第27話 夏の終わり

 首都ミラニールをして、まだ人気が見当たらぬ早朝。

 旧コニーク邸と呼ばれる屋敷の裏庭に、生まれも年齢も異なる三人の男が顔を突き合わせていた。


 一人は腕を組みながら眉一つ動かさぬとある国の皇太子。

 一人は赤い髪を有した狐目の剣士。

 そしてもう一人は、約束の時間を過ぎたことに不快感を示すかつてのキスレチン代表。


 本来ならばこんな場所で一堂に会するはずのない面々が、会話もなくこの場に立ち続ける理由。

 それはただ一人の人物の為であった。


「おや、少しだけ待たせてしまったかな?」

 コニーク邸の裏口から、若い青年を連れてのんびりと姿を現した黒髪の男は、その場にいる男たちに向かって、頭を掻きながらそう口にする。

 途端、三人の中で最年長の男が、眉間にしわを寄せながら怒りを露わにした。


「少しではないぞ、エイス。いつもの事ながら本当に貴様は!」

「ふふ、フェリアムさん。怒っても一緒ですよ。たぶんユイは反省しませんから」

「朱……いや、アレックス殿。そう言われるが、それも全てあなた方がこの男を甘やかしすぎているからではないかな?」

 いつもの狐眼を細めながら苦笑を浮かべるアレックスに向かい、フェリアムはわずかに口を尖らせながらそう主張する。

 すると、腕を組んだまま彼らのやりとりを目にしていた銀髪の壮年が、おかしそうに口元を歪めた。


「ふふ、それはあるかもな。しかしよくもまあ、この三人を待ちぼうけさせて、堂々としていられるものだ」

「ノイン、それはもしかして褒めてくれてるのかな?」

「……絶対に違うと思いますよ、先生」

 ユイの発言を耳にしたフェルムは、額を押さえながら彼の隣でそう口にする。

 すると、軽く肩をすくめながら、ユイは首を小さく左右に振った。


「そっか、それは残念」

「お前は本当に……まあいい、それよりもだ。本当に行くんだな、エイス」

 これ以上無駄な時間を使うことを望まなかったフェリアムは、当初からぶつけたかった問いを投げかける。

 ユイは軽く頭を掻きながら、小さく一つ頷いた。


「ええ。たぶんあなたの元には、彼女からの連絡が届いているかと思いますが」

「……ああ。最初は半信半疑だったが、この場にケルムの皇太子がいるのなら、ブリトニアの件は本当なのだろう。とはいえ、お前を彼の国にさらわれるのは気にくわんがな」

 フェリアムはそう述べるなり、帝国の後継者の顔を見る。

 そんな歴戦の政治家の仕草を受けて、ノインは軽く右の口角を吊り上げた。


「ほう、前大統領殿。貴公はこの男の事を好いていないように見ていたが、違ったかな?」

「好きか嫌いかだけで物事を判断するようなら、政治家なんてやっておれんさ。それは如何に帝政を敷いているとはいえ、貴国も同様だろう」

「まあ……な」

 そう口にしたところで、ノインは軽く苦笑を浮かべる。

 そうしてわずかな間が生まれたところで、ユイは頭を掻きながら、フェリアムに向かって口を開いた。


「ともかくです、私はこれから彼と共に帝国へと向かいます。ですので、この国のこと、そして西方会議の始末をお願いします」

「頼むのなら野党の私ではなく、大統領代理を務めるファッテソンに言うべきだろうな」

「そうかもしれません。でも、死に体レームダックの彼らに頼むよりも、あなたにお願いしたほうが効果的でしょう。あなたが主導権を握らなければこの国がどうなるか、それは自明の理ですよ」

