第15話 序曲
「で、まんまと逃げられたというわけか」
目の前で頭を下げ続ける先遣隊の部隊長をその目にしながら、フランツは深い溜め息を吐き出す。
すると、レッセン部隊長は改めて震える声で言葉を紡ぎだした。
「申し訳ありません。何分、地の利を有する敵が突然奇襲をかけてきたため……」
「問題はそこじゃないと思いますよ。後で送った第二小隊の到着まで持たせられれば、数は五分以上。更に私達の到着まで保たせれば――」
「もういい。反省は大事だ。だが終わったことを言っても、今から結果が変わるわけではない」
部隊長を攻め立てるマリアーヌの言葉を、フランツはピシャリと遮る。
途端、彼の副官は謝罪を口にした。
「申し訳……ありません」
「ああ。ともかく、レッセン。君は動ける者をまとめ、まずはカーリン市内の調査に従事してくれ。その後のことは、また考えておく」
「分かりました。失礼致します」
改めて深々と頭を下げ直し、レッセンは退室していく。
それを見送った後に、改めてフランツは深々と溜め息を吐き出した。
「……まあ理想通りとはいかなかったが、最小限の被害だけでこの地は押さえることができた。気になることは少なくないが、まずはこれからのことを考えるとしよう」
「そうですね。仰るとおりです」
「うむ。差し当たっての問題は、やはり住民に逃げ出されたことだな。これでは、何のためにこのブルトーニュを押さえようとしたのかわからない」
そう口にするなり、フランツは顎に手を当てる。
するとそんな彼に向かい、マリアーヌが口を開いた。
「如何に魔石の採掘地を押さえようと、それだけでは魔石を手に入れることはできないというわけですね」
「そのとおりだ。となれば、クラリスの他の地域から連れてくるか、それとも本国から人員を運んでくるかをせねばならないが……」
「ですがその前に、クラリスの正規軍と戦わねばならないでしょう」
そう、マリアーヌの言葉は間違いないとフランツも確信していた。それどころか、既に敵は動き始めているだろうと。
帝国との戦いと貴族院との争い。
この二度の混乱で、以前よりも明らかにクラリスの兵力と国力は低下してはいる。しかしそれでもなお、彼らが長期に渡って、他国の軍を国内で野放しにするなど考えられなかった。
「それほど先の話ではないだろうな。そのためにもだ、彼らとの連絡は絶やさぬよう注意してくれ」
「司令官……貴族院の連中にあまり過大な期待を抱かれるのは、控えられた方がいいかと思います」
「わかっているさ。もちろん自分たちだけでも、クラリスの正規軍に負けるつもりはない。そのための準備もしてきたのだからな。だが犠牲を減らせるなら、それに越したことはないという話だ」
マリアーヌの忠告には感謝しながらも、フランツは自らの考えを明白に伝える。
それを受けて、マリアーヌは上官の見解に同意した。
「おっしゃるとおりですね。ともあれ、戦いに専念するという意味で言いましたら、この地から住民がいなくなったことは一概に悪いとはいえませんか」
「管理コストは少なくてすむわけだからね。となればだ、あとは彼らをどこで待ち受けるかだが……」
「このカーリンは戦闘になることをまったく想定して作られていません。やはり、外で迎え撃たねばならないでしょう」
元々、戦いとは一切無縁であったがゆえに、最低限の地方軍しか存在しなかったこのカーリンである。街の設計思想に戦闘行為が盛り込まれているはずがなかった。
「そうだね。あと、あまり狭隘な地形で戦うのは望ましくないな。彼らに地の利を使用されるのは避けたいところだし、何より貴族院の彼らと私達の総兵数はクラリス軍を上回る。できるかぎり遊兵は作りたくない」
「となりますと、ルシーダ平原は如何でしょうか?」
「途中で通ってきた、あの海から少し離れた平原か……見晴らしもよく奇襲の危険性も少ない。まずはそれを第一案として、早急に準備を行うとしよう」
「あの、先生……本当にこのまま行かせてしまってよろしいのですか?」
眼下を見渡すかぎり続く兵士たちの姿。
それをその目にしながら、フェルムは隣に立つ黒髪の男へとそう問いかける。
「ああ、もちろんさ。彼らには頑張ってもらわないといけないからね」
「いや、それはそうなのですが……その、すぐ側に居るのに無視するのはどうかなと」
