第3話 再会と再開

 涼しい風が吹き始める秋空の下、武装を固めた数百名規模の一団が、帝国北部の街道をまっすぐに北上していた。


 無駄口一つ叩くこと無く、黙々と進みゆく重武装の騎兵集団。

 そんな中に、ほぼいつもと変わらぬ服装のまま、眠たげに大あくびをする一人の黒髪の男が存在した。


「……イスターツ殿下。もうまもなくで国境となります」

 寝ぼけ眼をこすろうとしていたユイは、突然側方から掛けられた実直な声に、苦笑を浮かべる。そしてすぐさま、彼の方へと向き直った。


「殿下は止めてくれないかな、ロイス君。別にさんでも、くんでも、いっそ呼び捨てでもいいけどさ、ともかく他の呼び方をしてもらえるとありがたいんだけど」

「そ、そんな呼び方など出来ません。貴方はミリア様とご婚約なされたのですよ。となれば、この呼び方に慣れて頂きたく」

 ユイからの言葉を耳にするなり、ロイスはとんでもないとばかりに首を左右に振る。

 すると、ユイは困った表情を浮かべながら渋々苦言を呈した。


「別に王配というわけでもないしさ。それに君に言うのも何だけど、あくまで婚約だよ。籍を入れたわけでもないんだから、ちょっと気が早過ぎるんじゃないかな……それとも、もしかしてノインあたりのいたずらかい?」

 そのユイの発言を耳にした瞬間、ロイスの頬が僅かに引きつる。

 それを見過ごさなかったユイは、その場で深々と溜め息を吐き出した。


「……さすがよくお気づきで」

「まったく、油断も隙もない。こうやって足元から既成事実を積み上げようとするあたり、だんだん親父殿に似てきたね、彼もさ」

 そう口にすると、ユイはくしゃくしゃと頭を掻きむしる。そして、再びロイスへと向き直ると、その口を開いた。


「ともかくさ、元々の役職を前提に呼んでくれたら良いよ。クラリスの三位を解任されたわけじゃないしさ」

「お言いつけに背くことになりますが、やむを得ない……ですか」

「そんな大層な話でもないと思うけどね」

 苦い表情を浮かべるロイスをその目にして、ユイは改めて目の前の男の実直さと誠実さに少なからぬ評価と、そしてそれ以上の疲労を覚えずにはいられなかった。


 一方、そんなユイの内心を知らぬロイスは、どうにかノインからの言いつけに反する覚悟を決めると、険しい表情を浮かべながら先ほどの言葉を言い直す。


「……では、改めてイスターツ閣下。もうまもなくレムリアックですね」

「ああ、そうだね。えっと、ロイス君は来た事あるのかい?」

 目の前の壮年将校の苦悩を感じ取ったユイは、苦笑を浮かべながら、敢えて彼の会話に付き合うこととした。


「いえ、恥ずかしながら」

「まあ、そうだろうね。レムリアックは主要の街道からは外れているから」

「はい。正直なところこの地に来るといえば、おそらくノバミム自治領の連中くらいでしょう」

 帝国内でのレムリアック産の魔石取り扱いは、未だその全てをノバミム自治領を介して行われていた。


 もちろん帝国とクラリスが直接ぶつかり合った先年の戦いから時間が経過し、相互の緊張関係はやや薄れつつはある。しかしながら、お互いの中に存在する不信の種は未だに拭えるものではなく、表向きは依然としてクラリスからの魔石輸出は停止されたままの状態であった。


 だからこそ、年々ノバミム自治領の帝国内での役割と存在感は増してきている。しかしノバミム自治領に関しては領主こそ存在するものの、オメールセンという名の犯罪者がその実質を取り仕切っていることから、帝国内で自治領に対し警戒心が年々増していることも事実であった。


「確かにオメールセン君くらいしか、うちには来ない……と言うか来れないか。彼らは商売がかかっているから、そのあたり必死だろうしね」

「ええ。ただそれ故に、オメールセンたちへの対策案が考えられているのも正直なところです。レムリアックのせいで、彼らは少し力をつけすぎました。もっとも、そんなことも貴方の計算の内だったのかもしれませんが」

「はは、どうだろうね。でも、彼らがそれなりに力をつけてくれたからこそ、この部隊の大部分を預かってもらうことができたんだ。今回ばかりは素直に感謝することにしないかい?」

 眼前の将校の複雑な内心を見て取ったユイは、ニコリと微笑みながらそう提案する。

 だがロイスは渋い表情を見せるのみで、けっして首を縦に振ることはなかった。


「それはまあ仰るとおりなのですが……」

「ふふ、まあ君達の懸念しているところはわかっているよ。だからそれもあって、レムリアックに部隊を駐留させたのさ」

「な……では、彼らに対する監視も兼ねてだと?」

 ユイの発言を耳にするなり、ロイスは驚きのあまりその双眸を見開く。


「はは、まあそこまでしっかりしたものではないけどね。でも、帝国軍が大規模に駐留しているならば、当然彼らの振る舞いにも制限がでる。まあ最近、少し中抜きが目立っていたからね。ちょっとした私からのメッセージも含んでいると理解してくれればいい」

「……貴方という人は」

「いやいや、あまり感心しないでくれ。これはただのおまけだよ。本当の理由は別にあるんだからさ」

 ロイスから向けられる視線に、はっきりと尊敬と警戒心が強まったことをユイは感じ取った。だからこそ、彼は隠しておくべきはないと判断してそれ以外の理由が存在することを示唆する。


