第5話 真意の在り処

 軍務庁舎の最上階に存在する会議室。

 その中には現在のクラリス軍首脳部と、そして至尊の冠を頂く一人の女性がその場にて顔を突き合わせていた。


「つまり共和国の要望は、我が国が援軍を送り込むこと。この一点だけなのね?」

 端正なその顔の眉間にしわを寄せたエリーゼは、キスレチンとの交渉の場に唯一居合わせた若き軍務大臣に向かいそう問いかける。


「はい、そのとおりです。少なくとも彼らはそれ以上の要求を何一つ言ってきませんでした。それどころか、諸経費は可能なかぎり負担すると」

「彼の国の国庫も火の車のはずだがな」

「おそらくは直面している喫緊の課題が優先されるということでしょうな」

 親衛隊長であるリュートの懸念に対し、この場における最年長にして唯一代替わりをしなかった魔法省次官のスクロートが、彼の顔に視線を向けながら自らの見解を述べる。

 その次官の発言に対し、リュートは一度頷いては見せたものの、あくまで彼は慎重論を繰り返した。


「おっしゃられることはわかります。ですが、安請け合いしてその後に何らの見返りも行われない……いや、彼らが行えないという可能性もあります。その辺りは話半分にとっておくべきでしょう」

「そうだね。ただいずれにしても、彼の国が負ければ次は僕らさ」

 それまでキツネ目を細めながら発言を控えていたアレックスは、一同を見回しながらはっきりとその危険性を告げる。

 するとそんな彼の言葉を受け、エリーゼがすぐに確認の問いを口にした。


「トルメニアは我が国を侵攻してきますか?」

「そうですね、間違いないと僕は思います。何しろ、我が国はクレメア教国家ではありませんから」

「利害よりも宗教です……か」

 エインスによる回答を受け、エリーゼは渋い表情を浮かべながら納得したようにそう呟く。

 そんな彼女の表情を目にしながら、最年長のスクロートは改めて話を前に進めた。


「いずれにしましても、私はやはり援軍は送るべきかと考えます」

「僕もそう考えます。ただ……」

「ただ?」

 エインスが口ごもったのを目にしたリュートは、彼に向かってその言葉の先を促す。


「その……共和国は我が国には確かに援軍を要望してきたわけなのですが、もう一つまったく異なる要望を伝えてきていまして……」

「もう一つ? 彼の国の要望は一点だけって、聞いたばかりと思うけど?」

 エインスの発言を耳にするなり、アレックスは軽く首を傾げながらそう問いかける。

 それに対しエインスは、困惑した表情を浮かべながら、ゆっくりとその口を開いた。


「その通りです。我が国に対しては……ですが。ただもう一つは別の対象に、つまり一個人に向けられたものなのです」

「一個人だと……まさか!?」

 キスレチンが交渉を持ちかけるような一個人。

 そのだらしな気な顔が脳裏に浮かび上がったリュートは、思わずその頬を引きつらせる。


「はい。先輩に……そう、英雄ユイ・イスターツ個人に対し、彼の国は要望を持ち込んできました」

「我が国の頭越しに好き勝手言ってきたものだな」

 スクロートはそう口にすると、小さく溜め息を吐き出す。

 一方、エインスの言葉に内心動揺を覚えずにはいられなかったエリーゼは、端的にその目的を問いかけた。


「で、彼らはユイにどうして欲しいと言ったのですか?」

「指揮権を譲渡するが故に、彼の国の一軍とともに戦って欲しいと」

 エインスの告げたその回答。

 それを受けてリュートは小さく首を左右に振る。


「……なるほどな。だから個人に対してというわけか」

「一頭の虎に率いられた羊の群は、一匹の羊に率いられた虎の群に勝る。確かにそれは真実かもしれないね。もっとも、彼の普段の行いは虎というよりは羊だけど」

 アレックスは古い故事を引用しながら、敢えて冗談めかしてそう口にする。

 それに対しリュートは、彼のその調子に合わせること無く、さらにその先をエインスに求めた。


「それで、あいつはなんと回答したんだ?」

「一つの条件を飲んでもらえるなら、協力もやぶさかではないということでした」

「条件?」

 エリーゼは目を僅かに見開きながら、そう口にする。


「はい。魔石の輸入関税を割り引いてもらえるならと」

「無理だな。いや、もちろん国が滅びるかどうかとなれば可能性はあるだろうが、しかし西方会議の盟主たる彼の国が、その約束を飲むというのは難しいだろう」

 長くこの国の中枢に関与し続けてきたスクロートは、冷静に今回の提案をそう評する。

 しかし、そんな彼の見解をエインスが肯定することはなかった。


「と、思われますよね。最初この話を聞いた時、僕もそう思いました。ただその……先輩が提案したのはクラリスと彼の国ではなく、レムリアック独立領と彼の国との間で……と」

