ロトリーの発言に対し、違いないとばかりにリックルは深く頷く。

 一方、そんな会話を彼らが行っていたタイミングで、彼らの部隊の隊長が慌ただしくその姿を現した。

「ロトリー、リックル、お前たち命令を聞いていなかったのか。敵に対し攻撃再開の指示がなされたのだ。すぐに部隊にもどれ!」

 不機嫌さを隠さぬ彼らの部隊長は、苛立ち混じりの口調で二人に向かいそう告げる。そしてそのまま足早に立ち去っていった。


「へいへい、わかっていますよ部隊長殿。まったく、いろいろしてるからって俺達にまであたってほしくないものだな」

「まったくだ。じゃあ行くとするか」

 地面に横たわらせておいた剣をその手にすると、リックルはゆっくりとその場から立ち上がる。

 だがロトリーは、そんな彼に向かい苦笑いを浮かべつつ、別方向へと歩み出す。


「リックル、ちょっと先に行っておいてくれ。俺もちょっと腹の用事を済ませたら、すぐに追いつくからよ」

「なんだ、こんな時に厠か。まったく、遅れてまたどやされても知らねえからな」

 やや呆れた口調でそう口にしたリックルは、そのままロトリーを置いてその場を駆け出す。

 そうしてその空間に残されたロトリーは、懐から一枚の紙を取り出すと、再び遠く離れた場所に立つフード姿の男を睨みながら、小さなつぶやきをその口にした。


「さて、あの忌むべき男がこの陣営に来たことを何としても連絡しなければならんな。となれば、やはり矢文にして送るしかあるまい。我が生命よりも、我らが地母神たるセフエムをこそ汚されぬために」





「むぅ……先手を取られたか……」

 それまで一時沈黙を保っていたキスレチン軍による突然の襲撃。

 それを目の当たりにして、司令部にいたマフズンは思わず呻くようにそう口にした。

 すると、その言葉を耳にしたバイラムは、眉を吊り上げ彼をなじる。


「だから言ったのだ、我らが攻めこむべきだったと。敵の指揮官が変わったからとて、敵が手を休めるなどとは限らんのだからな」

「それはそうだが、一般的に――」

「そこまでだ、二人とも」

 司令部内で突然言い争いを始めた二人に向かい、この軍の将軍を務めるヌルザーンは、強い制止の声を放った。

 それを受け二人は慌てて口をつぐみ、彼らの指揮官をその目にする。


「過ぎたことを言っても仕方あるまい。それにだ、最終的に折衷案を選択したのはこの私だ。だから君たちはこれからのことだけを考え、奴らの迎撃に専念してくれ」

「はっ、では私は直属部隊とともに、我らの前衛を突破しつつある敵を、一薙ぎにしてまいります」

「うむ、任せた」

 ヌルザーンの許可の言葉を受け、猛将と名高いバイラムは司令部から慌ただしく立ち去っていく。


「しかし、我らが一息つこうとしたまさにそのタイミングに合わせてくるとは……連中の新たな指揮官はかなりの戦争巧者のように思われますな」

「ああ。しかしこのまま無様に戦い続けるわけにはいかん。銃撃隊は?」

「はっ、準備出来ております。ただし、残弾に関しましては補給部隊の到着が遅れており、些か心もとない状況かと」

 神聖軍がキスレチンへの侵攻を開始してから、常に彼らの切り札で在り続けた銃撃隊。

 訓練された弓兵たちに劣る部分はあるものの、十分以上の火力を有した彼らは、常に軍の前進を支え続けていた。

 しかしながら同時に、銃撃隊の有する火薬と弾丸は常に補充が必要であり、こうして本国からの補給タイミングの直前においては、その残弾を考えながら運用しなければならないのが常にネックとなっている。


「それは当然だ。だが敵の指揮官が変わったこのタイミングこそ、我が軍の力を知らしめる好機。となればだ、やはり彼らを投入せねばなるまい」

「仰るとおりです。では、敵陣中央にまず一斉射撃を行い、その後に騎馬隊を突入させる形で如何でしょうか」

「うむ、では直ちに準備を――」

「お待ちくださいますかな、枢機卿」

 ヌルザーンが方針を定め指示を下そうとしたまさにその時、突然司令部に姿を現したガリガリの男が制止の声を放つ。


「……ユダナ助祭。今までどこにいた?」

「そんな目で見ないでくださいよ。決してサボっていたわけではありませんから。それよりもです、こんな矢文が届きましてね、それをお届けしようとこうして参った次第でして」

 いやらしい笑みを浮かべながら、ユダナは一切悪びれた様子を見せず、ゆっくりとヌルザーンのもとへ歩み寄っていく。


「矢文だと?」

「はい。実は敵軍は極秘裏にある男を招いたようなのですよ。まあ詳しくは中を見て下さいな」

 口元を歪ませながらそう告げると、ユダナは手にしていた一枚の文を差し出す。

 ヌルザーンはひったくるような形でそれを受け取ると、その文面へと目を走らせる。

 そして同時に、彼は頬を引きつらせた。


「なっ……い、イスターツ。ユイ・イスターツが敵の中に紛れ込んでいるだと!」

「ふふ、もちろん確実とは言いがたいのですが、実はほぼ同様の内容を示す矢文を、既に四通ほど回収いたしております。少なくとも誤報との可能性は少ないでしょうな」

 ユダナはそう口にするなり、懐から四通の文をかざしてみせた。

 それを目にしたヌルザーンはすぐさま顎に手を当てると、たった今知った事実を元に、現在の状況を整理し始める。

 だがそんな折に、司令部には一つの報告が飛び込んできた。


「バイラム司祭のご活躍もあり、突出していた敵の中央部隊は撤退を開始しました」

「おお、さすがバイラム司祭。どうされます、枢機卿。すぐに追撃準備を開始しますか?」

 報告兵の情報を耳にしたマフズンは、感嘆の声を上げると同時に、ヌルザーンに向かいそう提案する。

 だがヌルザーンは眉間の皺を一層深くすると、突然はっとその顔を上げた。


「ユイ・イスターツ……伝え聞くあの男のやり口……まるで計られたような奇襲と撤退……いかん、追うな、追うんじゃない!」

「ど、どういうことですか。奴らは撤退を図っており……」

 突然のヌルザーンの指示にマフズンは驚くと、彼は慌てて抗弁を試みる。

 しかしながらヌルザーンは撤退を開始した部隊ではなく、まるで羽根を広げる鳥のように、側方に向かい軍を動かし始めた敵の動向を指さした。


「あれを見ろ。確かに敵中央部は退却を開始したように映るが、両側はそのままゆっくりと我が軍の側面に回り込もうとしている。あれは我らが全軍で突出したら、一気に後方を遮って包囲殲滅するつもりに違いない」

「ということは、まさか中央部の退却は擬態!」

 ヌルザーンの説明の意味するところを理解したマフズンは、首を左右に振りながらその事実を理解する。

 すると、彼らに対し沈黙を保っていたユダナが、皮肉げにその口を開いた。


「ふふ、おそらくカロウィンなる新しい指揮官とユイ・イスターツの企てでしょうな。で、どうするので。追わないだけで、ここで立ち尽くしておられるつもりですか?」

「そんな訳があるか。わざわざ奴らの策に乗ってやる必要はないし、無意味に戦場で時間を浪費する理由もない。このまま奴らの退却の動きは放置し、我らも奴らに合わせ一度全軍を引く。側方の連中には警戒を怠るなよ」

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