第22話 後始末
街を包囲する圧倒的多数の兵士たち。
その鎧には尽く同じ紋章が付けられていた。
そう、北のとある国を示す紋章が。
「カイラ陛下! 敵、ブラウ公の部隊を完全に包囲しました。敵もどうやら降伏に応じるとのことです」
「そうですか。流石ですね、マルフェスさん」
国王のために用意された陣の中に待ち望んでいた報告がもたらされ、ラインドル国王はニコリと微笑む。
「いえいえ。カーリンに主力を派遣し、襲ってくださいと言わんばかりの状況でしたからな。更に先日の国境付近での演習のこともあり、奴らも侵攻してくるとは思っていなかったのでしょう。結局のところ、あいつが負けない戦いを依頼してきただけの話ですよ」
「はは、確かにそのとおりですね。その辺り含め、ユイさんは相変わらずユイさんというところですか」
クレハを介して彼の下へと届けられた一通の信書。
そこには二つの事が記されていた。
一つは、南部での演習を装い、そのまま軍を動かしてブラウ公を打倒して欲しいというもの。
そしてもう一つは協力への見返りとして、このブラウ公が治めるクラリス北部一帯の割譲案であった。
「で、確認しますが、本当にタダ働きするつもりですか?」
「ええ、基本的には。もちろん押さえてしまってもいいわけですが、お隣の情勢が読めませんからね」
カイラはそう口にすると、先程までの笑みを消して、苦い表情を浮かべる。
「キスレチンはかなり苦戦していると聞きます。となれば、万が一を考えると、確かに備えは必要でしょうな」
「トルメニア方面だけならば、まだ対処の仕様もあったのでしょうが……おそらく、南部のナポライで起こったクーデターが計算違いだったというところでしょう。いずれにせよ、あとはユイさんが良いようにしてくれますよ」
カイルは誰かのように軽く頭を掻きながら、あっさりとした口調でそう告げる。
それを受けて、マルフェスは眉間にしわを寄せながら確認を行った。
「エリーゼ女王ではなく……ですか」
「ええ。別に彼女でも構いませんが、はてさて、この先誰がこの西方で最も影響力を持つでしょうね」
「あいつはきっと何もしたがりませんよ」
それは確信に満ちた言葉であった。
そしてそれが真実だと理解しているからこそ、カイルは自らの考えを口にする。
「でしょうね。でもそうだとしたら、僕が勝手に担ぐだけの話ですよ」
「はぁ……他国の国王に担がれる男ですか。それだけ聞くと、クーデターの首謀者にほかなりませんな」
カイルの発言に呆れながらも、マルフェスは決して諌めたり否定することはなかった。
そんな彼の反応を当然のことのように受け止めたカイラは、ニコリと微笑みながらその口を開く。
「はは、まあ僕自体が元々クーデターの首謀者だったわけですし、良いじゃありませんか」
「良くはないでしょう。最近そういうところが、ちょっとあいつに似てきた気がしますよ。あ、喜ばないで下さい。決して褒めているわけではありませんからね」
似ていると言われた瞬間、カイルが嬉しそうな表情を浮かべたため、マルフェスはすぐさま彼に釘を刺す。
それに対し、カイルは軽く肩をすくめてみせると、支配下に置いた眼前の街へとその視線を移しながら、新たな指示をその口にした。
「わかっていますよ。ともかく、私達の仕事は終わりです。敵の首脳部を捕らえたら、最低限の人員のみ残して引き上げるとしましょう」
「了解いたしました」
先程までの軽いやり取りが嘘のように、マルフェスは完璧な敬礼を行ってみせると、足早に立ち去っていく。
そうして、頼もしい将軍が立ち去ったところで、カイルは未来を予期するようにその言葉を虚空へと投げかけた。
「北は僕たちが押さえました。というわけで、たぶん東の戦場でお会いしましょう。ユイさん」
「報告します。第一師団及びイスターツ閣下率いる部隊は、敵戦力の打倒に成功された模様」
凛々しい銀髪の男が、その報告をこの軍会議室へと持ってきた瞬間、室内は喜びの声に沸いた。
「リュート先輩、本当ですか。やりましたね」
「うんうん。まあユイがいて、更にエレンタムまでいたら、当然といったところかな」
軍務大臣代理のエインスに引き続き、戦略省次官のアーマッドは納得したように二度首を縦に振る。
だが報告に沸く彼らと異なり、報告を持ち込んできた親衛隊長の表情はいつになく険しいままであった。
「いえ、それなのですが……些か……」
「どうしたんだい? 何か問題でも?」
かつての教え子でもあるリュートの様子に不信を抱いたアーマッドは、軽く首を傾げながらそう問いかける。
すると、眉間に深いしわを寄せたリュートは、この国の西で起こったその事実を彼らへと告げた。
「貴族院とブリトニア軍は確かに降伏しました。ですが、カーリンが……カーリンが壊滅しました」
「え? どういうことですか。予定に反して、カーリンが戦場となったということですか?」
当初から、敵がカーリンで防衛戦を行うとは誰も思っていなかった。
それほどカーリンは、敵と交戦するには不向きの都市でもある。だからこそ、リュートの口から告げられたその報告に、エインスは驚きを覚えずにはいられなかった
「いや、戦闘自体はルシーダ平原で行われたようだ。そしてその戦いにおいて、我が軍は完勝といっていい結果を手にしている。だが……だがその戦闘中に突然カーリン市内で謎の爆発が起こり、街一つが完全に消失したとのことだ」
「街一つが……そんなバカな!」
何かの間違いではないかと思い、首を左右に振るエインス。
それはその場に同席していたアーマッドとて同様の思いであり、念を押すようにリュートへと問いかけた。
「……その報告に間違いはないのだね?」