ユイの言うことに僅かな戸惑いを見せながら、フェルムは自らの担当教官に向かいそう口にする。
すると、黒髪の男は軽く笑った。
「はは、無視は確かによくないね。でもまあほら、僕らには僕らの仕事があるし、別に彼らから隠れているわけではないからね」
「確かにコソコソ動いているわけではないですが……どうも中途半端というか、どうせ姿を見られるなら、きちんと連絡を取られたらいいじゃないですか」
「ふむ、それも悪くはないかな。だけど、今回ばかりは不要さ。私達の存在に気づかなければ気づかないでいいし、気づいたとしてもそれを活かすかは彼ら次第さ。まあその際は心配していないけどね」
「ど、どういうことですか?」
ユイの発言を理解できなかったフェルムは、眉間にしわを寄せながらそう問いかける。
「第一師団の師団長さんはなかなかに優秀な人だからね。彼らの中にいる草は理解できなくても、あの人は理解できるんじゃないかな。だから、むしろ私達が出すぎた真似をすると、彼を失望させることになる。何しろ、私達が本当に見送りたいのはまったく別の存在だからね」
「別の存在……ですか」
詳しい作戦内容を聞かされていなかったフェルムは、その表情に疑問符を浮かべる。
途端、黒髪の男の右の口角は僅かに吊り上がった。
「ふふ、クラリス軍の第一師団はブリトニア軍と戦う。うん、大いに善戦し、戦果を上げてもらいたいところさ。だからこそ、私たちはそのための後押しを行う。実に簡単な話さ」
「後押し……こうして無視しているにもかかわらずですか?」
「ああ。無視しているにもかかわらずさ。だって、むしろ前のめりに手伝うほうが、彼らの邪魔になるのだからね」
協力して動くのならば、相互の連動性が重要ではないかとフェルムは考えていた。
そのためにも、予めお互いの間で作戦案の詰めを行い、行動に移すべき。それが彼の考える戦いの協力の形であった。
しかしながら、英雄と呼ばれる目の前の男は、そんな当たり前のことを不要だと言ってのける。それがフェルムにはまったく理解できなかった。
「あの、やっぱりよくわかりません」
「大丈夫、君ならすぐに分かるさ」
ユイは苦笑を浮かべながら、教え子に向かい優しくそう告げる。
するとそのタイミングで、美しい亜麻色の髪の女性が、二人のもとへと駆け寄ってきた。
「ユイ君、君の予想通り、少し離れたところに彼らの姿を見つけたわ。多分、明日か明後日にはここを通り過ぎるはず」
「そっか。そちらさんには見つかる訳にはいかないな。とりあえず、しばらくは姿を隠してのんびりするとしようか」
セシルの報告を受け、ユイは軽く頭を掻くと、大きく背伸びをする。
一方、彼らの間でかわされた言葉の意味がわからず、フェルムは慌てて疑問を口にした。
「あの……彼らとは誰ですか? それに戦いが始まろうというのに、本当にこんなところでダラダラと時間を過ごしていて構わないのですか?」
「構わない。だいたい万と万の兵が戦うというのに、二千名程度の我々が正面切って戦いに加わる必要はないさ。それならば、同じ位の相手と戦ったほうがより有効だと思わないかい?」
「同じくらい……ですか」
その言葉を口にするとともに、フェルムはその脳内で、自分たちと同数程度であり、また対峙する可能性のある敵の名前をあげようとする。
しかしながら、彼がその答えを口にするより早く、亜麻色の髪の女性は、ユイに向かい彼の言動に苦言を呈した。
「同じくらいっていうのは、少し言いすぎじゃないかしら。少なくとも彼らは、五千名以上を動員しているみたいだし」
「おやおや、財布の紐が堅いブラウ公も、流石に今回ばかりは別だということかな。となれば、やはりタイミングが重要だね」
再び頭を掻きながら、ユイは思わず苦笑を浮かべる。
すると、そんな彼の発言を耳にして、フェルムはその両眼を大きく見開いた。
「待ってください、先生。今、ブラウ公とおっしゃられましたよね。つまり、僕らの相手は……」
「ああ。クラリス軍はブリトニア軍と、正規軍同士でやりあってもらう。だから私たちは、同じ私兵同士で仲良く戦おうと思っているのさ。貴族院の私兵達とね」
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