第18話 ルシーダ平原の戦いⅠ

「魔法士隊、一斉射撃。撃て!」

 エレンタムの指示が発せられると同時に、予め打ち合わせされていたとおり、前線からは無数の氷の魔法が解き放たれる。

 だが結果を目にするより早く、エレンタムは部下たちに向かい指示を下した。


「騎馬隊、一斉に突撃する。私に続け!」

 その言葉を発するなり、エレンタムはまさに先陣をかける形で馬を走らせ始める。

 それを目にした兵士たちは、指揮官に負けまいと一斉に突撃を開始した。


「お待ち下さい、エレンタム様。いくらなんでも危険すぎます」

「ふ、まあな。だが、このタイミングなら悪くはない判断のはずだ」

 血相を変えて追いすがってきたミカムルに対し、先陣を駆けるエレンタムはあくまで冷静極まりない表情で、そう言葉を返した。


「ど、どういうことですか?」

「ミカムル、我が師団はこれまで王都最後の守りを担ってきた。しかしだ、このような野戦で攻めることには慣れていないものが多い。だからこそ、私の背中を見せるのだよ。この一番安全なタイミングでな」

 そう口にすると、エレンタムはニヤリと笑った。

 一方、彼と並走するミカムルには、その言葉の意味がわからず、思わず声を張り上げて上官を窘める。


「最前線のどこが安全だというのですか!」

「少なくとも、敵が魔法を放つ準備をしておらず、そして我らの魔法を防がねばならぬこの機。このタイミングのみは安全だよ」

「な……では、閣下の突撃はあくまでの演出だと」

「ああ。見てみろミカムル、我らが兵士たちの顔を」

 エレンタムがそう告げるなり、ミカムルは周囲を見回す。

 すると、彼らの兵士たちの顔からは先ほどまでの戦いを前にした恐怖が薄れ、ただまっすぐに敵に向かい駆け続けていた。


「もちろん、私が最初にやられればこの戦いは終わりだ。だから本格的な戦闘が開始すれば、私は後方へと下がる。だがその分も、今はこの背中を彼らに見せねばならんのだ!」

「……分かりました。では、万が一の際は私が御身を守らせて頂きます」

 感情的には同意しがたかったが、実際に兵士たちの表情を目の当たりにしたミカムルは、エレンタムに向かいそれだけを告げる。


「すまない、迷惑をかけるな」

「いえ、これも副官の仕事ですから」

 そう口にすると、ミカムルはもはや上官へと視線を向けることなく、ただ正面だけを見据えた。

 そう、まさに氷魔法が襲いかからんとしている敵陣だけを。





「司令官、まもなく敵魔法が着弾します!」

 敵陣より迫り来る無数の氷の刃。

 それはマリアーヌの報告を受けるまでもなく、フランツにもわかっていた。

 だが、それは予測されていた敵の行動であり、彼は部下を立てるために敢えて確認を行う。


「魔法士隊の準備は?」

「既に整っております」

「では、予定通り魔法障壁を展開させよ!」

 まさに予定通りの敵の行動に対し、フランツ率いるブリトニア軍は予定していた対応を行う。

 その結果は、当然の事ながら予想通りのものであった。


「敵魔法、着弾。ですがほぼ防ぎきりました。被害軽微です!」

「よろしい。では突進してくる、敵騎馬隊と歩兵部隊に対応する。全軍予ての指示通り鶴翼陣を取れ」

 またしても、敵の行動はフランツの予想通りのものであった。

 つまり短期決戦を意識するが故、遠距離戦を早々に切り上げるだろうというと言う読み、それがまさに目の前で展開されつつあった。


 一方、完全に敵の行動が予定通りであるため、マリアーヌはフランツの指示に対し、戦闘中にもかかわらず僅かに笑みを浮かべる。そして大きく一つ頷くと、彼女は幕僚たちに向かい、指示を繰り返した。


