第10話 両陣営
「なんだと、敵の指揮官が交代するだと?」
たった今、神聖軍の司令部に届けられた報告を耳にし、この軍の将軍を務めるヌルザーン枢機卿は眉を僅かに吊り上げた。
一方、その情報を伝える役割を担った参謀役を務めるマフズン司教は恐縮しながらもさらなる詳細を口にする。
「は、はあ……部下の報告によりますと、どうもカロウィン・クレフトバーグなるものが指揮をとることになると」
「カロウィン? 知らん名だな」
ヌルザーンは眉間にしわを寄せながらそう告げる。
途端、司令部の後方の席に腰掛けていた痩せこけた男は、歪んだ笑みを浮かべながら笑い声を発した。
「ははは、これは実に頼もしいお言葉ですな」
「なんだ、ユダナ助祭。何がおかしい?」
「いえ、将軍と参謀ともあろうお方々が、まさかカロウィン・クレフトバーグをご存じないことがですよ。いや、本当に驚きました。警戒すべきあの男でさえお二方の眼中にはないと知り、このユダナ、実に頼もしいと思い直した次第」
参謀のマフズンの険のある問いに対し、ユダナは一切動じること無く堂々とそう皮肉を述べる。
それに対し、いらだちを見せたのはバカにされた二人ではなく、沈黙を保っていた武闘派のバイラム司祭であった。
「貴様、将軍を愚弄するか!」
「バイラム、構わぬ」
立ち上がって今にもユダナ助祭に突っかからんとしていたバイラム司祭に対し、ヌルザーン枢機卿は抑止の声をかける。
「ですが、いかに総主教の覚えがめでたいとはいえ、この者を放置しておりますと軍の規律が乱れますぞ」
「構わぬ。もちろん、もう少しユダナ助祭にも謹んでもらいたいところだが、いずれにせよこの会議の場では各人の立場にかかわらず発言自体は認める。で、助祭、貴様はそのカロウィンなる男を知っているわけだな?」
「もちろんです。私めのような小物には、警戒を怠らずに済む名ではございませんので」
ヌルザーンの問いかけに対し、ユダナはいやらしい笑みを浮かべながらあっさりと頷いてみせる。
「では、その警戒すべき男について、貴様の知りうるところを教えてくれるかな」
「おや、では将軍たちのような別格の方々はともかく、この場にいる大半の方がご存知かと思いますが、一応念の為にお話させていただくとしましょうか」
司令部内をゆっくりと見回し、重ねて皮肉っぽい笑みをユダナは浮かべる。
そして皆のいらだちと嫌悪の表情をその目にしたところで、ユダナは再びその口を開いた。
「カロウィン・クレフトバーグ。彼はかつて対帝国戦線で功績を上げた男です。ええ、クラリスでの一件が起こり、国力が低下する以前の帝国に対し、常にキスレチンが一歩も引くこと無く戦い得たのは彼の者が前線指揮官を務めていたからと噂されますな」
「帝国相手……か。なるほど」
トルメニア側となる東部ではなく、主にキスレチン南西にて功を重ねていたことを理解し、ヌルザーンは一つ頷く。
その反応に対し再び口元を歪めながら、ユダナは説明を再開した。
「さて、そのような対帝国の功労者でありますが、彼の国との戦いがやや沈静化した後に、中央に戻されて統合作戦本部長に就任しておりました。もっとも、極々短期間の話ですが」
「短期間だと?」
「ええ、何しろ就任直後に彼の国の前軍務大臣と衝突し、そのまま野に下ったものですので」
バイラムの苛立ち混じりの問いかけに対し、ユダナはひょうひょうとした口調でそう返す。
するとその発言を受け、マフズン司祭は一つの事実に気づいた。
「彼の国の前軍務大臣……それはまさか?」
「ご想像のとおりですよ。ケティス・エステハイム前軍務大臣、いや、枢機卿とお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
ケティス枢機卿。
それは現在、キスレチン相手に国内の信徒を動員してナポライでの決起を成功させた男の名である。そして同時に、総主教の独断により枢機卿に任じられた経緯から、ヌルザーン達のような先任者たちと決して相容れぬ男の名でもあった。
