第15話 一つの噂
「ふむ、トルメニアが動いたかね」
大統領官邸の一室。
そこで報告書類に目を通したトミエルは、眼前の男に向かいそう問いかける。
すると、深々と頭を下げる第二情報部部長のクルーソンは、報告書に記載されていない人物名を口にした。
「はい。ザムラン枢機卿からも、直接大統領にお伝えするようにと、ご連絡を頂いております」
「ほう、ザムラン殿から……ちなみに、この情報は統一宗教主義戦線の連中には?」
「もちろん伝えられておりません。上会の方々は、あの男を警戒しておられますから」
上会と呼ばれる枢機卿のみで構成される会議。
そこに名を連ねる面々は、唯一本国外に存在するとある枢機卿を、以前より敵視していることは有名であった。
だからこそトミエルは、納得したとばかりに大きく首を縦に振る。
「なるほど、ならばこの私と同じだ。あの男は我らクレメア教団にとって劇薬。その認識は衆目の一致するところというわけだな」
「はい。ですが、あの男の背後には大主教猊下がおられます。警戒は怠るべきではないでしょう」
「猊下もどうしてあんな誇大妄想家を重用されようとするのか……正直言って、まったくその気がしれんな」
首を左右に振りながら、トミエルは呆れたようにそう口にする。
だがそんな彼の発言を、敬虔なクレメア教の信者であるクルーソンは聞きとがめた。
「大統領……」
「ああ、すまん。今のは失言だ、忘れてくれ。悲願が成就される日が迫り、いささか心が浮ついているようだ」
トミエルは慌てて自らの発言を取り消すと、苦笑混じりに言い訳を口にする。
クルーソンはそんな彼を冷ややかな目で見つめながらも、これ以上彼をその話題で追い詰めることはしなかった。
「まあいずれにせよ、願い続けた日が訪れようとしております。クレメア教への信仰をひた隠しにしながら、改革派にあえて身を投じられ、その成果が現れる日がです。大統領のお気持ちはお察し致しますよ」
「うむ。自由競争などというまやかしを口にして、不平等を是正する気のなかったフェリアムから政権を奪い、ついにここまで来た。生まれながらにして自由で平等。その国家理念を破壊しうる魔法士という存在を、今こそ消し去る時だ」
「然り。そしてこれがなされれば、大統領はこの地の唯一の枢機卿に推挙される予定。我々、前大主教猊下の意を汲む正統なるクレメア教の信徒たちも、全て大統領のお考えを実現できるようお味方をするつもりです」
トミエルの発言に続き、クルーソンは力強くその後押しがあることを彼へと伝える。
すると、その意を受けたとばかりに、トミエルは拳を握りしめながら高らかと宣言した。
「フェリアム、そしてケティス。彼ら共々、この機に乗じて西方の主だった者たちを一斉に排除する」
「はっ、既に準備は着々と進めております……ただそれに際しまして、一つお耳に入れておきたいことがございまして」
そう口にしたところで、クルーソンは渋い表情を浮かべる。
一方、トミエルはそんな情報部長の表情に違和感を覚えたものの、特に気にする素振りも見せず、彼に先を促した。
「ほう、耳に入れておきたいことか。一体何かね?」
「はい。先日来、ミラニール市内で聞き捨てならぬ噂が広まっていること、大統領はご存知でしょうか?」
「特に気に留めるような噂を耳にしたことはないが……」
心当たりのなかったトミエルは、軽く首を傾げる。
すると、そんな彼に向かい、クルーソンは声を潜めながら噂の概要を口にした。
「その噂なのですが……カイラ国王の護衛を務めている仮面の男、奴の正体が、現在行方不明となっているあの男ではないかという話なのです」
「あの男? 一体誰だね? クルーソン君、もったいぶらずに教えてもらえるかな」
「救国の英雄などと吹聴されている男。ユイ・イスターツです」
その名がクルーソンの口元から発せられた瞬間、トミエルは目を見開くと、驚愕の表情を浮かべる。
「ユ、ユイ・イスターツだと!? ばかな、あの男は帝国に暗殺されたのではなかったのか?」
