第6話 歩むべき道

 王都エルトブールの外れに存在する小さな家屋。

 それはとある人物が極個人的に使用するために借り受けていた家である。

 しかしながら、そんな現在の主が入口の扉を開けた瞬間、彼は誰も居ないはずの暗闇の中から、皮肉交じりの言葉を浴びせかけられることとなった。


「あらあら、こっそり戻ってきたってわけ? 独立なんて言い出した問題児の英雄さん」

「クレハか……右肩の調子は良さそうだね」

 家の中に体を滑り込ませたユイは、手近な魔石灯に火を灯すと、眼前の女性に向かいそう応じてみせる。

 だが当然の事ながら彼の問いかけは無視され、そして改めて先ほどの問いかけに答えるよう迫られることとなった。


「話を逸らすつもり?」

「いや、別にそんなつもりはないさ。それと勘違いしてほしくないのだけど、彼らに説明していないことにも深い意味は無い。何しろ、独立なんてものはその先の話だからね」

 ユイは苦笑を浮かべながら、先日の自らの発言に関してそう言及してみせる。

 途端、クレハの口からは辛辣な言葉が吐き出された。


「その先……ね。また投げ出すの?」

「正直、そうしたいのはやまやまなんだけどね。でも、今回ばかりはそういうわけに行かないことが悩みの種でさ。いや、こう見えて意外と義理堅い性分だと自分では思っているんだ。ほんとだよ」

 まったく信用されていない気がしたユイは、軽く両腕を左右に広げながら、念を押すようにそう告げる。

 しかし当然の事ながら、彼のそんな発言は鼻で笑われることとなった。


「さて、どうだか。ともかく、キスレチンへ行くつもりなのね」

「まあね。というわけで、今回はお留守番をよろし――」

「いやよ」

 ユイの言葉を遮る形でなされた回答。

 その口調の強さには、彼女の引かないという意思がはっきりとその言葉に込められていた。


 それに対しユイは、一瞬苦い表情を浮かべる。

 そして一歩クレハの下へ歩み寄ると、何気ない仕草で彼女の肩にポンと手をおいた。

「ッ!」

「ごめんね。でも、この肩じゃ無理さ」

 クレハの肩から手をどかしたユイは、首を左右に振りながらたしなめるようにそう告げる。

 それに対し彼の眼前の女性は、何一つ口にすることなく、ただただ抗議の視線を彼へと向けた。


「……そんな目で見ないでよ。それに申し訳ないけど、楽をしてもらうつもりはないんだからさ」

「一体、何をしろっていいたいのかしら?」

 棘と苛立ちの混じったクレハの問いかけ。

 それを受けたユイは、部屋の奥に置かれた本棚へ一度歩み寄ると、そこから三番目に厚い本を取り出す。そしてその真ん中やや手前のページに挟まれていた汚い文字がびっしりと書かれた用紙を取り出すと、そのままクレハへと差し出した。


「さしあたって、彼らにこれを渡しておいて欲しいんだ」

「これは?」

「敢えて言うなら旅のしおり……かな」

 ユイはそう口にすると、わずかにその口元を歪める。

 一方、受け取ったその紙へと視線を落としたクレハは、その内容を確認した瞬間、溜め息混じりに正直な感想をその口にした。


「……また散々に怒られるわよ」

「仕方ないさ。全軍を率いて寄り道をする訳にはいかない。状況的にも、道義的にもね。となれば、現地で合流するのが最も合理的だと思わないかい?」

 苦笑を浮かべながら、ユイは自身が出した結論をクレハへと告げる。

 それに対しクレハは呆れたように小さく首を二度左右に振った。


「指揮官としては、最も最低な選択肢だわ」

「はは、耳が痛いな」

「ウソをつきなさい。痛くなるほど敏感な耳を持っていたら、この状況下でのうのうとこんな場所にいるはずがないわ。まあいい、どうせ貴方が悔い改める気なんて無いでしょうし、引き受けてあげるわ。ただし……」

