第11章 カセルタ編

第1話 懐かしくも新たなる日々

「マジックコードアクセス」

 眼前の銀髪の青年の左手に編みあげられた強大な風の束。

 それを目にした瞬間、黒髪の男は迷うこと無くその呪文を口にする。


 しかしそんな彼の行動。そして行った選択。

 それは銀髪の男の想定の範囲内だった。


「甘い! ホワールウインド!」

 左手に編みあげられた魔法への干渉を感知した瞬間、銀髪の青年は瞬時に右手に新たな風の束を編み上げる。

 そう、一つの魔法にしか干渉できないが故、黒髪の男が手出しできない第二の魔法を。

 だが、黒髪の男は迷うこと無く最初の魔法を乗っ取る。


「クラック!」

 その言葉が紡がれた瞬間、リュートの左手に編みあげられていた風魔法は、まさに放たれんとしていた右手の風魔法に向かい直進する。

 次の瞬間、風の束と風の束が起こり、二つの魔法は激しい音と不規則な気流の流れを生み出しながら互いに相殺しあった。


「チェックメイト……だね」

 眼前での風の乱れにより、一瞬視界を遮られたリュートは、自らの首元に手刀が伸ばされている事を理解する。

 彼は大きく舌打ちすると、その場にドスンと座り込んでしまった。

 すると、そのタイミングで突然軽い拍手が二人へと向けられる。


「ふふ、お疲れ様。しかし意外と長引いたね」

 二人に向い歩み寄ってきた赤髪の男は、薄い笑みを浮かべながらそう口にする。


「まあ、ほぼお互いの手の内が見えてきたからね。正直、今のは二撃目の魔法式を予測して書き換えてなかったら間に合わなかったさ。昨日みたいにね」

「ちっ、だが今回は俺の負けだ。まだ魔法が侵食される感覚が掴みきれん。クソ!」

 大地に座り込んだまま、リュートは悔しそうにそう言い放つ。

 そんな彼に向かい、ユイは苦笑を浮かべながら、冷静な戦いの評価を口にした。


「例のアレを実行するには、世界が侵食するタイミングを掴まなければならない。だから早く慣れて欲しいんだけど、いくら君でももう少し時間が……いや、そんな目で見ないでよ」

「ふん。言ってろ。次はものにして俺が勝つ」

 ユイを睨みつけながら、リュートは吐き捨てるようにそう口にする。

 するとアレックスが、顎に手を当てながら嬉しそうに口を開いた。


「まあいずれにせよ、今日の夕食は君のおごりということでよろしくね」

「うん、よろしく」

 アレックスに続く形で、ユイも嬉しそうにリュートへとたかりにかかった。

 途端、リュートはへそを曲げたように視線を逸らす。

 それを目にした二人は、こらえきれないとばかりに軽い笑い声を上げた。


 ルシーダ平原における戦いから早一ヶ月。

 もちろん毎日というわけではなかったが、彼ら三人はこうしてエルトブールから少し離れた草原において、あの頃のように互いの魔法と剣を重ね合わせていた。


 しかしながら、彼ら三人はあの頃とはまったく異なっている。

 もちろんその技量に関してもそうではあるが、それ以上に異なるものはそれぞれの立場であった。


 かつて士官学校で魔法科の麒麟児と呼ばれたリュート・ハンネブルグは、現在この国の第三代親衛隊隊長を務めている。

 極々僅かな在任期間しか無かった初代隊長の頃とは異なり、既に親衛隊は軍の各省と同格としての扱いを受けており、クラリス王国において確固とした地位を築くに至っていた。

 そんな急速に拡大しつつあった組織を、前任者から引き継いだリュートは、持ち前の厳格さによって適切な運営を行い、その声望を高めつつある。


 次にクラリス王国、いや既に大陸西方最強の剣士として名高いアレックス・ヒューズは陸軍省次官。

 もちろん歴代最年少での就任であったが、彼がその地位につくと同時に、陸軍省の規律と統率、そしてその戦闘力は劇的な上昇を見せていた。

 それは省の頂点にいる彼自ら、部下のフートやレイスを率いての実戦訓練の敢行にあり、かつては三省の中で最も格下と見られていた陸軍省は、今やその立ち位置を大きく異にしている。


