第2話 キスレチンは苦境にあり。

 キスレチン共和国の首都ミラニール。

 そのやや外郭部に建てられた軍務省庁舎はこの数カ月の間、内部でひっきりなしに人々が行き交い、まさに戦場さながらの状況であった。


 そんな庁舎の最上階。

 その最奥に存在する一室においては、キスレチン軍の制服組と背広組のトップが、頭を抱えながら今後の戦略を見直しつつあった。


「やはりトルメニア軍の士気は高い……か」

 届けられたばかりの東部戦線に置ける状況悪化の報告。

 それを受けて、現在の背広組のトップである軍務副大臣のオプジーム・ペネルマンは、深い溜息を吐き出した。

 一方、制服組のトップであるエルロブ・カタフィリム軍務省次官は、小さく頷くとともに、その要因をあげつらってみせた。


「奴らは宗教軍ですからな。戦場にて死すれば、地母神の元へたどり着けると信じこんでおります」

「死兵程怖いものはない。当然、我が民主国家においては、そのような選択を兵士に押し付けることは出来んからな」

「民主主義を象徴する神でもおればまた違ったのでしょうが……いえ、これは失言でした」

 政治家を前にしながら、些か踏み込んだ発言をし過ぎたと反省した、慌ててエルロブは発言を訂正する。

 するとそんな彼の発言に対し、オプジームは苦笑を浮かべてみせた。


「まあそうでもいいたくなるのはわかるさ。数は五分で兵士の練度はこちらが上。ならば当然勝てるはずだ、本来はだが」

「だが、ジリジリと奴らに押し込まれつつあります。南部も含めてですが……」

 そう口にすると、エルロブは小さく首を左右に振る。


「南部か。ナポライ戦線はサービアン将軍が指揮をとっているはずだったな」

「はい。圧倒的多数で攻めこみ、電撃的に制圧して二正面作戦を回避する予定でした。しかし、奴らのアレのせいで、そんな甘い計画は無残に消え去りましたが」

「銃……か」

 彼らの投入した主兵器にして、自軍が苦戦を強いられている最大の要因。

 その存在の名をオプジームは小さく呟いた。


「あれを持てば、一般人でさえ魔法士に肉薄する戦力となり得ます。もちろん制約やコストを考えれば、魔法と同等とは言いませんが」

「あとはトルメニアから派遣されてきている例の部隊の存在か」

「大主教直属の竜騎兵部隊。騎馬の行動力に、銃の破壊力、そして何より奴らは練度においても我らを上回っています。正直言って、厄介極まりないのが本音です」

 ドラグーンこと竜騎兵部隊。

 本来ならば大主教直属であり、トルメニアを離れることなどありえない彼らが、東部戦線ではなく敢えてナポライの地にその姿を表していた。

 この意味するところは明白である。

 つまりトルメニアは、二方面のいずれの戦いにおいても、勝利を得るつもりなのが明白だった。


「……どうするつもりだね。このまま手をこまねいていては、南部も東部もいずれこの首都ミラニールまで後退してくるハメになるが」

「一つだけ選択肢があります。東部戦線にはあの男を投入するという選択肢が」

「あの男?」

 エルロブの意図する人物がわからず、オプジームは僅かに首を傾げる。

 すると軍務省次官は、迷うこと無く一人の人物の名をその口にした。


「あの男……カロウィン・クレフトバーグです」

「ば、馬鹿な。彼は既に退役した。いくら若く有能とはいえ、一市民を徴用するなどということは――」

「できます。その為に、彼の退役書類は手を打っておきました。ケティス前大臣と彼が喧嘩別れをしたあの日にです」

 オプジームの言葉を遮る形で、エルロブははっきりと自らが行った非合法行為を告白する。

 途端、オプジームは驚きの表情を浮かべた。


「で、では、君はこんな日が来る可能性があると、そう考えていたのかね?」

「いえ、流石にそんなことはありません。どちらかと言うと、帝国と戦う日のために、彼を無理やり予備役扱いとしておいたのです。まさかこんな形で、役に立つとは思いませんでしたが」

