第23話 戦いの鐘は鳴らされた

 キスレチン南部の代表的主要都市ナポライ。

 その海の玄関口とも呼ぶべきサンタンルシア港には、デローヴォと呼ばれる要塞が存在する。


「ケティス枢機卿。ただ今、首都の報告が届きました」

「ほう、それでどうなりましたか?」

 海側に面した要塞の一室で、一人佇んでいたケティス・エステハイムは、慌てて部屋に駆け込んできた男に向かいそう問いかける。


「ハムゼ外務大臣よりのご連絡ですが、大統領は決起に失敗したと」

「……なるほど。そうなりましたか」

 そう口にすると、初老の年齢にさしかかりながらも、どこか精悍さを残す彼は小さな溜め息を吐き出した。そして再びその視線を窓の外に広がる、ナポライ湾へと移す。そしてこの国の軍務大臣の役職に付いているはずの男は、クレメア教の枢機卿として、寂しそうにその口元を動かした。


「立ち位置は違えど、同じ神のもとに仕える者として、私は実に寂しい。そう、たとえその死が、予め定められていたものだったとしても」

「ケティス枢機卿、如何が致しましょうか?」

 ケティスの独語に気が付かなかった部下は、部屋の入口で頭を下げたままそう問いかける。

 すると、ケティスは小さく頭を振り、そして部下の方へ向き直った。


「何も焦ることはありません。全ては総主教猊下の予定通りです。ですから、計画通りに我らは立ち上がるとしましょう」

「了解致しました。ではトミエル大統領及び民主改革運動の腐敗を正すため、我らは決起を開始します!」

「ええ、許されざる横暴を働き中央で国家を私物化する彼等、そのツケを地方に押し付けた報いをくれてやるとしましょう。私も敬愛すべき地母神セフエムの思し召しに従い、腐敗の温床たるミラニール討伐の指揮を執るとしましょう。それがこの国の軍務大臣に課せられた使命でしょうから」

 ケティスはほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべながら、はっきりとそう宣言した。

 ナポライ市民を始めとする一般の民衆と異なり、全ての事情を知る彼の部下は、そんなケティスの物言いに一瞬苦笑を浮かべる。

 だが、視線の先の表情があまりに真剣であったため、すぐに彼は佇まいを直した。


「失礼しました。す、枢機卿、もう一つご報告が」

「もう一つ? はて、何でしょうか?」

 目の前の部下の動揺をまったく気にした素振りも見せず、ケティスはニコリと微笑みながらそう問いかける。

 

「本国。いえ、トルメニアから例のものが届いております」

「ふむ、まるで謀ったかのようなタイミングですね。おそらくは総主教猊下の思し召しによるものでしょうが……それで運用は可能ですか?」

「はい。ものだけではなく、部隊も併せて送ってくださいましたので」

「部隊……もしかして銃歩兵隊ですか?」

「いえ、竜騎兵ドラグーン部隊を」

 その言葉を耳にした瞬間、初めてケティスの表情に僅かな驚きが浮かぶ。

 だが、それはあくまで一瞬のことであり、すぐに彼はその口を開いた。


「まさか総主教猊下直属の部隊が来てくださるとは、なんとありがたきことでしょう。改めて、猊下にお礼の書状を送らねばなりませんね。それではまず、早速我らが決起に参加する者たちに、銃の御指導をお願いして下さい。ただし、くれぐれも彼等がトルメニアの人間だと悟られぬように」

「了解致しました。それでは失礼致します」

 ケティスの命令を受けた部下は、再び深々と頭を下げると、そのまま部屋から立ち去る。

 そうして海辺のこの部屋に存在する者は、再びケティスただ一人となった。


「直属部隊を送りつけてくるということは、猊下も存外本気だということですか。いや、おそらくは私の監視も兼ねてでしょうが……いずれにせよ、賽は振られました。あとは神聖軍の方々が、彼の、そう油断ならぬ調停者の注意を引きつけてくださる事を祈るとしましょう。この国を、いやこの世界をあるべき姿へと正すために」





