第4話 下交渉

「すいません、お待たせしてしまったようで」

 エルトブール城の正面やや左手に備え付けられた一室。

 そこに足を踏み入れたユイは、頭を掻きながら中で待ち受けていた二人の男性に向かい謝罪の言葉を述べる。


「いや、突然押しかけたのは我々の方だ。そして久しぶりだなアイン……いや、ユイ・イスターツ」

「はは、どうも。お久しぶりですウフェナさん。それで、今回はどうして貴方が我が国に?」

 彼ら二人が腰掛けていたソファーの向かい側に腰を下ろしたユイは、単刀直入にそう問いかける。

 すると、ウフェナは端的にその理由を口にした。


「フェリアム殿に頼まれたのでな」

「あのタヌキおやじの差配ですか。なるほど」

 フェリアムの気難しそうな顔が脳裏に浮かび上がったユイは、思わず苦笑をこぼす。


「いずれにせよ、外交使節団の団長を任命されたのだが、私には外交がわからん。だから我が国の外務省からも今回の訪問に際し外交官に同行頂いた」

 ウフェナがそう口にすると、彼の隣に腰掛けていた壮年の男性はニコリと微笑む。


「フレーグと申します。どうも」

「なるほど。それでウフェナさんと、外交官の方が来られて、具体的に私にどうしろと言うのですか?」

 ユイは二人の顔を順に眺めながら、単刀直入にそう問いかける。

 すると、やや窮屈そうな礼服をまとった外交官は、軽く肩をすくめてみせた。


「いきなり本題を求められるとは、話が早いですな、イスターツ殿」

「いやぁ、昔から駆け引きは嫌いなもので」

 頭を掻きながら、ユイは外交官に向かいそう答える。

 途端、ウフェナは呆れたような表情を浮かべた。


「嘘をつけ」

「本当ですよ。同じ結論を出すために無駄に頭を使う位なら、できるだけ労力をかけないほうがマシというのが信念でして。もちろん、同じ結論が引き出せる場合の話ですが」

 軽く両手を左右に広げながら、ユイは彼自身の本音をあっけらかんと口にする。

 一方、そんな彼の対応に苦笑を浮かべながら、外交官の男はあっさりと来訪の理由を口にした。


「……ではお望み通り端的に申しましょう。我が国への援軍をお願いしたい」

「それはクラリス王国に対する依頼ですか?」

「そうだ。そして貴公に対してでもある」

 ユイの問い掛けへの回答と、外交官の言葉を補足する意味も兼ねて、ウフェナは隣の男性に目で確認をとった上でそう述べる。

 だがそんな彼の返答に対し、ユイは軽く顎に手を当てながら、軽い口調で自らの立ち位置を口にする。


「残念ながら、それはイコールではないのですよ。現在、私はこの国において無役の身でしてね」

「建前上はであろう。先日のカーリンでの一件、我が国にも情報は届いている」

「お耳が早いことですね。ただあれはあくまで、私の第二の故郷を守るために、私兵をもって戦いに参加しただけの話です。別にこの国からの依頼を受けたわけではありませんし、見返りも頂いてはいません」

 損害賠償だけは自分が被ることになったがと、ユイは内心で思いつつも、それは敢えて口にしなかった。

 一方、このままでは埒が明かぬとばかりに、外交官は目の前の黒髪の男にざっくりとした要求を述べる。


「ではこうしましょう。つまり。この国の軍と、そして貴方の両者に対して援軍を要請させて頂く。いかがですか?」

「個人に援軍を要請されるとは、いやはや……ともあれ、クラリスに関しては、後で軍務大臣が来ると思いますのでそちらに頼んで下さい。私が答えられる類いの問題ではありませんので」

「……むう」

 ユイの口にした原則論を前にして、ウフェナは思わず黙りこみ、隣の外交官へと視線を向ける。

 一方、彼の隣に腰掛けた外交官は、全く諦める素振りを見せず更に食い下がってきた。


「イスターツ殿、聞くところによると、現在のこの国の軍の中枢はすべてかつての貴方の部下や友人たちばかりとか。実質的に貴方が彼らに動員を依頼されれば、自然と我らの要請に応じて頂けるものと思いますが?」

「それはルール違反ですよ、外交官殿。それに何らかの理由で私が貴国に協力した際に、私だけが代償を頂くことになれば背任行為になりかねない」

「つまり、頷いて頂けるだけの代償をお支払いすれば、貴方個人としては、我が国への協力もやぶさかではないと……そう解釈してよろしいわけですね」

 外交官はユイの言葉を耳にするなり、よどみない口調でそう問い返す。

 すると、ユイは軽く頭を掻きながら言葉を濁した。


「いやぁ、どうでしょうかね」

「イスターツ、一体貴公は何を求めているのだ。金か、名誉か?」

 しびれを切らしたウフェナの問いかけ。

 それに対し、ユイは軽く顎を撫でながら、ゆっくりとその口を開いた。


「そうですね、お金は多少必要です。但し私以外の者のためにですが」

「ふむ……それはおそらく、貴方が保護した者達のためにですね」

「よくご存知ですね。ええ、ですので正直言えば、私というよりもレムリアック伯爵として、多少の……いや、それなりの金銭があればありがたいとは思っています」

 カーリンの人間を受け入れた現状において、ユイとしても金銭的な見通しは短期的にかなり苦しいのが正直なところであった。それ故に、ユイは全く遠慮すること無くそう告げる。


