第18話 それぞれの前夜

 日も暮れて薄暗くなったミラニールの大通りを、前後に少なからぬ護衛をつけた一台の馬車が走る。

 その厳重に警戒された馬車は二人の人物を乗せ、西方会議の開かれている国立会議場からの帰路にあった。


「ふふ、疲れているようだね」

 背もたれに背中を預けたままぐったりとした表情を浮かべる青年に向かい、赤髪の男はそう声を掛ける。

 すると青年は、苦笑を浮かべながらゆっくりと首を左右に振った。


「否定はしません。いくら下交渉が終わっていたとはいえ、各国ともに土壇場まで揺さぶりに来ますからね」

「ふふ、でもそれは君も同じだろ。今日の魔石関税に対する恫喝、あれは悪くなかった」

 アレックスはそう口にすると、日中のとある出来事を思い起こす。


 下交渉で確定していた関税額を突然引き上げると表明してきた旧キエメルテ系の各国代表団に対し、毅然として啖呵を切ったエインスの姿。

 それは彼をして、頼もしいと思うに値するものであった。


「魔石事業に関しては、前回の西方会議が開かれた八年前と、全く状況が異なりますからね。レムリアックの生産が軌道に乗ってきたことで、現在の我が国は西方で最大の魔石産出国です。その認識を皆さんに正しく持って頂こうと、少しアピールしたに過ぎませんよ」

「ふふ、少しだけ……ね。まあ、当人の認識はどちらでも構わないか。大事なのは引き出された結果だけさ。少なくとも、彼ならそう言うだろうね」

 軽く両手を広げながら、アレックスはそう口にする。

 すると、エインスはやや前のめりの姿勢となり、小さな声で一つの問いを放つ。


「ところでアレックス先輩。あの人は何をされるおつもりなのですか?」

「ふふ、気になるかい?」

 エインスの問いかけを受けて、赤髪の男は意味ありげに笑う。

 その笑みを目にした瞬間、やはりとばかりにエインスは自らの問いが正しいものであったと理解した。


「そりゃあまあ……もちろん、クラリスのことは任されたつもりです。その上で、我が国に関わりうることなら知っておきたいのですよ。ほぼ間違いなく、あの人は何かやらかすおつもりでしょう?」

「ほぼ間違いなく……か。どうしてそう思うのかな?」

「市中の噂ですよ。あれが流布したタイミングがあまりに奇妙過ぎます。あの噂が流れたから、あの人がカイラ王と一緒に行動しなくなったのならわかるんです。ですが、あの人がいつの間にかカイラ王の護衛から外れ、そしてその後に噂が流れ始めた。普通ならば順番が逆でしょう」

 先日とある仮面の男は、ミラニールの大通りで襲撃を受けるという騒動を起こしている。だからこそ、仮面の男が噂の存在を知った後に、リスクを考えてカイラ王の側から身をおいたのならば筋が通るとエインスは考えていた。


 だが、実際に仮面の男がカイラ王の護衛から外れたのは、噂が広がるよりも前のことである。

 もちろん偶然やたまたまという可能性も否定できない。

 たが、仮面の奥の人物を知るが故に、エインスの脳裏からはそのような可能性は排除されていた。


「ふむ。面白い視点だね。で、君が出した結論は、彼が意図的に流したというところかな?」

「はい、それだと辻褄が合います。つまりあの噂は、何らかの目的であの人が市中に流させたというわけです。ではその目的とは何かということですが……残念ながら僕の手元にある情報だけでは、ちょっと思いつきません。ですので、知っていそうなもう一人の先輩に尋ねてみたわけです」

 目の前の男のいつもと変わらぬ笑みを目にして、エインスは彼が全ての事実を聞かされているとここに確信する。

 一方、見透かされたと判断したアレックスは、軽く肩をすくめてみせた。


「ふふ、わからないことを素直に部下に尋ねられるというのは、君の得難き資質かもしれないね」

「部下と言っても、尋ねる相手は他でもないアレックス先輩ですからね。資質と言って良いかには疑問符がつきますが……ともかく、その返答だとやはり全てをご存知のようですね」

「全てではないさ、あくまで要点だけ。君も知っての通り、彼はあの通りのめんどくさがり屋だからね。ともかく、彼からは君には伝えるなと言われてはいない。というわけで、本当に聞きたいかい?」

