第13話 スラムの子

 カーリン市の西地区に存在するスラム街。

 その中心には、廃棄されたまま放置されている無数の荒れた倉庫が存在する。


 かつてはタリム伯爵という一人の男により、魔石の集積用に使用されていたこれらの建物。

 しかしながら、数十年前に魔石採掘所近くに新設されたことを契機として、そのまま放置される形となっていた。

 そんな倉庫の奥には、一つの地下室が存在する。


 かつてはタリム伯が税逃れのために使用していたその一室。

 そこでは現在、四名の少年少女たちが、お互いの戦利品を嬉しそうに持ち寄っていた。 


「へへ、ホイス見てみろよ。今日入った家には、でっけえハムがそのまま置き去りにされていたぜ」

「やるな、マルティンス。俺なんかほら、新品のナイフだ」

 青年期に差し掛かりかけたといった印象の少年二人。

 彼らは満面の笑みを浮かべながら、お互いのくすねて来た品を嬉しそうに見せ合う。

 するとそんな二人に向かい、その場に居合わせたやや大柄な体格の少年が、嬉しそうに背に隠していた一品を提示してみせた。


「ばぁか。お前ら、盗んでくるものがしょべぇな。俺なんかこいつだ」

「ディック……えっと、これは何なの?」

 それまで沈黙を保っていた、少し年下の少女。

 彼女はボサボサの頭を軽く振りながら、少しぽかんとした表情でそう尋ねる。

 すると、ディックと呼ばれた少年は、胸を張りながら短く答えた。


「絵だ」

「絵? ていうか、上手いか下手かよくわかんねえけど、そんなもんなんの役に立つんだよ。まあ金の額縁は売っぱらってしまえそうだけどさ」

 やや浅黒い肌を持つホイスは、少し小馬鹿にした口調でそう言い放つ。

 途端、ディックは心外だとばかりに、強い口調で手にしている絵の出元を口にした。


「市長の家にあった絵なんだから、たぶんそんなナイフより遥かに高いもんだぜ。だいたい貴族ってのは、こういうものを有り難がるからな」

「ほんとかねぇ。この美味そうなハムのほうが、よっぽど良い気がするけどな」

「俺も俺も。なあ、マルティンス。少しわけてくれよ」

 既に絵から興味を失ったホイスは、手にしたナイフを弄びながら、マルティンスに向かってそう告げる。

 しかしながら、彼の願いはあっさりと左右に首を振られることになった。


「やだよ、せっかく盗ってきたんだし。それに、まだ他にも食いもんはあったぜ。家は教えてやるから、行ってこいよ。まあ、こいつより良いものはもうないけどな」

「ちっ、仕方ねえな。大人たちも、だぁれもいなくなっちまったし、他にも金目のもん探しに行ってみるか」

 断られる形となったホイスは、軽く肩をすくめると、しぶしぶといった体で、再び空き巣に向かうことを宣言する。

 すると、絵を部屋の片隅に置いてきたディックが、思わぬ提案を口にした。


「なあお前ら。外の奴ら誰もいなくなったんだしさ、いつまでもこんなしみったれた場所に住むのやめねえ?」

「それいいわね。私、市長のお家を貰うわ!」

「カリン、あんな馬鹿でかい家に住んでどうするんだよ」

 はしゃぎながら、とんでもないことを言い出したカリンに向かって、ホイスは窘めるようにそう告げる。

 すると、マルティンスもハムを片手に、ここから出る様子を見せ始めた。


