第14話 老兵の戦い

「軍務長。どうやらクレイリーの奴が、ブリトニア軍に追われているようだな」

「クレイリーの奴が? どういうことだね」

 後方の偵察から戻ってきたばかりのケレンツに向かい、エルンストは問いかける。

 すると彼は、連れてきた若い兵士の背を押して、エルンストの前に突きだした。


「すいません、レムリアック軍のフィンレーと申します。実は隊長たちが、街に残されていたスラムの子供たちを助けに行き、脱出が遅れまして……」

 カーリン軍に連絡という目的はあったものの、隊長をおいて逃げた形となった為、フィンレーは気まず気な表情を浮かべながらそう告げる。

 それを受けて、エルンストは小さくため息を吐き出した。


「なるほどな。あいつもスラム育ちだから、気持ちはわからんでもないが……で、君が知る範囲で状況はどうなっていたのかね?」

「私がカーリンを飛び出したのとほぼ同時に、先行する連中の騎馬兵がカーリンの中へと入ってきました。その数は隊長たちより多く……さらに背後には敵の本体がおります」

「その上、クレイリーたちは子供連れというわけか。あいつの甘さは嫌いじゃないが、どうする軍務長?」

 大柄な髭面のケレンツは、エルンストに向かい方針を示すよう促す。

 それを受けて、エルンストは軽く自らの顎を撫で、そしてゆっくりとその口を開いた。


「元軍務長だよ。ともかく、子供も抱えてなら振りきれんだろうな。ふむ、クレイリーたちは逃げる。そして奴らは追う。となれば……ケレンツ、至急うちの部隊の者を集めてくれるかな」

「ほう、じじいばかりの部隊でやる気かね」

「ふふ、君もひなたぼっこをしながら、チェスでばかり戦うのも飽きただろ? たまには駒ではなく、この両の手で戦ってみるとしないかね?」

 エルンストがそう口にすると、老人たちはニヤリと笑い合う。

 そんな二人の表情を目にして、フィンレーはその場に立ち尽くしたまま戸惑わずにはいられなかった。





「おら、お前ら急げ!」

「隊長、無理ですよ。こいつらを連れてですから、まもなく追いつかれます!」

 後方から迫り来る敵兵の姿をその眼にして、副長のヘルミホッフは悲鳴に近い声を上げる。

 しかしそんな彼の泣き言を、クレイリーは迷わず一蹴した。


「うるせえ、つべこべ言わず逃げるんだよ」

「とは言っても、無理なものは無理ですよ」

「ああ、もうわかった。俺がなんとかする。ガキを連れてる奴は先に行ってろ」

「で、ですが――」

 スラムから連れだしてきた少女を抱えるヘルミホッフは、上官の指示に対して反論を口にしかける。

 だがそんな彼の発言は、クレイリーの怒声によってかき消された。


「命令だ。行け!」

「……はい」

 有無を言わさぬ声を耳にして、子供を抱えたヘルミホッフ達たちは、速度を落とし始めたクレイリーたちから先行する。


「ざっと二百騎近くか……すまねえな、お前ら。貧乏くじを引かせちまった」

 最後尾の位置で自らとともに敵を迎え撃つ形となった兵士たち。

 そんな彼らに向かい、クレイリーは申し訳無さそうにそう告げる。

 すると、最古参の兵士であるヒートパインは、自分たちの隊長に向かいニッと笑ってみせた。


「なに、報告のために一足先にカーリン軍の下へ向かわせた連中もじきに戻ってきます。そうすれば、おおかた数は五分ですぜ。問題ありません」

「まあな。だがちんたらしていると、奴らの本軍が来る。そうなれば二百だろうが三百だろうが、俺たち程度の数ならゴミみたいなもんだ」

 もちろんクレイリーも、ただ単純に追手だけならば五分の戦いは可能だと考えている。

 しかしながら、その後ろに控えるブリトニア軍本体を考慮すると、まともな戦いは望むべくもなかった。なぜならば、極めて短時間に同数の敵を圧倒しないかぎり、押し寄せる敵に一呑されて終わるためである。