 時を同じくして、ホスヘル公国との国境を臨む位置に存在するトルメニアのフェレロリムス砦。

 砦の周辺はトルメニアの兵士により埋め尽くされており、彼らは今か今かと出陣の準備を行っている。

 一方、意気揚々と準備を行う兵士達と異なり、彼等の首脳陣が集まる砦の一室では一つの騒ぎが起こっていた。


「報告致します。キスレチン首都ミラニールでの決起は失敗した模様」

「何だと!? それは本当か?」

 キスレチン侵攻に際し、トルメニア神聖軍の参謀を務めることになっていたマフズン司教は、予期せぬ報告を受け表情を歪める。

 すると、報告を行った兵士は、険しい表情を浮かべたまま重い口を開いた。


「はい……既にクーデターは鎮圧され、関係者は次々と捕縛されておるようです」

「首都にクーデターを発生させ、連動する形で我ら神聖軍が行動を開始する。計画は完璧であったはずだ。にも関わらず……なんと情けないことだ」

 神聖軍の将軍を務めることとなったヌルザーン枢機卿は、そう口にするなり首を左右に振ると、深い溜め息を吐き出した。

 すると、長いヒゲを蓄えた隻腕の男が立ち上がる。


「やはりトミエルなどという半端者を信用したのが間違いだったのだ」

「バイラム司教、今更そんな事を言い出しても意味は無い。問題はこれからどうするかだろう」

 参謀を務めるマフズンは、バイラム司教の気持ちを理解はしたものの、早急に建設的な論議を行う事を提案する。

 そんな彼の言葉を受け、一団の長であるヌルザーンは、苦い表情を浮かべながらその口を開いた。


「こうなれば、一度撤退することも視野にいれるべきだろうな」

「て、撤退ですと? 馬鹿な、ルコンキシュタは……神地回復運動は始まったばかりですぞ。何一つ成果を上げること無く、撤退などできるものですか!」

 ヌルザーンの発言を耳にするなり、今回の派兵強硬派であったバイラムは、顔を真っ赤にする。

 だがそんな彼に向かい、派兵に対し慎重論を唱え続けてきたヌルザーンは、与えられた現実を彼に突きつけた。


「なら、あのキスレチンと正面から戦うか? 我ら神聖軍は八万とはいえ、連中の総兵力は我らを上回ろう。いたずらに信徒を犠牲にしたいというのなら、構わんが」

「む、むぅ……」

「結論は出たようだな。では、我らは帰還の――」

 バイラムが黙りこくったのをその目にしたヌルザーンは、そのまま結論を口にしようとした。

 だがそんな彼の発言を遮るものが存在した。


「少しおまちくださいますかな」

「……ユダナ助祭か。一体何かね?」

 参謀のマフズン司祭は、枢機卿の発言を遮った若いユダナに向かって険しい視線を向けると、直ちにその真意を問いただす。

 すると、血走ったかのような瞳を有する痩せこけた助祭は、口元に笑みを浮かべながらその口を開いた。


「兵をお退きになるなんてとんでもないことです。せっかく敵国がクーデターで混乱の渦中にあるというのに、これを突かぬとは……それは神意に背く行為ではないかと思いますな」

「何だと? 貴様、軍の監査役という大任を任されたにも関わらず、今の話を聞いていなかったのか? 報告にあったように、既に計画されていた王都のクーデターは失敗に終わったのだ」

 ユダナの発言を耳にするなり、マフズンは呆れたような表情を浮かべながら、そう口にする。

 だが、格上の司祭の発言を、ユダナは鼻で笑って見せた。


「ふふ、なるほど。確かに首都ミラニールでのクーデターは、無能者のトミエルくんのせいで失敗に終わりました。ですが、南部ナポライのクーデターは如何です?」

「は? なんだナポライのクーデターとは?」

 キスレチン南部の大規模都市であるナポライ。

 突然その地でのクーデターを口走ったユダナに向かい、マフズンは怪訝そうな表情を浮かべる。

 途端、ユダナは小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、いやらしい口元をゆっくりと動かした。


「おや、マフズン司祭。もしやご存じないのですか?」

「なるほど……また貴様ら真言派の秘密行動か」

 僅かに下唇を噛み、そして忌々しげにそう口にしたのは、ヌルザーン枢機卿であった。


「ふふ、自分の勉強不足を棚に上げて秘密行動などとは、まったく人聞きの悪い。それに枢機卿、真言派などというものは存在しませんよ。我らはただただ総主教猊下の指示に従う者。総主教猊下が深いお考えのもとで、その命令を伝えるべき者のみ伝えられておられる。そのどこが問題であると?」

