第4話 胸の内

 レムリアックの中心地であるアモキサート市。

 ほんの数年前までは、クラリスにおいて最も忌避される土地とされていた場所に存在する都市である。


 街は寂れはて、人の姿は見当たらず、ゆっくりと朽ち果てるだけであったこの地。そこに大きな変化が訪れたのは、ほんの四年前のことである。


 そして現在、大陸西方の中でも幾つかの理由から最も有名な場所の一つとなり、また最大の魔石生産量を誇る一大産業都市へとこの地はゆるやかに変貌を遂げつつあった。


 街並みはかつてとは一変し、人々が大通りを次々と行き交う。

 そんな中、たった一つだけ変わらない建物が存在した。


 そう、アモキサート市のまさに中枢ともいうべき、アモキサート市庁舎である。



「クレイリーさん、王都からの搬入品なんですが、サイン頂けますか?」

 若い市職員は、やや焦ったような声を発しながら、部屋の最奥で黙々とデスクワークに励む、一人の男性に向かって声をかける。


 市庁舎の二階に用意されたそのスキンヘッドの男性の机の前には、既に彼の決済を待つ山のような書類が積み上げられていた。そんな書類の束の奥から、無精髭を生やした明らかにその場に似つかわしくない男の声が返される。


「おう、ちょっと待ってくれ」

 クレイリーはそう口にすると、手元の書類に目を通した後にサインを行う。

 そして矢継ぎ早に男性の持参してきた書類を受け取ると、あっという間に内容に目を通していった。


「ん、少し足りねえんじゃねえか? 聞いてただろ、しばらく食料品関係は多めに持って来いって」

「いや、これでも昨年同月の倍は買い付けてきたんですが」

 明らかに強面の男性の叱責を受けて、若い男性はやや小声になりながらも、はっきりと自分の意見を口にした。

 なぜならば彼は、目の前の男がその見た目に似合わず面倒見が良い事、そして仕事に誠実であるならば理不尽な説教を行う男でないことを知っていたためである。


「馬鹿野郎。確かに倍買ったことは悪いとは言わねえ。だが、今のこの街の姿を見てみろ。とても二倍で足りるかよ。この調子なら三倍だ、三倍。余っても、誰かが腹をすかせて働けなくなるよりましだ。すぐに追加の発注をかけておけ」