「な、なんだと! エインス、一体どういうことなんだ!?」

 まったく予期せぬ単語を耳にして、リュートは思わず声を荒げる。

 それに対し、エインス本人も困惑極まりない表情を浮かべながら、しどろもどろに口を開いた。


「いえ、僕も何がなんだかわからなくて……」

「でも貴方がついていたんでしょう?」

 エリーゼに寄る容赦無い追求。

 それに対しエインスは、言いそびれていた一つの事実を告白した。


「その……こう遅刻している間に話が進んでしまっていたというか、着いたらもう話は殆どまとまっていたというか……」

「おい、あの馬鹿ではなくお前が遅刻したのか?」

 本来ならば上官にあたる軍務大臣に対し、リュートの口調は全く容赦がなかった。

 それに対し、エインスは視線をそらせながら慌てて言い訳を口にする。


「あの、その、アズウェル先生に無理やり部屋の片付けをさせられていて――」

「言い訳はいい。それよりもどうするつもりだ?」

 エインスの言葉を遮る形で、間髪入れぬリュートは詰問を行う。


「ど、独立なんて普通ならとても認められませんよ。でも……」

「そんな当たり前のことを、ユイが理解していないわけがない。要するに、君が引っかかっているのは、そんなところかな?」

 まさに助け舟を出すような形で、アレックスはエインスが口にしそびれたその内容を敢えて口にする。


「はい、そのとおりです。あの怠惰極まりない先輩が、なにか面倒事をしようとする場合、それ相応の理由があるはずなんです」

「後々の面倒事を回避するためというのがほとんどだがな」

 数々の苦い記憶が蘇ったリュートは、やや棘のある口調でそう告げる。

 一方、そんな彼と同様の苦労を体験してきたエインスは、苦笑混じりに言葉を続けた。


「まあそれは……でも今回の案件はどう考えても、先輩に取って面倒事でしか無いんです。ですので、そこがあまりピンとこなくて」

「少なくともカーリン絡み……よね」

「それは間違いないかと。ですが、なぜ独立という選択なのかがまったく見えてこないんです」

 エリーゼの発言に頷きつつも、エインスは最大の疑問点を口にする。

 それに対し、顎に手を当てた赤髪の男が、一つの疑念をボソリと呟いた。


「本当に関税が目的なのかな?」

「アレックス?」

 赤髪の男の言葉に、眼前の席に腰掛けていたリュートは思わず反応する。

 それを受けて、今度は皆に向かって伝わる程度の声で、アレックスは自らの疑問点をその口にした。


「いや、あの土地が仮に独立した場合、大陸西方においてどういった意味を持つのかと思ってね」

「大陸西方における意味……か。つまり関税の減額と言うのは、あいつの真の目的を隠すための隠れ蓑だと?」

「どうだろう。本人以外それはわからないさ。ただ少なくとも、関税の減額ってだけだと彼らしくないよね」

 それは決して何らの根拠のある発言ではなかった。

 しかしながら、アレックスのその言葉の説得故か、リュートはそれ以上言葉を紡ぐことなく口を閉じる。

 そうして場が静まり返ったところで、エリーゼが一つの結論を出した。


「いずれにせよ、直接ユイから聞くしか無いようね」

「……それでエインス。ユイの奴は?」

「先輩はその……お墓参りに」

 リュートの問いかけに対し、ろくな説明もなく目的地だけを告げて立ち去ってしまった黒髪の男の行動を、エインスは口にする。

 その回答を受け、エリーゼは困惑した表情を浮かべながら、改めてエインスへと問いなおした。


「墓参り?」

「はい。かつてご両親と共に住まれていた村へ向かわれる……と」

 





 エルトブールより少しばかり北に位置する農村。

 その村外れにある寂れた墓地へと、あの男は再び訪れていた。


「前回は四年ぶりに……そして今回もまた四年ぶりとなってしまいました。申し訳ありません、母さん」

 黒髪の男はそれだけを告げると、その瞳を閉じる。

 そして瞼の裏側に映る人物に向かい、彼は再びその口を開いた。


「彼らと再び出会いました。貴方なら敵討ちなんて野暮なことをするなと鼻で笑われるでしょう。僕も……いや、私もそのつもりでした」

 彼はそれだけを口にすると、小さな溜め息を吐き出す。


「ヴァンダルが組み上げたこの不安定なシステムが土台である故に、その理念には同意できなくとも、この世界を維持しようとする彼らの志は理解できます。ですが、それでもなお私は再び彼らと対峙せねばならないようです」

 ユイはそこまでを口にしたところで、墓石に向かい手を合わせると、ゆっくりと踵を返す。

 そして吹き付けてきた北風に身を震わせながら、彼は虚空に向かい呟いた。


「結局、また私は泥沼へと足を踏み入れるわけだ。ならば、少しでも犠牲者は少ないほうがいい。その為に……いずれにせよ、全ては彼ら次第……か」

 彼が吐き出した言葉は、誰の耳に入ることもなくそのまま空中に霧散していく。

 そして彼は再び王都に向かい、この荒れ果てた村から歩み出した。


 彼がその姿を消したところで、一層北風は強くなり、村の入口に立て掛けられていた古い木製の立て札は、力なく風に煽られて地面へと落下する。

 地面に接吻することになったその立て札は、そこに記されていた村の名前を、もう誰にも伝えることはない。


 そう『イスターツ村』と書かれた、この村の名称を。

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