「はい。ユイの部下からも、またエレンタム師団長の部隊からも、いずれも同様の報告が届いています」
いつものようにユイ本人が書いたあの汚い字で無かったことに、リュートは軽い懸念を覚えていた。だが、そこまで話す必要はないかと判断し、リュートはただ事実だけを告げる。
一方、彼にその問いを放ったアーマッドは、胸の前で腕を組みながら、もう一つの懸念事項を問いかけた。
「そうか……で、カーリンの市民たちは?」
「カーリンの市民たちは、爆発の前に街を離れており、無事であったとのことです。現在は一路レムリアックを目指していると」
アーマッドの問いかけに対し、リュートは断片的な情報でありながらも、現在彼が知るその情報を彼らに開示する。
それを受けて、この室内で最上位の立場にあるエインスは、必ず確認しておくべき一つの内容をリュートへと尋ねた。
「そうですか……わかりました。ちなみにエリーゼ様とアレックス先輩は?」
「エリーゼ様には既に報告は済ませてある。ブラウ公のことで、今はあの二人も手一杯だからな。落ち着いたら、合同で一度会議を行うべきだろう」
そのリュートの提案に、エインスも深く頷く。そして彼は、責任者として、今後行うべき方針をその口にした。
「そうですね。ユイ先輩とエレンタム将軍の帰還に合わせ、準備することにしましょう。ともあれ、ブリトニアとの外交交渉の準備と、レムリアックへ向かうカーリン市民への対処を進めていく形とします。よろしいですね?」
ルシーダ平原の片隅に設営されたとあるテント。
一人の金髪の壮年が、警備の兵士の敬礼を受けながらその中へ入って行った。
「イスターツ、久しぶりだな」
スラリとした体格を誇る壮年は、目的としていた黒髪の男を目にすると、その背に向かって声をかける。
だが、そんな彼に返された言葉は、背中越しのものであった。
「すいません、ここでは少し静かにしてください」
「これは失礼」
黒髪の男の視線が、目の前で苦悶の表情を浮かべながら眠りにつく女性に注がれていることに気づくと、壮年の男は事情を察したのか自らの過ちを謝罪した。
「いえ……ああ、エレンタム教授ですか。すいません、外に出ましょう」
ようやく後方を振り返ったユイは、来訪者を理解すると、彼に向かってそう促す。
そうしてテントの外へと出た二人は、軽く歩きながら会話を開始した。
「彼女は?」
「私の身内のようなものです。それで、いかがされましたか?」
エレンタムからの問いを受け流し、ユイは逆に来訪の目的を尋ねる。
すると、エレンタムは軽く肩をすくめてみせた。
「なに、君が来ないから私から出向いてきただけの話だよ。今後どうしたものかと思ってね」
「ああ、確かにそうですね。彼らの方は?」
「ブリトニア軍の大半は降伏に応じたよ。ただ問題は、カーリンに彼らの物資の大半を置いていたようでね、正直備蓄が少ないそうだ」
小さな溜め息を吐き出しながら、エレンタムはブリトニア軍の実情をそう告げる。
すると、ユイも頭を掻きながら、仕方ないとばかりに一つ頷いた。
「まあ、必要以上に物資を輸送する必要はありませんからね」
「ああ。物資の運送や護衛に兵士を割くことを思えば、後方に拠点を構えていた彼らとしては妥当な選択だったと考える。もっとも結果としては実に困ったことになったわけだがね」
「私達も、多少余力を持ってここまで来ましたが、流石にあれだけの捕虜を長期間支えることは不可能です」
ユイの率いる帝国とレムリアックの合同軍の総数は千名弱。
その備蓄で、数倍以上となるブリトニアの捕虜たちの面倒を見ることは正直不可能あった。
「だろうな。それは君たちより規模が大きい我々も同様だ。となればだ、結果が出たからには、早急に次なる行動を実行すべきというのが本音なのだが、如何だろうか」
「確かにそうですね。とはいえ、カーリンがあの状況である以上、これ以上西進しても意味は……ありませんから」
その言葉を紡ぎきるのには、僅かな躊躇が存在した。
もちろん調査に向かわせた部下からの報告は、彼も理解している。そのあまりに絶望的で、あまりに虚無感に襲われる内容は。
しかしながら、第二の故郷とまで思っていた彼の地を失っても、部下たちの命を預かる彼は、前へと進まねばならなかった。
「ああ、私もそう思う。なら、帰還する方針でいいな?」
「ええ、結構です。それとエレンタム教授……いえ、師団長。申し訳ありませんが、ある捕虜がご健在と伺っておりますので、後で彼と会わせて頂けませんか?」
「ある捕虜? ブリトニアの者のことか?」
思わぬユイの申し出を受け、エレンタムは眉間にしわを寄せる。
すると、そんな彼に向かい、ユイはその理由を口にした。
「ええ。おそらく私を知っているものが中に混じっていると思いますので」
「……驚いたな、君はブリトニアにも知己がいるというわけだ」
ユイのその言葉を聞いて、エレンタムは実際に意外そうな表情を浮かべる。
それに対し、ユイは顎に手を当てながら、軽く苦笑を浮かべてみせた。
「知己と呼ぶべきかは悩むところですね。何しろ私の知り合いでありながら、ある意味私の知り合いではないという関係ですから」
「知り合いでありながら、知り合いでないだと。どういうことだ?」
意味がわからないという表情で、エレンタムはそう尋ねる。
すると、ユイは軽く頭を掻きながら、その口を開いた。
「正しく言えば、ユイ・イスターツとしての知り合いではないということです。なので、彼にはこうお伝え下さい。ちょっとした剣を預かっているエイス・クローサーが、貴方と話したいことがあると」
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