第19話 ユイ・イスターツ

「それでは、来年度以降の各国関税に関する取り決めは以上で異議はありませんかな?」

 そう口にすると、議長を務めるキスレチンのトミエル大統領は、会議室内の人間をぐるりと見回す。

 そして、誰からも発言や挙手がないことを確認すると満足気に微笑んだ。


「さて、これで基本的には予定していた全ての案件の採決は終了したわけだ」

「それでは、トミエル大統領。そろそろ本題に移るとしましょうか」

 魔石に関する案件を除きこれまでもほぼ連日そうであったが、本日の議事進行は全て各国官僚が事前に打ち合わせた通りのものであった。

 だからこそ、ただ確認して了承するだけという退屈な会議に飽き飽きしていたクロスベニア連合のシャドヴィは、すみやかに会議を終了させようとトミエルを急かした。


 あからさまに内心が垣間見えるその発言を受けて、トミエルは苦笑すると、わかったとばかりに大きく頷く。

 しかし、そんな折に思わぬ方向から予期せぬ声が発せられた。


「少しお待ちいただけますでしょうか?」

 その会議に出席していた各国の代表と背後に控える部下たちは、一斉に声の主へと視線を向ける。

 そして彼等はすぐに、僅かにくすんだ金髪の青年をその視界に収めた。


「はて、カイラ王。一体何かな? 予定では、残すは協定案の締結だけの筈だが」

 面倒事を嫌うシャドヴィは、議長であるトミエルより早く、苛立たしげな声をカイルへと向ける。

 すると、カイルは苦笑を浮かべながら、申し訳無さそうにその口を開いた。


「ええ。それは理解しております。ですが、その前に我がラインドルから一件緊急の提案がございまして」

「緊急の提案……そのような話は聞いていないが」

 議長であるトミエルは、眉間にしわを寄せながら、そう口にする。

 それは他の各国の代表も同様であり、その場にいる者たちは揃って怪訝そうな表情を浮かべた。


「申し訳ありません。確かに予定にはないのですが、それ故に緊急というわけです。流石にあらかじめわかっているものならば、もちろん事前に皆様に提示させて頂きますので」

「ふむ。まあとりあえず、提案なるものを教えてもらえますかな?」

「はい。確か十六年前の事ですか。第四回の西方会議にて、一つの決議がなされました。その御蔭で、我らはホスヘル公国と言う代え難い友人を、この会議に招くことができました。そうですよね?」

 トミエルの問いを受けて、カイルは柔らかい笑みを浮かべながらそう口にする。

 一方、自国の名を上げられたホスヘル公国のコルドインは、顎に手を当てながら、青年の発言を肯定した。


「……ええ。我が国は第四回会議において、各国の同意を頂き皆様方の仲間となりました。しかし、それがどうかしましたかな?」

「はい。それでですが、実はこの会議の仲間になりたいと私に紹介を希望された方がおりまして。その方を今からこの場にお招きしたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

「紹介だと……一体どこの国だね。既に西方の主だったものはこの会議には

参加しているはずだが?」

 議長であるトミエルは、ざわつき始めた皆を制するよう、代表してカイルに疑問をぶつける。


「実はこちらの方です。ナーニャ・ディオラム代表、どうぞお入り下さい」

 カイルは会議室の扉に向けて、そう声を上げる。

 すると、ゆっくりと開かれた扉の外から、群青色の清楚なドレスに身を包んだ妖艶な赤髪の美女がその姿を現した。


「皆様、初めまして。フィラメント魔法公国の魔法王代理を勤めておりますナーニャ・ディオラムと申します」

 非の打ち所のない美貌と、そして柔らかく優雅な微笑み。

 その姿を目にした各国の代表は、若干の例外を除き、あっという間に彼女の姿に目を奪われてしまった。


「こ、これはフィラメントの魔法王殿でありますか」

「先程も名乗らせて頂きましたとおり、正確には代理でございます。西方で最大規模の会議ということで、我が国も以前から参加させて頂きたいと思っておりました。そこで今回、カイラ王にお願いしこの場に参らせて頂いた次第です。やはりご迷惑だったでしょうか?」

 思わぬ事態に動揺するトミエルに対し、ナーニャはその表情を曇らせながらうつむき加減にそう口にする。

 途端、トミエルは慌てて首を左右に振った。


「いえいえ、そんな。貴国も我ら同様に大陸西方の仲間です。迷惑だなんて、そんなことはございませんよ」

「本当ですか。ありがとうございます、トミエル様。それでは、我が国も西方会議の一員に加えて頂けますのね」

「いや……それは私の一存だけでは決めかねるところでして」

 ナーニャの柔らかい笑みを向けられ、トミエルは困り果てた表情を浮かべながらも、どうにか明言を避ける。

 するとそのタイミングで、カイルが二人に対し言葉を差し挟んだ。


「どうです、トミエル大統領。この場で決議を行いませんか? 確か第四回会議の際は、会議初日に貴国が緊急提案をされ、ホスヘル公国を私達の仲間へと迎えました。ご存知のように、フィラメント魔法公国はその規模や場所の事も含め、十分に参加する資格を有していると思うのですが」