「ただし?」

 言葉を止めたクレハに向かい、ユイは先を促すよう繰り返す形で問いかける。

 すると、ほんの少しばかり口元を吊り上げたクレハは、ユイに向かい一つの宣告を行った。


「この内容を伝える際に、貴方のことは一切庇ってはあげないから。後でちゃんと自分で謝ることね」

「はぁ、それまでにほとぼりが冷めてるかなぁ……」

「無理よ。どうせ貴方の顔を見れば、銀髪の彼が沸騰するに決まってるもの」

 現在は親衛隊長を務める一人の人物のことを示唆しながら、クレハは確信を持ってそう告げる。

 途端、ユイは苦い表情を浮かべながら軽く頭を掻いた。


「かも……ね。まあ、そのへんは最初から予測済みだから、仕方ないよ」

「予測済みって、本当に貴方という人は」

 予め怒られることは前提で動くあたり、本当にタチが悪い。

 それが正直なクレハの感想であった。

 しかしながらその当人は、言葉の上では謝罪を口にしつつも、全く気にした素振りを見せず、その視線は更に未来へと向けられる。


「ごめんね。でもさ、ここからは最善手を取り続けないと、絶対にビジョンを描くことができないんだ。いや最善手をとったとしても……」

「途絶えるはずの道、存在しないはずの道を歩き続けるためのビジョン……ね」

「まあもともと、王道とかそういうものには縁がないからさ。外れの道を行くことは慣れっこなんだけどね」

 現在の立ち位置はどうであれ、経歴上左遷を繰り返してきたユイは、あくまで笑いながらそう告げる。

 それに対しクレハは、軽く鼻で笑ってみせた。


「決して自慢できることではないと思うけど」

「違いない。でもね、今回ばかりは変な方向へ踏み外すわけには行かなそうなんだ。とてもそんな余裕はなさそうだからね」

「つまり単独行動の寄り道が、最も本筋を走る行為だと貴方は考えているのね?」

 ユイから一切視線を外すこと無く、クレハは彼の目を見つめながらそう問いかける。

 それに対しユイは、小さく一度だけ頷いてみせた。


「ああ。ある若作りした爺さんに会うことが、おそらくこの道を走り切るのには必須なのさ。たぶんだけどね」

「若作りした爺さん……フォックス・レオルガードね」

 ミラニールの北に位置する小さな農村。

 サルヴァツァと呼ばれるかの村で、その見た目と反し悠々自適な老後を送っている人物の名をクレハは口にした。


「ああ。あの人に、もう一人の賢者が作り上げたこいつを渡さなければいけない。狂った因果を正当化するためにね」

 ユイはそう口にすると、眼前の人物の義父が作り上げた一束のレポートを指し示してみせる。

 しかしクレハが言及するのは、そのレポートではなく、彼が口にした一つの単語であった。


「狂った因果……自覚はあるのね」

「ないさ。でも客観的に見てそうだと言われれば、正直否定出来ないのは事実かもね」

 ユイはそれだけを口にすると、そのまま入口の扉に向けて踵を返す。


「つれないのね」

「残念ながら、時間は有限なものでね」

「貴方らしくない言葉だわ」

「そうかな? まあでも、たまにはいいんじゃないかな。私が時間に厳格でもさ」

 背中越しにユイはそれだけ述べると、そのまま入り口の扉に手をかける。

 そのタイミングで、彼の後方からそれまでとは僅かに異なる声色の声が発せられた。


「ユイ……無理はしないでね」

 それはまるであの頃の彼女のような声色だった。

 そう、あの村で共に日々を過ごしていたあの頃の。


「もちろんさ。基本的に、私の辞書に無理とかやる気とか、献身なんてものは存在しないからね。というわけで、彼らに怒られる役はよろしくね、クレハ」

 それだけを口にすると、ユイは軽く手を上げてそのまま外へと歩み去っていく。

 そうしてその場に残されたクレハは、小さく溜め息を吐き出す。

 そして虚空に向かい小さく呟いた。


「本当に成長しないわね。貴方も……そして私も」

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