第7話 先手と後手

 アモキサート市のはずれに存在する、軍事演習場。

 もちろんその名称は名ばかりのもので、見た目はただの広い原っぱに過ぎなかった。

 だが、早朝からそこで行われている模擬演習を目にして、ロイスは思わずつばを飲む。


「あの……クレイリー殿。本当に彼らは現地採用兵なのですか?」

「へぇ、そうでやす。まあ、見た目どおりと思っていただけやしたら」

 そう、現在演習を行っている者達の姿格好は、まるで傭兵の集団かのように、まったくのバラバラと言っていい惨状であった。

 しかしながらそんな見た目と異なり、その行動の迅速さと臨機応変さは、この地に同行した帝国兵に勝るとも劣らなかった。


「いえ……しかし、まさかうちの連中と五分以上とは」

「昔からあっしらが旦那にさせられてたことを、そのままあいつらにやらせただけでやす。まああの人は言いっぱなしでよく昼寝をしていやしたが」

 自分はきちんと訓練を最初から最後まで仕切ってきたという自負。それがクレイリーには少なからず存在した。

 一方、そんな彼の発言を受けて、ようやくロイスは苦笑を浮かべる。


「はは、最近なんとなくわかるようになりました。しかし、まさに少数精鋭と言ったところですな」

「いえ、ただ人が集まらないだけでやすよ。もともとこの地は人口が少ないでやすし、外から働きに来る連中も軍には見向きもしやせんからね」

 拡大を続ける魔石産業。

 それに伴い、レムリアックの人口は飛躍的な増加を遂げつつあった。

 しかしながら、軍を預かるクレイリーとしては、それも悩みの一つである。つまり軍人よりも圧倒的に魔石絡みの仕事の方が実入りが良いため、彼は人集めにかなりの労苦を強いられていた。