 そのカイルの言葉と表情は、非常に穏やかなものであった。だが、その内容自体は、会議室内のものを動揺させるに十分であった。

 たちまち室内のいたるところで、慌てて代表とその頭脳とも呼べる部下たちが小声で密談を開始する。


 このままでは容易に収拾がつかぬ状況。

 そんな折に、これまで発言を控えていたとある国家の代表が、ゆっくりと立ち上がるとともに、迷いのない言葉を発した。 


「我が国は大いに賛成です。緊急提案での前例もあることですし、十分に参加条件を満たしておられると考える次第です。是非、私達の仲間として、フィラメント魔法公国をお迎えしたいと思います」

 若き美男子の理路整然としたその発言が会議室内に響くと、思わず各国の代表者達は押し黙り相互の表情を探りあう。そして自然と、皆の視線は議長であるトミエルへと向けられた。

 会議室内の視線を一身に集めることになった大統領は、背後に控える部下に向かって小声で問いかける。


「ファッテソン君……君はどう思う?」

「確かに前例はございます。ですが、気をつけなければならないのはこれが何を目的としたものかということです」

 農商大臣のファッテソンは、声を潜めながらそう注進を行う。

 すると、トミエルも全く同意見だとばかりに一つうなずき、そして改めて口を開いた。


「このタイミングでの会議への参加……となると、実質は協定案だけへの参加だ。対帝国という観点から見て、奴らが何かを企てている可能性はあるか?」

「そこまではわかりません。ただ、参加を希望している魔法公国を始め、歓迎しているクラリスも帝国とは隣り合わせの状況。少なくとも、我らの力を必要としていることは事実ですが……」

 そこまで口にしたところで、ファッテソンは言葉を濁す。

 すると、護衛を兼ねて背後に控えていたクルーソンが、ファッテソンにも聞こえぬよう、トミエルの耳元で囁いた。


「大統領。協定案に関しましては、ラインドル達の三カ国が何か良からぬ企みをしようと、所詮は半数で過半数を占めることはありません。ですので、問題はないかと。採決で同数となれば議長国権限で協定を決定できますし、何より例の作戦が決行されれば、もはや協定など何の意味も持たないのです。ここはそのまま受け入れて構わないかと」

 そのクルーソンの言葉は、明らかにトミエルに対し、一つの方向性を指し示すものであった。

 そしてだからこそ、トミエルはニコリと微笑むと、会議室内の一同に向かい語りかける。


「おまたせした。以前にも例のあることであるし、我が国はこの申し出を受け入れたいと思う。どなたか異論のある方はおられるかな?」

 その問いかけは、少なくとも旧キエメルテ系の二カ国に対して、発言を許さないことと同義であった。

 そして残りのラインドル及びクラリスが賛成である以上、ここにフィラメント魔法公国の西方会議参加は決定される。


「ディオラム殿。この場に参加した一同、西方のさらなる発展のため、貴国の参加を歓迎します」

「本当ですか。ありがとうございます、トミエル大統領。そして各国の皆様」

 ナーニャはそう口にすると、一同に向かい恭しく頭を下げる。

 途端、各国の代表たちから魔法公国の美女に向かって拍手が巻き起こった。


「この通り、皆も歓迎しております。どうぞすぐに椅子を用意させます故、しばしお待ち下さい」

「ああ、すいません。椅子が運ばれるとのことで、その前にもう一つだけよろしいでしょうか?」

 トミエルの指示が発せられるとほぼ時を同じくして、カイルは席から立ち上がると一同を見回した上で言葉を発する。


「一体何かな、カイラ王。更に会議の進行を遅らせるつもりかね?」

 ナーニャの美貌に気を取られ、彼女に視線を固定化していたシャドヴィは、再び面倒事を言い出そうとするカイルに対して不快感を露わにする。


「ああ、申し訳ありません。ただ先程ひとつ言いそびれた事がありまして」

「言いそびれたこと? 一体、何かね?」

 カイルの発言を耳にしたトミエルは、首を傾げながらそう問いかける。

 すると、カイルは苦笑を浮かべながら、先ほど敢えて口にしなかったことを皆に向かって告げた。


「実はこの会議への参加に関する紹介を求められたのは、もう一方いらっしゃるのです」

「もう一方だと?」

「ええ。こちらの方なのですが……どうぞお入り下さい」

 カイルが再び部屋の外に向かってそう口にする。

 そうして室内のすべての視線が集められた扉からは、ドミノマスクをつけた金髪の男性が姿を現した。


「アイン・ゴッチ! この男はお前のところの護衛ではないか。護衛を紹介する意味がどこにあるというのだ」

 この会議場は、各国の代表が集う場であった。

 それ故に、そんな場に一介の護衛を堂々と紹介し、時間を浪費させることにシャドヴィは苛立ちを見せる。


 しかし、そんな彼とは異なる反応を示したものがいた。

 この会議の議長、トミエル大統領である。


「カイラ国王。既に私どもも、お入りになられた仮面の方がどなたであるか、その調査を終えております。その上で、こちらの方をこの場所へお招きされたと、そう考えてよろしいのですかな?」

