第7話 南部戦線

 クレメア教とキスレチン共和国との戦い。

 それはブリトニア軍を相手にクラリス軍が奮闘する最中も、常に一進一退の攻防が繰り広げられ、彼の国が戦後処理を開始した今もそれは続いていた。


 キスレチンにとって、現状の状況は決して芳しいものではない。

 それは彼の国がまさに二正面作戦を強いられていることにあった。


 東部戦線においては、敵であるトルメニア軍の本体とも言える神聖軍が総力を動員して侵攻を続けており、現状においてはどうにか食い止めるだけで精一杯という状況が持続している。


 そして南部戦線においては、国内で勢力を拡大し続けていたクレメア教徒たちが、かつてこの国の軍務大臣を務めた一人の男を旗印として集い、さらにキスレチン軍の勢力を削ぐ現状となっていた。


 そんなキスレチン南部において、まさに中核をなしているナポライ市。

 民主国家を謳うこのキスレチンにおいて、すでに現実的にこの都市だけは大きくその様相を変え始めていた。


 言うなればそれは宗教都市。


 そんな都市において、現在信徒達の旗印となっている男は、デローヴォと呼ばれる要塞の中にその姿があった。


「軍の連中も、案外不甲斐ないものですな。初戦の敗北に懲りてサービアン将軍は守勢に徹し続けております。これはもはや趨勢は決しましたな」

 キスレチン共和国前外務大臣であるハムゼ・パミルは、度重なる部下たちの進言を受けて、目の前の枢機卿に向かいそう告げる。

 だが、そんな彼は思わぬ反応をその目にすることとなった。


「いえ、楽観は禁物です。ここ数日……いえ違いますね。もう少し以前からでしょうか、彼らの行動が若干変わった気がします」

「行動が変わった……ですか」

「はい。以前までは初戦の敗北で動揺し、自信を失ったまま戦闘を継続していたように感じられました。ですが今は、何らかの意図を持って戦闘行動を自粛しているかのようです。少なくとも、私の目にはそう映っています」

 少しばかり伸びたあごひげを軽くさすりながら、ケティス・エステハイムはそう告げる。


 ケティス・エステハイム。

 キスレチン共和国前軍務大臣にして、この国の第三政党であった統一宗教主義戦線の代表、そしてクレメア教の枢機卿という肩書を有する男である。

 そして今、彼はこのナポライに集うクレメア教の人々の指導者でもあった。


「自粛……しかし、未だ散発的な戦闘は継続しておりますが?」

「彼らにも彼らなりの事情があるのでしょう。それは士気の維持のためかもしれませし、それ以外の理由があるのかもしれません。ところで、東部戦線の状況はどうなっていますか?」

「それが陸路は奴らに封鎖されているため、海路経由でしか連絡がとれず、今現在どうなっているかは……」

 ケティスを中心とするキスレチンのクレメア教団軍とトルメニア神聖軍は、相互の関係としては決して良好とは言いがたいものの、戦いに際して最低限の連絡だけは取り続けている。

 しかしながら、両軍の間に存在する距離の問題もあり、相互連絡にはどうしても時間的なズレが生じていた。


「それは仕方ありません。ですので、最も新しい情報で結構です」

「先月届けられた報告となりますが、その時点では向こうも一進一退が続き戦況は膠着状態であったとのことです」

「ふむ……そうですか」

 その報告を受け、ケティスは渋い表情を浮かべる。

 それを目の当たりにしたハムゼは、すぐさま問いを口にした。


「何かご懸念が?」

「いえ、東部戦線が硬直している上に、こちらでも動きが乏しいとなれば、彼らは一体何を考えているのかと思いましてね」

 ケティスは顎を軽くさすりながらそう告げる。

 それに対しハムゼは、ケティスのその意図するところを敢えて口にして言語化しようとした。


「何を考えている……ですか。つまり何らかの軍事行動の前触れだと?」

「そこまではわかりません。ですが、状況とは常に悪化するもの。そう考えながら行動は行うべきでしょう。少なくとも私は、それが正しい指導者のあり方と考えます」

「悪化するものですか」

「ええ、悪化するものです。そうですね、例えばですが、敵の指揮官が変わるに際し引き継ぎを行っている最中なども考えられますか」

 指を一本突き立てながら、ケティスはハムゼに向かってそう口にする。

 それを受けてハムゼは、明らかに狼狽を見せた。


「で、では、サービアン将軍が更迭されると、そう仰りたいのですか?」

「だからあくまで例に挙げてみただけですよ……でも、もし私が今も軍務大臣なら、迷わずトップを入れ替えるでしょう。後任にはそうですね、例えばカロウィン・クレフトバーグなどが適任でしょうか」