「ならば、それで手を打ちたいところですね。具体的に――」

「ああ、ちょっと待って下さい。金銭のことはもちろんなのですが、それ以上にお願いしておきたいことがありまして」

「それ以上にお願いしたいこと? 一体何だ?」

 外交官の言葉を遮って言い放ったユイの発言に対し、ウフェナは眉間にしわを寄せながらまっすぐに問いただす。


「はい。戦闘時における撤退権を頂きたい」

「……つまり、あくまで我らの指揮下に入らず、不利と見れば逃亡も辞さないというわけだな」

「当たらずしも遠からずといったところですね。金を払ったから死兵となって、使い捨てにと言うのは、流石に困りますので」

 ユイは頭を掻きながら、敢えて辛辣な仮定を告げる。

 だがそんな彼の発言に対し、外交官はすぐに反論を口にした。


「ですが、その条件を受け入れるといささか問題かと。何しろ、貴方がたは自由に撤退できるとなれば、金だけ受け取って逃亡することも可能ですし、最悪、敵国たるトルメニアの懐柔を受けての撤退と言う可能性もありましょう」

「それはそうですけど、仮にトルメニアに懐柔されたら、別に撤退権がなくとも彼らに与するはずですよ。違いますか?」

 薄い笑みを浮かべながら、外交官の表情を覗き込むと、ユイはそう尋ねる。

 だがそんな彼の発言を、もう一人の男がはっきりと否定した。


「それはないな」

「どういうことですか? ウフェナさん」

「貴公が彼らと何らかの因縁を有していることは理解している。だから、それはないと言えよう」

 確信を持った口調で、ウフェナははっきりと断言する。

 途端、ユイは弱ったように頭を掻いた。


「やれやれ、ではどうしましょうか」

「指揮権を貴公に譲渡しよう」

「は……ウフェナ君、今なんて!?」

 驚きの声を上げたのは、ウフェナの隣に腰掛ける外交官であった。

 だがそんな彼の驚きに目もくれず、ウフェナは重ねてユイに対し言葉を向ける。


「我がキスレチン軍南部方面軍の指揮権を貴公に委ねる。それでどうだ?」

「隣の外交官殿は驚かれているようですが……本気ですか?」

「本気だ。それに指揮権を貴様が持てば、理不尽な命令などと言うものは存在しなくなり、我軍と貴公の軍は対等となる。違うかね」

 そのウフェナの表情。

 そこからユイは、彼が本気なのだと理解した。

 そしてだからこそ、彼はやや慎重な口調で確認の問いを口にする。


「確認しますが、私に指揮権を委ねる権限がウフェナ殿にお有りなのですか?」

「今回の外交交渉において、私が全権大使ということになっている」

「少し待ってもらえますか。如何に目の前の人物が英雄殿とは言え、我が国の兵士は自由の民の兵です。その指揮権を専制君主の部下に預けるのは如何かと思いますが」

 外交官は眉間にしわを寄せながら、ウフェナに向かって問題点を口にする。

 だがウフェナは二度首を左右に振ると、改めて自らの見解を述べた。


「専制君主のもとで特権階級にあるものにその指揮権を委ねるのは誤りかも知れませんな。だが、自由が失われようとする今、自由を守るために行えることは全て試みるべきでしょう」

「それは当然です。ですが、その全てを試みたのかと言う問題が残ります。実際に――」

「あ、えっと……盛り上がっているとこ悪いのだけど、お二人共ちょっといいですか?」

 外交官の声を遮る形で、ユイは二人に対して声を向ける。


「なんだ、イスターツ」

「あのですね……すでにあなた方の結論は出ていると思いますので、無駄なお芝居は止めにして、早く本題を続けませんか」

「は、お芝居?」

 ユイの言葉を耳にするなり、外交官は虚を突かれたような表情を浮かべる。

 しかし彼のそんな反応を目にしながら、ユイは苦笑交じりにその口を開いた。


「だからわかっていますから。もともと私に権限を譲渡させるつもりだったんでしょ。ただそのまま素直に譲渡はできない。何しろ民主主義国家で選挙という信任問題がつきまといますから。だから、表向きは私が権限を求め、貴方がたはやむなく譲歩した。フェリアム殿があなた方に与えたのはそんな筋書きではないですか?」