「俺はどこにしようかな。せっかくだし、昔、英雄が住んでた家を貰うとするかな」

「あ……ずりいぞ、マルティンス。お前ばっかり」

 彼らでさえ知っている英雄が、この地に滞在していた時に生活していた官舎。

 誰しもが憧れるその場所を宣言したことに、ホイスは抗議を口にした。

 一方、そんな彼らの会話に乗り遅れたディックは、慌てて会話に割ってはいろうとする。


「くそ、じゃあ俺は――」

「わりいが、お前らみたいな糞ガキには、ここでさえ上等すぎるな。というわけで、ちょっとおじさんについてきてもらおうか」

 突然部屋の中に響き渡った声。

 それを耳にした少年たちは、慌てて背後を振り返る。

 するとそこには、まるで山賊のようなスキンヘッドの厳しそうな男がいつの間にか立っていた。


「誰だ、おっさん。どうしてここに入ってこれた! ってか、あんた何もんだ!」

「ふん、どちらもお前らが知る必要はないさ。ともかくガキども、今すぐここから出るぞ。嫌でも俺についてきてもらう」

 威勢のいいホイスの言葉に対し、スキンヘッドの男はまったく怯むことなく、淡々と命令口調でそう告げる。

 途端、マルティンスは不快感を覚え目の前の男を睨みつけた。


「は? なに言ってんの、おっさん?」

「こいつ、俺達ばかりいいもの盗ってるから邪魔しに来たんじゃね?」

「おい、一人みたいだし、囲んで袋にしちまおうぜ」

 ディックとホイスが次々にそう口にして、スキンヘッドの男の周囲を取り囲む。

 一方、この状況を眺めやりながら、クレイリーは深々と溜め息を吐き出した。


「はぁ……時間がねえから、体で教えるしか無いでやすかねぇ」

「ブツブツ言ってんなよ、おっさん。死ね!」

 最初に躍りかかったのはナイフを手にしたホイスであった。彼はクレイリーの側面から、一足飛びで迫り来る。


「遅い。あのフェルムよりも更にな!」

 ラインドル出身の青年と比較しながら、クレイリーは薄ら笑いを浮かべつつ軽やかに少年の動きを先回りする。

 そして突き出してきた少年の腕を取ると、そのまま勢いを利用し、反対側にいたマルティンスに向けて放り投げた。


「ま、マジかよ!?」

 突然迫ってきたホイスの体に押し潰される形で、マルティンスは地面に倒れる。

 それを確認した瞬間、クレイリーは残った一人の少年に向かい駆け出した。


「クソ、ふざけるなよ」

 少年たちの中では最も体格がよく、自分の力に自信があったディックは迫り来るクレイリーに向かい、逆に体当たりを仕掛けた。

 全体重と力を乗せたその一撃。

 しかしながら、それは目の前にスキンヘッドの男性にとっては、日常茶飯事のレベルであった。


「まだまだ、軽いな。だが悪くはない」

 カインスなどと比較すれば、むしろ貧弱と呼べるであろう青年のタックル。

 だが、それを放ったのが少年ということを考慮し、クレイリーはニコリと微笑む。


「馬鹿な。俺の体を受け止めるなんて」

「そうだ、ディックは馬鹿だけど、この辺で一番強えんだ……おっさん、あんたホントに何ものだ」

「ここ出身の、ただの小間使いさ。そしてお前らに教えておいてやる、このスラムの中……いや、カーリンの内側しか知らないうちは、どこまで行っても井の中の蛙だってことをな」

