第14話 輝きよ再び

「なんですかこれ……え……」

 集落の最奥に立つやや大きな家屋。

 そこへ足を踏み込んだ途端、フェルムは目を白黒させた。


「ふふ、ようこそ我が家へ。うちの子猫ちゃんたち共々、君たちの来訪を歓迎するよ」

 二人を先導するように前を歩いていたフォックスは、後ろを振り返るとともにニヤリと笑みを浮かべる。

 途端、出迎えのために周囲に並んでいた若々しい女性たちは一斉にその頭を下げた。


 その光景は、一言で言えばあまりに異様。


 もちろん、その場に存在する女性たちは、気品と美貌と若さを兼ね揃えたまさに麗しき姫君といった様相である。

 だがそんな女性たちが二桁も、片田舎のさして大きくない家の中で一堂に会している状況は、華やかさを通り越してある種の奇妙さをフェルムに強く感じさせた。


「はぁ……やはり相変わらずですか。というより、昔より女性の数が増えていらっしゃいますよね」

「当然だろ。ここは自由の国だ。子猫ちゃんたちには相手を選ぶ自由がある。そして私の存在を目にしてしまったからには、ここへやってくるのはまさに自然の摂理さ」

 泰然としながら、フォックスはアインに向かってそう語る。

 そして入り口で立ち話は何だとばかりに、彼は奥の応接室へと二人を案内すると、自らの向かいのソファーをアイン達に勧めた。


「で、なんでこんなところまで来たのかな?」

 ややエキゾチックな浅黒い肌を持つ女性の一人が、三人分のコーヒーを運んで来る。

 微笑みながらそれを受け取り、彼女が部屋から退室したところで、フォックスはそう切り出した。

 するとアインは、両手を軽く左右に広げながら、シンプルに答える。


「それはもちろん、あなたに会いたかったからですよ」

「ほう、それは光栄だ。噂では、大陸でも指折りの有名人になったそうじゃないか。そんな英雄殿がこんな片田舎に来てくれるとはね。しかし一つ残念なことは、私は男に会って喜ぶ趣味はないということさ」

 アインに向けて右の手のひらを突き出すと、フォックスは意味ありげに笑う。

 すると、この場において自らを偽る必要を感じなかったアインは、マスクとかつらを外し、そのままゆっくりと頭を掻いた。


「はぁ……そう言われると思いましたよ。というか、一つ聞きたかったんですが、女性にモテるための若作りですか、その姿は?」

 最後に会った二十年前と全く変わらぬその姿。

 それはお互いの実年齢とは大きくかけ離れ、むしろアインの方がかなり年上に見えるほど若々しかった。


「それだけじゃないけど、もちろんそれもあるかな。ふふ、羨ましいかい?」

「いいえ。彼女たちの姿と併せて、相変わらず御盛んだなと思っただけですよ」

「ふふ、まあ褒め言葉と受け取るよ。そういえば、君の結婚は?」

 女性に関する話題となったところで、フォックスはアインに向かってそう問いかける。

 すると、わずかに渋い表情を浮かべながら、彼は言葉を選んで否定した。


「していませんよ。あなたと同じです」

「僕と同じ? その割には、君からは欠片も女性の匂いを感じないな。帝国の姫との婚約話の噂や、メディウムの娘と一緒にいたなんて話は聞いてはいるけどね」

「予め独身とわかってのご質問は、性格が悪いですよ。というか、ナーニャのこともご存知だったのですね」

 思わぬ人物の事が話題に登り、アインは驚いた様子を見せる。

 その表情を目にして、フォックスはニヤリと笑みを浮かべた。


「君は有名人だからね。しかし、我が教え子たるメディウムの娘はあんな素敵なレディだった。にも関わらずだ、一緒にいながらなぜ彼女に手を出さなかったんだい? あんな本物の深窓の令嬢なんて二人といないよ」