 ニコリと微笑みながら、アレックスは眼前の青年に向かって問いかける。

 すると、間髪入れることなく、エインスは首を縦に振った。


「もちろんです」

「要するにだ、彼は注目を集めようとしているのさ。本当に隠したいものから目をそらさせるためにね」

「本当に隠したいもの?」

 アレックスの口にした言葉を受け、エインスはそのまま問い返す。


「ああ。一人は君も良く知る女性。そしてもう一人は君の会ったことのない男性。そんな二人のゲストを秘密裏に、そして安全に招くための策さ。全ては明日のためのね」

「ということは、あの人の狙いは……」

 そこまで口にしたところで、エインスは思わずつばを飲み込む。

 すると、そんな彼に向かって、アレックスははっきりと明言した。


「そう、彼の狙いはただ一つ。最終日に表明される協定案ただひとつさ」





「大統領。クルーソンです。今、よろしいでしょうか?」

「ああ。入り給え」

 疲労のため椅子にもたれ込んでしまっていたトミエルは、ノックの後に廊下から発せられた声を耳にして、渋々体を起こす。

 すると、その声と顔色から疲労の色を見て取ったクルーソンは、すまなそうに頭を下げた。


「お疲れのところ申し訳ありません。例の男に関しまして、ほぼ確証が取れました。そのご報告にと思いまして」

「ほう、それでどうだった?」

 先程までぐったりした表情を浮かべていたトミエルは、その内容を耳にするなり興味深そうに姿勢を正す。

 すると、直ちにクルーソンは返答を口にした。


「はい。大方の予想通り、仮面の男の中身は例の男です」

「やはり噂通り……か。しかし、どうしてわかった?」

「フォックスのところに送り込んでいた諜報員から、奴が一振りの刀の修繕を依頼されたと連絡がありまして」

 その回答を耳にしたトミエルは僅かに首を傾げる。そして彼は、かつて東方の珍しい展示物として、反りのある剣を目にした際の記憶を蘇らせた。


「刀……ああ、確か東方の剣だったな。そういえば、奴が好んで東方の剣を扱うということは、話に聞いたことがある」

「はい。そして先日の模擬戦において奴が刀を用いなかったのも、これで説明がつくかと思われます」

「なるほどな。つまり使いたくても、刀を使える状況ではなかったと、そういうことか」

「あくまで情況証拠からの類推ですので、確証はありませんが……」

 トミエルの示した見解に対し、その可能性が高いと考えていたクルーソンは、小さく頷く。


「しかし、中身があの男ならば、やはり先日始末できなかったのは痛いな」

「申し訳ありません。虚をつけたと思ったのですが、まさか同盟派の本部に逃げこむとは……」

 子飼いの部下たちがリスクを覚悟で行った襲撃。

 しかしその結果は惨憺たるものである。

 彼にとってせめてもの救いは、仮面の男によって昏倒された部下を回収することができた一点のみであった。


「まあこぼれたミルクを嘆いても仕方あるまい。明日の最終日までに、奴を排除しておきたかったのは山々ではある。だが、こうなれば他国の馬鹿どもと一緒に消し去る他ないだろう」

「はい。ただこれで、朱と英雄を同時に相手取らねばならぬ可能性があります。その為、予定より多くの人員を会議場へ振り分けさせて頂ければと考えております」

 そのクルーソンの提案を受けて、トミエルは顎に手を当てる。そしてそのまま、一つの確認を口にした。


「それは構わん。だが、どの部隊を削るというのかね」

「治安維持部隊の本部制圧に割く予定だった兵士を、若干削ろうかと」

 クルーソンの回答を受けて、トミエルは眉間にしわを寄せる。


「何? 連中こそ、警戒すべき対象だと思うが?」

「はい、それは今も変わりありません。ですが治安維持部隊、その中でも最も警戒すべき警備部の人間が腑抜けておりますので」

「警備部……なるほどウフェナのことか」

 先日の失態を機に、自らの警備主任から外した男の名をトミエルは口にする。

 すると、クルーソンはそのとおりとばかりに大きくうなずいた。


「はい。先日の敗北がよほど応えたようで、警備主任を外されて以降、本部の自室に引きこもっているようです」

「あの図体に似合わぬほど意外に細やかな男だからな。まあ、わからんでもないか」

「色んな者が心配して、見舞いに訪ねておるようです。ですが、それでも全く変わる様子はないと」

 政府の閣僚であるハムゼや、野党の党首であるフェリアムなど、この国の要人と呼べる人物が、この国の英傑を励ますために部屋を訪ねている。

 しかしながら、それらの励ましもまったく効果が見られることはなく、依然としてウフェナは自室にて塞ぎこんでしまっていた。


「ふん、不甲斐ない話だ。だが結果としてみれば、やつを取り込まなくてよかったということか」

「ですな。第一、所詮あの男は我らの神を理解できぬ者。例え能力的に優れていたとしても、我ら神の使徒に加えるにはふさわしくない人物です」

 この国でも有数の実力を有していると認めていたからこそ、いずれクレメア教に改宗させることを前提として、手元においていた駒。

 それがウフェナ・バルデスである。

 しかしながら、その実力に陰りが認められた以上、特別扱いをする必要性は微塵も存在しなかった。


「まあ、あの実力が惜しいからこそと思ってはいたが……しかし如何にあの男が相手とはいえ、無手の前に敗北するようでは、今更拘泥する必要もあるまい」

「ええ、私も同意見です。その上で、塞ぎこんだ男たちに向けて、必要以上に戦力を割くのは無駄というもの。もちろん決して弱兵ではないため、油断ならないことは事実でしょうが」

