第16話 白昼堂々

「今日はやけにお客さんが多いようだね」

 ゆっくりと大通りを進む馬車の窓から、視線を外へと向けたアインは苦笑混じりにそう呟く。

 すると、向かいの席に腰掛けていた青年は、当然だとばかりに溜め息を吐き出した。


「もはや公然の事実と化していますからね。先生の正体が」

「ふむ。となれば、思ったより順調というところかな」

 フェルムの返答を受けて、アインはニコリと微笑む。

 そんな彼の微笑みを、大通りの至る所に配置された各国の諜報員達は、神妙な面持ちで監視していた。


 北のサルヴァツァの街から戻って以降、アインへと向けられる視線は尋常な数ではない。

 もちろんそれは、その正体の確認を命じられている者たちの視線が中心ではあった。だが現在、仮面を付ける彼に向けられる視線は、好奇心を抱く一般市民のものも少なくないのが実情である。


 つまり自分たちの誇る英傑を倒した仮面の男がとある英雄であるかどうか、それは彼の正体の噂を耳にした者たちにとって共通となる興味と疑念であった。

 もちろん一般の市民たちがこれほど強い関心を抱くのは、この噂はある意味、彼等にとっての慰めとなるものであるからである。


 何故ならば、彼等の誇る英傑がどこぞの馬の骨に敗北したというよりも、高名な英雄に敗北したという方が、先日の戦いの結果を納得できるというのが彼等の一致する心境であった。それ故に、市中で広まりつつある噂は、この情報を意図的に流した当人たちの考えている以上の早さで、順調に広がりを見せつつある。


「で、今日のおでかけはどちらへ?」

「差し当たって、どこでもいいんだけどね。どうせなら人目のつきやすいところがいいからさ、西方会議の開かれているミラニール国立会議場へ向かってくれとバールさんには頼んでいる」

 アインはそう答えると、前方の白髪の御者を指さす。

 一方、フェルムはその仕草ではなく彼の発言に対し、呆れたように言葉を漏らした。


「どこでもいいって……」

「はは、まあ本当にどこでもいいわけではないけどさ。大事なことは、彼等を引き連れて市内をうろつくことだけだからね。それならば、より注目度の大きい所に行くほうが遥かに……ん!?」

 両手を広げながらフェルムに向かいそう口にしかかったところで、アインは右手の視界の端に、キラリとした輝きが生まれたことに気がつく。

 途端、彼は前方の御者に向かって叫んだ。


「バールさん、今すぐ手綱を放り出して左手に飛べ!」

 突然のアインの叫びに馬車内にいたフェルムはもちろん、突然の命令に御者も驚きを見せる。

 だが次の瞬間、馬車の横っ腹に炎の弾丸が直撃した。


 なぎ倒され発火する馬車。

 突然の事態に暴れだす馬。


 そしてフェルムの首根っこを掴み、間一髪で外へ飛び出す仮面の男。


「ちっ、油断していた。まさかこんな人通りの多い街中で仕掛けてくるとは」

 バランスを崩しながらも、青年を掴んだままどうにか着地したアインは、すぐに御者を確認しようと周囲を見回す。

 すると、路上に投げ出されながらも、どうにか起き上がろうとしている白髪の壮年を視界に捉え、彼はその名を叫んだ。


「バールさん!」

 未だ何が起こったのか理解できず、オロオロしているフェルムの肩をポンと叩くなり、アインはそのまま御者の下へと駆け出す。

 しかし今度は左手の方向から、彼に向かって一つの物体が高速で襲いかかった。


「ちっ、襲撃者は複数か!」

 自らの頭部めがけて放たれた矢。

 姿勢を沈めることで、その矢をぎりぎり回避すると、彼は舌打ちを一つする。そして慌てて駆け寄ってきたフェルムへと視線を走らせ、彼はその口を開いた。


「襲撃者以外の監視者も混じっているから、敵が判別しづらいな。その上、大通りではさすがに死角がなさすぎる。フェルム、とりあえずここから逃げるとしようか。というわけで、その角を左に曲がると、一区画向こうに白い大きな建物が見える。君はそこへバールさんを誘導してくれ」

「白い大きな建物ですね?」

「ああ、それが同盟派の本部さ。あそこなら、この国の軍が警備をしているから、彼等も流石に手を出せないだろう」

 そう口にしながら、以前フェリアムを訪ねた際に、フェルムも連れておくべきだったとアインは後悔していた。

 一方、アインの命を受けたフェルムは、頷くとともに一つの問いを放つ。


「分かりました! でも、先生は?」

「ほんの少しだけ、ここで時間を稼ぐ」

「で、ですが!」

 アインの言葉を耳にするなり、それが誰と誰のためか理解したフェルムは、抗議の声を上げる。

 しかし、首を左右に振ってそんな彼を黙らせると、アインはニコリと笑みを浮かべた。


「大丈夫、無駄に彼等と遊ぶつもりはないさ。ただ丸腰と言うのもなんだからね、ちょっとこいつを借りるよ」

 そう口にすると、アインはフェルムの腰に備えられていたブロードソードを拝借する。そして、もう話すことはないとばかりにフェルムから視線を外し、彼は剣を構えながら周囲をゆっくりと見回した。