「そういえば、貴方はディオラム魔法学校の出でしたよね……なるほど、当時の彼女のことを知っていても、まあ無理が無いというわけですか」

「当時?」

 アインの発言を耳にして、フォックスは眉間にしわを寄せる。

 しかし、アインは意味ありげな笑みを浮かべるとともに、その口を開いた。


「いえ、お気になさらず。機会があれば、今の彼女をご紹介しますよ。まあそれはともかく、基本的には独り身で勝手気ままにやるのが気楽で性に合っているんですよ」

「それは愛の素晴らしさを知らないからさ。あえて君の母親の国の言葉で言えば、井の中の蛙というやつだね」

「いや、貴方と比較されたら、誰だって愛の解釈は違うと思いますけど。しかしなるほど、この家の環境を見るだけで、この国の政府があなたをここに押し込める理由がわかりましたよ」

 部屋の外で、家主を待ちわびているだろう女性たちのことを思いながら、アインは呆れたようにそう口にする。

 途端、眼前の男は抗議を口にした。


「おいおい、偏見を持つのはやめてくれ給え。先程も言ったように、この国は自由の国さ。だから彼女たちは自分から望んでここにきている。そこに嘘偽りはなしさ。政府が私を監視しているのとは全く無関係にね」

「でも中には、彼らのスパイもいらっしゃるでしょ?」

「スパイだとしたら何だと言うんだい? 止むに止まれぬ事情を持つ女性にも愛を注ぐ。それが真の博愛主義者というものさ」

 嘘偽り無しといった様相で、フォックスは堂々とそう言い放つ。

 その潔さを前にして、アインは苦笑を浮かべずにはいられなかった。


「いやぁ、私にはさっぱり理解できない領域ですね」

「ふむ、まあ君ももう少し歳を重ねたらわかるようになるさ」

「そうですかねぇ……アズウェル先生も歳を重ねていますが、愛しているのは書物と情報だけのようですが」

 とある堅物の老人の名前をアインが口にすると。フォックスはやや懐かしげな表情となり、そして世間一般で知られている彼の戦友のもう一つの名を口にした。


「ダドリーの奴は無粋な男だからね。でも、例の落ち延びた娘を引き取ったんだろ?」

「ええ。今は私のそばで働いてくれていますよ」

「ほら、やっぱり。だからあいつはダメなんだ。せっかく若い花を手に入れたというのに、ものの価値のわからぬ若造のそばになんて置くから。私なら絶対に自分のそばから手放さないね」

「そういう愛の形もあるということですよ」

 昔から花があれば必ず自分で摘み取ると公言している男に対し、アインは呆れながらもそう反論する。

 すると、フォックスはわずかに眉をひそめた。


「親子の愛とでも言いたいのかい? 残念ながら、それこそ私には理解不能さ」

「わかろうとすれば出来るでしょ。両手に花という言葉では足りぬほど、美しい方に囲まれておられるのです。実際に、どなたかと子どもを作ってみられれば良いじゃないですか」

「私の年齢のことは知っているだろ?」

 やや不機嫌そうな口調でフォックスがそう口にすると、アインはチラリと隣りに座るフェルムの表情を確認した上で、一つの問いかけを口にした。


「……つまり、いくら貴方でも中身は戻せないと?」

「見かけ上なら可能さ。ただしテロメアの伸長はできない。だから、もし彼女らが妊娠したとしても……わかるだろ? それに第一、そんなことをすれば、僕の愛でた子猫たちの愛情が子どもに移ってしまう。僕はね、僕だけを好きでいてくれなければいけないのさ」