「それは帝国で突然足取りが消えたことから流布された一つの仮説に過ぎません。そもそも帝国にとって、レムリアックという魔石の供給元を握るあの男を暗殺する理由はないのですから」
トミエルに対し、クルーソンは首を左右に振ると、そのまま彼の発言を否定する。
だがそんな第二情報部部長の言葉に対し、トミエルは理のあるところを認めながらも、そのまま素直に頷くことは出来なかった。
「うむ、確かにそれはそうだが……だが仮面の男が本当にあの英雄だとするならば、なぜカイラ王などに付き従っているというのだ?」
「カネ……ということはないでしょうな。何しろ彼の男は、あのレムリアックを有しているわけですから。となれば、クラリスとラインドルの間で、何か密約が存在しているのかもしれません」
クルーソンが険しい表情を浮かべながらそう口にすると、トミエルはこの西方会議が始まる前に行われた、一つの奇妙な軍事訓練の存在に思い至った。
「密約か。それが真実であれば、ラインドルのクーデター中に行われた、あの奇妙極まる軍事訓練の意味が通る。なるほど、最初からクラリス王家と対立している貴族院をけん制するための訓練だったとそういうことか」
「ええ、確かに辻褄は合いますな」
眉間にしわを寄せながら黙り込んだトミエルに向かい、クルーソンは頷きながらその見解への理解を示す。
「ああ。ただこの解釈は、あくまであの仮面の男が本当にユイ・イスターツであればの話だ。結局のところ、その噂が本当かどうか、何か証拠はつかめているのかね?」
「現在のところ、決定的な証拠はまだ……ただ市中の複数の情報源から同一の噂の報告がありました。またもう一点掴めている情報によりますと、例の老人に張り付かせている者から、仮面の男が東方の刀を預けに来たという連絡があった由にございます」
これまでのいずれの政権においても、完全に持て余され続けてきた大賢者。
監視下においていた彼への面談を許可したのは、他ならぬトミエルである。そしてそれ故に、この情報は彼らにとって、あたかもひとつの事実を指し示しているかのように思われた。
「……確かユイ・イスターツの扱う得物は、東方の刀であったな」
「はい。そう伝え聞いております」
東方特有の黒髪を持ち、そして東方の反りのある刀を腰にさす。
それはあまりに有名な、ユイ・イスターツの特徴であった。
それ故に、どのような経緯で広まりを見せているかわからぬものの、広がりを見せる噂が確度の高いものであるとトミエルは判断する。
「クルーソン君。この情報は第一情報部の連中、つまりケティス達は掴んでいるか?」
「わかりません。ですが、市中で広がり始めている噂です。連中が掴んでいても不思議はありません。それに、あの極度に女にだらしない男のところに、連中からもスパイが送り込まれている可能性も極めて高いかと」
フォックスの元に入り込むことが如何に容易であるか、それは部下を送り込んでいるクルーソンが他の誰よりも深く理解していた。
そしてそんな彼の発言に対し、トミエルは苦々しい表情を浮かべながら同意を示す。
「だろうな……ともあれ、ラインドルとクラリスが極秘裏に結託し、その後ろにあの男が居るとなれば、極めて厄介なことになりかねん。クルーソン君、至急クラリス及びラインドルの連中の動向を追ってくれ。特に仮面の男には念入りにだ」
「はっ、了解いたしました」
「うむ。根も葉もない噂であれば良い。だが……仮にあの男だとすれば」
そう口にしたところで、ユイ・イスターツが関与したとされる様々な伝聞が、トミエルの脳裏を埋め尽くした。
そして彼が導き出した答えはただひとつ。
「もしも奴がユイ・イスターツとするならば、いかなる手段を用いてもよい。すみやかに……そう、すみやかにあの男を抹殺するのだ」
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