第20話 夢と現実の狭間で

「ユイ……イスターツだと!? ほ、本物か?」

 噂に伝え聞く通りのややだらしな気な黒髪の男。

 それを目にしたホスヘル公国のコルドインは、状況の変化に驚きつつもそう問いかける。

 すると、黒髪の男は苦笑を浮かべながら、ゆっくりと頭を掻いた。


「はは、この場に及んで嘘をつく必要もありませんよ。それに何より、私がアインと名乗ってラインドル王国と行動を共にしていた事、それを他ならぬ議長殿がよくご存知のようですからね」

 ユイはそう口にすると、その視線をトミエルへと向ける。

 一転して、皆の視線を集める形となったトミエルは、忌々しげな表情を浮かべその口を開いた。


「……貴公らが帝国の皇太子とレムリアックの伯爵であること、それを仮に事実としよう。その上でだ、一体何の目的でこの場に姿を現した?」

「それはもちろん、それぞれ皆様に少しばかり用があったからですよ」

「用だと?」

 ユイの言葉を耳にするなり、クロスベニア連合のシャドヴィは食って掛かるかのように問いなおす。


「ええ。とりあえず、ノイン。まずは君の案件を先に言ってくれるかな?」

「ふっ、いいだろう。私の用件はシンプルだ。我が帝国は西方会議に参加する準備を整えている。それを貴公らに伝えに来た」

 その発言の衝撃はあまりに大きかった。


 会場内のざわ付きは一瞬で消え去ると、動揺のあまりに会場内は静まり返る。

 そうして最初に精神的な動揺から立ち直ったのは、議長であるトミエルだった。


「て、帝国が西方会議に参加だと⁉︎ 本気なのか?」

「もちろんだとも。長年、貴公らの活動を横で見ていてな、我らもこの西方の発展に寄与できると考えたわけだが……はて、何か問題がお有りかな?」

 欠片も媚びる様子を見せることなく、ノインはトミエルに向かってそう言ってのける。

 すると、そんな彼に向かってシャドヴィの怒声が浴びせられた。


「問題だらけだ! 知らんとは言わせんぞ、この会議の目的を」

「貴公のクロスベニアも参加していなかった時代の話だが、第一回会議において、この会議の目的は大陸西方に安定と平和をもたらすものだと宣言されたらしいな。となればだ、同じ目標を持つ我が国とこの会議の参加国とは、進んで手を取り合うことができると思うのだが?」

 ノインは薄ら笑いを浮かべながら、シャドヴィに対し見下すかのような視線を向ける。

 その笑みが癇に障ったシャドヴィは、苛立ちのあまり椅子から立ち上がると、ノインを指差しながら強い口調でまくし立てた。

「そんな建前はいい。はっきり言ってやろう。この会議は、西方の安定を乱す貴様ら帝国を封じ込めるために組織されたものだ。にも関わらず、この会議に貴様達が参加するということが、問題以外の何物だというのだ!」

「ふむ、我が国が敵視されていたことは実に哀しい話だな。だが、貴公の言う事をそのまま受け止めるならば、比類なく偉大な我が国一国を掣肘するために、これだけの国家が集まったというわけだ。そう思うと、誇らしくもある。だがいずれにせよ、それはすでに過去のことだ。我が国は進んで貴公らと協力し、西方の安定に寄与する意志を有している」

 室内すべての視線を一身に集めたノインは、一切怯みを見せることなく、堂々とそう告げた。

 その瞬間、会議室内は紛糾する。


 怒りのあまり怒りを隠さぬもの、ノインに向け罵詈雑言を向けるもの。そして端正な顔に苦笑を浮かべてみせるもの。

 そんなまとまりを失った会議において、最奥の議長席のそばに立つ男は、トミエルの耳元でそっと語りかける。


「大統領……そろそろ時間です」

「うむ。しかしこうなれば、好都合と見るべきかな」

「ええ。飛んで火にいる夏の虫というやつでしょう。まあ、あの男たちはまさに害虫そのものでしょうが」

 そのクルーソンの辛辣な発言に苦笑を浮かべたトミエルは、そのまま前方へと視線を向け直すと、机を一度強く叩く。

 途端、会議室内は時が止まったかのように凍りついた。


「静粛に。それでは、改めて確認させてもらうがノイン皇太子。貴公の国は本当に西方会議への参加の意志がお有りということでよろしいですな?」

「もちろんだ、大統領。先ほど、西方会議への加盟が決まったフィラメント魔法公国同様に、我が国も大陸西方に存在し、一定規模の国家という加盟条件を満たしている。しかもラインドル王国の推薦付きでな」