 クレイリーはやや厳しい口調でそう告げるも、受け取った搬入書類に彼なりの予想追加必要量を記載し、ぶっきらぼうに若い職員へと突き返す。

 すると、次は別の方向から、新たな確認の問いかけが彼へと向けられた。


「すいません。昨日届いた魔石なんですけど、予定通りノバミムに回したら良いですかね?」

「ああ、それはちょっとストップだ。しばらく向こうの在庫に問題がないうちは、ノバミムへの運びこみは中止にする」

 確認内容を耳にするなり、クレイリーは慌てて指示を彼へと伝える。

 すると、その話を持ち込んできた大柄な男性職員は、わずかに眉間に皺を寄せながら、改めてクレイリーに向かい確認を繰り返した。


「良いんですか?」

「構わねえ。領主代理の許可はもらっている」

「そ、そうですか。ではとりあえず、市庁舎裏の大蔵におさめておきます」

「おう、任せたぞ」

 大柄の職員は慌ててそのまま準備に向かおうとし、クレイリーは努めて明るい声で、彼の背中に向かい声を発した。

 そしてクレイリーは再び目の前の山積みの決済書類へとその手を伸ばしにかかる。


 しかしその瞬間、思いもかけぬ声が彼のその行為を静止させた。


「やあ、クレイリー。どうやら結構忙しそうだね」

「だ、旦那!?」

 突然向けられた声を耳にして、クレイリーは思わず席から立ち上がる。


 彼の眼前に佇んでいる男。

 それは彼が誰よりも敬愛する、あの黒髪の男であった。


「というわけで、クレイリー久しぶり。と言っても、彼女と違って、君とは何度も会っていたけどね」

 ユイはそう口にすると、少し遅れて部屋へと入ってきた亜麻色の髪の女性へと視線を向ける。

 途端、セシルは僅かに頬を膨らませ、目の前の強面の男に向かい抗議を口にした。


「本当、そのことはちょっと納得していないんだけどね。私が代わりにユイくんに会いに行くって言っても、絶対に代わってくれなかったんだから」

「いや、ただでさえ領主がいないんでやすよ。なのに領主代理までいなくなるわけにはいかないですぜ」

 ユイの不在中に何度も繰り返すことになった発言。

 それをクレイリーは改めて口にする。


 すると、セシルは納得行かないような表情を浮かべながら、以前より長くなった髪とともに首を左右に振った。



「そんなことないでしょ。君がいたら、ほとんど問題なんてないんですから」

「はは、まあね。でもセシル、クレイリーは意外とサボる時があるからさ。昔カーリンにいた頃も、私の監視の目を逃れて、何度決算前に飲みに行っていたことか」

「いや、旦那。旦那は決算前なのに、ずっと居眠りしているだけでやしたぜ。だから監視の目も何も……というか、旦那にサボるなんて言われたくないですぜ」

 一方的に責められていることに理不尽さを覚えたクレイリーは、目の前の黒髪の男に向かい反撃に出る。

 しかし、そんな彼の発言はユイによって軽く流されることとなった。


「はぁ……ああ言えばこう言うんだから。全くこの市庁舎と一緒で、君も全然変わっていないよね」

「いや、それだけは旦那に言われたくないでやす」

「そうかな。しかしまあ君のことは良いとして、なんでこの市庁舎はそのままなんだい。少し街並みの中で浮き始めているし、十分な予算はあると思うんだけど」

 市内に入ってからは目立たぬよう注意しつつも、ユイは僅かな驚きを覚えながらここまでやってきた。

 もちろんその驚きの対象はこの街の変貌である。


 しかしながら、唯一全く変わりを見せなかったこの市庁舎の事を目にした時、彼は安堵とともに肩をすくめながら溜め息を吐き出すこととなった。



「ああ、それでやすがね。実は、セシルさんがどうしても旦那の帰りを待って――」

「何かいいましたか、クレイリーさん?」

 クレイリーがその理由を口にしかかった途端、それを遮るようにセシルの凛とした声が彼の鼓膜を叩く。

 途端、クレイリーは慌てて口をつぐむと、ブンブンと首を左右に振った。


「いえ、なんでもありやせん」

「ふむ……なんか君たち、すっかり仲良しになったようだね。結構結構」

 セシルとクレイリーのやり取りを目にしていたユイは、笑いながら少しピントの外れた言葉を口にする。

 すると、敢えて話題を逸らすかのように、セシルはユイの後ろに付いて来た一人の青年のことを問いかけてきた。


「それでユイくん、さっきから聞きたかったんだけど、そちらの子は誰かしら?」

「ああ、そういえば国境からの道中に紹介していなかったか。彼は私の教え子でね。フェルムっていうんだ」

「実はあっしの教え子でもありやすぜ」

 フェルムの姿を認めたクレイリーは、ニヤリとした笑みを浮かべると強く自らを主張する。

 しかしそんな彼の主張を耳にして、当の本人は困惑の表情を浮かべた。


「クレイリーさんはただ僕をいたぶっただけというか……いえ、ごめんなさい」

 すごい勢いで強面の男に睨まれたフェルムは、自らのトラウマを思い出して、思わず一歩後ずさる。

 しかしそんな彼らのやり取りも、ユイにしてみれば先ほどのやり取りと同じ扱いに分類された。


「はっはっは、すっかり君たちも仲良しのようだね。よし、しばらくはここで時間が取れるだろうから、クレイリー。時間が取れた時に、ちょっと彼をまた鍛えてあげてくれ」

「了解しやした。ふっふっふ、フェルム。また仲良くやろうぜ」

「ク、クレイリーさん、勘弁して下さいよ」

 クレイリーの意味ありげな笑みを目にして、フェルムは頬を引きつらせながら慌てて首を小刻みに左右に振る。

 一方、そんな二人のやり取りから少し距離をおいていたセシルは、先ほどとは異なり真剣な表情を浮かべなおすと、ユイに向かって聞きたかった問いを口にした。


「えっと、それでユイくん。あの人達と一緒にいた時は聞けなかったけど、本当に帝国の人達にアンチルゲリル処理を行ってしまっていいの?」

 その問いをセシルが口にした瞬間、クレイリーは一瞬で真顔に戻ると、ユイの表情を伺う。

 一同の視線が自分に集まったことを理解したユイは、苦笑を浮かべながら軽く頭を掻き、そしてゆっくりとその口を開いた。


「ああ、別に構わない。肝心の部分さえ伝えなければ、いくらでもやりようがあるからね」

「肝心の部分……ですか」

 ユイの言葉を耳にして、フェルムは眉間にしわを寄せながらそう問いかける。

 すると、ユイは大きく一度首を縦に振った。


「ああ、肝心の部分。君も隣でロイスくんとの会話を聞いていたよね。まあ実際彼に明かした通り、ルゲリル病の予防方法はある。そしてその事実を彼らに公開したわけだ。でも、短期的にはそれで問題は生じないのさ」

