第24話 孤高の女王

 大陸からラ・マンテア海峡と呼ばれるやや狭い海峡を経て、その北に複数の国家を内包する一つの巨大な島が存在する。


 大ブリタンニア島。


 彼の地にはスケルプランド、フォールズ、そしてブリトニアと呼ばれる三国家が存在した。

 それらの三カ国の中で、島の南部に存在し、最大の勢力を誇るのがブリトニアである。


 彼の国はかつて幾度も西方の諸国家と相互に侵略戦争を繰り返していた。

 しかし、まるでそんな日々に飽きたかのように、二百年前から一切の同盟や協調政策を破棄するに至る。そして今、栄光ある孤高と自負する立場を堅持し続けたが故、いつしか大陸の一般の人々の記憶からはその国家の存在さえ忘れ去られようとしていた。


 そんなブリトニアにおいて、現在至尊の冠を頂いているのは、一人のうら若き女性である。


 女王オリヴィア。


 整いすぎたその美貌と、怜悧冷徹で知られるその施政から、人は彼女のことを氷の女王と称する。


 そして今、ブリトニア首都ロンディニウムの中央に立つ豪奢な館の一室で、冷たき美貌を有する彼女は、眼前で跪く男に向かって一つの問いを放った。


「フランツ、それで邪教徒共からは連絡はありましたか?」

「はい、女王陛下。トルメニアから陛下宛に大陸進出を促す書状が」

 黒ずくめの服に身を包んだフランツと呼ばれた壮年は、恭しくそう答えるなり、一通の書状を女王へと手渡す。

 オリヴィアは軽く文面に目を通すと、あっさりとした口調で国の方針を決定した。


「ふむ、結構です。それではフランツ、我らも動くとしましょうか」

「……本当によろしいのですか?」

 表情一つ変えること無く戦争を決断した女王に対し、フランツはうつむいたまま確認するようにそう問いかける。

 一方、そんな忠臣の言葉を耳にして、純白の清楚なドレスに身を包んだ女性は、初めてほんの僅かだけ口元を歪ませた。


「フランツ、あなたは一体何が言いたいのですか?」

「はい。二百年前の大陸との戦いを経て、我が国は栄光ある孤高をこれまで保ってまいりました。それを邪教徒共に唆される形で――」

 フランツがそこまで口にしたところで、その言葉を遮るように目の前の女性はその口を開く。


「勘違いはおよしなさい。我らは邪教徒の求めに応じるのにあらず。ただただ、我らが民のために、大陸へ進出するのみ。貴方だってわかっているはずです。この痩せたブリタンニアの大地を、スケルプランドやフォールズの二カ国と奪い合ったところで、未来は存在しないと」

「それはそうですが……」

「他に選択肢はありません。第一、空腹で飢えきった我々の前に、大陸の方々は貪れとばかりに餌を用意してくださったのです。だとすればそんな彼らに対し、自らの傲慢さを思い知らせてやるべきでしょう」

「……確かに仰せの通りです」

 本心を言えば、フランツとしては全面的に同意できる話ではない。

 そして彼は女王の右腕として、彼女を諌めねばならぬ時はその身にかえても直言する覚悟を有していた。


 だがそれでもなお、女王が白といえば黒いものも白色でなければならぬ。

 女王の第一の部下である自らこそが、その施政を率先しなければならぬと常々考えていた。


 だからこそ、既に方針が定められた今、彼が行うべきは女王に対し抗弁することではなく、これからそれをどのように演出して国民になすべきことを伝えるかであった。


「わかればよろしい。ノーレンフォーク公と協議して、早急に準備を行うように。こういうものは、機先を制さねば意味がありませんから」

 そう口にすると、オリヴィアは手元にあったカップを口元へと運ぶ。そして少し冷めた紅色の液体を喉の奥へと流していった。そして彼女はソーサーの上にカップを置くなり、少しばかり険のある口調で眼前の男へと問いを放つ。