 先ほど認められたフィラメント魔法公国の西方会議への参加。

 それを踏まえたうえでのノインの発言に、トミエルは彼らがグルであることに確信を持つ。


 だがこの時点において、既に彼にとっては、帝国の西方会議への加入など瑣末な問題に過ぎなかった。


「なるほどなるほど。ふむ、となれば、せっかくなので貴国にも参加していただくとしましょう」

「待ってくださいトミエル大統領。帝国を、我らの敵を会議に迎えるとは冗談が過ぎます!」

 トミエルの発言を耳にしたシャドヴィは、信じられないものを見る表情を浮かべながら、強い口調でそう窘める。

 しかしそんなシャドヴィの言葉も、トミエルには嘲笑の種に過ぎなかった。


「冗談? なるほど、確かに見方によれば冗談かもしれんな」

「何、では我が国を迎える気はないと?」

「いやいや、貴国は西方会議に迎えるよ。冗談かもしれぬというのはな、そうやって貴国が入りたがっていた西方会議が、今回で最後となるからだ」

 先ほどからの見せるトミエルの明らかに普通ではない発言の対応に、会議室内にいる各国の代表者達は不信の目を向ける。

 そしてそんな彼らを代表するかのように、エインスがその言葉の意味を問いただした。


「今回で最後? 一体どういうことですか?」

「それはこういうことだよ」

 そう口にした瞬間、トミエルは軽く右手を上げる。

 途端、彼の背後の扉から、一斉に武装した兵士たちが室内へと雪崩れ込んできた。


「な、何を!? 何のおつもりですか大統領!」

 トミエルの背後に控えていたファッテソン農商大臣は、当然のことながら全く何も聞かされていなかった。それ故に、不安げな声をあげながら、状況が理解できずその場でへたり込む。

 すると、民主改革運動派内において、かつて自らの政敵と目していた男の醜態に、トミエルは愉快そうな笑みを浮かべた。そしてそのまま、入り込んできた兵士達に、彼を拘束させる。


「ふふ、ファッテソン君。実に残念なことなのだがね、君を今日限りで農商大臣を解任させてもらう。いや、全く申し訳ない」

「ふ、ふざけるのもいい加減にしてください。何のつもりかはわかりませんが、こんなことをしても、決してキスレチンの為にはなりませんぞ!」

 軍事力と各国要人という人質を用いた、大陸西方の制圧。

 それを目的だと理解したファッテソンは、必死の形相でそう叫ぶ。

 しかしそんな彼に対し、小馬鹿にするような笑みをトミエルは浮かべてみせた。


「なるほど、確かにキスレチンの為にはならぬかもしれん。だが――」

「トルメニアの為にはなる……ですか」

 部屋の入口で状況の推移を見守っていた黒髪の男は、トミエルの言葉を遮る形で、皆に向かいそう告げる。


 自らの言葉を先んじられた不快感からか、トミエルは一瞬表情をしかめた。しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべなおすと、彼は黒髪の男へと視線を向け直す。


「……六十点だ。なぜなら、トルメニアではなくクレメア教団の為にだからな。だがいずれにせよ、イスターツ。さすが貴様は嗅ぎつけていたか」

「嗅ぎつけたというよりは、腐臭が臭ってきたという方が正しいでしょうか。例えば、彼の国が既に、極秘裏にホスヘル公国の国境を侵そうとしていることなどもね」

 ユイがそう口にすると、誰よりも動揺を示したのは、当然の事ながらホスヘル公国のコルドインであった。


「ど、どういう事だ、イスターツ。貴様、今我が国の国境と言ったな」

「ええ。そうですが……何か?」

 理解できないといった様相のコルドインに対し、ユイは全くなんでもないことのように応じる。

 すると、コルドインは肥満体の体を震わせながら、強い口調で反論を口にした。


「何かではない! そんな話聞いたこともないぞ。本当にそんな動きがあれば、当然私の元に連絡が届くはずだ」

「まあ先年までならば、おそらくそうだったでしょうね」

 苦笑を浮かべたユイは、そう口にするとともに頭を掻く。

 途端、コルドインは身を乗り出してその意味を問うた。

「先年まではだと?」

「ええ。改革派と戦線派が政権を取り、貴国の国境警備に派遣している兵士達の幹部連中を、ここにいるノバミム教徒の兵士へ入れ替えるまでは……そうですよね、トミエル大統領」