 ウフェナがその実力を十全に発揮すれば、脅威となり得ることは明白ではあった。しかしそれはあくまで適切に状況を把握し、他のものと連携して行動した場合に限定される。

 個人として如何に強かろうとも、たった一人では朱でもない限り脅威となりえぬ。それがクルーソンの出した結論であった。


「そうだな。いずれにせよ、用件は理解した。その辺りは君の良いようにしてくれて構わない。大事なことは、全てを根こそぎ片付ける事にあるのだからな」

「了解いたしております。それでは、私は明日の準備がございますのでこれにて」

 そう口にすると、クルーソンは軽く頭を下げるとともに部屋から退室していく。

 そうして部屋に残されたトミエルは、天井を見上げると、感慨深げに呟いた。


「魔法などという忌まわしき邪術に心奪われた異教徒共を、ようやく駆逐するその日が来たか。このキスレチンを神へと捧げ、そして西方をユリの花で埋め尽くすまさにその時が……な」





「おや、君か……ということは、あの二人は無事ついたようだね」

 与えられた個室の窓辺からミラニールの夜景を眺めていた黒髪の男は、ゆっくりと部屋の入口に向かい視線を動かすと、音も立てず中に入ってきた女性に向かってそう口にする。

 すると、表情一つ変えることなく、やや皮肉げな口調で彼女は言葉を返した。


「ええ。誰かさんが市内の監視の目を一手に引き受けてくれたおかげで、易々とね」

「それは結構。私の努力も報われたというわけだ」

 アインは苦笑を浮かべながら、両手を左右に広げる。

 一方、そんな彼の言動に対し、クレハは僅かに眉をひそめた。


「案外監視されるのを楽しんでいたんじゃないの?」

「はは、人から見られるのを好むような趣味はないさ。残念ながらね。で、彼には引き継いでくれたかい?」

 一度首を左右に振ったアインは、そのまま彼女に向かって一つの確認を行う。


「本当にあの子でよかったの? 二人を前にして、見るからにガチガチだったけど」

「それもいい経験さ。彼にはこれからのラインドルを担ってもらわなければならないからね」

 そのアインが口にした言葉。

 それを耳にした瞬間、クレハは一瞬だけ納得したかのような表情を浮かべた。


「それがあの子を抜擢した理由なのね。もしかしてラインドルへの置き土産のつもり?」

「ラインドルには……カイルには世話になったからね」

 それは紛うことなく、アインの本心であった。


 通常ならばとても頼める類ではない願い。


 それを快く引き受けてくれたかつての戦友に対し、彼は深い感謝の念を抱いていた。

 一方、そんな彼の内心を理解しつつも、クレハは努めて現実的なリスクに懸念を示す。


「まあ、貴方が何を考えていようと、彼が仕事さえこなしてくれればいいのだけど……」

「それは安心してくれ。基本的にはとても優秀な子さ」

 もちろん決して十分な期間といえるものではなかった。

 だが、その間に教えておきたかったことの骨子は、可能な限りを伝えることができたと彼は自負している。

 そのわずかばかりの満足感が伝わったのか、それ以上フェルムのことへの言及をクレハは行わなかった。


「……そう。じゃあ、そういうことにしておいてあげる」

「ああ。あと明日の彼等に対する備えだけど、フェリアムさんの方も支障ないと連絡があったよ」

「あの男の件も?」

 明日の予期されうる事変において、まさにキーマンの一人と目される人物。

 元々の繋がりから、必要があれば暗殺を考えねばならないと思っていたクレハは、確認するようにそうといかける。


「ああ。協力の同意は取れたそうだ」

「ふぅん。でも油断しないほうがいいわ」

「わかっているよ。でも、大丈夫さ。一度かわした約束をやぶるような人じゃないからね」

 クレハが懸念するのもやむを得ないと考えていたアインは、頭を掻きながらそう補足する。

 すると、小さな溜め息を吐き出すとともに、彼女はそのまま入口の扉へと歩みだした。


「そう……じゃあ私は行くわ」

「ああ。ありがとうクレハ」

「お礼をいうのは、まだ早いわ。事が全て済んでからにしなさい」

 扉に手をかけたクレハは、後ろを振り返ることなくそう言い放つ。

 そんな彼女の背中に向かって、アインは改めて感謝の念を込めて言葉を紡いだ。


「そうかな……でも、君には迷惑をかけっぱなしだからね」

 彼がそう口にしている間にも、小柄な黒髪の女性の姿は、扉の向こうに消えていった。


 しかし彼は誰よりも深く一つのことを理解していた。

 最も長い付き合いであり、無愛想に見える彼女が、誰よりも照れ屋であるということを。


 そして扉が完全に閉められたところで、アインはゆっくりと自らの執務机に歩み寄る。そして、机の上に置かれた一枚のドミノマスクをゆっくりと手に取った。


「さて、彼等同様に私も打てる手はすべて打った。今となっては名残惜しいけど、こいつを使うのも明日で最後かな。そしてアインという、この懐かしい名前も……ね」

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