「おや、ご存知だったのですか?」

 射すくめるようなトミエルの言葉を受け、カイルはややわざとらしく驚きを見せると、逆に問い返す。

 すると、軽く鼻息を立てた後に、苦笑を浮かべながらトミエルは言葉を返した。


「ええ。既に市内はその噂で持ちきりですし、何より我が国の情報部は優秀にて、仮面の奥の素顔を正確に把握しております。しかし、カイラ王。いくら伯爵領を経営されておられるとは言え、彼の地はあくまでもクラリスの一部。残念ながら、伯爵殿が代表としてこの会議に参加する資格はありませんな」

「ほう、トミエル大統領。この私に関し、貴公は随分お詳しいつもりのようだ。ふん、とはいえこの私を伯爵などと言われるとは、あまりに見くびられたものだがな」

「な、何……一体、どういうことですかな、レムリアック伯爵殿?」

 仮面から覗く口元から発せられた低い声。

 それを耳にするなり、トミエルは怪訝そうな表情を浮かべながら、その中の人物の肩書と考えうるものを口にする。


 しかし、そんな彼の言葉は、仮面の男によって鼻で笑われることとなった。彼は口元を軽く歪めると、不敵な笑みを浮かべたまま顔につけたマスクに手をかける。


「さて、ナーニャと朱を除けば、この場にいる諸君には初めてお目にかかる」

 そう口にすると、男はマスクと金髪のかつらを取り外す。

 そこから現れたのは、銀色の髪を有する威厳に満ち溢れた壮年の顔であった。


「き、貴様は誰だ?」

 伝え聞くある人物の容貌とは全く異なる目の前の男。

 それを目の当たりにして、言い知れぬ不安を覚えたシャドヴィは、その名を問う。

 すると、銀髪の壮年は薄く笑い、そしてまさに敵地ど真ん中と呼ぶべきこの場所で、隠すことなく堂々と自らの名を名乗った。


「レンド帝国皇太子、そして次期皇帝のノイン・フォン・ケルムだ。皆の者、以後よろしく頼む」

 言うなれば宿敵ばかりの集まったこの会議室において、ノインは一切怯みを見せることなく、そう口にする。

 その胆力を目の当たりにして、トミエルは狼狽するとともに、彼をこの場に招き入れたカイラを糾弾した。


「て、帝国の皇太子だと!? カイラ国王。貴様、帝国の人間を呼ぶとは、一体どういうつもりだ!」

「いえ、申し訳ありませんが、僕がこの地に招いたわけではありません。まあ、確かに頼まれて皆さんに紹介したのは事実ですが……一応、そこは勘違いなさらないで下さい」

「では、一体誰が帝国の人間などを招いたというのだね?」

 まったく要領の得ないカイルの言い訳を耳にして、顔を真っ赤にしたトミエルは、続けざまにそう問いかける。

 その言葉に対し回答を口にしたのは、嬉しそうな笑みを浮かべるノインであった。


「大統領。彼の言っていることは真実だ。何しろ、この私を呼んだのはそこで呆けている間抜け面の男だからな」

 彼はそう口にすると、右手の親指で彼が入ってきた扉の入り口を指し示した。

 一瞬で、会議内にいる者の視線が集中する。

 そんな彼等の視線の先、そこにはいつの間にか締められた扉にもたれかかる、黒髪の男性の姿があった。


「こんな公の場で人を紹介するというのにさ、間抜け面っていうのはちょっとひどくないかい、ノイン」

 皆の視線を一心に集めた黒髪の男は、苦笑を浮かべながら頭を掻く。

 一方、その場に佇む黒髪の男の姿を目にしたトミエルは、口元を歪ませながら、思わず漏らすかのように彼に向かって問いを口にした。



「お、お前こそが……」

 すると、黒髪の男は頭を掻いていた右手をゆっくりと下ろす。

 そして一同に向かい、この場の空気に不釣り合いな笑みをゆうゆうと浮かべてみせた。


「どうも初めまして大統領、そして各国の皆様。自己紹介させて頂きます。私の名は……ユイ・イスターツと申します」


 この日、この時、そしてこの瞬間、英雄が歴史の表舞台に再びその姿を表した。

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