 その言葉が発せられた瞬間、一同の視線はトミエルへと集中した。


「ふふふ。そのとおりだ、イスターツ。しかしそこまで知っているとは、やはり貴様は危険な男だな。のこのことこの場に姿を現してくれたことを感謝せねばならん」

「おやおや、私は荒事が嫌いなんですよ。できれば話し合いで解決しませんか?」

「模擬戦で暴れていた男のセリフとは思えんな」

 ユイの発言を耳にしたトミエルは、皮肉げにそう口にする。

 途端、ユイは軽く肩をすくめて見せた。


「あれはあなた方が強いたのではないですか。ご丁寧にクジまで細工いただいて」

「ふふ、怪しい男が、西方会議に入り込んでいたのだ。その中身が君であったという結果を踏まえれば、あれはまさに当然の処置だったというべきだろうな」

「当然ねぇ……まあ貴方の見解はわかりましたよ。それで、話し合っては頂けるのですかな?」

「冗談を。この状況で何を話しあうというのだね? 君たちに許されるのは、我らへの恭順だけだよ」

 ユイの問いかけに対し、トミエルは薄ら笑いを浮かべながらそう告げる。

 すると、ユイは頭を掻きながら呆れたように口を開いた。


「一方的な恭順をお求めとは……自由の国の大統領という肩書が虚しくなるお言葉ですね」

「大統領? ふふ、そんな古い肩書で呼ぶのはやめてもらおうか。私のことは次期枢機卿と呼んでくれたまえ」

 トミエルが引き換えとしたもの。

 彼の発言から、その場に居合わせた一同はそれを思い知ることとなった。


「クレメア教団の枢機卿という肩書は、大統領よりそんな魅力的ですか? 私には宗教などというものがさっぱり理解できないので、欠片もわかりかねる話ですが」

「ふん、イスターツ。君たちのように神を理解しようとせぬ野蛮人には、永久にわからんだろうね」

 トミエルはユイの言葉を軽く鼻で笑うと共に、首を左右に振る。

 一方、ユイは納得の行かない表情を浮かべながら再び頭を掻いた。


「理解……ねえ。少なくとも、貴方よりは神なるものを理解しているつもりですが」

「ふん。軍人ごときが偉そうに」

「いえ、今は軍人ではなく研究者ですよ」

 トミエルの発言に対し、ユイはあっさりとその誤りを訂正する。

 しかしそんな彼の言葉が発せられたタイミングで、会議場の外から激しい爆発音が伝わってきた。


「ふふ、どうやら外でも始まったようだ。貴様が無駄口をたたいている間にな」

「始まった? トミエル大統……いや、トミエル。一体、貴様たちは何をしようと企んでいるのだ?」

 もはや自国の明確な敵となった眼前の男に対し、ホスヘル公国のコルドインは、敵意を隠すことなくそう問いただした。


「企む? その言われようは心外だな。我々が行うのは、仮初ではなく本当の自由と平等への行動だよ。この決起が成れば、我らが神の下で、西方の人間は等しく真の平等を手にすることができるのだ」

「神の下で管理された自由と平等か……実に結構。ちなみに、それを拒否する自由も与えられるのでしょうか?」

「もちろんだとも、イスターツ。ただしそれは、死という肉体の束縛から開放された後に与えられる。さあ、そろそろ無駄口も終わりとしようか。これからは行動の時間だ」

 トミエルがそう口にすると、彼の背後に控えていた兵士たちは、一斉にそれぞれの武器を構え直す。

 その光景を目にして、ユイは深々と溜め息を吐き出した。


「はぁ……やはり説得は無理だったか」

「おや、説得する気なんて本当にあったのかい?」

 ユイの発言を聞きとがめたアレックスは、いつものキツネ目を細めながらそう問いかける。


「もちろんさ。それだけで済めば、余った時間で昼寝できるだろ。ともかく、アレックス。君には旧キエメルテ系の代表者達を任せていいかな?」

「ああ、いいよ。任されよう」

 今や何の肩書もない男からの依頼を、クラリス王国の陸軍省次官はあっさりと受け入れる。

 すると黒髪の男は、その視線をドレスに身を包みながら不敵な笑みを浮かべる女性と、早くも自らの愛剣を構える壮年の男へと向けた。


「さて、非戦闘員のことはこれでいいとして、ノインとナーニャ。君たちは偉い人なんだから、間違っても前に出て暴れないように」

「はっ、舐められたものだな。俺は俺の好きな様にやる。それはこの女も同様だろう」

「当然だ。隊長もしばらく会わないうちに、ずいぶん柔いことを言うようになったものだね。くだらない猫をかぶらされてフラストレーションも溜まってるんだ。今暴れないで、何時暴れるっていうんだい?」

 いつの間にかナイフで自らのロングドレスの裾をひざ上で切り落とし、スラリと伸びた肢体を晒したナーニャは、先程までとは全く異なる口調でそう言い放つ。

 一方、そんな二人の発言を耳にしたユイは、頭を抱えながら大きな溜め息を一つ吐き出した。


「全く君たちは……まあいい。あとエインス。君は出来る限り奮闘して、敵の数を減らすように」

「ちょ、ちょっと待って下さい。久々の再会なのに、やたら僕だけ扱いが適当じゃないですか。それに僕だって大公になったんですよ!」

「いや、そこの二人は皇族と国のトップだし……それと比べると、大公なんて所詮中間管理職だろ。というわけで、キリキリ働いてくれ」

 発せられた抗議の声を、ユイはあっさりと切り捨てる。

 そんな二人のやり取りを目の当たりにして、アレックスは思わず苦笑を浮かべた。


「ふふ。相変わらずだね、君は。さて、クレメア教徒の皆さん方も少しずつ包囲を縮めてきたことだし、模擬戦なんかじゃない、本当の戦いを楽しむとしようか」

 赤髪の男はそう口にした瞬間、前方に駆け出すと、コルドインに迫ろうとしていた兵士を一閃のもとに切り伏せる。


 会議室内に迸る紅い血しぶき。

 ここに混乱と狂騒の戦いの幕は上がった。

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