 そして最後にユイ・イスターツ。

 かつて救国の英雄と呼ばれ、そして今や大陸西方の軍神などとまで評されることもある彼であるが、現在この国の軍組織において、彼は無役である。

 もちろんそれは様々な思惑の絡まった結果であり、すべての事実を表しているわけではない。

 だが実際の所、現在の彼は昼にこうして親友たちと剣を重ね、そして大学に存在するある老人の研究室にふらふらと足を運ぶだけの日々を過ごしていた。


 そんなかつて同じゼミで机を並べた三人の現在。

 それはまさに三者三様と呼ぶにふさわしいものであった。


 一方、現在はそんな立ち位置にある彼らがこうして街外れで一堂に会しているという事実。

 それは同時に、ある一人の男性に絶望的なまでの負担を掛けていることを意味していた。



「先生、ユイ先生!」

 くすんだ金髪を振り乱しながら、馬を走らせてくるある男性は、大声でユイの名を呼ぶ。

 明らかにその胸板はたくましくなり、些か大人びた顔つきとなったかつての教え子。

 現在、大臣副官を務めるレイス・フォン・ハリウールである。


「おや、どうしたんだい?」

 自分たちのところへ近づいてきた青年に向かい、ユイは頭を掻きながらそう問いかける。

 すると、そんな成長を見せていたはずの青年は、昔と変わらぬ調子でかつてのだらしない教官に向かって、怒りを露わにした。


「先生、ダメじゃないですか。今日は軍の方針会議があるから、午後は軍務庁舎に来てくださいって言ったはずですよ……というか、師匠にリュート隊長まで、こんな時に何をされているんですか!」

「あれ、おかしいな。今日は出ないって手紙を送っておいたはずなんだけど」

 レイスの怒りを目の当たりにしながら、ユイは軽く首を傾げると、そんなことを口にする。

 途端、かつての教え子はダメな教師にむかって詰め寄った。


「出ないっていう手紙って……いや、なんですかそれは。そんなの通用するわけ無いでしょう!」

「そう? でもダメだって言ってこなかったから、てっきり許可が出たものだと思っていたんだけどさ」

 頭を掻きながら、そんな意味のわからぬことをユイは口にする。

 すると、ゆっくりと地面から起き上がったリュートが、疑念の眼差しを彼へと向けた。


「おい、まさかあいつの許可をとったというのは嘘だったのか?」

「嘘じゃないって。ダメって言われなかったのはホントだからさ」

 心外だとばかりに、ユイは軽く両手を広げてみせる。

 一方、そんな彼らの会話を耳にしていたアレックスは、一つの可能性をその脳裏に浮かべた。


「ユイ、もしかして彼の自宅に送りつけたりしていないよね」

「え、そうだけど……ああ、なるほど。確かにこれは迂闊だった」

 アレックスの言葉から、ユイはようやく自らのミスに気がつく。


「まったく、最近の彼はストレスが溜まっているせいか、女性のところを転々としているって話だよ。家になんて帰っているはずがないさ」

「というか師匠。そのストレスの原因って、師匠やリュート隊長が度々こうやって先生と……いえ、なんでもありません」

 レイスの先程までの怒りと勢いは、アレックスの冷たい笑顔一つであっさりと消え去ってしまう。

 そんな師弟の微笑ましい会話を目にしたユイは、軽く顎を撫でながら本人が聞けば泣き叫びそうなことを口にした。


「しかしまだ女性のところに行く余裕があるわけだし、もう少し仕事を任せられそうだね。いやぁ、エインスが有能で本当に良かった」

「や、やめてあげてください。これ以上仕事が振られると、大臣が過労死してしまいます」

 とても軍務大臣に対する発言とは思えぬことを口にするユイに対し、レイスはその気の毒さに胸を痛めると、慌てて言葉を差し挟む。

 それに対し、ユイは頭を掻きながら、ひどい一般論を口にした。


「トップが一番働くというのは、組織として健全なことだと思うけどね」

「だったら先生が一番に働いてくださいよ」

「いや、だって今の私は無役だしさ。言うなれば一番下だろ。それに今、私は私なりにそこそこ忙しいからね」

 軽く肩をすくめながら、ユイはなんでもないことのようにそう告げる。

 すると、そんな彼の発言を聞いたアレックスが、一つの問いかけを口にした。


「そういえば、教授のご機嫌はどうなんだい?」

「聞くまでもないだろ。いつもどおり不機嫌だよ。私が厄介事を持ち込んだせいで自分の研究が進まないって、顔を合わせる度に言われるくらいにはね」

 首を左右に振りながら、ユイは小さく溜め息を吐き出す。

 一方、そんな彼の発言に呆れきっていた銀髪の男は、やや疲れた表情を浮かべながらその口を開いた。


「まあいずれにせよだ、今日はこれくらいで引き上げて、会議に参加するとしよう。貴様の連絡不行き届きで遅刻することになりそうな会議にな」

「だから不可抗力だって。っというか、最近会議に出るとエインスが冷たいんだよ。まったく困った話でさ」

 リュートの皮肉を耳にしながら、ユイはまったく悪びれること無く、そう言い放った。

 途端、レイスは頬を引きつらせた。


「困っているのは軍務大臣で、困らせてるのは先生なんです。ホントにもう」

 困惑と諦めと怒り。

 それらが交じり合った言葉は、今日も再びレイスの口から吐き出されることとなった。

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