「むぅ……だが事が今回の作戦に関わるのならば、参加する信徒のためにも、必要な情報は告げられているべきであろう」

 ユダナの発言に苛立ちを覚えた隻腕のバイラムは、総主教の威を借るキツネめと言わんばかりの表情を浮かべる。

 だがそんな彼の言葉も、ユダナは鼻で笑ってみせた。


「ふふ、必要な情報? ああ、確かにそうかもしれませんね。ですが言い換えれば、現段階まではあなた方に告げる必要がなかったと、ただそういうことでしょう」

「……もういい。貴様とここでこれ以上問答するつもりはない。それよりもナポライのクーデターとは一体何なのだ?」

 会議室内の温度が急速に高まり、バイラムが怒りを爆発させようとしたのを見て取ったヌルザーンは、機先を制する形でそう問いかける。


「ふむ……本当ならば総主教猊下のご命令無くば、貴方方にお話しすべきか悩ましいところですが、まあ良いでしょう。情報を伝えるなとのご命令もありませんでしたし。要するにですね、貴方と同格の御方が彼の国に一人おられる。その御方が少しばかり神意に従われた行動を取られようとしていると、それだけの話ですよ」

「私と同格……まさかのケティス・エステハイムか!」

 クレメア教団に存在する八人の枢機卿。

 その中で、唯一国外に居住し続けており、総主教の息の掛かった不快な男の名をヌルザーンは口にする。

 途端、ユダナはニコリと微笑むとやや芝居がかったしぐさで、その発言を肯定した。


「ご名答。彼の御方は総主教猊下の命令を受け、今頃は神意のままに兵を起こされておられることでしょう」

「実は同時多発クーデターであった……だと。もしや貴様ら、最初からトミエルたちを囮に!?」

「さて、何のことでしょうかな? まあ、枢機卿団の皆様もキスレチンに人を送り、あれこれと画策されていたようですが、結局のところ大した成果は挙げられなかった。そうなる可能性を危惧されていた偉大なる総主教猊下は、万が一に備えてもう一つ手を打っておられたと、ただそれだけのことです」

 ユダナ助祭は涼しい顔をしながら、一同の眼前でゆっくりと右の口角を吊り上げる。

 その表情を目にして、ヌルザーンは強く拳を握りしめながら、はっきりと自分たちの置かれた立場を理解した。


「そういえばトミエルに張り付かせていたクルーソンは、貴様と同じアンクワ神学校の出身だったな。もしやあいつも貴様らの!」

「はて、クルーソン。そんな者もおりましたかな? ともあれ、既に亡くなった者、そして終わったことはどうでもよいでしょう。それよりもマフズン司祭殿ではありませんが、問題はこれからどうするかだと思います。違いますかな?」

 そう口にしたユダナは、意味ありげな視線をヌルザーンへと向ける。


「……もし撤退を決断すれば、総主教猊下の名の下で、この場にいる我々の首のすげ替えをすると、そう言いたそうな表情だな」

「ふふ、そんなことはありませんよ。たぶんですがね」

「たぶん……か。貴様ら真言派のたぶんほど当てにならんものはないな」

「ヌルザーン枢機卿。繰り返しますが、真言派などというものは存在しませんよ。我らはただ――」

 いやらしい笑みを浮かべながら、肩をすくめつつ先ほどと同じ発言を繰り返しかけたユダナ。

 そんな彼の言葉を、もはや聞くに堪えぬとヌルザーンは遮る。


「もういい。貴様達の考えはわかった。ならば、我々は貴様達の思惑に乗ってやる。いや、それを上回ってみせよう。貴様達の手駒であるケティスがミラニールへとたどり着くその前に、我ら神聖軍が先に首都ミラニールを落とす」

「ふむ、結構結構。きっと我らが神も、目的のために競争心を持って邁進される皆様方を、祝福されることでしょう。ですが、一つだけご忠告を。貴方方の競争相手は何もケティス枢機卿だけではございません」

「なに?」

 突然ユダナの口から発せられた言葉の意味がわからず、ヌルザーンは眉間にしわを寄せる。

 それはその場に居合わせた軍の首脳たちもまったく同様であった。

 そんな彼等に向かい、ユダナは見下すような視線を向けながら、その口をゆっくりと開く。


「ふふ、どうやら他にも彼の地を狙っておる不敬者がおると噂を聞きますな。それも海を隔てた向こう側に。はてさて、神は誰に微笑まれることでしょうかね。願わくば、ブリトニア人などという野蛮な者たちではなく、この場におられる信心深い皆様のもとに、地母神セフエムの祝福があらんことを」

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