「なるほど、そういうものですか」

「へえ。あと気になってるのは、実戦経験でやすね。その辺り、こうやってもう少し帝国の方たちと模擬戦を繰り返すことができれば――」

「クレイリー、ちょっといいかい?」

 会話を交わしていたクレイリーたちの背後から、突然掛けられた声。

 それを受けて、クレイリーが振り返ると、そこには思いもしない人物が存在した。


「ど、どうしたんでやすか、旦那。こんな時間に起きてるなんて。悪いものでも食べて、寝れなかったでやすか?」

 こんな早朝にここにいるはずない人物。

 それを目にしたがゆえに、クレイリーは驚きの表情を浮かべる。

 しかし反射的に口にした彼の軽口は、普段ならばありえぬことに、目の前の黒髪の男に無視される結果となった。


「クレイリー、今すぐ君に動いて欲しいんだ」

「今すぐ……でやすか?」

 ユイの口調から、ただならぬ事態が起こっていることをクレイリーは察した。それ故に、彼はすぐに態度を一変させ、上官に話の先を促す。

 するとユイは、先ほど黒髪の女性からもたらされた、一通の報告書を懐から取り出す。


「ああ、今すぐだ。これを見てくれないか」

「……ル・エーグ!? もしかしてこれは!」

 その報告書に記されていたもの。

 それはル・エーグの街の商船が、他の地域へと強制的に移動されている内容であった。

 それから想像されることは一つ。そう、ブラウ公がブリトニアを迎え入れるために、行動を起こしている可能性である。


「まだ結論を出すのは早い。極秘裏に動いているものの、これ自体が陽動の可能性もある。その場合、ブラウ公はブリトニアに与していないと表向き強弁できるからね」

「ル・エーグでの動きを感づかせて、無警戒のポーツポーンを襲撃してくる可能性でやすか……」

「まあね。いずれにせよ、地形を考えればその二つが本命ではある。ただ、船を捨てる覚悟があったりした場合、他の地域から上陸してくる事も考えなければならない」

 ブリトニアとの距離とおそらく動員されるであろう人員数を考慮すれば、やはりクラリスの北に位置する、ル・エーグかポーツポーン周辺への上陸をユイも第一に考えていた。

 しかしやり方次第では、それ以外の地域から侵攻してくる可能性も否定出来ない。それ故に、この地にて即応体制を整えながら情報を待っているのが彼の現状でもあった。


「確か暗黒戦争の際にも、片道切符で来た連中が居たと聞きやすからね。連中は、今回どうするつもりなんでやしょうか……」

「わからない。しかし、偶然かそれとも必然かは保留にしても、敵のしっぽはちらりと見えたわけだ。このまま座して先手を取られるのは癪だと思わないかい?」

「そりゃあそうでやすが……しかし、いつになく、旦那が積極的でやすね」

「今回、連中がル・エーグに上陸した場合、個人的にはちょっとね」

 


「ル・エーグに上陸した場合? ……まさか!」

「ああ、たぶん君の考えているとおりだよ。もし連中がポーツポーンから攻めてきたならば、そのまま南下してエルトブールへ向うルートが本命だろう。ただル・エーグに連中が降り立った場合、エルトブールを狙うか、それともかつての旧領を狙うか、正直予想できない」

「ブリトニアの旧領であるブルトーニュ……つまりカーリンでやすね」

 暗黒戦争の引き金となった、ブルトーニュ割譲事件。

 それは当時のブリトニア国王であるエルメザール二世の母方に、カーリン領を支配していたアントハイムの血筋が流れていたことに端を発する。


 アントハイム家の家系が絶たれた時点で、ブリトニア国王にしてアントハイム伯爵であると称したヘブライト二世は、彼の地を勝手にブルトーニュと改称して、魔石利権を全てブリトニアの財政へと組み込む強攻策をとった。更にその上、彼の地もブリトニアの一部であると彼は宣言したのである。


 当然のことながら、そのような事実を認めるわけにはいかぬクラリス王国は、クレンベルク・フォン・サムエルという名の新興の子爵を彼の地の領主へと任命した。

 結果として、その主権争いが後に百年に渡る戦いのきっかけとなったわけであるが、それほどまでに当時のブリトニアが彼の地の魔石資源を重要視していた事がここから伺える。


「帝国ほどではないにせよ、ブリトニアも魔石資源はあまり豊富な国ではない。それに貴族院と何らかの密約が存在するなら、直接彼らだけで王都を狙う可能性は高くなさそうだ。となれば、十分にありえるだろうね」

「で、どうしやす?」

「うん、それなんだ。現時点は全て仮説に拠るものだし、先程も言ったとおり、多方面の警戒も続けなければならない。だから現時点で打てる手といえば、万が一のための保険といったところかな」

