第3話 変わらぬ関係
士官学校に存在する校舎別棟。
そこには、普段は学生が立ち寄らない部屋が一つ存在する。
部屋の中には、いつも老人が一人。
普段通り椅子に腰掛けたまま論文を眺め読む彼は、不快なノック音を耳にすると、不機嫌そうなその表情を来訪者へと向けた。
「今日も来おったか……」
あからさまに不快そうなその声。
それを真正面から受け止める形となった黒髪の男は、軽く肩をすくめながら
抗議するかのように口を開く。
「そんな嫌そうな顔をしないでくださいよ。明日も行きますって言っておいたじゃないですか」
「お前の言っていることは当てにならん。特に予定に関してはな。だからわざわざ覚えていられるか」
「いや、そんな堂々と言われましても……」
普段の行いから強く反論しかねたユイは、頭を掻きながらそれだけを口にする。
一方、髭面の老人は、やや鋭い目でユイを見つめると、一つの問いを口にした。
「で、あいつは使いこなせているのか?」
「そうですね。正直に言えば、もう少し……といったところですか」
「そうか。ふむ……」
ユイの回答を耳にして、アズウェルは軽く顎髭を撫でる。
「大丈夫ですよ。彼は魔法科の麒麟児の後継者ですから」
「ふん、周りが勝手にそう言い出しただけで、あいつを後継者に指名したことなどない。第一だ、わしは一度足りとも自分でそんな名を名乗ったことはないぞ」
「亡国の賢者の名もですか?」
ユイの口からその言葉が発せられた瞬間、アズウェルの眉がピクリと動く。
しかし彼はすぐに気を取り直すと、そんな彼の発言を鼻で笑った。
「ふん、今は存在しない国のことを言い出してもしかたがないだろう。どうせ生きている奴の中で、彼の国の存在を知る者自体がほとんどおらん。全ては過去の話だ」
「そうですね。まあいずれにしても、リュートに関しては近いうちに扱えると思います。それにそうでなければ。些かまずい状況になりますし」
「受け身に回るというのはそういうことだ。だから昔から、出来る限り状況は作る側でいるべきだと言ったじゃろ。にも関わらず、お前はいつもいつも」
もはや説教以外の何物でもないアズウェルの発言。
それに対し、ユイは苦笑を浮かべると、軽く頭を掻いた。
「いや、これでも出来る限り善処してきたつもりですよ」
「そんなことは知らんな。まあいずれにせよだ、リバースエンジニアリングに関しては、あとはあやつ次第。わしの技術は全て奴に預けたからな」
「ですね。でも、正直先生にも先生なりの思惑があるんじゃないですか? 例えば、自分の研究の跡を継げる者を残しておきたいとか」
右手の人差指を立てながら、ユイは一つの仮定を口にする。
しかしそれは、目の前の老人によってあっさりと否定されることとなった。
「ないな。第一、自分で成果が見れないものを残しても仕方ないじゃろう」
「はぁ、素直じゃないんですから」
ユイはそう口にすると、軽くため息を吐き出した。
一方、そんなユイの反応を不快に感じたアズウェルは、さっさと話題を切り替える。
「言っとけ。で、お前さんの方はどうなっとるんだね?」
「予定通り……ですかね」
「そうか、ならいい。こいつの方もほぼ解析は終わった」
そう口にすると、アズウェルは一振りの剣を無造作に机の上に置く。
そう、こんな場所に本来存在するはずのないその剣を。
「流石ですね。それで、如何でしたか?」
「因果を絶つ剣。まさに言葉通りだ。詳しくはこれにまとめてある」
アズウェルはそう告げると、ユイに向かって紙の束を放り投げる。
些か分量のあるそれを受け取ったところで、ユイは苦笑交じりに本音を口にした。
「えっと、これは頂いて良いですか?」
「バカモン。なぜわしがもう一度書き直さねばならんのだ。必要なところだけ写すか覚えたら、さっさと返しに来い。この常識無しめ」
「いやぁ、この剣を前にして返せとかそんな言葉を吐きかけられると、些か耳が痛くて。いずれにせよ、やはりこいつは使えますね」
走り書きに近いそのレポートをパラパラと目にしながら、ユイは一つ頷きつつそう述べる。
