第24話 クレメア教の頂点

 トルメニア首都アンクワット。

 大陸中央に於いては最大規模を誇る宗教都市であり、その規模はキスレチンの首都であるミラニールに勝るとも劣らないものであった。


 そんなアンクワットは大陸中央を中心に東西に多くの信者を抱えるクレメア教団のまさに聖地でもある。それ故、街の中にはいたるところに礼拝施設が存在し、教団が設立した大規模な宗教施設の数もほかの都市とは桁が一つ違っていた。


 そのような特異な街のまさに中心に一つの古びた聖堂が存在する。


 周囲を豪奢な宗教施設に囲まれる形で、一般の信徒はその姿さえ拝むことの出来ない今や崩れ落ちそうな建物。

 それこそがこのクレメア教団発祥の地であり、総主教が生活を行う場所でもあった。


「総主教猊下、大変恐縮ながらお耳に入れたいことがございます」

 聖堂の奥に佇む地母神の像に向かい無言のまま祈りを捧げていた老人は、その言葉を耳にした瞬間ゆっくりと後ろを振り返る。

 彼の視線の先には、深々と頭を下げたまま、決して視線さえ上げることのない警備責任者である武装司祭の姿があった。


「カロナーク司祭ですか……何かありましたか?」

「クリストファー枢機卿が猊下への面会を希望されておられます」

「ほう、クリストファー枢機卿が」

 彼の眼前でピクリとも動くこと無く、頭を下げ続ける司祭に向かい総主教はそう口にする。

 途端、カロナークは慌てて震えながら一つの提案を口にした。


「はい。あくまで予定にない面会。もしご迷惑でございましたら、至急日を改めるよう枢機卿には伝達いたします」

「いえいえ、その必要はありません。私は構いませんよ。お会いしましょう」

「よろしいのですか?」

 普段であれば総主教に続く地位にある枢機卿の立場にあるものでさえ、易々と面会など叶うものではない。

 それ故、カロナークは最初からまさか許諾が下りるなどと思って、報告を行っていなかった。だからこそ、彼は驚きとともに思わず問い返す。

 途端、総主教の口から僅かに棘を含んだ言葉が発せられた。


「私が良いと行っているのに、なにか問題でも?」

「い、いえ……失礼いたしました。至急、手配いたします」

 そう口にした瞬間、カロナークは慌てて総主教の前を辞すると、聖堂から立ち去る。


 そして再び彼がこの場所に姿を現したのは、総主教がちょうど神への祈りを捧げ終わったタイミングであった。


「枢機卿を連れてまいりました、猊下」

 そのカロナークの声を受けて、総主教はゆっくりとその視線を聖堂の入口へと向ける。

 そこには見慣れたカロナークの姿と、一人の銀髪の少年の姿が存在した。


「クリストファー枢機卿……お久しぶりですね」

「ええ、ご無沙汰いたしておりました猊下」

 総主教の言葉を受け、ゼスは深々と頭を下げる。

 その光景を目にした総主教は、改めてカロナークへとその視線を向けた。


「カロナーク司祭、申し訳ありませんが枢機卿と二人で話がしたい。人払いをお願いします」

「え、ですが……」

 通常、総主教に続く地位を有する枢機卿が面談に来たとしても、総主教の警備が外されることなどありえない。それ故に、想定外の言葉を受けて、カロナークは困惑した表情を浮かべた。

 しかしそんな彼に向かい、総主教は改めてその口を開く。


「私のお願いを聞いてもらえませんか?」

「いえ、そんなことは……わかりました。では、我々は外にて待機いたします。何かありましたらお呼びを」

 重ねての命を受け、カロナークは僅かな違和感を覚えながらも、部下たちに指示を下す。

 そうしてこの古びた聖堂の中には、一人の老人と一人の少年だけが残された。


「お疲れ様でした、ゼス様」

 二人の内、最初に言葉を発したのは、総主教と呼ばれる老人であった。

 お互いの肩書とはまるで真逆の立場であるかのように、彼は深々と頭を下げる。

 一方、銀髪の少年は、それを当たり前のことのように受け入れた。


「教団の方は順調そうだね、ラムール」

「はい、これも修正者の皆様の御蔭にて」

 自らのファーストネームで呼び捨てにされた総主教は、改めて恐縮そうに深々と頭を下げる。

 一方、ゼスの方はそんな彼の反応には特に興味なさそうに、話題の矛先を変えた。


「しかし、これほどまでに人が出払うと、如何にこのアンクワットと言えど、静かなものですね。いつもはもう少し賑わっているイメージでしたが」

「既に総勢八万近い武装信徒達が出払っておりますが故、致し方なきことかと」

 もちろんすべての兵士が、もともとこの首都アンクワットで暮らしていたわけではない。しかしながら、やはりトルメニア各都市の中で、最も多くの兵士を戦場へ送り出したのはこの首都であった。