「……分かりました。僕達、先生を待っていますので」

「ああ、わかっているよ。予定外の労働は私の趣味じゃないからね。っつ、先ほどの射手か! 早く行きなさい!」

 先ほどとほぼ同じ方向から放たれた矢に気づき、アインは拝借した剣を振るうと同時に、フェルムを急がせる。

 そうして、迫り来る矢をアインが剣で弾いたタイミングで、バールを連れながらフェルムは駆け出した。


「しかしやはり狙いは私だけか。どちらの方々の企みかわからないけど……って、おやおや、姿まで現すとはやり過ぎじゃないかい?」

 たまたま大通りに居合わせた民衆達は既にパニックとなっている。しかしそんな混乱著しい人混みを抜けだし、明らかに物騒なものを手にした四名の男たちがアイン目掛けて迫っていた。


 眼前の四名に加え、建物の影に潜みながら彼を狙う魔法士と射手。


 アインは圧倒的な不利を理解すると、僅かに下唇を噛んだ。

 そして数ある選択肢の中から、最もリスクを下げることが出来ると思われる決断を彼は下す。


 そう、迫り来る四名の男たちに向かって、駆け出すという決断を。


「何だと!?」

 予想外の行動をとったアインに対し、先頭で彼に向かい駆けていた男は驚きの声を上げる。

 すると、アインは迷うことなく、男に向かい右上段から剣の一撃を放った。


「ぬう……だが、受け止め――」

 アインの一撃を自らの剣で受け止めた男は、このまま彼を押し留めれば、他の仲間と囲むことが出来ると、ほんの一瞬だけ気を緩める。

 しかしそんな彼の言葉が、最後まで紡がれることはなかった。


「ごめん。西方の剣は余り得意ではなくてね」

 剣に込めた力を急に抜き、男の剣が正中からずれた刹那、アインはそのまま深々と敵の首元にエルボーを突き立てる。

 次の瞬間、呼吸困難と痛みに襲われた男は、その場にうずくまった。


「さて、あと三人……か」

 そう口にするなり、アインは後方に大きく飛ぶ。

 そして間髪入れることなく、先程まで彼がいた空間を矢が切り裂いた。


「いや、少なく見積もっても残り五人か。治安部隊が駆けつけるまで粘るのは少し手間だね。魔法士と射手はここから離れているし。となると……」

 アインはそう口にしながら、視界の端で一つの炎が生み出されつつあることに気づいていた。

 そしてだからこそ、彼はわずかに口元を歪めると、迫り来る男たちに相対しながら、一つの呪文を口にする。


「マジックコードアクセス」

 突然、意味不明な呪文を口にし始める仮面の男。

 そんな彼に向かい地上の男たちは迫り、そして狙撃用の炎の弾丸を編み上げ終えた魔法士は迷うことなく解き放った。

 それらはほんの僅かな時間差で、アインへと襲いかかる。


 すると、炎の弾丸と男たちが共に視界に収まった瞬間を見逃すことなく、アインは発動の鍵となる呪文を口にした。


「クラック!」


 その呪文が紡がれた瞬間、アイン目掛けて放たれた炎の弾丸は、その直前で進行方向とは逆方向に向かって爆ぜる。


「な、なんだと!?」

 魔法に続く形で、アインに襲いかかろうとしていた者たちは、突然の魔法の爆発を真正面から浴び、叫び声を上げたまま弾き飛ばされた。


「さて、どなたの手元から送り込まれたのかしらないけど、基本的に肉体労働は私の趣味ではなくてね。申し訳ないが失礼するよ」

 両目を押さえる男たちに向かってそう口にすると、アインは迷うことなくその場を駆け出した。


 それまでに彼目掛けて放たれた矢と魔法の軌道。

 脳内でその軌道を再現し、大通りから脇道に逸れるなり、アインは彼等の死角へ死角へと移動しながら、目的としていた場所へと辿り着く。

 すると、彼の姿を認めた一人の男性が、血相を変えながら声をかけてきた。


「キスレチン軍治安警備部所属のモロビックであります。ラインドルのアイン護衛隊長で間違いありませんでしょうか?」

「ええ、そうです。申し訳ありませんが、彼等から事情は聞かれていますでしょうか?」

「はい。国立会議場に向かっている最中に、突然見知らぬ連中に襲われたと……しかし、先ほどの爆発音は一体?」

 自由都市同盟の本部警備を任されているモロビックは、大通り方面から発せられた爆発音を耳にしたことから、不安げな表情を浮かべつつそう問いかける。

 その問いかけを受けてアインはほんの僅かに視線を逸らすと、眼前の髭の男に向かって事実の一端を明かした。