 ユイはそう告げるなり、意味ありげにニコリと微笑む。

 その表情の意味を正確に理解したフェリアムは、忌々しげな表情を浮かべながら、しぶしぶ首を縦に振った。


「……わかっている。私なりにこの国家のために打てる手は打とう」

「ありがとうございます」

「ふん、貴様に礼を言われる筋合いは無い。とっとと帝国に向かい、北の野蛮人どもを倒して手伝いにこい。その際は、我が国への援軍として散々こき使ってやるからな」

 軽く鼻息を鳴らしたフェリアムは、ユイに向かいはっきりとそう告げる。

 すると、ユイは途端に困った表情を浮かべた。


「はは、勘弁してください。給料の出る見込みの無い超過勤務は、私の趣味じゃ無いんですよ」

「一文の得にもならんことを、これからなそうとする者のセリフでは無いな」

「そうかもしれません。でも、一応建前はありますよ。私の領地を守るという建前が」

「建前……か」

 フェリアムは小さくため息を吐き出すと、力なくユイの言葉を繰り返す。

 そんな彼に向かい、ユイは小さく首を縦に振った。


「ええ、建前。と言っても、建前を奪ったというのに、攻めてくる島国もあるようですから困ったものです」

「ユイ、建前を奪ったとはどういうことだ?」

 黒髪の男の発言に只ならぬ予感を覚えたノインは、彼に向かって端的に問いかける。

 すると、ユイは軽く顎に手を当てたあと、隣に立つ青年に向かって口を開いた。


「それはね、えっと……フェルム、例の剣をアレックスに」

「例の……ですか。レジスタンスの隠れ家からわざわざ持ってきた、この包みに入った剣の事ですよね?」

「ああ、それそれ」

 ユイはニコリと微笑むと、正しいとばかりに小さく首を縦に振る。

 一方、そんな彼の同意を目にして、フェルムは赤髪の剣士のもとに歩み寄ると、手にしていた包を手渡した。

 アレックスは軽く首を傾げながら、布の包を取るとずっしりとした質量を持つ一振りの剣を手にする。


「ふむ、思ったより重いね。ユイ、これは僕が貰っていいものなのかい?」

「いや、ごめんあげられないんだ。残念ながら、預けておく事しかね」

 苦笑いを浮かべながら、ユイはそう口にする。

 そんな彼の発言に違和感を覚えたアレックスは、やや装飾過剰な鞘からゆっくりと一振りの剣を抜いてゆく。

 そしてその剣身が半分ほど露出したところで、思わず彼は息を呑んだ。


「これは……なるほど。噂にしか聞いたことがないものではあるけど、よくもまあこんなものを。とはいえ、君の言ったことの意味がわかったよ。ユイ、つまり君が奪った建前とは、まさにこの剣のことだね」