「あの男と揉めたわけか……まあいい。いずれにせよ、有能な将帥と解釈するとしよう。もちろん愚将であればそれに越したことはないがな」
「しかし枢機卿、敵の指揮官が変わったとなれば、ここはやはり慎重をきすべきところでしょう」
ヌルザーンの見解を耳にしたマフズンは、周りを一度見回した後に慎重論を唱える。
それに対し、隻腕の猛将として知られるバイラムはすぐさま反対意見を口にした。
「恐れながら枢機卿。私は反対です。そのような厄介そうな男が何らかの手腕を発揮する前に、一気に突き崩してしまうことこそまさに上策ではないかと愚考いたします」
「気持ちはわかるがなバイラム司教、これだけ連日のように小規模な衝突が続いているのだ。彼らが新たな指揮官を得て再度体制を整える動きを見せるなら、その機に合わせて我々も兵士たちに休息を取らすべきだろう」
バイラムの反論に対し、すぐさま参謀のマフズン司祭は改めて自説を繰り返す。
その発言に対しては、バイラムも頷くべきところがあった。
「休息……か。確かに四六時中戦い続けることなど不可能ではあるが」
「そのとおりだ。それに我々は侵攻してきた立場であり、敵と違い兵士たちにも望郷の念と不安が見られている。このまま疲労が蓄積すれば、それらが不満となって爆発しかねん」
「参謀、それはわかる。だが、このまま決定的な結果を出さねば、いずれ補給の問題から我々は撤退を余儀なくされるのだ。となれば、敵に隙が生まれる可能性が高いこの機にこそ、一気に奴らを粉砕し、兵士たちに勝利の高揚を与えるべきではないか?」
相手に敬意を払いながらも、マフズンとバイラムはお互いに自説を譲らない。
それを受けてユダナは薄く笑うと、話の矛先を将軍たる枢機卿へと向けた。
「おやおや、お二方の意見が割れてしましましたな。はてさて枢機卿、如何なされますか?」
「……まずは情報収集だ。その上で敵の動向が落ち着いている間は兵士たちに休息を。但し、敵に隙が見受けられれば、いつでも打って出れるように準備しながらな」
「通してきたぞ、あの馬鹿げた修正案をな」
赴任後初となる東部方面軍作戦会議を終えたカロウィンは、気だるげな表情を浮かべながら将軍専用のテントで待機していたフード姿の男に向かいそう告げる。
「はは、ご苦労さま。新指揮官どの」
「ふん、ここに居座ることになった連中には、散々に叩かれる羽目になったさ。まあ連中にしてみれば、無理も無いところだが」
眼前のフードの男と彼で構築した作戦案に対し、会議はつい先程まで紛糾し続けていた。だが最終的に中央での後ろ盾の存在を示唆することで、カロウィンは反対者達に強引に自案を押し通したのである。
「その辺りも予想通りではあったんじゃないかな?」
「まあな」
「だとしたら、その苦労は必要経費のうちさ。というわけで、無事作戦案を押し通した司令官どの、いつから始めるとしようか」
フードの男は軽く肩をすくめながら、カロウィンに対するねぎらいもそこそこに、そのまま本題を問いかける。
「ふむ……イスターツ、そちらの方の準備は?」
「五日以内に予定地点へ到着するとうちの連中からは報告があったよ。だからその点に関しては心配いらないさ」
名を呼ばれたユイはフードを外すと、とある黒髪の女性から告げられた現状を伝える。
それを受けてカロウィンは一つ頷くと、口元を僅かに歪めてみせた。
「そうか、なら早速始めるとしよう。品定めをしている様子のトルメニアの連中に対し、舞台の幕は既に開いたのだと教えてやるべきだろうからな」
「了解。では、私はギリギリまで君の参謀として、こっそり同行させてもらうよ」
そう口にすると、ユイは再びフードをかぶり直す。
その彼の行為に対しカロウィンは苦笑を浮かべた。
「ああ、お前の好きにすればいい。必要なときに必要なだけ働いてくれさえすればな」
「じゃあ決まりだね。というわけで、それじゃあ始めるとしよう。この東部戦線における第二幕をさ」
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