「ええ、複数の者に突然襲われまして……ともあれ、実に恐ろしい相手です。先ほどの爆発も、連中が市内で躊躇なく放った攻勢魔法によるものでして」

「し、市内で攻勢魔法ですと!?」

 白昼堂々、市内で魔法を使用するなどという行為が行われたことに驚愕し、モロビックは思わず目を見開く。

 すると、アインはゆっくりと首を縦に振った。


「常識と良識を疑う話ですが、残念ながら事実です。申し訳ありませんが、至急軍に連絡を取り、連中の捕縛及び排除をお願いできませんでしょうか?」

「わ、分かりました。至急手配いたします!」

 アインの言葉を受けるなり、髭面の男は慌ただしく部下へと指示を下した。

 そうして、同盟派本部に派遣されている警備兵達が慌ただしく動き出すのを見て取ったアインは、先にこの場にたどり着いているはずの青年の姿を探そうと、周囲をぐるりと見回す。


「先生、こちらです」

 アインが自らを探していることに気づいたフェルムは、彼に向かって大きく手を振る。

 そうして本部入り口の側で壁にもたれかかっている青年の姿を確認したアインは、ホッとしたように一つ溜め息を吐き出した。


「はぁ……無事だったようだね。それでバールさんは?」

「先ほどの襲撃で転倒した際に、すこし肩を打った様で……今は館内の医務室に案内されています」

「そうか。ともあれ、どうにか切り抜けられてよかった。流石に、あんな場所で仕掛けてくるとは私も思わなかったよ」

 軽く肩をすくめながら、アインは首を左右に振る。

 そうして、二人がお互いの無事を確認して笑みを浮かべたタイミングで、突然入口の扉が開け放たれると、険しい表情を浮かべた一人の男が姿を現した。


「おい、エイス! 一体何の騒ぎだ?」

「おやおや、前大統領自ら外へ足を運ばれるとは……ですが、まだ追手が来ないとは限りません。申し訳ありませんが、中へお戻り下さい」

 自分たちを呼びつけるのではなく、わざわざ足を運んでくるあたりがフェリアムらしいとは思いながら、アインは苦笑交じりにそう忠告する。

 しかしそんな彼の気遣いは、フェリアムに鼻で笑われることとなった。


「ふん、貴様がいれば心配も無かろう。で、実際のところ何があった?」

「ちょっと、私の周りがきな臭くなっているなと思ってはいたのですが、全く見知らぬ集団に襲われまして」

「その程度の話は、既に聞いている。わたしが知りたいのは何者がこのような……いや、貴様に聞くならこう聞いたほうがいいだろうな。このような馬鹿げた事態を引き起こした者を、お前は誰だと考えている?」

 これまでの付き合いから、単純に回答を求めればわからないと返されることが目に見えていた。だからこそフェリアムは、彼の考えている見解を求める。

 すると、アインは降参とばかりに軽く両手を上げた。


「はぁ、貴方とのつきあい方を間違えましたかね。誰が企てたものかはわかりません。ですが、おたくの国の情報部が最も怪しいとは思っていますよ」

「情報部……それは第一か第二か?」

「そこまでは流石に……というわけで、私の考えを伝えたところで、迎えが来るまでしばらくここにおいて下さい。本当は後日にしようかと思っていたのですが、少し予定を繰り上げて貴方に伝えておきたいこともありますし」

「伝えたいこと? エイス……いや英雄殿、それは我が国にとって、重要な問題かね?」

 そのフェリアムの口にした言葉。

 それは何よりも雄弁に、彼の下へも一つの噂が届いていることを物語っていた。

 だからこそアインは、ニコリと微笑むと、軽く両手を左右に広げる。


「さてさて、どなたに言っているのか今はまだわかりませんが、ともかく貴国にとっては少々重要な話だと思いますよ。トルメニアの侵攻を、無抵抗で受け入れるかどうかという話ですので」

「は? 貴様、今なんと言った!?」

 その言葉を耳にした瞬間、フェリアムは思わず声を荒げると、アインへと詰め寄る。

 すると、アインは軽く苦笑を浮かべながら、軽やかな口調で再び言葉を紡いだ。


「今にもトルメニアの侵攻が行われると言う話ですよ。いや、どうやらご興味を持って頂けたようですね。それでは、中でお話しさせて頂くとしましょうか。ああ、そうそう。ついでにコーヒーとお菓子など用意して頂けると、実にありがたいですね」

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