「本当の理由……ですか」

「ああ、本当の理由。狙いは二つ、一つは先日も説明したように我々の行動を気取られない為、そしてもう一つは処置が間に合わない為さ」

「気取られない為というのは、今回の作戦行動の根幹ですので私にもわかります。ですがその……処置が間に合わないとは、一体何のことでしょうか?」

 ロイスは何か言い知れぬ不安を覚えながら、ユイに向かってそう問いかける。

 すると、ユイは苦笑を浮かべながら、一つの秘密をあっさりとその口から吐き出した。


「実はレムリアックに入る際は、一人一人にちょっとしたおまじないが必要でね。流石に全軍をまとめて処置するのは不可能だからさ」

「おまじない……ですか」

「ああ。ルゲリル病というちょっとした病にね、罹らずに済むことができるっていうおまじないさ」

 さらりとユイの口から告げられたその言葉。

 それを耳にしたロイスは、思わず大声をあげずにはいられなかった。


「な!? では、ルゲリル病は本当に!」

「ああ。ルゲリル病は魔法で予防できる。これは事実だよ。そしてだからこそ、レムリアックの魔石をノバミム経由で、帝国に輸出できるようになったわけさ」

 これまで一切正式には公表してこなかった事実を、ユイは笑いながら述べる。

 途端、ロイスは一瞬表情を固くした。


 レムリアックの領主としてユイ・イスターツが封じられて以降、彼の地の魔石採掘量は急激な増加を認めている。

 元々、彼の地に大量の魔石があることは、帝国でさえ情報としては有していた。しかしながら、それでも彼らが彼の地を切り取りにかからなかったのには理由がある。


 そう、恐るべき死の病であるルゲリル病が蔓延しているが故であった。


 そんな彼の地で莫大な魔石が採掘されているということ。

 それはたったひとつのことを意味していた。


 つまりユイ・イスターツは何らかの手段を使って、ルゲリル病へ対処したということである。


 そして当然の事ながら、帝国に限らず西方の各国も、そして国内の貴族院の者たちさえ、その秘密を暴こうと情報戦に躍起になっていた。

 まさにその、確信とも言える情報が、あっさりとユイの口から飛び出したことに、ロイスは狼狽せずにはいられなかったのである。


「し、しかし……よろしかったのですか?」

「何がだい?」

 本当にわからないといった様子で、ユイは僅かに首を傾げる。

 すると、ロイスは一瞬躊躇したものの、単刀直入にユイへと疑念をぶつけた。


「いえ……そんなレムリアックの機密を私にお話しになられて」

「はは、面白いことを言うね。君はこれから一緒に戦ってくれる仲間だよ。そんな君に隠しておく必要があるかい?」

「ですが……」

 たしかに現在は皇帝の命令の下、ロイスはユイの部下となってはいる。

 しかしながらそれはあくまで、西方でこれから起こるであろう騒乱を収束させるための一時的なものであると彼は考えていた。

 だからこそ、ロイスは素直に目の前の男の言葉を受け取ることが出来ずにいる。


 一方、そんな彼の内心に気づいたユイは、軽く頭を掻きながら苦笑交じりに口を開いた。


「ロイス君。君とは敵として一度は刃を、そして二度目は味方として共に戦った。だから私なりに君のことは理解しているつもりさ。だから君から尋ねられたら、こんなこと別に隠す気なんてさらさらないさ」

「……ですが、二度目も貴方に騙された気がしますが」

「ひどいな、ロイス君。別に騙してはいないよ。君が集合魔法に夢中になっていたから、ちょっと声を掛けずに前線に行ってきたというだけじゃないか」

 まったく悪びれる様子も見せず、ユイは笑いながらそう告げる。

 すると、すっかり緊張感を消し去られてしまったロイスは、小さな溜め息を吐き出すとともに、話の矛先を僅かに変えた。


「はぁ……まあ過ぎたことは良いです。それよりも、これからのことを話しましょう。先ほどのお話を元にしますと、レムリアックに着き次第、部隊全員にルゲリル病の予防を行って頂く。それでよろしいのですね」

「ああ、その予定さ。さしあたって決まっていることはそこまでかな。残念ながら、今回は先手を取ることが出来ないからね」

 顎に手を当てながら、ユイはやや残念そうにそう口にする。

 すると、すぐにロイスはその言葉の意味を問うた。


「先手……ですか」

「うん、先手。海を挟んでの戦いとなる以上、どうしても先手を打ってくるのはブリトニアさ。私達の方から攻めるって選択肢はありえないしね。となれば、敵の最初の一手に対し、正しい手を打ち返すことが肝要さ」

「なるほど、確かにそのとおりですね」

「そう、だから大事なものは、正確な情報。そして迅速に動ける準備が……」

 ユイが自らの中ではっきりと定めていた今後の方針を口にしかかったその時、彼は思わず言葉を飲み込み、馬の歩みを止めさせる。

 そんな彼の行動に疑念を持ったロイスは、慌ててユイの顔を覗き込んだ。


 先程までの笑み混じりだった顔が引き締められ、そしてその瞳は真正面のただ一点へと向けられていた。


 そう、国境線に佇む一人の女性へと。


「セシル……」


 おもわず彼は、レムリアックを預かり続けてくれた、懐かしき女性の名を口にする。


 すると、そんな彼の姿に気づいた亜麻色の髪の女性は、あの頃と同じ柔らかい笑みを浮かべながら、ゆっくりと黒髪の青年に向かって口を開いた。


「久し振りだね……そしておかえりなさい、ユイ君」

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