 ややうつむき加減となりながらも、フォックスは自らの考えをはっきりと告げる。

 その彼の表情が、彼の本音がどこにあるのかを何よりもアインに伝えた。


「はぁ……やっぱりあなたは変わり者ですよ」

「ふふ、それはよく言われる。でも僕に言わせれば、変わっているのは僕と僕の子猫たち以外さ。ま、それは良い。そろそろ本題に入ろうか。で、僕に何を直せって?」

 その言葉がフォックスの口から放たれた瞬間、アインは目を白黒させる。そして頭を掻きながら、ゆっくりと口を開いた。


「わかりますか」

「そりゃあわかるさ。じゃなければ、ダドリーに負けぬほど無粋な夫婦の息子が、わざわざ僕に会いに来たりしないだろう?」

「噂には聞いていましたが、母があなたではなく父を選んだこと、まだ根に持っていらっしゃるんですか?」

 自宅で深酒をしていた酔っぱらいから聞かされた一つの物語。

 ある意味、全てが自慢話に等しく、話半分に聞いていた物語であったが、彼はここにその中の一つが事実であったことを理解する。


「根に持つ? そんなことはないさ。ただ僕の子猫となる価値のある女性が、あんな無粋の極みを選んだことが理解できないだけさ」

「まあ、あの人が無粋の極みということだけは同意しますよ」

「だろう。まったく何であんな唐変木と……まあいい、話を戻そう。改めて聞くけど、僕に何を直して欲しいんだい」

 軽く両手を広げた後、フォックスはアインに向かってそう問いかける。

 すると、アインは持参してきた一つの細長い包を差し出した。


「これですよ」

 アインから包を受け取ったフォックスは、ゆっくりと中に包まれていた一振りの長刀を手にする。そしてゆっくりと鞘から刀を取り出し、窓から差し込む光に刀身をかざした。


「彼女の刀か……確かに、僕のところ以外に、持って行く先はないだろうね」

「ええ。これまでは母さんに教わった方法で、自分で研いではいました。ただ……」

 そこまで口にしたところで、アインは口ごもる。

 フォックスは彼の言葉を受けて、そっと自らの指で刃をなぞった。


 赤い一筋の血液が刀身を伝う。

 そしてその瞬間、フォックスは小さく頷いた。


「なるほど、これではただのよく切れる刀だ。剣の巫女のものだと胸を張って言えるシロモノではないな」

 そう口にしたところで、フォックスはニヤリと笑う。

 そんな彼に向かい、アインは真剣な表情で依頼を口にした。


「お願いできませんか。可能ならば、こいつを出来る限り元のように」

「元のように……か。ふむ、君は代償として私に何を用意できる?」

「金銭で良ければお望みの額を」

 間髪入れずアインはそう提案する。

 だが、そんな彼の発言はフォックスによって一蹴された。


「そんなものには困っていないし不要さ。わかるだろ?」

 彼を取り巻く女性たちの華やかな装いを見るだけで、眼前の男が金銭的なものを必要としていないことは明らかであった。

 だからこそアインは、自らの懐に手を伸ばすと、一つの紅い結晶を取り出す。


「ですよね。となれば、こいつでいかがですか」

「なんだい、魔石かい……君が魔石産地の領主をしていることは知っているけどさ」

 目の前のローテーブルに置かれた魔石を一瞥し、フォックスは軽く鼻で笑う。

 しかしそんな彼に向かい、アインは改めて自らの置いた結晶を勧めた。


「はは、まあそう言わずに手にとって見てください」

「ん? ……っ、おい、こいつは!?」

 大して興味は惹かれなかったものの、アインに勧められるまま目の前の結晶を手にしたフォックスは、頬を引き攣らせるとともに目を見開く。

 すると、アインはしてやったりとばかりに、ニコリとした笑みを浮かべた。


「ええ。物質のソースに干渉できる貴方ならお分かりかと思います。それは魔石の魔力を抽出し結晶化したものですよ」

「……信じられん。いや、君があの男の息子だとしてもだ」

 眼前に存在する高密度な魔力結石。