「となれば、やはり逃げながら戦うしか無いですな」

「逃げながら戦うと言っても、カーリンの市民たちの下へ案内するわけにもいかねえ。ちっ、ままならねえものだ」

「そんなことをすれば、何のためにここまで来たのかわからなくなりますからね」

 クレイリーの言葉に、ヒートパインは溜め息を吐き出しながら同意を示す。

 するとクレイリーは、多少の冷静さを取り戻し、目の前の古参兵に向かって軽い冗談を口にした。


「なあヒートパイン。どこかの誰かみたいに、一人で連中を引き受けるとか言ってくれねえか?」

「残念ながら、どこかの赤い髪の人とは違いますからね。過大な期待は諦めて、みんなで立ち向かうとしましょうぜ」

「まあそうだな。はぁ……やっぱりマジでやらかしたな」

「そうかも知れませんな。ですが、俺は隊長の取った行動を支持しますよ」

 迷いないヒートパインの賛意。

 それを受けて、クレイリーは眉間の皺を僅かに緩める。


「ありがとよ。まあ、気合入れて命を張るとするか。上手く時間を稼げば、ガキどもだけじゃなく、カーリンの連中の安全にも繋がるしな」

「ですな。いずれにせよ、代償のない戦いなんて、そんな都合のいいものはありませんよ」

「お前、旦那みたいなことを言うな。ともかくだ、この辺で迎え撃つと……って、おい。ここに来て敵の増援かよ」

 後方を振り返ったクレイリーが眼にしたもの。

 それは追手の側方から新たに出現した、見知らぬ騎馬隊の一団であった。


「百騎近く追加ですか……まずいですね、これは」

「詰みだな。仕方ない、ここでできるだけ時間を稼ぐ。いいな」

「はい。了解です、隊長」

 自らの甘さを恥じながらクレイリーが行った決断、それをヒートパインもそのまま受け入れる。


「たぶん帰ったら、絶対旦那にどやされるなぁ。めったに怒らねえから、たまに見せる沈黙がこええんだよ。まあ、帰れたらの話だが」

 物分りの良い部下に感謝を覚えながら、クレイリーは一人虚空に呟く。そして一つの決意を成すと、付き従う部下たちに向かって大きく声を発した。


「良いか、ガキどもと、そしてカーリンの人々を守る。ここでな。行くぞ!」

「待ってください、隊長。なんか変ですぜ」

 慌てて発せられたヒートパインの声。

 それを耳にして、クレイリーは改めて敵へと視線を向け直す。

 するとそこには、混乱と一方的な戦闘行為が開始されていた。


「何だ? さっきの増援の連中が仲間割れを始めた。いや、あれは……おやっさん達!?」




「はっはっは、突撃だ! ルークの駒のように、ひたすら前に突っ込み、連中の尻に槍を突き刺してやれ!」

 部隊の他の老兵たちに向かって、ケレンツは豪快に笑いながらそう告げる。

 一方、そんな彼の側で愛槍を構えたエルンストは、苦笑を浮かべながら茶々を入れた。


「ケレンツ、ルークなら横にも動けるぞ」

「軍務長、戦いは祭りだ。イメージさえ伝わればいいだろ」

「まあ、それに関しては否定はせんよ。でもそんなだから、君はチェスで勝てないわけだがね。ともかく、老人の強さを見せてやるとしようか!」

「おうとも。年季の違いを見せてやるぞ、ひよっこどもめ!」

 ブリトニア兵が前方のクレイリーたちばかりに意識がとらわれ、その後方から回りこむことで完全に敵兵の不意をうった形となったエルンスト達。

 彼らが一斉に敵軍の中に突入すると、途端にブリトニアの兵士たちは混乱に陥った。


 もちろん兵士一人一人の質も数も、圧倒的にブリトニア兵たちが上である。

 だが完全に思わぬタイミングで、そして考えてもいない方向から攻撃される形となった彼らは、その優位性を活かすことは出来なかった。


 一人また一人と、統率の取れた老兵たちの前に倒れていくブリトニア兵達。

 彼らの指揮官は、混乱と狂騒の最中で一つの決断を行う。

 そう、前方のクレイリーたちの追撃を断念し、小賢しい老兵たちにその牙を向けるという決断を。


 だがその判断は、更なる混乱を引き起こすこととなった。

 そう、クレイリーたちが混乱するブリトニア軍目掛けて、反転して来たために。


「何やってるんですやすか、おやっさん!」

「おお、クレイリー、久しぶりだな。囮役ご苦労」

 慌ててエルンストの側へとやってきたクレイリーに向かい、ケレンツは笑いながら言葉を差し挟む。


「ケレンツ九位! っていうか囮って、もしかして必死で逃げてるあっしらを、囮にしたっていうんですかい!?」

「まあそういう見方もできるかもしれないな。ものは言いようだからね」

 動揺隠せぬクレイリーをその眼にしたエルンストは、苦笑を浮かべながらそう告げる。

 すると、近づいてきた敵兵を一人薙ぎ払った図体の大きな老人が、スキンヘッドの男を豪快に笑い飛ばした。


「はは、お前らが情けなく逃げとるから、わしらがガツンとやってやっただけだ」

「いや……まったく意味がわかりやせんぜ。てか、引退した爺さんばかりで、なにを考えているんでやすか?」

 頬を引きつらせながら、クレイリーはどうにかそう問いかける。

 その表情を目にして、エルンストは右の口角を吊り上げてみせた。


「どうにも地獄へお迎えがくるのを待てんものが多くてな。年寄りたちってのは、ことごとく気が短いからものだからね」

「おやっさん、気が短いとかそういうものではないでやしょ。と言うか、あっしらが気づいて戻ってこなかったら、一体どうするつもりだったんでやすか。いくら後ろをとったからって、数は倍以上いたんでやすよ」

 自らの苦言が全く届いていないことに困惑しながら、クレイリーはかつての上官に改めて反省を促す。

 しかし、そんな彼に答えたのは、陽気に槍を振るうケレンツであった。


「その時はその時で考えたさ。チェスと同じで、戦いには臨機応変さが必要だからな!」

「だから、チェスを基準に戦いを考えるのはやめてくだせえ」

「はは、細かいことは気にしていると禿げるぞ? って、お前には関係ないか。それはともかく、軍務長。そろそろじゃないか?」

 酷い発言をサラリと口にしながら、ケレンツはエルンストに向かってそう問いかける。

 すると、白い髭を蓄えた老人は、一つ大きく頷いた。


「確かに、敵の本体が来る前に逃げるとしようか。よし皆の者、撤収せよ! ほら、クレイリー。お前たちも急げ!」

 エルンストはそう口にすると、混乱のさなかにある戦場から、我先にと撤収を開始する。

 そんな元気あふれる老人たちをその眼にしながら、古参兵であるヒートパインは、クレイリーに向かい次の行動を問いかけた。


「隊長……どうしますか?」

「あの人の指示に従って撤収する。と言うか、これだけじいさんたちに美味しいところをもってかれると、後で旦那になんて言われるか。はぁ……」

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