 悩ましげな表情を浮かべながら、ユイはそう口にする。

 するとクレイリーは、確認するように問いなおした。


「保険……でやすか」

「ああ、保険。というわけで、申し訳ないがクレイリー。君はその部隊を率いて、北に向かってもらえないかな?」

「北……ってことは!」

「ああ、カーリンに向かって欲しい。正直言って、君が一番適任だろうしね」

 クレイリーの故郷にして、彼の地で最も顔が利く人材。

 それを誰よりも理解するユイは、今回の任務にあたって残念ながら彼以上の人材を見つけることが出来なかった。


「カーリンに向うのはわかりやした。しかし、万が一連中の狙いが彼の地なら、正直言ってあっしらだけでは……」

「違う違う。君たちの仕事はカーリンの防衛じゃないんだ。差し当たって君に頼みたいことは、この二通の手紙をそれぞれの人物に渡してもらうことでね」

 ユイはそう口にすると、寝ぼけ眼のまま走り書きしてきた二通の手紙を手渡す。

 すると、その表面に記された宛名を目にして、クレイリーは思わず眉間にしわを寄せた。


「二通でやすか? もちろん一通がサムエル伯爵宛なのはわかりやす。ですが、こっちのビートリー五位っていうのは聞き覚えがありやせんが……」

「知らないのかい? エルンスト軍務長の後任なんだけど」

「ああ、ミレフェスの奴が言ってたいけ好かないって噂の……」

 休暇にてカーリンに帰省した際に、かつての同期であったミレフェスから耳にした評判。それを思い出して、クレイリーはげっそりとした表情を浮かべる。

 一方、そんな彼の反応を目にしたユイは、苦笑を浮かべながらゆっくりと頭を掻いた。


「手厳しいなぁ。事務屋としては優秀な人だよ。どの派閥にも属さず仕事は黙々とこなしていたし」

「ご存知なんでやすか?」

「戦略省時代に少しだけね。いずれにせよ、自分の領分以上の事柄には絶対手を出さない人だから、ちょっと背中を押しておく必要がある。だから、忘れずにそれを渡してくれよ」

「へぇ、それはわかりやしたが……ならつまり、その人と一緒に迎撃の準備をするわけでやしょうか?」

 これまでの話の流れから、クレイリーは最悪のケースにおける対応を確認する。

 しかしそんな彼の発言は、目の前の黒髪の男によってあっさりと首を横に振られる結果となった。


「いや、そうじゃない。さっきも言ったように、間違っても防衛なんて意識は持たないでくれ」

「え……でやすが……」

「いいかい、クレイリー。カーリン軍を全部かき集めても、たぶんここにいる君たちと同じくらいしかいないはずさ。この五年で大幅に人員増強なんてしていなければね」

「つまり迎撃は不可能だと……そういうことでやすね?」

「ああ。だから……少し見方を変えてみようと思う。というわけで、君にお願いしたいのはね――」

 そこまでを口にしたところで、ユイはクレイリーの耳元でちょっとした方針を口にする。

 途端、スキンヘッドの強面の男は、頬を引き攣らせて彼の上官をまじまじと見つめることになった。


「え……ええ! ま、マジでやすか。しかしそれは……」

「わかっている。自分がなにを言っているのかは。だから君を向かわせるんだ。万が一の際に、本当に守らなければいけない者を守るために。そしてそうでなければ、次のための一手となるようにね」

 いつになく真剣なユイの表情。

 それを目にして、クレイリーは思わずゴクリとつばを飲み込む。

 そう、彼には理解できた。どれほどの決意を秘めて、ユイが自分にこの役割を託したのかと言うことを。


「……わかりやした。出来る限りやってみやす」

「頼む。あとひとつだけ言っておくよ。どんなことがあっても、君は私のもとに帰ってくること。君にはまだまだ、私のぶんの仕事を肩代わりしてもらわなきゃいけないんだからね」

「自分の分くらいは自分で働いてくだせえよ。ま、いずれにせよ無理はしやせん。というわけで、早速準備に行ってきやす」

 それだけを告げると、クレイリーは部下たちのもとに駆け寄り演習を中止させる。そして矢継ぎ早に、指示を告げ始めた。



「閣下、どういうことですか?」

 ユイとクレイリーの会話を側で見守っていたロイスは、脳裏に浮かんでいた疑問をユイへとぶつける。


「あいつは義理堅い男だからね。一応、あくまで最悪の事態に備えての保険なんだけど、やはり保険の保険もかけておいたほうが良いか。それとポーツポーンからのケースは、第一師団に任せるとして……ともかくロイス君、私達も動くとしよう。すぐに出発の準備を頼む」

「わ、分かりました。すぐカーリンへと軍を向けられるよう、準備いたします」

「ああ、ちょっとまってくれ。我々の目的地はちょっと違うんだ」

 その場を駆け出そうとしたロイスに対し、ユイはすぐに彼の行動を静止する。

 すると、ロイスは途端に怪訝そうな表情を浮かべた。


「は? ですが……」

「ブリトニアの目的地がカーリンの可能性。それは現時点で三割くらいだと思っている。その上でカーリンに向かうことも悪手ではないんだけどね。でもこの国の被害を最小限にして、確実に勝ちを得るためには、別の方角へと部隊を向けるべきかな」

 ユイはそう口にすると、一つ大きな溜め息を吐き出す。そしてロイスから視線を逸らすと、彼はゆっくりとその視線を日の昇る方角へと向けた。

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