「ああ。その剣の存在こそが、彼らの王が権力を有する表向きの理由。神からカリブルヌスを預かる者こそが、かの国の王であり、神の代行者である証拠だからね」

「な!? か、カリブルヌスだと!」

 ユイの言葉を耳にして、最初に驚きの声を上げたのはフェリアムであった。彼は信じられないという思いとともに、アレックスの手にする剣へとその両眼を近づける。

 一方、その剣をアレックスへと預けた当人は、まったくもって涼しい顔のままあっさりと頷いてみせた。


「ええ、そうですよ」

「……ユイ、お前は我が国を抜け出した後、ブリトニアに行っていたのか」

 驚きの余り言葉を失ったフェリアムに代わり、目の前の男ならやりかねないと考えていたノインは、それよりも気になっていた事実を問う。

 すると、少しばつの悪そうな表情を浮かべながら、ユイはその問いかけを肯定した。


「まあね。といっても、正確に言えばブリトニアにも行ったというのが正しいけど」

「なるほどな。どうりでこの西方中を探し回っても見つからなかったわけだ」

 ユイが姿をくらますと同時に、多くの人材と予算を投じながらも、その目星さえ掴むことができなかった理由。

 それを知ったノインは、目の前の男がブリトニアに対する牽制だけではなく、自分たちから完全に逃亡するために、ほとぼりが覚めるまで彼の国に渡っていたのだと理解した。

 一方、この話題に気まずさを覚えたユイは、頭を掻きながら話の矛先をアレックスへと向ける。


「ともかくアレックス。そいつなら、たぶん彼らとも戦える。だから君が持っていてくれ」

「彼ら……か。でも、盗品紛いを振るうのは僕の主義に反するんだけど」

 ユイの頼みを受ける形となったアレックスは、この場にノインとフェリアムが居合わせていることから、敢えて目的としている者たちの名を直接口にする事無く会話を続ける。


「盗品じゃ無いさ。ちゃんと借用書は書いてきた。だから、正真正銘それは借り物さ」

「ふむ、先方は同意したのかい?」

 長い付き合いから、ユイの行動を正確に見抜いていたアレックスは、確信を持って一つの問いを放つ。

 すると、ユイは僅かに視線を逸らしながらその口を開いた。


「さて、どうだったかな」

「まあいいや。これなら、僕が遊べる相手も増えそうだ。それじゃあ、君に押し付けられたということで又借りしておくとしよう。でも本当にいいのかい?」

「何がかな?」

 アレックスの問いかけの意味がわからず、ユイは僅かに首を傾げる。


「彼らと対峙するに当たり、これを君が持たなくていいのかということさ」

「ああ、私には極々短い隠居生活の間に作り上げたものがあるからね。それにもう一つ頼んでいたものが、そろそろここに届く手はずになっている」

 首に付けた紅色の結晶のペンダントを弄びながら、ユイは僅かに困った表情を浮かべつつそう口にした。

 途端、アレックスは狐目を一層細めながら、目の前の男に問い直す。


「もう一つ?」

「そうさ、もう一つ。とはいえ、あの人は時間の概念が私たちと違うからね。まあルーズなのは困ったものだけど」

「一体だれのことを言っているのかな、君は。私なら、とっくに来ているよ」

 その言葉が発せられたのはまさに突然の事だった。


 声の主を求め、一同は一瞬周囲を見回す。

 すると、突然彼らの上方から、やや小柄な青年が大地へと降ってきた。


「へぇ、二階のベランダの上に潜んでいたんだ。僕が気づかなかったとは……ふふ、面白いね」

 目の前に姿を現した青年を目にするなり、アレックスは右の口角を吊り上げる。

 そんな彼の視線を受けて、青年の姿をした大賢者は、敢えて不敵な笑みを浮かべてみせた。そしてそのまま、嬉しそうに頬を緩める。


「いやはや、上から見させてもらっていたが、なかなか面白い面々を集めているようじゃないか。そのうえ、カリブルヌスなんて代物を、まさか彼の国から引っ張ってくるとはね」

「ちょ、ちょっとお待ちください。何故あなたがここに?」

「この青年を知っているのか、フェリアム殿」

 青年の顔を目にするなり狼狽を見せたフェリアムに対して、隣に立っていたノインは、眉間にしわを寄せながら詳細を求める。

 すると、その問いに答えたのは当の本人であった。


「ああ、彼は僕のことを知っているよ、リアルトの息子君。何しろ彼が若い頃、一度私の元に頼み事をしにきた事があったからね。しかし君も立派になったものだね、フェリアム」

「いえ……私はこの国の未来を正しく担えなかった未熟者です」

「ふぅん、そう。でも彼によって、君はこの場に呼びつけられた。つまりキスレチンの未来を担うべき人間と認識されてね。いくら僕の前だとはいえ、君はもう少し自分に自信を持ってもバチは当たらないよ」

 ニコリと微笑みながらそう口にすると、彼はフェリアムの肩を軽く叩く。

 その見た目と全く矛盾する二人の関係。

 それを目の当たりにして、ノインは黒髪の男へと説明を求めた。


「ユイ、この青年は……」

「彼はフォックス・レオルガードさ」

「フォックス・レオルガード……だと!? 馬鹿な、ではこんな青年が、大陸四賢者の――」

 思いもよらぬ名前を耳にし、驚きをかくせぬノインの言葉。

 それを途中で遮ったのは、フォックスその人であった。


「リアルトの息子君。物事を見た目で判断してはいけないよ。君も十分理解しているんじゃないかな。そこのやる気なさげな黒髪と接してね」

「それは……」

 フォックスの発言にノインは思わず口ごもる。

 すると、側に立っていた黒髪の男は、頭を掻きながら口を開いた。


「私を比較に出すのはやめてくださいよ。それにどうみたって、私のほうが見た目と人物が一致しているでしょ」

「さてどうだろうね。四つもの名前を使い分けている君となら、余り変わらないと思うけど。ともあれだ、君に頼まれていたものを渡せば、私の仕事は終わりさ。というわけで、フェリアム。君はここで私を視なかった。いいね?」

