第25話 突きつけられた刃

 国家指導者である大統領自身がクーデターを企てたという事実。

 その事実はキスレチン市民にとって、まさに青天の霹靂と呼んでよい衝撃であった。


 そして当事者であり責任者であるトミエルがいなくなった今、市民たちの怒りは政権与党である民主改革運動とトルメニアの手先と目された統一宗教主義戦線へと向けられている。それを端的に表すものとしては、彼らの本部前では激しい抗議集会が開かれていた。


 だが視点を変えてみれば、クーデターが蜂起されたにも関わらず、すぐに抗議集会を行えるほどの余裕が市民にあったこともまた事実である。

 そのことを市民たちも十分に理解していた。

 そしてそれ故に、与党への信頼が地の底へと落ちるのと時を同じくして、二人の男の名が市民の中で英雄視されるのもやむを得ないことといえるだろう。


 一人はもちろん、今回のクーデターを直接的に制圧して見せた国が誇る英傑ウフェナ・バルデス。

 そしてもう一人はこの国の出身ではない黒髪の男であった。


 当然のことながら、市民たちも彼がこの国の出身でないことを知っている。だからこそ、キスレチンの市民たちは彼のことをこう呼んだ。


 西方の英雄、と。


 そんな市民たちの反応を横目にみながら、西方に存在する各国の代表者たちは、喉元に突きつけられた剣に対し、その対処に関する結論の出ない会議の最中にあった。


「先ほども申しましたように、西方会議にご出席の各国のみなさま。今すぐ救援軍を我が国へと派遣ください」

「だが、足下でクーデターが起こったばかりなのだ。今、軍をこのミラニールから派遣するのは危険きわまる。それにトルメニアもこのミラニールでの失敗を受け、強引に侵攻してくるとは限るまい」

 コルドイン大公の発言に理解を示しながらも、現在キスレチン臨時政府の首班の座にあり、西方会議議長と大統領職の代理を務めるファッテソンは険しい表情を浮かべた。


 一方、そんな彼の発言に対し、ホスヘル公国の先に存在するクロスベニア連合のシャドヴィは、自国の危険性を十分に理解しており、あわてて反論を口にする。


「大統領代理、あなたは自国のことしか頭にないのですか? ホスヘル公国が侵略されれば、我が国も、そしてその先にある貴国も狙われることとなるのですぞ」

「そうです。それを未然に防ぐためにも、我が国に十分な兵力を向けていただき、トルメニアを牽制すべきです」

 シャドヴィの発言に背中を押されたかのように、コルドインはつばを飛ばしながら、重ねて援軍の要請を行う。

 すると、この厳正なる会議室に琥珀色の液体を持ち込んだ一人の女性が、二人の慌て振りをその目にして揶揄するかのように口を開く。


「ふん、どうなんだろうかね。逆に連中を刺激する結果にならないかい?」

「ナーニャ殿。貴国はトルメニアから遠く離れておるから、そんな他人事のようにいえるのです。良いですか、我らの国を突破されれば、いずれ最終的には貴国にまで、連中の手は伸びる。それを理解していただきたい」

 一応、正装だけはしてきてはいるものの、明らかにできあがった顔色のナーニャをその目にしつつ、コルドインは怒りを抑えながらそう口にする。

 すると、やや堅くなった場の空気を見計らいながらも、若き国王は自らの立ち位置を主張せねばならぬと、その重い口を開いた。


「とりあえず、うちからも多少の援軍は送ろうと思います。ただ、まだ国の中は混乱に満ちており、大規模な援軍の派遣は難しいところです……何しろ、どこかの国によって、クーデターを誘発されたりした直後ですので」

