第8話 カロウィン

 キスレチン共和国首都ミラニールに存在する軍務省庁舎。

 その最上階の一室にその男はいた。


 齢四十にしてこの国の統合作戦本部長まで上り詰め、そして今は野に下ったはずのカロウィン・クレフトバーグが。


「それで、エルロブのとっつぁんに呼びだされたわけですが、一体この私に何のようですかね?」

「それはこれから説明する。とりあえずは掛けたまえ、カロウィン君」

 現在軍務副大臣の任にあり、実質的のこの国の軍における頂点に位置するオプジーム・ペネルマンは、そう口にすると目の前のソファーに腰掛けるようカロウィンに勧める。


「これはどうも」

「君の予備役扱いはたった今を持って解除し、本日より対トルメニア神聖軍の最高指揮官に任命したいと思っている。もちろんすでにエルロブ君から聞き及んでいることかと思うが」

 オプジームはややふてくされた表情のままのカロウィンに向かい、前提を確認する形でそう切り出す。

 すると、カロウィンも特に否定すること無く、皮肉を加えて切り返した。


「ええ、それはとっつぁんから聞いていますよ。しかし大胆なことをなされたものですな。まさか勝手に書類を書き換えて、私を予備役扱いにしているとは。いやはや、自由の国の看板が如何に建前倒れか、この身を持って思い知る次第ですな」