「はっ、中央部は後退。左右両翼は中央とのバランスを見ながら敵との距離を計れ!」

 司令部から下されたその命令。

 それは予め訓練が重ねられていたものであり、全軍は比較的スムーズに、中央部へと敵を誘い込む陣形を取る。


「敵の動きに変化はないか?」

「いえ、今のところは変わりありません。このまま後退した中央部目掛けて飛び込んでくるものと思われます」

「……そうか。おそらく我らの対応も予想していただろうが、思った以上に奴らに選択肢がなかったということだろうな」

「はい。奴らの後方を御覧ください。どうやらこの機を窺っていたようです」

 マリアーヌは右手の人差指を迫り来る敵の更に向こうへと向ける。

 そこには、予てより約を交わしていた者たちの姿が存在した。


「貴族院のお出ましか。よし、彼らが奴らの背後を蓋するまでは、予定通り守勢に徹する。もし陣営が手薄になったり、突破されかかった場合は、早急に報告するよう指示を徹底しろ」

「はい、了解いたしました」

 戦いが始まり、そしてここまではその全てが彼らの思惑通りに進んでいた。

 だからこそ、彼らは決して口には出さないものの、その内心では一つの確信を抱いていた。

 そう、この戦いにおける自軍の完全なる勝利の確信を。






「テムス、完全に奴らの背後を取ったぞ」

「ふふ。ご苦労、エミリオッツ殿」

 総指揮官をブラウより任されたテムスは、部隊の直接指揮をとっていた元陸軍省次官であるエミリオッツに向かって、ねぎらいの言葉を掛ける。


「なに、陸軍の奴らに比べれば動きは悪いが、ブラウ公の金払いが良いだけあっていうことはよく聞く。流石と言ったところだな」

「ああ。さて、我々が後背を押さえたことで、戦いはほぼ決まりだな。あとは、どうするかだが」

 エミリオッツの言葉に一つ頷くと、右の口角を僅かに吊り上げながら、テムスはそう口にする。


「どうするかだと? あの小生意気なエレンタムを挟み撃ちにするのではないのか?」

「それはもちろん、やらねばならん。だが、大事なものはタイミングだ」

「連中がブリトニアと接触した今こそが好機だと思うが、何か違うというのか?」

 テムスの言葉の意味がわからなかったエミリオッツは、眉間にしわを寄せながらそう問いかける。

 すると、テムスは意味ありげな笑みを浮かべてみせた。


「違いはせん。ただな、この戦いの後のことを考えておくべきだということだ」

「この戦いの後だと……そうか、奴らを疲弊させておきたいということか」

 この状況下で部隊を急進させない理由。

 それに思いが至ったところで、エミリオッツは目の前の策士の意図をようやく理解する。


「そのとおりだ。ブリトニアの連中は本国から離れこの地に存在する。となればだ、今後しばらくは、この戦いを終えた時点での彼我の戦力で、相互の力関係が決まるということだ。もちろん無用な緊張を生む必要はないから、程よいタイミングで部隊は動かさねばならんがな」