「ふむ、まあそうだろうね。中規模な街ひとつ分くらいの兵士を送り込んでいるわけだしさ。で、キスレチンとの戦いはどうなっているんだい?」

「枢機卿団率いる神聖軍は、現在のところ優位に事を進めていると聞いております」

「優位……か。つまり時間がかかっているということだね」

 ラムールの曖昧な物言いを受けて、ゼスはズバリとその要点を口にする。

 途端、ラムールは申し訳無さそうな口ぶりとなり、その理由を慌てて説明した。


「キスレチンも戦いの直前までは分裂しておりましたが、いざ事が始まると思いの外頑強となり……やはり自由都市同盟のフェリアムが国の実権を握り直したのが誤算でした」

「要するに、選挙前の状態に逆戻りってわけだ。案外うまくいくと思ったんだけど、演者の力が些か足りなかったかな」

 ゼスはそう口にしながら、僅かなばかりの反省を行う。

 すると、そんな彼に向かってラムールが口を開く。


「ただ、南部のナポライは依然としてケティス枢機卿が押さえており、じわりじわりとその支配地域を拡大しております。我がドラグーンも送り込んでいるが故、いずれは奴らを押しきれるかと」

「へえ、虎の子の銃騎兵隊まで投入しているんだ。なかなか思い切ったものだね」

「此度は戦力の逐次投入は望ましくないと、以前からエミオル殿に言われておりましたが故」

 脳裏に蒼髪の青年の姿を思い浮かべながら、ラムールはゼスに向かってそう説明する。

 すると、ゼスは満足そうに一つ笑った。


「はは、彼らしいね。ともあれ、これでキスレチンにとっては、実質二正面作戦になっているのと同義だ。本当は三正面にしてあげても良かったけど、そちらの方は上手くいかなかったからしかたないかな」

「それはブリトニアの件でございますか?」

「そうそう、ちょっと煽ってみたんだけどね、彼らこそ演者の力不足だったよ。まあ、相手方に余計な人物がいたせいでもあるけどさ」

 ゼスはそう口にすると、苦笑を浮かべながら軽く肩をすくめてみせる。

 一方、ラムールは先程の彼の言葉を受け、その詳細を求めた。


「余計な者……ですか」

「ああ、調停者。そうだね、君たちに説明するならユイ・イスターツという名前のほうが通りが良いかな」

「ユイ・イスターツ……またしてもあのアンフィニの!」

 その名を聞いた瞬間、ラムールの両眼が大きく見開かれる。

 そしてそんな彼の解釈が正しいとばかりに、ゼスは大きく一つ頷いた。


「ああ、この間と同じく彼の息子のせいさ。まあ息子と言ったところで、中身は彼よりも、妻である剣の巫女の血のほうが濃く感じたけどね」

「忌むべき裏切りの賢者。その息子が再び我らの前に立ちはだかったとそういうわけですか」

 ゼスの言葉を苦い表情で噛み締めながら、ラムールはそう口にする。

 それに対し、ゼスは薄い笑みを口元に浮かべてみせた。


「西方会議に引き続きというわけだ。つくづく君たちにとって、彼は目の上のたんこぶになりつつあるよね。まあ今回は少しだけからかっておいてあげたから、あとは君たちでとどめをさしておいてよ。僕は忙しいからさ」

「からかっておいた? では直接お会いされたと、そういうわけですか」

「ああ、少しだけね。まあ彼のことは良いよ。それよりも二正面作戦というからには、うちの東の方はどうなんだい? おとなしくしているのかな」

 ゼスは苦笑を浮かべながら、大陸中央に存在するもう一つの大国のことを問いかける。

 すると、ラムールは一度首を縦に振った。


「今のところ彼の国に動きはありません。連中も砂漠化にはほとほと手を焼いている様子にて」

「だろうね。でも、対岸の火事だと笑ってはいられない。いずれはこの地にまで砂漠化は広がってくる。だからこそ、やるべきことはわかっているね?」

「はい、もちろんです」

 ゼスの問いかけに対し、ラムールは迷いなくそう告げる。

 途端、ゼスの表情にはにこやかな笑みが浮かび上がった。


「結構。ではこのまま貴方の思うように戦いを続けて下さい。私はしばらく、監視業務に戻りますので」

「監視業務……ですか。それは一体?」

 聞き慣れぬ言葉を耳にしたラムールは、目の前の少年に向かいそう問いかける。

 しかし、ゼスはそっけない声で逆に彼へと問いなおした。


「貴方がこの私の成そうとすることを知る必要がありますか?」

「こ、これは失礼しました」

 ゼスの言葉を耳にするなり、ラムールは深々と頭を下げる。

 その反応に苦笑を浮かべたゼスは、ラムールに向かい優しい声色で言葉をかけた。


「いえ、謝るほどのことはありません。ともあれ、また必要がありましたら、エミオルくんを通してご連絡下さい。それでは」

 それだけを告げて、ゼスはゆっくりと聖堂から立ち去っていく。

 彼のその姿を完全に視界から消えるまで、ラムールは深々とその頭を下げ続けた。

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