第16話 錯綜する思惑

「師団長、一つご報告が」

「何かな、ミカムル」

 カーリンに向かい馬を勧めていたクラリス軍第一師団において、一軍を束ねるエレンタム三位は、馬を寄せてきた副官のミカムル五位に向かいそう問いかける。


「部下からの報告なのですが……どうも先程から、我が軍が監視されていたようでして」

「ほう、監視……か」

「はい。あの崖の上を御覧ください」

 ミカムルに促される形で、エレンタムはその視線を上げる。

 すると崖上の岩場の間に溶けこむような形で、彼らの動向を見続けている複数の者たちの姿があった。


「ふむ、なるほどな。で、彼らが我々を攻撃しようとしたり、どこかに連絡を行おうとする素振りはあるのかね?」

「いえ、それは特にございませんが……」

「なら結構。そのまま放置しておきたまえ」

 ミカムルの返答を受けて、エレンタムは関心を失ったかのようにその視線を自らの前方へと移す。


「あの……よろしいのですか?」

「むしろ何か問題があるのかね? どうせ我々の存在や部隊規模は、貴族院を通して連中にはバレている。更に、カーリンからまだ距離があるこんな場所で、いきなり待ち伏せされる可能性は皆無だ」

「それはそうですが……」

 エレンタムの発言に素直に納得できなかったミカムルは、食い下がるようにそう声を発する。

 すると、エレンタムは苦笑を浮かべながら、まだ若い副官に向かい一つのヒントを提示した。



「一度、前提条件を考えなおしてみるといい。彼らは果たして本当に敵の部隊かな?」

「え……ですが、それ以外の者が私達を監視する必要など無いと思います」

「我々の監視が目的ならば、確かにそうかもしれん。でも、そうでなければ違う解釈も成り立つのではないかな。つまり彼らが真に監視したい対象が異なっているという解釈がね」

「我々が目的ではないとなると……まさか!」

 エレンタムの意図するところを理解したミカムルは、その両眼を見開く。

 一方、その反応を目にした彼の上官は、満足そうに一つ頷いた。


「気づいたようだね。もちろん彼らの狙いが我々である可能性は否定出来ない。だが、それならばもう少しやりようがあるだろうな。つまり、何も発見されるほどの人員で行う必要が無い。つまりあれは、見つかること自体がメッセージなのだろう。何しろ、彼はなかなかに素直な男ではないからな」

「彼……ですか」

「ああ。おそらくは、私の親友の教え子の仕業さ。そうだね、救国の英雄といえば、君もわかるのではないかな」

 その単語が発せられた瞬間、ミカムルは驚愕の表情を浮かべる。


「ま、まさか!? では、あの方がこの国に戻ってきていると!」

「アーマッドの奴が、彼が動いていることをほのめかしていた。となればだ、たぶんあれは私たちに前だけ見ていろと伝えるのが目的だろうな。もちろん、ただ状況を確認しているだけかもしれないが」

 それだけを口にすると、エレンタムは軽く肩をすくめてみせる。

 だが、そんな彼の隣で馬を並べるミカムルは、上官の言葉の意味をまったく理解できなかった。


「一体、どういうことですか?」

「邪魔者を彼らが排除してくれるということだろう、たぶんだがな。つまり後ろのことは気にせず、ブリトニアと対峙してこいと言っているのだよ。まあ言い換えれば、ケツを叩かれているとも解釈できるがね」

「つまり後方の安全は、あの者たちが担ってくれると?」

「そういうことだろう。だからこそ、表立って我らに接触してこない。この部隊の中に、貴族院の草が紛れ込んでいるのは間違いないからな。しかしそれはいいとして、レムリアックにいる程度の兵数だけで、果たして英雄殿はどうされるおつもりかな」

 レムリアックに駐在する地方軍の数は、当然のことながらエレンタムも把握している。

 そして同時に、彼らの数が貴族院より遥かに少ないこともである。


「やはり後方からの奇襲に注意すべきでしょうか?」

「それは当然だな。実は英雄殿が動いておらず、あれが間抜けな敵の偵察兵と言う可能性もあるのだから。もっともその場合は、数の上でも陣形的にも、不利となることは否めないがね」