「ところで、フランツ。秘密警察の長である貴方には、戦争の準備以外にもう一つの命令を与えていたはずです。あちらの件はどうなっておりますか?」

「残念ながら、彼の者と聖遺物の足跡は途絶えたままで……」

 そう口にすると、フランツは気まずげな表情を浮かべながら、再び深々と頭を垂れる。

 そんな彼に向かい、オリヴィアはやや皮肉げにその口を開いた。


「ほう。議会において、その方は我が国の治安維持に関し、常々万全だとうそぶいていると聞くが、はてさてどちらが本当なのですか?」

「返すお言葉もございません。ですが、これだけ調査を続けても、奴をたどる痕跡一つ見つけられておりません。もしかしたら、とっくにこの国から逃げ出しておるやもしれず……」

 フランツとしては、自らの傷口に何度も塩を塗りこまれるような思いで、調査に進展がないことを改めて女王へと告げる。

 途端、女王の脳裏には犯人と思しき一人の男性の顔が浮かび上がり、その眉間にはくっきりとした皺が浮かび上がった。


「あの男め……まったく忌々しい。フランツ、絶対に貴族どもや国教会の司祭共には悟られないように」

「はい、わかっております。ただ彼等の目に注意しながら、極秘裏の捜査を継続するとなると、調査が難航するのは必定にて……」

 もはや主の顔を見上げることすらできず、うつむいたままのフランツは次第にその声も弱々しくなっていく。

 そんな彼に向かい、目の前の若きこの国の君主は冷たい言葉を投げかけた。


「フランツ、その返答はこの一年の間に聞き飽きました。私が求めているのは言い訳ではなく、ただ結果のみです。少しの間借り受けるなどという馬鹿げた借用書一枚を残し、忽然と姿を消したあの男。彼から我が国の聖遺物を回収し、その罪を償わせたという結果だけをです」

「わかっております。カリブルヌスを盗んだ大罪人エイス・クローサーには、必ずその罪を贖わせてみせます」

 昨年、魔石商人と名乗ってこの国に姿を現した黒髪の怪しげな男。

 いつも飄々とした態度を見せていたあの男は、いつの間にかこの国の中枢にいる貴族たちと懇意となるも、ある日忽然とその姿をくらました。

 そう、ブリトニア国教会が秘蔵していた一振りの剣と共に、たった一枚の走り書きに等しい借用書を置き去りにして。


 その事実が、秘密警察の長を務めるフランツの頭をどれだけ悩ませたかは筆舌に尽くしがたい物があった。実際に彼は、もし犯人の黒髪の男を捕らえれば、その罪を償わせる前にその耳元で彼の辛苦を一晩中語り続けてやりたいとさえ考えている。


「……まあいいでしょう。いずれにせよ、もしあの男が国外に逃げ出しているとなれば、ちょうど良い機会です。今回の大陸進出とあわせて現地でも調査を進めるように」

「はい、了解いたしました」

「それでは予ての予定通り、大陸進出を開始しなさい。本来我らが領地であるべきブルトーニュ。まずは魔石の宝庫でもあるあの土地を押さえるとしましょう。確か、クラリスの愚か者たちがカーリンなどと呼んでいる彼の地をね」


 そう口にすると、ブリトニア女王オリヴィアはゆっくりと豪奢な椅子から立ち上がる。そしてその視線は薄暗い曇り空が広がる窓の外へと向けられた。

 その視線の遥か彼方には、彼女に支配されるべき広大な土地が存在した。


 エウレシアと呼ばれる、その広大な大陸が。


 キスレチンの分裂とトルメニアの西方進出、そして栄光ある孤高の楔から解き放たれたブリトニアの大陸侵攻。

 後に西方戦争と呼ばれることになる史上最大の戦いは、このブリトニアと呼ばれる古き偉大なる国家の参戦によって、その歴史を刻み始めることとなる。

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