「なるほど、奴らがある程度傷つきつつも、我々に不審を抱かぬギリギリのタイミング。そこでエレンタムたちへと襲いかかるというわけだな」

 テムスの企みを完全に理解したエミリオッツは、そう口にするなり、歪んだ笑みを浮かべる。

 すると、正解だとばかりにテムスは大きくうなずいた。


「そのとおりだ。しかしそうとなれば、エレンタムにももう少し働いてもらわねばな」

「ふん、元上官は人使いが荒いな。今や敵対する関係になりながらも、奴を働かそうとするか」

「なに、反抗癖のあるものわかりの悪い部下だったのでね。苦労させられた分を今回返済してもらうとしよう」

「はは、なるほどな。しかしエレンタムも我らの存在に気づいていただろうが、それでも前に進むしかないか。まさに苦肉の策といったところだな」

 テムスの物言いに苦笑を浮かべながら、エミリオッツは第一師団の行動をその目にして、思わずそう評する。


「鼻持ちならぬ自信家の奴には良い薬だ。家の格もわきまえず、我らにしばしば楯突いた報いは、労働の後に受けてもらおう」

「働かせるだけ働かせて、最後はその息の根を止めるか。実にテムス殿らしい策だ。良いだろう、いつでも部隊を動かせるように。準備だけは行っておく」

「頼む。と言っても、負けのない戦いだから焦らずに――」

 微笑を浮かべながらテムスが、軽口を口にしかかったその時、突然後方から駆けつけた兵士が彼の声を遮った。


「総指揮官、少しご報告よろしいでしょうか」


「なんだ、突然に。急ぎの用かね?」

 会話を中断させられたテムスは、不機嫌さを隠すことなく、兵士に向かってそう問いただす。

 すると、中年の兵士はやや狼狽しながらも、恐縮気味に言葉を発した。


「その……周囲の警戒に向かわせておりました、十数名ばかりの部隊がいるのですが、戦闘開始前に帰還するよう指示しながら未だ帰還しておりませんで」

「十名? 間違えてエレンタムの陣に近寄りすぎて、戦闘前に奴らに捕らえられたのではないか?」

「いえ、それが前方ではなく主に後方の確認を行わせていた部隊でして」

 後方の安全確保と、逃亡兵の抑止。

 その為に用意していたうちの一つの部隊が一向に帰ってこないことを受け、索敵部隊を束ねる部隊長の彼は司令官のもとに報告へとやってきていた。

 一方、あまりの数の少なさからテムスはまったく興味をそそられることなく、その報告を軽く鼻で笑う。


「ふん、どうせさぼっておるのだろう。如何に金払いが良かろうとも、サボる奴はサボるからな」

「はぁ……どう致しましょう。捜索に部隊を向けますか?」

「馬鹿か、貴様は。たかが十名のために戦闘を前にして人員を割けるか」

 すぐさま発せられたテムスの叱責。それを受けて、部隊長はその場に凍りつく。

 そんな二人のやり取りを見ていたエミリオッツは、部下の扱いが厳しいテムスに嘆息しながら、気の毒に感じた部隊長に向かって助け舟を出した。


「まあ、待てテムス。どうせすぐには部隊を動かさんのだ、少しくらいは構わんだろ。そいつらを見つけて罰を与えれば、他の連中を引き締めることになるだろうしな」

「……ふむ。ならば、貴公に任せる」

「ああ、一任されよう。しかし、サボるなら確かに後方配置の部隊や警備のものだわな。さて、どんな薬をつけてやるかだが……ん?」

 テムスの許可をとったエミリオッツは、苦笑を浮かべながらその視線を後方へと向ける。そこで彼は、思わぬものを目にして、突然その思考を停止した。


「どうした、エミリオッツ。サボっていた連中でも見つけたか?」

 急に身動きを取らなくなったエミリオッツをその目にして、テムスは訝しげな表情を浮かべながらそう問いただす。

 すると、エミリオッツは後方に視線を向けたまま、一つの疑問を口にした。


「いや、違う。だが……あれは何だ?」

「あれ?」

「あの東に見える、光っているものだ」

 エミリオッツはテムスにわかるよう、空に浮かび上がった眩い球体を指差す。

 それを目にして、テムスはその眉間に深いしわを寄せた。


「太陽……違う。それは頭上にある。他にあんなものは……いや、馬鹿なそんなはずは」

 たった一つだけ思い当たるものが存在することに気づくと、テムスは突然血相を変える。

 一方、そんな彼の動揺を理解できず、エミリオッツはただ感じたことをそのまま口にした。


「テムス……なんか近づいてきてないか? しかも気のせいか、暑い」

「太陽の如き輝きを放ち、さらに地を焦がす炎の如き熱を……いや、判じている場合ではないっ、全軍、散開せよ!」

「は? 何を言って――」

 突然発せられたテムスの命令を理解できず、エミリオッツは彼に向かってその理由を問い返そうとする。

 しかしそんなエミリオッツの問いを遮ると、顔を青ざめさせたテムスは悲鳴の如き言葉を発した。


「馬鹿者、わからんか。議論している場合ではないと! 命が惜しかったら散れ。あれは……あれは、集合魔法だ!」

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