「となれば、あれが英雄殿の兵士だとそう祈るばかりです」

 それはミカムルのまさに本音であった。

 だからこそ、エレンタムは一つ頷き、そしてそのまま呟く。


「そうだな。いずれにせよ、あまり積極的に働くことを好む男ではないが、黙って状況の推移を見物している人物でもない。彼の暗躍に期待しつつ、我々は目の前の敵に専念するとしようじゃないか。何しろ、任せる相手が彼……そう、ユイ・イスターツなのだからね」





「ゼス様。クラリス軍がこの地への進行を開始したそうです。それに対しフランツ達は、近日中にもここから討って出ると」

 カーリンのほぼ中央に存在する、比較的綺麗な宿の一室。

 ブリトニア軍に同行し、そこを間借りしていたゼスは、いつの間にか姿を現した青年の報告を聞き首肯する。


「まあ妥当だろうね。こんな場所で敵に包囲されたら一網打尽さ。で、何処で戦うことになりそうだい?」

「クラリスの連中が応じるならば、ルシーダ平原になるかと」

 フランツ達から得た情報から、彼らが第一に考えている戦場をエミオルは告げる。

 それを受けて、ゼスはニコリと微笑んだ。


「はは、なるほど。フランツらしい手堅い選択だね。で、ブラウ君達は?」

「クラリス軍の後背を突かんと、既に動き出した模様です」

「ふむ……なるほど。さてそうなると、彼はどう動くかな?」

 エミオルから告げられた情報を脳内で整理し、そしてゼスはおそらくカギを握る人物のことを、敢えてその口にする。


「彼と言いますと、調停者のことですか?」

「ああ、そのとおりさ。帝国に行ったあと、彼の動向は掴めていない。でもね、たぶん彼が姿を表すならこのタイミングさ。もしそうでなければ、ただの無能者だから今後無視をしていい」

 薄く笑いながら、ゼスはそう告げる。

 一方、そんな彼の表情を目にして、エミオルは正直な印象を口にした。


「楽しそうですね、ゼス様」

「楽しい? ふふ、確かにそうかもね。自分の財布を使わずに、馬鹿騒ぎが見れる。これが楽しくなくて、何を楽しむんだい」

「それは確かにその通りです。して、いかがされますか。我らに対してカーリンに留まるよう、フランツは要請して来ていますが」

 エミオルとしては、当然の要請だと思われた。

 普通に考えるならば、ゼスが戦場に出ることなど、彼らにとって邪魔者以外の何物でもないからである。

 しかし、当の本人はそんなフランツの願望など欠片も歯牙にかけなかった。


「ははは、要請か。残念ながら、彼は私の上官ではない。そして正式な同盟関係も締結したわけではない。だから残念ながら、そんなものに従う義理はないかな」

「よろしいのですね?」

 念を押すように、エミオルはそう問いかける。

 すると、眼前の少年は軽く首を縦に振った。


「もちろんさ。もっとも、色々と骨を折ってくれた彼らを無下には出来ない。だから今回の戦いは、手出しだけはしないことにしよう。エミオル、君もそれでいいね?」

「……ゼス様がそうおっしゃられますなら」

 些か思うところは存在したものの、ゼスの期待にそぐわぬ行動を慎むことを優先し、エミオルは不承不承に頷く。

 その反応に満足したゼスはニコリと微笑んだ。


「結構。さて、どんな戦いになるかな。高みの見物をしている彼女を引っ張り出し、彼と対峙するように仕向けられるようなものになれば、今後が面白くなるのだけどね」

「高みの見物をしている彼女……ですか」

「ああ、まだこの舞台に上がりきっていない女王。つまり無様にも神剣を失ったオリヴィアさ」

 好機と見て軍こそ派遣したものの、全面的な介入を決断しえていない異国の女王の名。それを口にして、ゼスは思わず右の口角を吊り上げる。

 一方、そんな彼の願望を正確に理解したエミオルは、起こりうる一つの未来をゆっくりとその口にした。


「そうなると、いよいよ大陸西方は混沌となるでしょうな」

「だろう? さて、それじゃあ私達も彼の顔を拝みに行くとしようか。我が宿敵にして、調停者たるユイ・イスターツのその顔を」

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