第23話 盗人の正体

 クラリス第一師団の陣地におけるとある一角。


 そこには周囲よりも明らかに厳重な警戒が敷かれている急ごしらえの一つの小屋が存在する。

 その中では一人の壮年の男性が、まるで置物の人形のように、うつむき加減のままピクリとも動くことなくただ呆然した表情でイスに腰掛けていた。


「フランツ司令官、失礼致します」

「……確かネクサール君だったね。一体何ごとかな?」

 小屋の中へ姿を現した若き士官を目にして、フランツは僅かに顔を上げるとそう問いかける。

 するとネクサールは、僅かに緊張した面持ちでその口を開いた。


「司令官、その……面会の要請がありますが、お受け頂けますでしょうか?」

「敗軍の将に拒否権はあるのかね?」

「いえ、それは……その……ただただお会い頂ければと思う次第です」

 フランツの問いかけに対し、拒否権はないと言い出しづらかったネクサールは、明らかに困った様子を見せながらそう告げる。

 そんな若き士官の反応の言葉遣いから、目の前の彼をここへと向かわせた人物が無視できる相手ではないと、フランツは容易に理解できた。


「要するに高位の者というわけだな、面会者が。で、誰かね?」

「そのご本人が言われますには……剣を預かっているエイス・クローサーと伝えれば、貴方ならばわかるとおっしゃられておりまして」

 その言葉がネクサールの口から発せられた瞬間、フランツの表情はそれまでの虚脱したものから一変した。


「エイス……だと! なぜ奴がここにいる!」

「そ、それはその、私の口からは……」

 突然フランツから発せられた怒気。

 それを目の当たりにしたネクサールは一歩後ずさると、どうにか言葉を絞り出す。

 一方、そんなネクサールの困惑した表情を目にして、フランツはすぐに心を落ち着かせる。そして一度大きく深呼吸した後に、元来の冷静な表情を取り戻してその口を開いた。


「よりによってこの状況で、探し人が我が前に現れる……か。いいだろう、私は敗北者だ。勝者たる君たちが会えと言うならば、誰とでも会うさ」

「ありがとうございます。では、今しばらくお待ち下さい」

 ネクサールは慌てて頭を下げると、そのまま慌てて小屋の外へと駆け出していく。

 そして幾ばくかの間をおいた後に、見覚えのある黒髪の男がその小屋の中へと姿を現した。


「本物……か。我が国を愚弄しただけでは飽きたらず、敗軍の将までも愚弄しに来たか?」

「はは、そんなつもりは毛頭ないのですが……ともあれ、ご無沙汰いたしております。フランツ司令官」

 黒髪の男は苦笑を浮かべながらフランツの前へと歩み寄ると、頭を掻きながらそう口にした。


「ああ。しかしよくも私の前に顔を出せたものだな、エイス」

「どうもその様子だと、もしかしてアレをお借りしたの怒ってらっしゃいますか?」

「当たり前だ、馬鹿者! よくも我が国の聖遺物を!」

 黒髪の男の問いかけを受け、フランツは押さえ込んでいた怒りを再び露わにした。

 その姿をみれば、おそらくブリトニアの兵士たちは絶句するであろう。

 あの理性的で、紳士然としたフランツが唾を飛ばしながら人を怒鳴りつけているのだから。


 一方、そんな良識人を激怒させた張本人は、苦笑を浮かべながら目の前の男を慌ててなだめにかかる。


「ああ、怒らないで下さい。ちょっとお借りしているだけです。ちゃんと用が済んだらお返ししますから」

「用だと! あのような神剣を何に使うというのだ!」

「切れないものを切るため……でしょうか? いや、私自身も疑心暗鬼ではあったのですが、やはりおそらく必要だと確信を抱いたところでして」

 フランツの怒りを受け止めながら、黒髪の男は曖昧極まりない言い訳を口にする。

 それ故に、いやだからこそフランツの怒りが収まることは欠片も無かった。


「何を訳のわからんことを。ともかく、一刻も早く女王陛下に返却するのだ! もし貴様がしないというのならば、力ずくでも剣の在り処を吐かせるぞ」

 そこまで口にしたところで、フランツは勢い良く椅子から立ち上がる。

 途端、黒髪の男は両手を体の前に突き出しつつ、苦い表情を浮かべながら数歩後ずさった。


「いやその、返せるものならそうしたいところですが、既に私の手元にはなくてですね……」

「な、何だと貴様。一体どこへやったというのだ! まさか既に売り払ったのではなかろうな、この強欲商人!」

「いや、売りはしないです。売りはしていないですから落ち着いて下さい。あくまで返さなければならないものですから。ちょっと又貸ししているだけですので」

 とんでもないことを全く悪気なさ気な表情で口にする黒髪の男。

 彼のそんな言葉を耳にした瞬間、いよいよフランツは両目を大きく見開くと、殺意を込めながら目の前の男を睨みつけた。


「又貸しだと!」

「いや、はは……そうでした。別のものが使うと借用書に書いていませんでしたよね。これは気づかず、誠にもうし――」

