第22話 信仰の果てに

「本当に良かったのかい?」

 ウフェナ達の侵入を確認するなり、各国要人を彼等の下まで護衛しながら移動したアレックスは、隣に立つ大男に向かいそう問いかける。


「朱か……ふん、勘違いしてもらっては困る。私はこの自由を愛する国家に忠誠を誓う者だ。その国家の指導者がどのような宗教を信仰していようが、それは自由であり私には関係無い。そして国家のために必要とあらば、宗教の後押しをすることもやぶさかでは無い。だが――」

「それがこの自由の国を害するならば、君の敵となると。ふふ、なかなか難儀な性格をしているね、君も。ある意味、自由を守るために自由を失っている気がするけど」

 アレックスは目の前の武人の言葉を奪うような形で、そう口にする。

 だが、ウフェナの表情はピクリとも動かなかった。


「好きに言え。私は、私の選択の自由によって、私に与えられた自由の権利を国家へと捧げたのだ」

「自由を受け取らないのも、君の自由……か。ふふ、気に入ったよ。今度、この戦いが終わったら、一度手合わせしよう」

 アレックスはクスリと笑うと、彼の評価したものにしか告げぬ言葉を目の前の武人へと告げる。

 すると、謹厳な大男は初めて口元を歪ませ、一度大きく首を縦に振った。


「ふん、面白い。だがすべてが終わるまでは、戦わぬ自由を選ばせてもらう。この情勢下にもかかわらず、貴様の相手をして、体の自由を奪われるわけにはいかんからな」





「さて、チェックメイトですね。というわけで、逮捕状が出てしまっているわけですが、偶然にも乱戦の中でそのお命を失いたくなければ、降伏されませんか?」

 両腕を軽く左右に広げながら、ユイは目の前の大統領に向かいそう問いかける。

 すると、トミエルは苦々しげな表情を浮かべながら首を左右に振った。


「……ありえん。なぜこんなことが……認めん、私は認めんぞ。これは何かの間違いだ。我らクレメア教徒は神の思し召しに従って、この地上に光を照らさねばならぬのだ。にもかかわらず、こんな……く、クルーソン。すぐにザムラン枢機卿に、な……グホッ!」

 後ろを振り返りながら、第二情報部のクルーソンに向かいそう口に仕掛けたトミエルは、自らの腹に熱い衝撃を覚える。

 そして次の瞬間、彼はこみ上げてきた赤い液体を吐き出した。


「この期に及んで、ザムラン枢機卿に一体何ですか? まったくまだ我らに迷惑をかけようとするとは、これだから無能者は困ります。傀儡として使うにはちょうど良いですが、こうも無能で役立たずだと、正直補佐を命じられていた私としても、面倒が見きれませんね」

「な……貴様、何を……」

 自らの腹に突き刺さった短刀。

 それが真っ赤な液体にまみれながらクルーソンの手元にあった。

 急速に鈍る思考をいくら働かせようとも、目の前で薄ら笑いを浮かべる人物の行為を、トミエルは理解できなかった。

 だからこそ彼は、驚愕の表情を浮かべたまま、前のめりに崩れ落ちる。


「枢機卿のご命令により、貴方の魂の救済をさせて頂きました。おめでとうございます、トミエル枢機卿候補殿」

「……なるほど、トルメニアは端から使い捨てのつもりだったわけだ」

 如何に彼でも予期し得なかった眼前の出来事に、ユイは嘆息しながらそう漏らす。

 すると、クルーソンはニコリとした笑みを浮かべ、そして嬉しそうに口を開いた。


「いえ、使える間は使うつもりでしたよ。色々と知恵の回る前大統領には何度も煮え湯を飲まされていましたが、我々の提案を全て受け入れるこの男はその点においても、まさに理想的な傀儡でしたからね」

「ふぅん、ということは前回の選挙も君たちの努力が実ったと、そういうことかな?」

「否定はしませんよ。あちらの御仁のお父上が手助けをしてくださったのを、最大限活用させて頂きました。そうでもなければ、この男を擁してあのフェリアムを引きずり落とすのは難しかったでしょう」