 ケティスがサラリと口にしたその人名。

 それを耳にした瞬間、ハムゼの両目は大きく見開かれた。


「な……しかしあの男は既に退役し、野に下りました。あのひねくれ者が果たしてもう一度軍に戻るでしょうか?」

「そのあたりは、今ミラニールで権力を握っている彼らの器量次第でしょう。もちろん、他にも可能性は低いでしょうが、より最悪のケースも考えられます。ですので、面倒事が起こる前に主導権を握るのがやはり望ましいでしょうね」

「は、はあ、主導権を握りに行くことに全く異存はありませんが……その、より最悪のケースとはなにを指しておられるのですか?」

 先ほどのケティスの言葉の中に含まれていた、聞き逃すことの出来ぬ単語。

 ハムゼはやや迷いつつも、その単語に対する率直な疑問をぶつけた。


「それは自明の理ですよ、ハムゼさん。サービアン将軍に代わり、この西方にて最も厄介な男がやってくる可能性です」

「厄介な男……まさか!」

「ええ、西方の英雄。クラリスとしても、先を見越すならば、彼を送り込んできても不思議ではありません。もちろん可能性は低いでしょうがね」

 あの男がこの地にやってくる可能性は、ケティスとしては二重の意味で低いと考えていた。

 その理由の一つは、もちろんクラリス王国の領域外の戦いであるということ。そしてもう一つは、この南部における戦いは、表向き内戦の様相を呈しているとも言えることにあった。


 前者は他国の戦争に介入するということを意味している。ただしこれは、西方会議時の彼の振る舞いもあり、一概には否定できるものにない。


 しかしもう一つの理由は彼にとってはそれなりの確信を持っている理由であった。

 つまりトルメニア本体とも言える神聖軍が侵攻してきている東部戦線は、いうなれば国対国の戦いである。それ故に、クラリス王国の立場を踏まえれば、もし仮にあの男の参戦があったとしても、その向かう先はどちらかと言えば東部戦線方面であろうと彼は考えていた。


 しかしながら、これらのような理屈が成り立とうとも、それらはあくまで可能性の問題である。

 常日頃から状況の悪化を前提として行動するケティスは、万が一に備え、次の手を打っておくべきという考えを改めて決断した。


「いずれにしてもです、この状況下で敵に時間を与えることに何ら価値はありません。それに我々の北上に時間がかかれば、神聖軍にミラニールを先に落とされかねない。そうなればどうなるかわかりますか?」

「この国が枢機卿たちの草刈り場になりかねない……ですか」

 ハムゼはようやく、ケティスの危惧するところを理解する。

 現在、東部戦線を構築している神聖軍は枢機卿会が主導して編成した一団である。

 そして彼らは、この国のクレメア教に対してあまり好意的ではない。むしろ所詮は傍流であり、異質なものと捉えているふしさえ存在した。

 だからこそそんな彼らがこの地に入ってくればどうなるか、それは火を見るより明らかといえる。


「この国にはこの国なりのクレメア教、そして地母神への向き合い方があると思うのです。もちろんその根幹は同じなわけですが、信徒たちは同じと考えないでしょう。こういうものは時間を掛けてゆっくりとすり合わせるべきでしょうから」