「相変わらず手厳しいな、君は。もっともその指摘には返す言葉も無いわけだが、エルロブが超法規的な措置をとっておいてよかったと私は心から思っている」

 カロウィンの皮肉を真正面から受け止めつつも、オプジームは微動だにすること無く眼前の壮年に向かいそう告げる。

 それに対し、カロウィンは思わず小さく首を左右に振った。


「また大胆なことを言われる。今の発言が表に出たら票どころか、下手をすれば議席を失いますよ」

「それはどうかな? この戦いで君が軍を率いて勝てば、逆に私の席は安泰と成る気がするが」

「これだから政治家って連中は。ともかく、私はまだ一度もお話を受けるとは言っていませんからね」

 小さくため息を吐き出したカロウィンは、念を押すようにそう発言する。

 そんな彼に向かい、オプジームはすぐさま問いを口にした。


「ふむ……ではこのまま一市民として推移を見守りたいかね?」

「……放っておいても、あなた達が勝ってくださるのならそうしたいですな」

「なるほどな。だが残念ながら、情勢から言って我々は負けそうだ」

 現在この国の軍の頂点にいるオプジームのその言葉。

 それを耳にした瞬間、カロウィンは初めて薄ら笑いをその表情から取り去ると、その眉間にしわを寄せる。


「流石に軍のトップが、あっさりそんなことを口にするのは如何なものかと思いますがね」

「だが事実だ」

 一切迷うこと無く放たれたその言葉に、カロウィンは僅かに戸惑いを覚える。

 そして彼は初めて、自ら話を先へと進めた。


「……で、具体的に指揮官としてこの俺に何をしろと?」

「先ほど言ったとおりだ。対神聖軍の最高指揮官、つまり東部戦線を君に任せたい」

 目の前の壮年がどのような回答を求めているのか、それはオプジームとて理解していた。しかしながら彼は、重ねてカロウィンのうちに秘められた答えと異なる回答を行う。

 それを受けてカロウィンは苦い表情を浮かべた。


「つまりあいつとは戦わせてくれないと、そういうわけですか」

「君と前軍務大臣との確執は知っている。それ故に君が軍を去ったこともな。だが我が国にとって、現状における最大の危機は神聖軍なのだよ」

「正直、気乗りはしませんね……ですが国が滅びて、あいつの信仰するクレメア教に改宗させられるのはたまったものでないのも事実。やむを得ん……ですか」

 カロウィンはそう口にすると、降参とばかりに両手を軽く広げてみせる。


「おお、では頼めるか」

「とっつあんには昔からお世話になりましたしね。ただ、一つ条件があります」

「条件?」

 思わぬカロウィンの申し出に、オプジームは一瞬戸惑う。

 するとカロウィンは、はっきりと自らの要望をその口にした。


「ええ、有能な人材を参謀に付けて下さい。繰り返しますが、有能なやつをね」

「今、東部戦線に配置している面々では不満かね?」

「事務仕事に関してのみ有能な面々が集まっています。残念ながらね。実際のところ彼らが無能だからこそ、数で上回りつつも連中に押し込まれているわけじゃないですかね?」

 身もふたもないことをカロウィンが口にするなり、オプジームは弱った表情を浮かべながら問いを口にする。


「それはある意味真実ではあるが……では君は誰を希望するのかね?」

「ソラネントを」

 全く躊躇も迷いもなく発せられたその人名。

 それを耳にして、オプジームは些か意外そうな表情を浮かべる。


「ソラネント……か。確か君たちは不仲だったと思うが?」

「ええ。ですが、あいつは有能です」

「それは私も知っている。だが残念ながら彼は無理だ」

「なぜです?」

「彼を南部戦線の実質的な責任者に任命したばかりなのでね」

 オプジームの口からその事実が告げられた瞬間、カロウィンは舌打ちすると、顎に手を当て悩み始める。


「ちっ……しかし、他に使えそうな奴と言ってもねえ。あいつ以外の軍官僚は頭でっかちばかりで、俺の補助脳として役立ちそうなのは見当たらないのが正直なところですよ。無能なくらいなら、むしろいないほうがマシなことも多々あるもので」

「補助脳……か。まあ一時的で良ければ、優秀な補助脳を用意する手配はあるのだが」

 その言葉がオプジームの口から発せられた瞬間、カロウィンは心底意外そうな表情を浮かべる。


「ほう……俺がここを出るときに、あいつ以外にそんなできる奴がいた覚えはありませんが」

「ああ。確かに君がいた時にはいなかった。いや、今もいないというべきかもしれんが」

「話が見えませんな。一体誰のことを言われているのですかね?」

 怪訝そうな表情を浮かべながらカロウィンは眼前の初老の男に向かいそう問いただす。

 そうしてオプジームがそれに対する回答を述べかけたところで、突然部屋の扉がノックされると一人の男が姿を現した。


「オプジーム副大臣、失礼するよ」

「大統領!?」

 自由都市同盟の党首であるフェリアム・グルーゼンパークをその目にした瞬間、カロウィンは僅かに目を見開くと驚いたようにそう声を発する。


「元だよ、カロウィン君。それと副大臣、到着したばかりのあいつを連れてきたぞ」

「そうか。ご迷惑をお掛けした」

「なに、構わんさ。こんな情勢下でも自由に動けるのが我ら野党の特権だからな」

 そう口にすると、カロウィンは右の口角を僅かに吊り上げる。

 一方、二人の会話を耳にしたカロウィンは、率直な疑問を口にした。


「あいつとは誰ですか?」

「君が求めている人材だよ。いや、それにはとどまらぬ人物だがね」

「どういうことですか?」

 オプジームの回答に疑問をいだいたカロウィンは、すぐさまそう問い返す。

 するとそのタイミングで、フェリアムの背後から一つの小柄な人物がその姿を現した。


「子供? い……いや、貴方は!?」

 その場に姿を現した少年の姿を目にして、カロウィンはその両目を見開く。

 だがすぐに少年は首を左右に振ると、薄く笑ってみせた。


「勘違いしないでくれ、カロウィン。僕じゃないよ」

「フォックス様、あの男は?」

 四大賢者が一人にして、若き姿を保ち続けるフォックスに向かい、フェリアムは振り返るなり確認するようにそう問いかける。


「もうすぐ来るさ。ほらね」

 フェリアムがそう口にした瞬間、その人物は頭を掻きながら苦笑を浮かべつつ姿を現す。


「この間までちょっと滞在してはいましたけど、基本不慣れなんですよ。人を勝手に置いて行かないでください、フォックスの爺さん」

 その空間へと姿を現した黒髪の男。

 その人物を目にした瞬間、カロウィンは思わず引きつった笑みを浮かべずにはいられなかった。


「な……はは、冗談きついぜ」

「冗談ではないさ、カロウィン。この怠け者を君に貸してやる。それが僕と彼との取引の一部だからね」

「取引というか、一方的な命令というか。まあ東にもタッチしたほうが、最終的には楽にそして上手くやれそうですから、渡りに船ではありますけどね」

 少年の姿をしたフォックスの言葉を受け、黒髪の男は溜め息混じりにそう口にする。


「だろ? というわけで、私の仕事はここまでだ。後は君たちで頑張ってくれ」

 そう口にすると、フォックスはもはや役目を終えたとばかりに部屋から立ち去っていく。

 そうして部屋の入口に残された一人の男を目にして、カロウィンはいまだに信じられないとばかりに首を何度も左右に振る。

 だが、すぐにこれが現実であると受け入れると、途端に彼はニコリと微笑んだ。


「なるほど、優れた……いや、望みうる最高の参謀ってわけか。こうまでお膳立てを頂けるというなら、私もご期待にそうとしましょう。なにか色々含むところがおありのようですが、よろしく頼むよ、西方の英雄さん」

 そう口にしたキスレチン軍の皮肉屋は、目の前の黒髪の男に向かい右手を差し出した。


 後にカセルタ宗教戦争と呼ばれる戦い。

 それは、この二人の邂逅をもってその転換点を迎えることとなる。

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