 チラリとノインに視線を向けた後、クルーソンは右の口角を僅かに吊り上げる。


 帝国と魔法公国の戦いの折に、キスレチンの介入を阻止するため、帝国がフェリアム派へとばらまいた多額の賄賂。

 それはキスレチンの目を内へと向けさせるには十分であった。だが、その行為が最終的に引き起こしたこの顛末を前にして、最初にノインに向かい策を提案した黒髪の男は、苦い表情を浮かべながら口を開く。


「なるほど、私の視野が狭かったということかな。こうなるとわかっていれば他の手段を取るべきだったのだろうけど……ともあれだ、君たちにしてもせっかく作り上げた大事な御輿。そんな簡単に切り捨てて本当に良かったのかい?」

「おや、この状況下でこの男に未来が存在したと? まあ仮に今回の件が上手くいったとて枢機卿になれぬ身でしたけどね。となれば、余計なことを喋って神を汚す前に、大統領の肩書のまま死ぬことが出来て本人も幸福だったと言えるでしょう」

「おかしいな。確か君のところの信者は、死後は地母神セフエムのもとに送られると聞いている。なら、別に大統領なんて肩書きを失っていても、幸福は必ず訪れるものじゃないのかな?」

 クルーソンに向かって、ユイは警戒を隠さぬままそう口にする。

 一方、そんな何気ないユイの言葉に、クルーソンは怒りを隠せなかった。


「こんな俗物が、我らが神のもとに? 冗談はやめていただきたいですな。間違ってもそのようなことは口にしないでください。でないと……」

「でないと?」

「貴方のその汚らわしい口が、二度と開けなくなりますよ」

 クルーソンはそう口にするなり、空いた左手を胸元へと動かす。

 その行為を目にしたユイは、反射的に顔を左へと傾けた。

 そして次の瞬間、ほぼノーモーションで放たれたスローイングダガーが彼の頬を掠めていく。



「……躱していなければ、もう今頃喋れなくなっているよ。君もあまり気が長くないんだね」

「貴方のような汚らわしい人間と喋りますと、やむをえないところでしょう。ねぇ、調停者」

 その言葉が発せられた瞬間、ユイはすべての事情を悟る。

 そして彼は、思わず首を左右に振ると、大きなため息を吐き出した。


「はぁ……ということは、君も修正者の一味というわけか。やれやれ」

「残念ながら、私はあの方々のような世界に干渉する奇跡は起こせませんよ。あの方達を崇め尊敬する、ただの人間ですからね。できることといえば、この程度のことだけです」

 その言葉を口にするなり、クルーソンは一足飛びで間合いを詰める。

 そして右手に握った短刀をユイへと振るった。


「早い!? フェルム、下がって!」

 先ほどの投擲から、目の前の男がかなりの力量を持つとユイも予期していた。

 だがそんなユイの予想よりも、眼前の男の動きは上回っていた。だからこそ彼は、すぐそばに立つ教え子に指示を下す。


「ほう、この状況下でも、教え子を気にする余裕がありますか」

「君が私に対する餌に使おうと、彼に注意を払ったのに気付いたからね」

 短刀をユイへと向けながらも、チラチラとその視線はフェルムへ向けられている。

 もちろんクルーソンの狙いは、フェルムを利用しユイの隙をつくことにあった。

 ユイはそれに気づいたからこそ、フェルムとクルーソンの間に立つ形で、迎撃を行う。


「なるほど、やはり剣の巫女が息子に技を伝えていたという話は事実でしたか」

 わざと間合いを取らせるために放たれたユイの蹴り。

 それを止む無く黒髪の男の意図通り、大きく後ろに飛んで回避したクルーソンは、忌々しげにそう言い放つ。


「伝えていたというか、体に叩きこまれたというか……まあ、そこは議論の分かれるところだね」

 ユイは軽い口調でそう口にしながらも、その足はサイドステップを刻む。

 そして、再びノーモーションで放たれたスローイングダガーの一撃を回避すると、思わぬものをその手にして前方へと放り投げる。


「なに!?」

 クルーソンが目にした自らに迫り来る物体。それは会議で使用されていた一脚の椅子であった。

 彼は側面に飛ぶ形で慌てて回避を行う。そして同時に、彼は直感的に自らの危機を感じ取った。

 だからこそ彼は手にしていた短刀を横薙ぎに振う。


「ちっ、不意をつけたと思ったんだけどね。そううまくはいかないか」