「そ、それはあくまでトミエルの企んだこと。我が国の意志ではなかったことをご理解ください」

 カイルの発言の中に含まれていた棘を受け、ファッテソンは険しい表情を浮かべながら、そう言い返す。

 だが、そんな彼に向かいカイルの口が止まることはなかった。


「でもあなたは、同じ与党であり閣僚の一員であった。責任がないといわれるのはいささか苦しいかと」

「それは……」

「申し訳ありませんが、うちも同様です。我が国も内部に獅子身中の虫を飼っており、大規模な援軍の動員は困難を極めます。申し訳ありませんがご容赦のほどを」

 場の空気を見計らっていた金髪の美青年は、このときとばかりに自国の状況を主張する。

 すると、手元にあった琥珀色の液体をクイッと飲み干した赤髪の女性は、ファッテソン達に向かい情け容赦ない現実を突きつけた。


「結局さ、今現在において、兵をあんたらの国に送れる国なんて、一カ国しかいないんだよ」

 その言葉が発せられた瞬間、一同の視線は会議室の後方に陣取った、一人の男性へと向けられる。

 そして彼の表情に皮肉げな笑みが浮かべられたところで、ファッテソンは忌々しげな口調で一同に向かい一つの宣言を行った。


「……オブザーバーである国家を頼りにはしない」

「はん、プライドってやつかい? そんなもん、豚のクソにしかならないさ。少なくとも……いや、それはいい。それよりも、議長代理殿には、他に腹案があるのかい?」

 とある黒髪の男を指す言葉を口にしそうになったところで、ナーニャは一度言葉を飲み込むと、改めてそう問いかける。

 するとそのタイミングで、一人の兵士が息を切らせながら部屋の中に飛び込んできた。


「た、大変です!」

 西方会議中にも関わらず、正規の手順をとらぬ突然の兵士の入室。

 それが意味するところは、決してよくない報告であると、ファッテソンは早期に理解した。だからこそ、彼は直ちにその理由を問いただす。


「なんだ、何があった?」

「ご、ご報告いたします。ホスヘル公国の国境に設置されたカザンチ砦ですが、トルメニアの強襲を受け陥落間近の模様。それと――」

「待て、今なんと言った?」

 兵士の報告を遮る形で、顔色を変えたコルドインは彼に向かい確認を行う。


「トルメニア軍は宣戦布告なく、突然大軍を以って襲来し……おそらく砦はあと数日もこらえることはできないとのことです。」

「なんということだ」

 さらなる報告を耳にして、コルドインは現実を受け入れ難いとばかりに首を左右に振る。

 一方、会議室内で比較的冷静さを保っていた金髪の美青年は、さらなる情報を兵士へと問いただした。


「それで敵の規模はどれくらいなのですか?」

「正確ではありませんが、少なくとも八万人近い模様」

「な、なんと。それでは連中は、総兵力の七割近くを投入してきたということか」

 十数万人規模と言われる、トルメニアの宗教兵。

 その大部分を投入してきた事実を受け、シャドヴィは驚きを隠せなかった。


 一方、現状を冷静にその報告を受け止めたカイルは、その数字に疑念を呈さずにはいられなかった。


「おかしくはないかな? トルメニアは大陸中央のルーシェ王国と長年に渡り戦い続けていたはず。にも関わらず、なぜ西方にそれほどの兵力を割けるというんだい」

「詳細はわかりません。ですが、噂ではルーシェ公国は国土の荒廃が著しいと聞きます。おそらくその為ではないでしょうか?」

「それは私たちも耳にしたことがある。しかし……」

 兵士の見解を受けて、コルドインは眉間にしわを寄せる。

 だがそんな彼に向かい、エインスは一度事実として受け入れるべきだとはっきりと告げた。


「受け入れ難いことは私にもわかります。ですが、コルドイン大公。今は現実を見つめましょう。経緯はどうであれ、連中が大軍を貴国に向けられたのは事実。そしておそらくその最終的な目的地は……」

「この地、ミラニールであろうな」

 そう口にしたのは、議長代理を務めるファッテソンであった。

 途端、会議室内に沈黙が包まれる。

 すると、一同の沈黙を破るかのように、報告に訪れた兵士が視線をはずしながらさらなる凶報を口にした。


「申し訳ありません、もう一つご報告すべき事が」

「何だ、連中が降伏勧告でも送りつけてきているのか?」

「いえ、連中からは何も……ただ、ナポライで異変が」

 その言葉はこの国の大統領代理を務めるファッテソンの表情を激しくゆがめた。


「異変……異変だと? 何だ、ナポライで何があったというのだ?」

「クーデターです」

「は? 何を言っているのだ。クーデターは先日——」

 何を言っているのかわからないと言いたげな表情で、ファッテソンはそう口にしかかった。

 だがそんな彼の言葉を、今度は兵士が遮る。


「違います。彼等ではなく、全く別の者達がです。それも既にキスレチン南部の大部分を支配下に置いたようでして」

「な、なんだと。馬鹿な、そんな事ができるものが、どこに」

「軍務大臣です」

 動揺著しいファッテソンに対し、兵士ははっきりとした口調でその役職を口にした。

 途端、ファッテソンは拳を会議机にたたきつける。


「軍務大臣!? つまりケティスの奴か!」

「はい。中央で国政を壟断するトミエルを初めとした自由の敵を排除するとの話でして……」

「狙われたな……おそらく」

 コルドインはそう口にすると、そのまま疲れたかのように肩を落とす。事ここに至って、自国への援軍派遣がより困難となったことを、彼は理解せざるを得なかった。


 そうして空間が重苦しい空気に包まれた時、一同の注目を集めることなく、一人の男が正規の手順を踏んで会議室へと入室する。そして彼は、一同の後方に座する男の耳元で何事かをささやいた。

