第26話 英雄、立つ

 ラインドル王国の借り上げた宿舎の一室。

 その部屋で窓から外を眺めていた青年は、後方の扉が開けられる音を耳にするなりその口を開く。


「遅かったね、ノイン」

 自らの来訪を予期していたその言葉。

 それを耳にしたノインは、眼前の黒髪の男に向かって、わずかにその視線を強める。


「……なるほど。つまりお前は知っていたのか」

「いや、手を打っていたつもりだったからね。正直知らなかったさ、つい先程まではね」

 黒髪の青年はそう口にすると、手にした一通の封書を放り投げる。

 それを受け取ったノインは、自らの得た情報と全く同じ内容を、目の前の青年が得ていると確認した。


「あの黒髪の女か……しかし、今お前はなんと言った。手を打っていただと?」

「ああ。彼らが動きづらくなるように、先手は打っていたんだ。だけど、やはり個人でできることには限りがあったみたいでね。どうもうまく行かなかったみたいだ。残念ながら……ね」

 そう口にすると、ユイは深い溜め息をつく。

 一方、そんな彼の発言を耳にしたノインは、迷うことなく胸に秘めていた言葉をまっすぐにぶつけた。


「……貴様が何をしたのかは知らん。だが、肩書きのない個人で動くことが限界だと理解したのなら、ちょうどいい機会だ。ユイ、お前が先頭に立ってこの西方を救え」

「君ではダメかい?」

「俺が先頭に立って、西方をまとめ上げる……か。お前ならわかるだろ。それが本当に受け入れられるかをな。クラリス一国にしてみても、貴様等の国を攻めた過去は消せん。ましてや、これまで実質的に西方諸国の中心を担っていたキスレチンと、我が国がこれまで何度やり合ったか」


「でも、過去の敵より目の前の脅威さ。それくらいは各国も理解できると思うけど?」

「目の前に脅威が迫りながら、この俺をオブザーバーとしてしか会議に参加させない連中がか?」

 トルメニアと相対する上で、後方の憂いは断ちたい。だが国民の視線を気にして、直接的に帝国の力を借りる訳にはいかない。

 そんな各国の事情が、帝国の代表であるノインをオブザーバーという曖昧な立場に制限する事となった。


「確かにそれは……でも」

「もちろん永遠に我が国が、他国に受け入れられないとは思わん。だが、今すぐは無理だろう」

「そうかもしれない。でもそれを言えば、帝国にとって私も同じ立場さ」

 クラリス王国の軍人として、かつて帝国軍と戦った過去。

 ユイはそれをノインへと突き付ける。

 だが目の前の男は、あっさりと首を左右に振った。


「違うな。お前は別だ、いや特別だ。貴様と一時対峙した、うちの国民の誰もが知っている。魔法公国との戦いでどうして勝てたのかということをな。更にその際に戦った敵を今現在率いているのは、貴様の部下であったあの赤髪の女だ」

「だけど、私は無位無冠の身だよ」

「それがどうした?」

 ユイの反論を、ノインは迷うことなく一蹴する。

 その発言には、さすがのユイも僅かにたじろぎを見せた。


「それがどうしたって」

「わかっているんだろ、本当は。お前がやらなければ、この大陸西方は取り返しのつかないことになると。ただお前は逃げ道を失うことが怖いんだ。普段はやる気がないと嘯きながら、一度引き受けたら逃げ出せない性格をしているからな。それにだ、唯一自らでは越えられぬと認めた男以外に、俺は帝国の兵を預けたくはない」

「ノイン……」

 キスレチンの現状を踏まえるならば、現在この大陸西方において実質的に頂点にある国家の後継者。

 そんな彼によって告げられた言葉に、ユイは思わず言葉を失う。


「短い期間であったが貴様とともに帝都レンドで過ごすことが出来たこと、それは俺にとって本当に得難き時間だった。そして理解したさ。俺の器量は帝国一カ国を多少大きくする程度でしか無いと」