「なんなら、奴を使うんだな」
「奴……ですか?」
「ああ、若作りしてる馬鹿ジジイだ」
「なるほど、フォックス・レオルガードの爺さんですか」
アズウェルの指す人物を理解したユイは、その名を口にすると、軽く頭を掻く。
「あの変態ジジイならその理論を扱えるはずだ。たぶんな」
「そうですね。確かにその通りです。となれば、やはり――」
「先輩! 至急の来訪者が来ました。今すぐ戻ってきて下さい!」
部屋の中に無造作に置かれた紙の束を勢い良く崩しながら、一人の青年が急ぎ飛び込んでくる。
すると、ユイは意外そうな表情を浮かべながら、その青年へと視線を向けた。
「あれ、エインスじゃないか。わざわざ大臣自らどうしたんだい?」
「この部屋に来るのみんな嫌が……もとい、教授の部屋と伺ったので、当然のことながら僕自ら来た次第です」
アズウェルにギロリと睨まれたエインスは、慌てて自らの失言を訂正する。
一方、そんな彼の発言と行動から、ユイはその理由をあっさりと洞察してみせた。
「そっか。で、先方は誰が来たのかな?」
「どの国がとは聞かないんですね」
「そりゃあ、お隣さんしかありえないからね。それを待っていたわけだし」
軽く右の口角を吊り上げながら、ユイはそう口にする。
途端、エインスの脳裏には疑問符が浮かび上がった。
「待っていた?」
「ああ。どうせ動くなら、今後を見据えて動かなければならない。その為にも、正直言ってこちらから押しかけるわけには行かなかった。もっともそれ以上の優先事項があったことも事実だけどね」
エインスの問いかけに対し、ユイは簡潔な説明を加える。
それを受けて、ようやくエインスも心得たとばかりに一つ頷いた。
「なるほど……どうせ売るなら高く売りつけるっていうやつですね」
「先方に買う余裕が有る間はだけどね。ともかく、向こうはカードを切ってきた。となれば応えるとしよう。で、改めて聞くけど、誰が来たのかな?」
「ウフェナ・バルデス氏です」
その名を耳にした瞬間、ユイは一瞬渋い表情を浮かべる。
「……なるほど。参ったな、これは駆け引きは難しそうだ」
「あまり楽をしようとして、相手の足元を見過ぎないほうが良いですよ。先輩の悪癖なんですから」
「全くだ。貴様は楽をするためなら、人をこき使う癖がある。早めに直した方がいいな」
エインスに続く形で、アズウェルも目の前の黒髪の男をこき下ろす。
ユイは思わず苦い表情を浮かべると、髭面の老人に向かい言い返した。
「二人してひどいな。それに少なくとも、教授には言われたくないですよ」
「ふん、知らんな」
「この教授あって、そしてこの教え子ありってやつですか」
アズウェル、そしてユイと順に視線を動かしながら、エインスは呆れた口ぶりでそう述べる。
すると、アズウェルは軽く舌打ちをしながら、ユイに向かって出て行けとばかりに右手で払い立てた。
「ちっ、まあいい。もういくのならさっさと行け。研究の邪魔なのでな」
「はい、それじゃあまた後日伺います」
「では失礼します、アズウェル先生」
ユイに続く形で、エインスも軽く頭を下げる。
そしてそのまま部屋を出ようとしたところで、背後からアズウェルの声が響き渡った。
「待て、ラインの小倅」
「へ? 僕ですか」
まさか呼び止められるとは思わず、エインスは首を傾げながらもう一度アズウェルへと向き直る。
「エインス。おまえはやることがあるだろう?」
「え、えっと、やること……ですか?」
何を言われているのかわからず、エインスはその場に固まる。
するとそんな彼に向かい、アズウェルは厳しい口調で一つの命令を告げた。
「そうだ。さっき入ってきた時に散らかした書類の整理。それだけは終わらせていけ。いいな」
「あの、いや、でも、その、えっと……はい」
クラリス王国が誇る若き軍務大臣。
彼はキスレチン共和国との交渉の席に遅れたとされるが、その理由は後世に於いて不明とされている。
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