 途端、ノインの両目は大きく開かれる。


「何……それは本当か?」

「はい。どうも間違いないと……」

 ノインの後を追う形で、少数のみ入国していた彼の部下は、深刻な表情を浮かべながら首を縦に振った。

 その瞬間、ノインは一度両目をつぶると、ゆっくりとその場から立ち上がる。そしてそのまま、会議室の入り口に向かいまっすぐに歩み出した。


「どこに行かれるのですかな、ノイン殿」

 その問いを発したのは、議長代理のファッテソンであった。

 その声を受けて、一度足を止めると、やや皮肉げな口調でノインはその声を発する。


「おや、オブザーバーであるこの私が口を利いてもかまわないのかね?」

 ノインのその発言に対し、議長代理は渋い表情を浮かべる。

 その表情を目にして、ノインは苦笑を浮かべるとともに、改めてその口を開いた。


「いずれにせよ、諸君。この私はあくまでオブザーバー扱い。ならば、基本的にはこの場にいなくても問題はないはずだ。というわけで、少し失礼させてもらう」

 それだけを口にすると、ノインは後ろを振り返ることなく会議室から足を踏み出す。

 そして彼は、求めていた人物をそこに認めた。


「待っていてくれたようだね、フェルム君」

「は、はい。先生から、あなた方を案内するように言われていますから。それで、もう会議は終わられたのですか?」

 他の人物が出てくる様子がないことに違和感を覚えながら、フェルムは目の前の異国の皇太子に向かいそう問いかける。

 すると、ノインは思わず苦笑を浮かべた。


「いや、結論の出ぬくだらない会議は続いている。答えは一つしかなかろうにな。それよりもだ、急に君に頼みたいことができた。申し訳ないが、今から案内をしてくれないかな?」

「案内ですか。えっと、ノイン皇太子、どちらにご案内すれば」

 突然の依頼に、フェルムは戸惑いを覚える。

 すると、そんな彼の動揺に気づいたノインは、少し柔らかな声を発した。


「フェルム君。君は私の部下ではないのだ、そんなに気を使わなくていい」

「ですが……その」

「確かに私は大国の跡取りだ。この西方において重要な人間だと自認もしてはいる。だから気を使いたくなるのはわかるが、君はそれ以上に重要な人物のそばにいるのだ。その事実をもう少し客観的に理解した方がいい」

 ノインは目の前の青年に向かい、ゆっくりと諭すようにそう口にする。

 すると、フェルムはやや心外だという表情を、その顔に浮かべた。


「先生のことですか。いえ、わかってはいるつもりです」

「全然わかっていないさ。あいつのそばにいられるということが、どれほどのことかをな……まあそういうことは、離れてみて初めてわかるものか」

 そう口にすると、黒髪の男がクラリスからの大使として滞在したわずかばかりの時間を思い出し、ノインはやや懐かしげな表情を浮かべる。

 だが彼はすぐに切迫した現状を思い出すと、その表情を引き締め直し、改めて青年に向かい声を発した。


「ともかくだ、どうやらこの西方は少しまずい事態になりそうだ。おそらく、北と東とから同時に攻められるという事態にな」

「北? いえ、東はわかります。でも、もう一箇所のクーデターを起こしたのは、南のナポライではありませんか?」

 何かの聞き間違いではないかと思い、フェルムはすぐに問い直す。

 一方、その問いかけを耳にして、ノインは目の前の青年の評価をさらに上方修正した。


「ほう、ナポライのクーデターに感づいていたのか?」

「いえ。ただ先生がその可能性は考えられると……」

「……なるほどな。しかしナポライを加えるならば、三方向というべきか。もっとも連中は実質東からのものだとして扱うべきだろうが」

 途中から次第に小さくなっていったノインの声。

 それをどうにか聞き取ったフェルムは、困惑した表情を浮かべる。


「あの……申し訳ありませんが、話が見えなくて」

「要するに、暗黒戦争の再来だ。それだけ言えばわかるだろう」

 暗黒戦争。

 それはかつて北の島国が大陸への侵略を試みて大兵団を送り込み、そして各地で激しい戦いが長期にわたり繰り広げられた黒き戦いのことであった。

 だからこそ、その単語を耳にするなり、フェルムの瞳は見開かれる。


「暗黒戦争!? まさかブリトニアが!」

「ああ。トルメニアとブリトニア。この二カ国が西方を切り取ろうと動き出した。それは我が帝国にとっても、恐るべき脅威となりうる。だから今こそ、アイツの力が必要なんだ。この西方にとって最重要な人物。つまり英雄ユイ・イスターツの力がな」

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