 かつてカーリンの地において、戦略部と言う特異な場所に集った化け物たち。

 そして王都で、ラインドルで相まみえることになった更なる化け物たち。


 本当に世の中に化け物は尽きないものだと考え、クレイリーは苦笑を浮かべる。

 だがその中でもとっておきの化け物の下で働いている我が身の幸福を、彼はその瞬間にも感じ取った。

 だからこそ、彼はディックを地面に尻餅をついたままの少年たちに向かって投げ捨てると、今なすべきことを行う。


「お前ら、ここの先輩として今から外に連れて行ってやる。すぐに支度しろ」

「ここの先輩って……あんたまさか!」

 スラムでさんざん悪さを重ね、そして前の軍務長に見込まれて腕一本で地方軍に入り込んでいった一人の男の噂。


 それを彼らも耳にしたことがあった。

 だからこそ、彼らは理解する。


 この隠し部屋を知り、そして軽く三人をなぎ払って見せた男こそ、紛うことなきその当人であると。


「まあ、そういうこった。ともかく、すぐにこの街は戦場になる。つべこべ言ってる暇はねえ」

「た、隊長、まずいです。すでに奴らの先遣隊が街の中に」

 部屋の入口となる天井の一角から、急に顔を突き出してきた男。

 彼はクレイリーに向かって、こわばった表情でそうさけぶ。

 途端、スキンヘッドの男の額には、深いシワが刻まれた。


「ちっ、まずったか……仕方ない、強行突破するぞ! お前ら、こいつらを拾っていけ」

「隊長は?」

「俺が最後尾だ。とろとろ走ってる奴は、後ろから槍でケツを突き回すからな。全力で逃げるんだぞ」






「フランツ司令官、先ほど市内へ向かわせた先遣隊の一部が戻ってきたのですが、些か奇妙な報告が」

「奇妙? 確かにここから見る限りでも十分に奇妙だが、それ以上に何かあるというのか」

 カーリン市内を遠目でその目にしながら、あまりに静かすぎることにフランツは強い違和感を覚えていた。

 すると、そんな彼の違和感を肯定する内容がマリアーヌの口からまず述べられる。


「はい。まるで街の中から忽然と人が消えたかのように、市内にほぼ人影が存在しなかったと」

「何だと? このブルトーニュは現在も国内で有数の魔石の産地だと、ブラウ公は言っていたではないか。にも関わらず、街に人がいないということは……まさか騙されたということか?」

 そう、この地に向かう前にブラウは彼に向かってブルトーニュ、つまりこの国で言うカーリンの現状を語って聞かせていた。

 にも関わらず、マリアーヌから告げられた内容は、ブラウから聞いたものとはまったく異なっていたのである。


「いえ、ブラウ公のお話は間違っていないかと思います」

「どういうことだ?」

 マリアーヌの口から紡がれた、現状と一致せぬ内容。

 それを耳にしたフランツは、眉間にしわを寄せながら、すぐに問い返した。


「どうもつい先日まで、この街では人々が普通に過ごしていた形跡があるとのことで」

「では、住民全員がいきなり神隠しにあったとでも言うのか? ……まてよ、先日小賢しい罠を仕掛けてきた連中がいたな。もしやあいつらの狙いは」

「ええ、おそらくそうでしょう。この街から人々が逃げ出す時間を稼いでいたのだと思います」

 このブルトーニュに向かう道中、大なり小なりの小賢しい罠を仕掛けてきた敵。

 その罠自体はどれも程度の低いものであり、彼らにはほとんど被害は出ていない。

 しかしながらその目的が、彼らを攻撃することではなく、その進軍を遅れさせことにあったと二人は気づいた。


「ちっ、警戒しながら進軍したのが裏目に出たか」

「おそらくは……」

「そういえば、先ほどほぼ人影がいなかったと言っていたな。つまり少数のものが残っていたと?」

「はい。どうもそのようです。姿格好から、先日我々に嫌がらせを重ねていた奴らのようですが、子供を連れて突然街から逃げ出したと」

 マリアーヌのその報告を受けて、フランツは僅かに気を取り直す。そしてすぐさま、最も肝心な点を彼女に向かって問い質した。


「で、捕まえたのかね?」

「現在、先遣隊の主力が彼らを追跡中です。ですが、確保は時間の問題と思われます」

「結構。では、絶対に捕えるんだ……そうだな、第二小隊も向かわせろ。絶対に逃がすなよ」

「はい、至急手配いたします」

 上官に向かって敬礼を行うなり、マリアーヌはさっとその場から歩み去っていく。

 その背中を見つめながら、フランツは誰にも言えぬ言いようのない不安を、虚空に向かって一人つぶやいた。


「頼むぞ。ここで何があったのか、そして奴らの狙いがなんなのか全て吐いてもらわねばならん。この地についてから、どうにも見えざる網の中に捕らわれている気がするからな。だからこそ全てを暴き、私を絡め取ろうとしている何者かに逆撃を加えてやる……絶対にな」

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