「その為にも、主導権を押さえねばならない……ですか。わかりました。至急、新たな作戦プランを構築するよう準備いたします」

 そう口にした瞬間、ハムゼは深々と頭を下げる。

 ケティスはそんな彼に対し、いつもの穏やかな声を向けた。


「よろしくお願いします、ハムゼさん。全ては地母神たるセフエムの為に」







「これで本当によろしいのですね?」

 出撃していく少数の兵士たちをその目にしながら、大柄な体軀を誇る壮年の男性は、隣に立つニコニコした笑みを浮かべる男に向かいそう問いかける。


「ええ。完璧ですよ、サービアン将軍。急に無理を言ってすみませんでした」

「いえ、私の方こそ、お預かりした兵を無駄に損ない申し開きのできぬところ。にも関わらず、信頼してこの役目をお与えいただいたこと、ソラネント副司令官には深く感謝をいたしております」

 クラリスとの外交交渉をまとめ、キスレチンに戻るなりこの最前線へとその姿を現した男。彼に向かい、サービアンは深く感謝の意を伝える。

 一方、そんな彼の言葉に対し苦笑を浮かべたソラネントは、そのまま小さく首を左右に振った。


「はは、その感謝の言葉は、私ではなく貴方の続投を希望したあの方に言って下さい」

「それは……しかし……」

 ケティスによって手痛い敗戦を被ることになったサービアンは、この地に残り戦う要望を許諾してくれた眼前の軍官僚に向かい、深い感謝を覚えている。

 しかしながらそれでも、その物言いを全てそのまま受け取ることは出来なかった。


「まだ抵抗がありますか?」

「無いといえば嘘になります。もちろんあの男の実績と能力には十分以上に敬意を払っているつもりです。ですがそれでも、我らが自由の民の兵士たちを、そうでないものに預けることは、なかなかに――」

「受け入れがたいと……そういうわけですか。まあ、わからなくもありません。でも、彼は約束してくれました。この国と民主主義を守るために協力することを。それで結構ではありませんか」

 ソラネントのあまりにもあっさりした言葉。

 それに戸惑いを覚えつつ、サービアンは不承不承に一つ頷く。


「それは、まあ……」

「民主主義とは多様な思想、考え方を受け入れてこそと私は考えます。だからこそ、上は彼に要請をした。結局のところ、そういうことですよ」

「……閣下はお受け入れされることに抵抗はないのですか?」

「私? もちろんです。使えるものは何でも使うのが私の性分ですから」

 まったく言いよどむことなく、ソラネントははっきりとそう言い切る。

 それに対し、サービアンは一瞬戸惑いを見せた。

 途端、ソラネントは再びその口を開く。


「いずれにしても、連中の好きにさせるわけには行きません。その為に、まずは戦線を出来る限り自然な形で後退させ、彼らを引きずり出します」

「はい、了解いたしております。ただその……」

 そこまで口にしたところでサービアンは言いよどむ。


「なんですか?」

「本当に末端の兵士に至るまで、あの男が来ることを伝えてしまってよろしいのですか?」

 それは好む好まざるにかかわらず、サービアンの危惧するところであった。

 つまり無闇矢鱈と情報共有を行うことは外部へと、つまりこの場合、敵に情報が漏れるリスクが有るのではないかと彼は考えていた。


「ええ、もちろんですよ」

「で、ですがその、中には連中の捕虜になるものも出るでしょう。またクレメア教徒が軍の中に潜伏している可能性も少なからず存在します。もしあの男の来訪が奴らに知られては、おそらく奇襲もままなりません」

「はは、確かにそのとおりですね。ですが、それで構わないのです」

 サービアンの危惧するところをその耳にしたソラネントは、ニコリと微笑みあっさりとそう言い切る。

 そのあまりに自然極まりない反応を前にして、サービアンは僅かに首を傾げながら、これ以上食い下がること無くその言葉を受け入れた。


「は、はぁ……ともかく了解いたしました」

 それだけを告げると、サービアンは敬礼を一つ残しその場から歩み去っていく。

 そうしてその場に一人残されたソラネントは、先日クラリスであったはずの男を脳裏に浮かべながら、虚空に向かい呟いた。


「今回の案件を引き受けていただくにあたり、色々と面倒なご注文を頂きましたから、ここからが大変そうです。でも勝てるというのならば、貴方のリクエストには可能な限り応えさせて頂きますよ。西方の英雄、ユイ・イスターツさん」

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