「あんな借用書など無効だ! 大体、貴様が一方的に押し付けていっただけだろうが。我が国は一度足りとも同意した覚えはないぞ」

 適当な言い訳を口にしだした目の前の男の言葉を遮るかたちで、フランツは怒声を叩きつける。

 途端、目の前の黒髪の男は少しばかり視線を逸らすと、わずかに小さな声でボソリとつぶやいた。


「だって、貸してくれと言ったら許可頂けなかったでしょ?」

「当たり前だ!」

「ですよね。ならこれでどうでしょうか? 貸借料の代わりとして、ブリトニア兵を無傷で貴国にお返しするというのは。これだと、決して一方的な条件ではないと思うのですが」

 今にも掴みかからんばかりの勢いで黒髪の男に詰め寄りかけていたフランツは、その条件を耳にした瞬間、その場に硬直すると僅かに冷静さを取り戻す。 


「なに……貴様、今なんと言った?」

「いや、一方的な条件ではないといいましたが」

「その前だ。我が兵士たちを無傷で返すと言ったな。だが、そんなこと貴様にできるわけがあるまい」

 再びフツフツと怒りがこみ上げてきたフランツは、全く信用ならないといった口調でそう口にする。

 一方、黒髪の男は本気でわからないといった様相で、軽く首を傾げた。


「どうしてですか?」

「どうしてだと。一介の強欲商人に捕虜を自由にする権利があるわけがないだろう。私を騙すつもりなら、もう少し上手く騙すのだな」

「いや、そんなつもりはなくてですね……全くもって本気なのですが、もし何なら私の名前で契約書でもなんでも書きますよ」

「よりによって、貴様の契約書など信用ができるか!」

 本来、カリブルヌスの安置されていた場所に置かれていた一枚の借用書。

 その存在を思い出したフランツは、首を左右に振りながらそう告げる。


「確かに……しかし、そこは信用頂けませんかね。えっと、ネクサール君。申し訳ないのだけど、用意していた契約書を持ってきてくれないかな」

「はい、こちらになります」

 小屋の外に向けて声が発せられた瞬間、先ほど姿を現したネクサールが一枚の書面と、ペンを携えて足早に駆け寄ってくる。


「ありがとう。では……と」

 ネクサールから道具を受け取った黒髪の男は、予め用意していた書面に、さらりとサインを記す。そしてそのまま、フランツへと手渡した。


「これでいかがですか、フランツ司令官?」

「こんなもの、何の信用も……待て……何だこれは」

 無理やり手渡されたフランツは、たった今書かれたばかりの箇所に目を留めると、眉間にしわを寄せながらそう問いかける。


「何だと言われましても、契約書ですが」

「だからそれはわかっている。問題はそこではない。この名前……貴様、またこの私を騙すつもりか?」

 そのフランツの声は、僅かに震えていた。


 あまりにも状況が、そして話が出来過ぎている。

 だがしかし、自らが目にしたその署名が事実ならば、受け入れがたいことではあるが、全ての状況と可能性が一致していた。


 そしてそれを裏付けるように、目の前の男は軽く笑いながら自らの名が一つではないということを示唆してくる。


「はは、だから一度も騙したことはありませんよ。エイス・クローサーという名前も、商人としての私が昔から使っている名ですから」

「……まさか本物なのか。本当に貴様がユイ・イスターツなのか?」

 未だ半信半疑。

 それどころかひどい詐欺に会っているのではないかと、フランツは正直感じていた。

 しかしながら、そんな彼の疑念に対して、黒髪の男は迷わず首を縦に振る。


「その問いかけに関しては、イエスです。と言うか、偽物なんているんですかね。面倒事を全部引き受けてくれるのなら、名前なんて喜んで差し出したいところなのですが」

「しかしそんなことが……まさか……」

「ふむ……そうですね。まあいきなり契約しろというのも無理がありますか。では、こうしましょう。明日にはクラリス軍の本体は王都エルトブールへ向かい帰路につきます。ですので、そこまでの旅路の間にゆっくりとお考え下さいな。ちなみに契約書には剣の貸与以外にも色々条件を書いておきましたので、確認しておいてくださいね」

 黒髪の男はそう口にすると、ニコリと笑みを浮かべながら踵を返す。

 途端、そんな彼の背中に向かい、紳士然とした冷静さを取り戻したフランツは一つの疑問をぶつけた。


「待て、エイス……いや、イスターツ。君の真の狙いはなんだ?」

 そのフランツの問いかけ。

 それに対して、エイス・クローサーことユイ・イスターツは頭を掻きながら一度後方を振り返る。


「さて、何でしょうかね。さしあたって今は、トルメニアのとある人物に、ちょっとした借りを返すことでしょうか。それでは失礼」

 それだけを告げると、黒髪の男はフランツの元から歩み去っていった。

 残されたブリトニア軍の司令官は、疲れたようにイスへ腰掛けると、そのまま頭を抱えることとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る