「わ、わかりました」

「結構。じゃあ、約束のものを渡すとしようか。さあ、受け取り給え」

 フェリアムに向かってニコリと微笑むと、フォックスはユイに向かって手にしていた一振りの刀を放り投げる。

 それを軽く片手で受け止めたユイは、ゆっくりと刀身を引き抜くと、思わず感嘆の溜め息を漏らした。


「約束通り、かつて君の母親が振るっていた状態に限りなく近づけた」

「素晴らしい。なるほど、これがかつての姿ですか……ありがとうございます」

「なに、如何に影打ちとはいえ元が良ければこそさ。もっとも、君の母親が持ち出したのが真打ちならば、さすがの私も手が出なかっただろうけどね」

 意味ありげに頬を歪ませながら、フォックスはそう口にする。

 すると、ユイは苦笑を浮かべながら首を左右に振った。


「さすがにそんな事をしていれば、今頃私はここにいませんよ。ともあれ、深く感謝を」

「ふふ、感謝は結構。代金を既に頂いたからね。ただし、一つ忠告をしておこう。あれだけ酷使していても、君がきちんと手入れをしていたからこそ、刀は君と共にあり続けた。だが、それにも限界がある。私は完全に壊れたものは……つまり折れてしまったものは直せない。この世界における存在としての連続性を失うからね。この意味はわかるかい?」

「はい」

 周りの男達が怪訝そうな表情をうかべる中で、ユイだけははっきりと首を縦に振った。

 それを目にしたフォックスは、満足そうに笑う。そしてユイに向かってはっきりと彼の役目を口にした。


「ふふ、なら結構。それでは西方を、そして世界を救ってきたまえ」

「……かつて誰かが通った道ですか」

「そう。歴史は繰り返す。ただしどうせならば、常により美しい形で歴史というものは刻まれていってもらいたい。それが山奥に潜む老人の願いさ」

 そう口にしたところで、フォックスの眼差しは遥か彼方を見る。

 そんな彼に向かい、受け取った刀を腰に差したユイは、頭を掻きながらその口を開いた。


「いい歳をしながら、女性をはべらせている老人の願いとはとても思えませんね」

「まあね。でも私は私のなすべきことを終えたからこそ、余生を自由に生きている。君も隠居したいというのなら、さっさとこの世界を救ってしまうのだね。というわけで、私は先に帰らせてもらうよ。うちの子猫ちゃん達が、寂しくて泣いているといけないからね」

 そう言い残すと、スッと静かに彼は歩み出す。

 そして瞬く間に、彼の後ろ姿はユイ達の視界から失われた。


「世界を救う……か」

 フォックスが口にした言葉を、ユイは虚空に向かって呟く。

 そして思わず真っ青な空を見上げたところで、彼に向かい一つの声がかけられた。


「ユイ、もういいのかい?」

「ああ、ごめんね。どうも老人にお尻を叩かれてしまったようだ」

 アレックスの呼びかけに対し、苦笑を浮かべながらそう口にする。

 すると、目の前の赤髪の男は、狐目をさらに細めながら薄く笑った。


「ふふ、それは結構。君は誰かに急かされているくらいがちょうどいいものさ」

「ひどいなぁ、まったく。ともあれ、出来るところから手をつけるとしようか。というわけで、フェリアムさんこの地をよろしく」

 フェリアムへと向き直ると、ユイは頭を掻きながらそう口にする。


「ふん、この地のことを思うなら、さっさと行って向こうを片付けてこい」

「まあ出来る限りで。それじゃあ、ノイン。案内をよろしくね」

 フェリアムの返答を確認したユイは、ノインへとその視線を移す。

 途端、彼の言動を受けて、ノインはおかしそうに笑った。


「ふふ、皇太子に道案内をさせる男か。お前らしくて実にいいな。朱よ、お前はどうする?」

「僕はエインスくんがまだここにいますからね。でも、なるべく急ぎますよ。何しろ最初に狙われるのは、貴国ではなく我が国でしょうから」

 ノインの問いに対し、アレックスははっきりとそう告げる。

 その彼の回答を、ユイもすぐさま肯定した。


「だろうね。というわけで、アレックス。次は戦場で」

「ああ。君も無理をしないように……そしてサボりすぎないようにね」

「はは、わかったよ。それじゃあ」

 珍しく冗談交じりのアレックスの言葉。それを耳にしたユイは、思わず苦笑する。

 そして彼らは軽く拳を握り締めると、コツンと重ねあった。


 そうしてそのまま、ノインの背中を追う形でユイは歩み出す。



「キスレチンを出発し、帝国に軍を借りて、ブリトニアと戦い、クラリスを救う……か」

 普通に考えれば、矛盾に満ち溢れたかのような未来予想図を思わず口にし、ユイは足を止めて思わず頭を掻く。


 そして大きな溜め息を一つ吐き出すとともに、彼は再び前に向かって歩みだした。


 夏の終わりを感じさせるような、体にまとわりつく僅かな熱気を振り払って。

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