 クルーソンの注意が投じた椅子へと移ったと感じたユイは、体を沈めながら死角に入り込む形で間合いを詰めていた。

 しかしながら、とっさに放たれたクルーソンの斬撃により、やむを得ず彼は改めて距離をとり直す。


「貴様……本当に英雄と呼ばれているのですか。この卑怯者!」

「いや、別に英雄だなんて自分で名乗ったわけではないし、何より君が卑怯と言うのはどうかと思うけど……」

 軽い口調で答えながらも、一度間合いを取り直されたが故に、ユイの表情は苦々しげなものであった。

 そんな彼に向かい、クルーソンは首を左右に振りながら言葉を漏らす。


「しかし世界への干渉権を持った上にその技量。やはりウイッラ様は貴方に敗北したのですね」

 そう口にするなり、クルーソンは目の前の黒髪の男を睨みつける。

 すると、ユイは頭を掻きながらゆっくりと否定を口にした。


「ああ、それは違う。ウイッラにとどめを刺したのは私じゃない。だからそんな目で睨むのはやめてくれないかな」

「では一体誰が?」

「彼さ」

 そのユイの言葉が発せられた瞬間、クルーソンの背筋にはゾクリとした感覚が走る。

 そして振り向いた彼は、そこに朱い悪魔を見た。


「朱だと!」

「ふふ、背中ががら空きだよ」

 そう口にした赤髪の男は、迷うことなく手にした剣を振るう。

 それは慌てて体をかばうように差し出された短刀を破壊し、そのままクルーソンの右腕を薙いだ。


「グゥッ……わ、私の右腕がぁ!」

 右腕を失ったクルーソンは、痛みと怒りで顔を真っ赤にしながら、大きく後ろに飛び退る。

 一方、アレックスはそんな彼の行為をゆうゆうと眺めやりながら、ゆっくりと口を開いた。


「まったく……ユイの悪い癖だよ。人にすぐ厄介ごとを押し付けようとするのはね」

「でも戦いに関する厄介事は嫌いじゃないだろ?」

「まあ君といれば飽きないのは事実だね」

 ユイの発言に対し、アレックスは肩をすくめながら苦笑を浮かべる。


「で、各国の要人方は?」

「ウフェナくんと彼の部下が、順に室内から脱出させている。そろそろ好きに喋っても、余計な耳は無くなったよ」

 ユイの言葉に秘められた本当の意図を察し、アレックスはそう口にする。

 すると、ユイは満足そうに大きく頷いた。


「ふむ、それは結構。というわけでさ、クルーソン君。降伏してくれないかな? それともそこの赤い髪のお兄さんを倒して、その窓から逃げるかい」

 クルーソンが常に逃走経路として、会議室に備え付けられた後方の窓を背にしながら動いていたことをユイは感づいていた。

 そしてだからこそ、その逃走経路を赤髪の男が塞ぐまで、彼は敢えて積極的な攻勢に出なかったのである。

 一方、完全に黒髪の男に絡め取られたことを知ったクルーソンは、悔しげに唇を震わせる。


「……地母神に仕えるこの私が、神を裏切って降伏などすると?」

「余り思わないけどさ、じゃあ、ここで私とアレックスを同時に相手取るかい?」

 憤怒に満ちたクルーソンの視線に対し、ユイは頭を掻きながらそれだけを口にする。

 その言葉がクルーソンの鼓膜を震わせると、彼は強く唇を噛み締め、そして


「次はない。そして貴様らに未来はない。我らに対し最初で最後の勝利、せいぜい噛み締めるのだな。我が主、地母神セフエム。今、クルーソンは貴方の御許へ参ります」

 そう口にするなり、クルーソンは残された左手で懐のスローイングダガーを握りしめる。

 そして次の瞬間、迷うことなく自らの首を切り裂いた。


 頸動脈から吹き出す朱い血しぶきが、ユイの視界を赤く染める。

 同時に一人の殉教者は床へと崩れ落ちた。


「クレメア教……か。どうも一筋縄では行かなそうだね」

 死への恐怖ではなく満足の表情を浮かべた亡骸を目にして、アレックスは首を左右に振りながらそう口にする。

 すると、彼の眼前に立つ黒髪の男は大きなため息を吐き出した。


「彼の行為を見事というのは、私の主義に反するかな。ただ彼の死に、彼が敬愛する神の御加護があるといいね。セフエムなどという名の、人によって作り上げられた神様が本当にいるとすればだけど」

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