 ユイのその言葉が紡ぎ終わった瞬間、室内には一瞬ばかり静寂が支配する。

 そしてわずかな間の後に、先程まで驚いた表情を浮かべていた外交官は、その顔に薄い笑みを浮かべてみせた。


「ふふ、なるほどなるほど。フェリアム殿やウフェナ君が尊敬とともに、本気で貴方を警戒するわけだ」

「はてさて、どうなのでしょうか。私にはその辺り分かりかねるところですが。それで、貴方は一体どなたなのですか?」

 軽く肩をすくめながら、ユイは返す刀でその根本的な問いをぶつける。

 一方、その問いかけに対し、壮年の外交官は苦笑を浮かべながら先ほどと同じ名をその口にした。


「貴方はといわれましても、外務省クラリス王国外交使節団副団長のフレーグですが」

「なるほど。では、その前は何をされておられましたか。そしてこの後は?」

 意味ありげな笑みを浮かべながら、ユイは更に問いを重ねる。

 すると、降参とばかりに外交官は軽く首を左右に振った。


「……素晴らしいですね。しかしなぜ気づかれました?」

「ウフェナ殿が自らの判断で何かを述べるとき、必ず貴方を確認されておられました。おそらく、台本外の事の決定権は貴方にあったのだと考えたまでです」

「ふむ、なるほど」

「その上で考えるに、貴方は本来、軍の人間ではないですか? であれば、礼服の下に隠れた張りのある身体の説明がつきますしね」

 そう口にすると、ユイはその視線を外交官の顔からその体へと移す。

 その視線の移動を受け、外交官は軽く溜め息をついた。


「本当にフェリアム殿が言われた通りのお人ですね。改めて自己紹介いたしましょう。元帝国方面軍将軍であり、現外務省クラリス王国外交使節団副団長を拝命したソラネント・フレーグ・アットフィールドです」

「帝国方面軍の元将軍……ですか」

「ええ、主に帝国側の守りを一手に引き受けていたのですよ」

「ちなみに付け加えておくとだ、私の以前の職場の上官でもあられる」

 もはや不得意な演技をする必要が無いと判断したのか、ウフェナはソラネントに向かい敬意を隠すこと無くそう述べる。


「なるほど。しかし、これで話が見えました。つまり、私が組むことになるのは貴方というわけですね」

「その通りです。ですから、指揮権の委譲に関しては、この場で約束して構いませんよ。私は勝ちさえすれば形式にはこだわりませんので。もっとも、あまりにも理不尽な指示を貴方がされるようでしたら、その時は拒否権を有させてもらいますが」

「仕事が増えず勝てるのならば私も形式にはこだわらないのですが……ふむ、まあ指揮権に関して構わないのでしたら、面倒事が増えない範囲でお預かりさせていただきましょうか」

 顎に手を当てながら一つ頷くと、ユイは僅かな迷いの後にそう述べる。


「ふふ、まあ私もできるかぎりの協力は約束しましょう。さて、となれば後は金銭の問題だけですが、はてさて、どれくらいご入用で?」

「まずさしあたって、今回の遠征に関わる兵糧をお願いしたいというのが正直なところです。何しろ、我が国から輸送するのは余りに非効率的ですからな」

「まあわからなくもない要求ですね。可否はともかく、政府にはお伝えしましょう。それで他には?」

「今後、うちの魔石に関する関税を割り引いて頂けませんか?」

 何気ない口調で発せられたその要求。

 それを耳にしたソラネントは、一瞬で首を左右に振った。


「それは難しいでしょう。何しろ、先日各国の関税率は西方会議で決まったばかりですので」

「ええ、そのとおりです。ですが、何事にも例外があるものでしょ?」

 ユイはニコリと微笑みながら、要求を引っ込めること無くそう口にする。

 だがそれに対し、ソラネントは渋い表情を変えることはなかった。


「つまりクラリスにだけ例外を認めろと? 本当にそんなことが通るとお思いですか?」

「無理でしょうね。クラリスは契約を交わしたのですから。ですが全く異なる新規契約なら如何です?」

 ユイの口から発せられたその言葉。

 それを耳にしたソラネントは、一瞬反応が遅れる。


「は……それはどう云う意味で?」

「今後とある地が独立した場合において、その地の責任者は貴国と新たに関税交渉を行いたいと思うのです。何しろ、彼の地は西方会議時点において、貴国と何らの契約も交わしていなかったのですから」

「イスターツ、貴様まさか……」

 ユイの提案を耳にしたウフェナは、驚きを隠すこと無く、その視線をユイへと向ける。

 一方、黒髪の男は軽く頭を掻くと、苦笑交じりにその口を開いた。


「はい。我が領地レムリアックが独立した場合において、クラリス王国と交わした契約よりも関税率を下げていただきたい。それが貴国の依頼を受ける上での条件です」

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