「なぜですか? だって対策があることがわかってしまったんですよね。だとしたら……」

 ユイの発言が意味できなかったフェルムは、険しい表情を浮かべたままユイへと説明を求める。


「フェルム。なぜ今回、帝国から借り受けた部隊の大半をノバミム自治領に置いてきたと思う?」

「それは先生がロイスさんに言われていたとおりじゃないのですか? つまりルゲリル病の予防処置が間に合わないのと、ブリトニアや貴族院に対し僕達の行動を嗅ぎつけさせないため、そして最後の一つがオメールセン氏への警告。この三つを同時に行うためだと伺いましたが」

 道中におけるロイス達との会話を思い出しながら、フェルムはユイが語った三つの目的を口にする。

 すると、ユイは意味ありげにニコリと微笑む。そしてゆっくりとその口を開いた。


「うん、そうそう。まあ七割方はそれで間違いじゃないんだけどね」

「七割方? ……では、残りの三割は?」

 思わぬユイの言葉を耳にして、フェルムはすぐに問いを重ねる。

 途端、ユイは一つ頷くと、思いもしないことをあっさりとその口にした。


「それは単純なことさ。つまり彼らにアンチルゲリル病処理を行いたくなかったからだよ」

「なるほど、旦那らしい話でやすね。つまり最初の会話で相手を思考停止にさせたわけでやすか」

「なんか人聞きが悪い言い方だなぁ。一応彼にはちゃんと言ったよ。君から尋ねられたら隠す気はないって。ただ尋ねられなかったから、それ以上答えなかっただけさ」

 クレイリーの言葉に対し、ユイは全く悪びれる様子も見せず、あっさりとそう言い切る。


「はぁ、これだから旦那の敵に回る連中は大変なんでやすよ。味方でさえ、こんな目に合うんでやすからね」

「はは、まあでも今回のはあくまで予防的なものさ。この戦いが終わり西方に安定が訪れたら、そんな危惧は必要がなくなるかもしれない。その時はアンチルゲリル処理も公表してしまっていいと思っているからね」

「だ、旦那。本気でやすか?」

 思わず突然のユイの発言に、クレイリーは目を見開き動揺を見せる。

 しかし、そんな彼に向かって、ユイはあっさりとした口調で、先ほどの自らの発言を肯定してみせた。


「本気も、本気さ。むしろ秘密を有することは、逆に今後このレムリアックの平和を脅かしかねない。だとしたら、そんな危険なものはさっさと手放してしまうべきさ」

「……ユイくん。つまり君は、それでもこのレムリアックに十分に勝算があると考えているのね?」

「まあね。少なくとも私が隠居してここでのんびり暮らせる程度には、この地は安泰さ」

 セシルの問いかけに対し、ユイは笑いながら首を縦に振る。

 しかしそんな彼の発言を耳にして、セシルは国境で出会ってからずっと胸に秘めていた問いを彼へと向ける。


「この地に……ね。そういえばユイくん。どうしても君に聞いておきたいことが一つあるのだけど」

「何だいセシル? はは、ロイスくんに対してじゃないけど、君の質問ならなんでも答えるよ」

 普段よりもやや強い口調のセシルに対して、若干の違和感を覚えながらも、ユイは敢えて軽い調子でそう返す。

 途端、セシルの口元が僅かに歪められた。


「そう、なら教えてもらえるかしら。この手紙にかかれていることは本当なのかしら?」

 そう口にすると、セシルはポケットに入れていた一通の手紙をその手にする。

 一方、全く話の見えないユイは、困惑を見せながらそのまま問い返した。



「手紙?」

「ええ、お手紙。差出人の名前を目にした時は驚いたけど、中身を見た時は更に驚いたわ。それで、何時ミリア皇女とご結婚するのかしら?」

 その言葉が発せられた瞬間、一瞬でその空間は吹雪が吹きつけたかのように凍りつく。

 そしてセシルの強い視線が顔面に突き刺さるのを自覚したユイは、わずかに狼狽しながら、両手を前に突き出しつつ、脳内から必死に適切な言葉を探ろうとした。


「いや、あの、それは……えっと、セシル、ちょっと目が怖いんだけど」

「そうかしら? 全然いつもと変わらないわ。そうそう、さっきユイくん言っていたよね。しばらく時間はあるって。だからこの際、じっくりとお話を聞かせてもらいましょうか。ええ、貴方とミリア皇女の間に何があって、そしてこれからどうするつもりなのかをね」

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