第10話 不可解な襲撃
ミルカポルテ街道。
それはクラリス北部地域の東西を繋ぐ主要街道の一つであり、ル・エーグからカーリンへと向う上での最短ルートでもあった。
この街道は古くからカーリンの魔石を海上ルートで各地へ運ぶために使用されており、現在は海上輸送に関してはあくまで限定的となってはいるものの、当然ながら日常的に行商人が行き交う道ではある。
しかしながら今、この街道に行商人の荷馬車は見当たらなかった。
そんな街道において、はっきりと見受けられるもの。
それは海の向こうの国の旗を掲げる大規模な一団の姿であった。
「ふむ、思ったよりも全軍集結に時間がかかってしまったな」
「やむを得ません。流石に全軍を一度に輸送できるほど、我が国も余裕がありませんから」
指揮官の隣で馬を操る副官のマリアーヌは、淡々とした口調で上官に向かいそう告げる。
すると、指揮官であるフランツは大きく一つ溜め息を吐き出し、そして彼女の見解を肯定した。
「残念ながらその通りだ。それに済んだことを嘆いても仕方がない。差し当たって、まず第一の目的を成すとしよう。それで、ブルトーニュまではあとどれくらいかかりそうだ?」
「そうですね。貴族院の連中が同行させてきた監視者……もとい案内役は六日前後だと言ってました」
「六日か。ふむ……」
そこまでを口にしたところで、フランツは顎に右手を当てる。
天候の悪化により、本国からの第三陣到着が僅かに遅れ、既に予定をオーバーしてはいた。しかしながら、行程自体は特にトラブルなく進んでいる。敵地にもかかわらず、そして大きなトラブルもなく。
言うなれば、あまりに静かすぎる行軍。
それが逆に、心配性のフランツにとって、逆に気味の悪さを感じさせていた。
「どうかされましたか、司令官?」
「いや、順調すぎて何か見落としやミスはないかと思ってね」
「相変わらずですね、貴方は」
それだけを述べると、マリアーヌは深い溜め息を吐き出す。
フランツの下に配属されてからこれまで、数多い愚痴や心配事をその耳に入れてきた。しかしながら、順調だから心配になるというこの矛盾した性質だけは、未だに慣れない。
一方、フランツの方も副官の表情から呆れていることに気づいたのか、思わず苦笑いを浮かべる。
「いや、いつも言っているように気にしないでくれ。こればかりは性分なものでね」
「わかっていますよ、もう長い付き合いですから」
「ああ、すまない。そしていつもありがとう、マリアーヌ」
自然と上官の口から発せられたその言葉に、マリアーヌはほんの少しだけ顔を赤らめる。
一方、その反応を目にしてフランツが困ったように視線をそらしかけた時、突然部下の一人が馬を走らせて近づいてきた。
「司令官、少しご報告したいことが!」
「何かな。敵の待ち伏せでも見つけたかね?」
「いえ、そのようなことではないのですが、実は前方で怪しげな動きをする行商人を捕らえまして」
「行商人?」
部下の告げた言葉を耳にするなり、フランツは眉間にしわを寄せる。
すると、間違いないとばかりに部下は頷いた。
「はい。何故かこちらに向かって全力で馬を走らせてきたのですが、突然我らの旗を見るなり、街道を外れて森の中へと逃げ出そうとしまして……あまりに行動が怪しいので、先発隊が捕らえてきたのです」
「……それは単に、我らの軍を目にして驚いたというだけではないのですか?」
部下の報告を耳にしたマリアーヌは、怪訝そうな表情を浮かべながら、そう問いかける。
しかし、彼女のそんな疑問に対し、部下は思わぬことを口にした。
「いえ、それなのですが、どうも奇妙なことを口走っておるのです。意味がわからないのですが、彼が言うには『後ろからも前からもブリトニア軍が来た』と」
「後ろからも前からも……だと? 一体どういうことだ」
フランツは眉間にしわを寄せながら、顎を右手で軽く擦る。
すると、彼の報告に駆けつけた部下は、わずかにうつむき加減のまま、その口を開いた。
「わかりません……何かの勘違いかもしれませんが」
「ふむ……」
あまりに奇妙な物言いではあった。
当初、自分たちに向かって馬を走らせてきたのだから、一方にブリトニア軍がいたということは当然のことではある。
しかしながらそれでは、反対側にもブリトニア軍がいたという意味が説明できない。
「我々以外にも、この国に派遣された部隊があったのでしょうか?」
「それはない……と思う。我らの出兵案でさえ議会は揉めに揉め、女王陛下の英断と強いご決意によって、どうにか海を渡れたのだ。にも関わらず、他の部隊が簡単にこの地に来ているはずはない」
「ましてや、我々より早く……ですか」
マリアーヌは上官の言葉を引き取る形で、そう述べる。
一方、フランツはそんな彼女の見解に頷きながら、その視線を頭を垂れる部下へと移した。
「とりあえずだ、もう少し詳しい情報をその商人から――」