「おいおい、あの帝国を更に巨大にさせると言いながら、その程度という言い草はないんじゃないかな」

 ノインの口から発せられた発言の矛盾を、ユイはすぐに指摘する。

 だが、ノインは迷うことなく首を左右に振った。


「そんなことはない。俺の目の前には、その気になれば西方を……いや大陸を統一しかねない器を持った男がいる」

「過大評価だよ。それに仮に私の器がそんなに大きいとして、おそらくその底には大きな穴が空いているさ」

「ならば、その開いた穴を俺が埋めてやる。いや、俺だけじゃない。お前の周りには、お前の足りない穴を埋めようとする人間が何人もいる。ライン公やカイラ国王、あの朱やお前のかつての部下たちもな」

 そう口にしたノインは、一切含むところのないまっすぐな視線をユイへと向ける。

 途端、ユイは小さく吐息を吐き出す。そして小さく首を左右に振ると、その口をゆっくりと開いた。


「……理想は私が何もせずとも、西方の安定が保たれることだった。私には、それ以外に一つやらなければいけない仕事があるからね」

「やらなければならない仕事? 何だそれは」

 全く予期せぬ事をユイが口走ったため、ノインは怪訝そうな表情を浮かべると、眉間にしわを寄せる。

 すると、ユイは軽い苦笑を浮かべた。

 

「親が残したちょっとした借り。それを返すという話さ。ともかく、君が言いたいことはわかったよ。だけど――」

「だけど何だ? 繰り返すようだが、はっきり言ってやる。お前抜きで、本当にこの西方をまとめることができると思うか?」

 ユイの発言を遮る形で、ノインは彼に向かって強い口調でそう問いただす。

 その問いかけを受けて、ユイは二度頭を掻いた。


「……よほど私を働かせたいようだね」

「ああ。俺は功利主義者だからな。貴様を煽って働かせなかった場合、帝国に、いやこの大陸西方に少なからぬ損害が出るのは明らかだ。ならば、一人の男の苦労ぐらい安いものだろう」

「苦労ややる気なんてものは、何かと比べるべきものじゃないよ」

 自らに向けられる言葉に不快感を覚えながら、ユイはノインに向かって苦言を呈する。

 すると、ノインは一度大きく頷くとともに、一つの提案を彼へと提示した。


「わかっている。だからその際は、帝国が全面的に貴様をバックアップする。多少は貴様の苦労が減るようにな」

「はぁ……繰り返すようだけど、表向き今の私はただの学校の教師で、本当に無位無官の男だ。そんな善良な一市民を、大国が担ぎ上げようなんて気がふれているとしか思えないね」

「いいさ、気がふれていようがな。それで帝国の未来が守れるのなら、如何なる罵倒も受け入れよう」

 はっきりとした帝国の後継者であるノインによる意思表示。

 それを目の当たりにして、ユイは目の前の男が本気であることを理解する。

 そして彼は、初めて小さく首を縦に振った。


「わかったよ、ノイン。一軍を預かり受けよう。どうも私の敵と対抗するにも、もはや個人では難しそうだし……ね」

「ふふ、ようやく覚悟が決まったようだね」

 突然向けられたその言葉は、彼等二人の後方から発せられた。

 慌てて部屋の入口へと視線を向けたユイは、完全に気配を消し去った赤髪の男性を視界に捉える。


「アレックス!」

「ユイ、彼女から連絡はもらったよ。というわけで、ノイン皇太子。クラリスの陸軍省次官として、正式に援軍を要請したい。君たち帝国にね」

「いいだろう。俺の義理の弟を指揮官として、貴国に送ろう」

 アレックスの要請を耳にするなり、一切迷うことなくノインは返答を行う。

 そのあまりの即断に、ユイは口を挟みかける。だがそれ以上に懸念すべき単語が、彼の発言の中に含まれていることに、彼は気づいた。


「おいおい、こんなところでそんな簡単に決めて……というか、ちょっと待ってくれ。義理の弟だって!?」

「いや、一切待たんぞ。少なくとも軍を率いる決意をしたんだ、その程度の肩書きは背負ってもらう」

「おやおや、ちょっと待ってください」

 ノインの言葉を耳にしたアレックスは、ユイが反論を口にする前に二人の会話に割り込む。


「なんだ、援軍を率いるのがこいつであることが、何か不満か?」

「いえ、ユイが貴国の軍を率いて我が国に来てくれるのは全く問題ありません。むしろ、最良のご提案でしょう」

 アレックスはいつものキツネ目を更に細めながら、あっさりとそう言い放つ。


「では何が不満だというのだ?」

「彼の肩書きですよ。貴方が口にしたユイの肩書きを受け入れると、援軍要請に失敗した以上に、うちの女王陛下に怒られかねない。そうですね……ミリア嬢の婚約者という辺りで手を打ちませんか?」