 当たってほしくなかった未来が、より悪い形で的中しただけ。

 エルロブは自らの判断の是非以前に、ただ単純にそう感じていた。

 しかしながらオプジームは、そんな彼の判断をここに追認する。


「例え非合法な手段を君がとっていたとはいえ、ありがとうというべきだろうな。しかし、これで書類上の問題は乗り越えたとはいえ、はたして彼は戻ってきてくれるかね」

「わかりません。何しろ、あの皮肉屋は素直ではないですので。ですがそれでも、彼の力なしに東部戦線での勝利はおぼつかぬかと」

「……確かに。で、具体的に呼び戻すあてはあるのかね?」

「ありません。ですので、私自身が説得に行って来ようかと思っています。彼のいるツイリッヒまで」

 ミラニールから大きく北に離れたツイリッヒの街。

 それは前統合作戦本部長にして、帝国の天敵とまで言われたカロウィン・クレフトバーグの故郷で知られている。

 しかし、このミラニールからの距離を踏まえると、エルロブの判断は通常ならば却下されてもおかしくはない考えであった。


「君自身がか? しかし往復にかかる時間を考えると、この国の中枢に長期間穴を開けることになるぞ」

「わかっています。ですが……だとしても、彼を連れ戻さなければ、このままジリ貧です。それならばまだ、可能性にかけるべきでしょう」

「……やむを得んな。良いだろう。その間は私がなんとか切り盛りしておく。制服組時代の杵柄でな」

 軍官僚出身で、それを母体として選挙活動を行ってきたオプジームは、本来ならば禁じ手に等しいその決断を行う。

 それは同時に、彼が政治家としての領分を踏み越えると言ったも同然であった。


「すいません。そしてもう一つだけ、副大臣のご厚意をお願いできませんでしょうか?」

「なんだ。我が国を利するのならば、何でも聞いてやる」

「では、お言葉に甘えて。もう一人だけ、この地に招きたい男がいるのです。ですので、私が不在の間に外務省を通じて、その手配をしてもらえませんでしょうか」

「招きたい男? ……まさか」

 この状況下で外務省を通じて招きたい人物。

 そんな存在は、オプジームの脳裏にはたった一人しか思い浮かぶことはなかった。

 そして想像が正しいとばかりに、エルロブは小さく一つ頷く。


「ええ、英雄です。この国を救ってくれた他国の英雄。いや、西方の英雄と呼ぶべきでしょう。噂によると、クラリス王国を再び救ったと聞きます。ですので、なんとしてもこのタイミングであの人物を招聘したいところです」

「だがあの国が本当に出してくれるか? 伝え聞くところによると、カロウィン以上にクセのある人物とも耳にするが……」

 様々な流言飛語がその人物に関しては飛び交っている。

 それ故に、その人物に関しては一概に信用に足るのかはオプジームには判断がつきかねた。

 しかしながら同時に、その人物の築き上げてきた実績は、ほかの何人を寄せ付けるものでないことは確実な事実であった。


「自由都市同盟のフェリアム殿は、あの英雄と親交があったと伝え聞きます。ですので、ご無理を承知で申し上げますが、政党間の関係を無視して、あの人に仲介をお願いしてもらえはしませんでしょうか」

「フェリアム君……か。いいだろう、もはや国の危機を前に主義や政策の違いなどを言っている場合ではない。この頭を下げるだけで物事が進むのならば、喜んで下げさせてもらうよ」

「ありがとうございます、副大臣」

 オプジームの言葉を耳にした瞬間、エルロブは深々と頭を下げる。

 しかしオプジームはすぐに首を左右に振ると、エルロブの肩に手を置き、彼に向かって強い口調で語りかけた。


「なに、まだ何も実現したわけではない。それよりも早速とりかかるとしよう。この国の未来を、そして民主主義を守るためにな」

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