「司令官、たった今ですが先遣隊に送っていた部隊が敵の攻撃を受けた模様。数名が負傷したとの由にございます」
フランツが下しかけた指示を遮る形で、新たに彼の下へと駆けつけてきた兵士が、思わぬ報告を行う。
途端、フランツのその表情は凍りついた。
「敵襲だと!? まさか奴ら感づいていたというのか。それで敵は?」
「それが矢の一撃のみを放っただけで、その後は何処かへ逃亡したと」
「……逃がしたというのか!」
不快感を隠さず、フランツはその兵士を叱責する。
すると、彼は恐縮しながら深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。あまりに敵の数が少数であり、地の利も向こうにあったため、どうしても捕まえきれず」
「済んだことは良い。だが……」
「はい、偶然の遭遇戦という可能性が零とは申しませんが、まずありえないかと」
そう、遭遇戦ならばお互いにもう少しの混乱や動揺があってしかるべきである。何しろ、敵はブリトニアの存在を知っているとは限らないからだ。
しかしながら、一撃の後に反撃を受けず離脱してみせた鮮やかな手口。
それは明確にその可能性を否定していた。
「だろうな。おそらく敵は、我々の行動に感づいている。だからこそ、先手を打ってきたのだろう。しかし、一体何の目的で……」
彼の抱いた疑問。
それは敵が絶好の好機をみすみす無駄にしたのではないかという疑念であった。
つまり敵のみが自分たちの動向を知っているという圧倒的優位な状況を、ただ先遣隊に矢を放つのみで放棄したという事をそれは意味している。
一方、この状況下において、マリアーヌはまったく別のことを懸念する。つまり、彼らの現在地や存在の漏洩原因を。
「目的はともかく、何故我々の動向がバレたのでしょうか。もちろん貴族院の方たちが、彼らに情報を流した可能性もあるでしょうが」
「彼らにとって、それを行うメリットがあまりに少ない。もしあるとすれば、彼らが女王との和解を目指す生け贄としてくる可能性だが……しかし、まず考えにくいだろうな」
ブリトニアを供物として、女王派との和解を目指す。
その可能性自体は、決して否定できるものではない。だが現実的にはあまりに愚策であり、そして彼らの性格からもほぼ否定しうるものだと思われた。
いずれにせよ、このまま無為無策で前進するのはあまりにも危険。
そう考えたフランツは、すぐに言葉を続ける。
「いずれにせよ、敵の網に引っかかった上に、注意が必要だ。何しろ我々と対峙しようとしている連中の規模もわからんのだからな。ここからは慎重に行動せよ。前衛後衛ともに警戒態勢を、また周囲の索敵部隊を各隊より割り振るように」
「首尾はどうだった?」
数十機からなる騎馬部隊の帰還をその目にして、スキンヘッドの男はニンマリと笑いながらそう問いかける。
「五位のご命令通り、長居せず一射のみで撤退してきました」
「へへ、ごくろうさん。で、もちろん次の準備も整えているんだろうな?」
「はい。ご指示通り、柵や大岩を用いた街道封鎖に関しましては、予定通りに進めております」
実行部隊を指揮するヘルミホッフは、よどみない口調でそう答える。
それを受けて、クレイリーは満足そうに大きく一つ頷いた。
「よし、完璧だ。あとは敵の警戒を喚起するよう、適度に襲撃を加えるぐらいだな。ただ、絶対に深追いはするなよ」
「心得ております。何しろ、もともとあまりに数が違い過ぎますから……しかし、本当によろしいのですか?」
「何がだ?」
突然向けられた疑問に対し、クレイリーは僅かに首を傾げる。
すると、ヘルミホッフは少し戸惑い気味ながら、自らの中に抱いていた疑問をそのまま口にした。
「いえ、こんなくだらない罠や、襲撃に……その貴重な物資や時間を浪費することがです」
この短期間の間に、ほぼ無害なものでも良いから、とにかく数だけを優先して作れと指示された罠の数々。正直言ってそれは、容易に回避したり無効化できる程度の、あまりに質の低いものばかりとなっていた。
だからこそ、その有効性に疑問をいだいたヘルミホッフは、上官に向かってそう問いかける。
一方、そんな彼の上官は、右の口角を吊り上げると、嬉しそうににやりと笑った。
「へへ、気にすんな。元々、敵を害するための罠ではないからな」
「害するための罠ではない?」
罠とは本来、敵に損害を与えるために使用するもの。
その目的を根本から否定するクレイリーの言葉に、ヘルミホッフは思わず目を白黒させる。
しかしながら、悪党面が似合う目の前のスキンヘッドの男は、意味ありげに笑うと、彼に向かい作戦の継続を高らかと宣言した。
「ああ。どっちにしろ、かかった資材や経費はどうせ全部旦那へのつけだ。だからカーリンに残されていたもんは、遠慮せずあるだけ使っちまえ。旦那の顔が、あとで青ざめるくらいにな」
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