「婚約者か……多少苦しいが、とりあえずはその辺りで妥協するとするか」

 アレックスの提案を受け、ノインは一瞬迷いを見せる。だが、最終的にはその提案を受け入れた。

 一方、完全に会話の中心から外された当事者は、困惑した表情を浮かべながら二人に向かって声を発する。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。何で私抜きのまま話が進んでいるんだい」

「ユイ、少し黙っていてくれ。君抜きではなさないと、まとまるものもまとまらないんだから」

「そうだ。この件にお前は関係ない」

「いや、どう考えても当事者はこの私なんだが」

 眼前の二人によって軽くあしらわれたユイは、頭を抱えながら反論を口にする。

 だがそんな彼の発言を、目の前の二人はあっさりと無視した。


「部外者は放っておいて、これで決まりということで良いですね?」

「……仕方ないな。では、うちの一軍を義理の弟候補に預け、貴国へ向かわせる。必要な公文書や条件面に関しては、後日送らせてもらおう」

「はい。援軍要請の受諾、ありがとうございました。これですべてが丸く収まりましたね」

 そう口にすると、アレックスはニッコリと笑みを浮かべ、ノインと硬い握手を交わす。

 一方、完全に蚊帳の外に置かれた当事者は、困惑した表情を浮かべながら、何度も首を左右に振った。


「いや、全然丸く収まっていないぞ。私は、この私の権利は」

「黙れ。それともうちのミリアでは不満というのか?」

「いや、不満だとか、不満じゃないとかの問題ではなくて――」

 ノインの発言に対し、そのまま否定を出来なかったユイは、慌てて話をそらそうとする。

 だがそんな彼の発言は、赤髪の親友によってあっさりと遮られることとなった。


「そういえば、ユイ。君は確かミリア様と約束をしていたよね。彼女の依頼を納得のいく形で成し遂げたら、彼女を報酬として貰うと。約束を破ることが嫌いな君が、いつまでも約束を先延ばしにしているのはよくないと思うな」

「ア、アレックス!」

 突然、信頼していた親友に後ろから刺されたユイは、表情を引きつらせながら彼の名を叫ぶ。


「あきらめろ、ユイ。とりあえずは婚約者で手を打ってやる。まあ全ての戦いのけりが付けば、盛大な催しを開くつもりだがな」

「ふふ、しかし帝国がそう出るとすれば、我が国も色々と手を打たねばなりませんね。これは帰って相談が必要そうだ」

 ノインの発言を受け、アレックスも意味ありげな笑みを浮かべながらそう口にする。

 そんな二人を目の当たりにして、ユイは深い溜め息を吐き出すと、疲れたように言葉をこぼした。


「はぁ、仕方ない……か。とりあえず彼女と約束したことは事実だ。婚約者。この肩書きでよければ、とりあえず仮のものとして受け入れることにしよう」

「仕方ないだと? ふふ、あのミリアをそんな扱いにするとは、うちの軍の連中が聞けば、貴様を後ろから刺したくなるだろう発言だな」

「やめてくれよ。自分が率いることになる人たちに、背中を狙われるのはごめんだからね」

 ノインの悪意ある言葉を受け、ユイは疲れたように首を左右にふる。

 そんなやり取りを耳にして、アレックスはクスリと笑う。そして彼は、二人に向かってニコリとほほえみかけた。


「ともあれ、すでにブリトニア軍は動き出しているようだ。僕たちも急ぐとしよう。漁夫の利を得ようとする彼等の首を、軽く一薙ぎしてあげるためにね」

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