 その存在が如何に途方も無いものであるか、それは賢者とさえ呼ばれるフォックスの震える声が、何よりも雄弁に物語っていた。


「で、如何です。こいつと引き換えにお願いできませんか?」

「……いいだろう。引き受けてやる。但し少し時間をもらうぞ」

 先ほどまでの青年口調がすっかりと消え失せたフォックスは、表情から笑みを消したまま、アインに向かって受諾を伝える。

 一方、対照的に黒髪の男は満面の笑みを浮かべた。


「それは良かった。それでは交渉成立で――」

「そこにいるのは誰だい? ノック無しに部屋に入ってくるのは、いくら淑女でもあまり歓迎できないな」

 突然、フォックスによって遮られたアインの言葉。

 それが発せられた瞬間、一同の視線は部屋の入口へと向かう。

 そこには、ほんの僅かに驚きを見せる小柄な黒髪の女性の姿があった。


「四大賢者が一人、フォックス・レオルガード。さすがね」

「ああ、クレハか。そういえば、君は会ったことがないのだったね」

 彼女の姿を認めたアインは、苦笑を浮かべながらそう口にする。

 すると、フォックスは興味深げに無断で部屋に忍び込んできた女性を眺めやった。


「ふぅん、なるほど。彼女が例のね。で、何の用だい? 見たところ、僕の魅力に誘われて来たわけではなさそうだけど」

「せっかくだけど、あなたには用はないの」

 四大賢者の問いかけを、クレハはあっさりと切り捨てる。

 そんな彼女の応対を前にして、アインは思わず頭を掻き、彼女の来訪があまり良くない案件であることを理解した。


「はあ……ということは私に至急の用件というわけかい。あまり聞きたくはないけど、一体何かな?」

「ユリが動き出したわ」

 その言葉が発せられた瞬間、アインの表情は強張る。

 クレハの口にしたユリという言葉。

 それはとある国家の象徴であった。


「ユリの花びらが舞おうとしている……か。つまりトルメニアは本気だということだね」

「ええ。極秘裏に国境周辺に軍を動かしているわ」

「そしてその情報は、おそらく西方会議の面々には伝わっていない……いやわかっていて、あえて伏せられているという方が正しいかな」

 渋い表情を浮かべながらそう口にすると、アインは思わず右手を自らの顎に添えて黙りこむ。

 そうして、一瞬場が鎮まりきったタイミングで、これまで遠慮して口を開くことがなかったフェルムが、不安そうに教師に向かって問を口にした。


「先生、どういうことですか? トルメニアが何かを企んでいるのですか?」

「ああ。どうやら彼らは、大きく前へ踏み出すつもりのようだ。はぁ……だとしたら、私達も動くとしようか。クレハ、例の計画を第二段階へと進めてくれ」

 大きな溜め息を一つ吐き出したアインは、クレハへと視線を向けると、以前より予定していた一つの計画を実行することを宣言する。


「本当にいいのね?」

「ああ。もう少しアインのままで居たかったけど、どうやら許されないようだ。実に……そう、実に残念なことだけどね」

「前に進むと決めたのなら覚悟を決めなさい。ともかく、それじゃあ計画通り、貴方の正体に関する情報をミラニール内に流すわ」

「ちょ、ちょっと待って下さい」

 クレハの発言した内容を耳にした途端、フェルムは驚きを見せるとともに、思わず口を挟む。


「どうしたんだい、フェルム」

「いきなり入ってこられたこちらの女性が、一体どなたか知りませんが……ともあれ、先生の正体を流すって本気ですか?」

 その正体を知った時の衝撃を思い起こしながら、フェルムは目の前の男の真意をつかむことが出来ず、震える声でそう問いかける。

 一方、そんな教え子の動揺を目の当たりにしながら、アインは迷うことなく首を縦に振った。


「ああ。情報を隠す段階は終わりということさ。ここからは逆に、私が誰かということを伝える段階さ。彼等の視線を集めるためにもね」

「彼等?」

 アインの言葉が何を指しているのかわからず、フェルムはすぐさま問い返す。

 すると、眼前の黒髪の男は、ゆっくりとその口を開いた。


「ああ。この国を……いや、大陸西方をクレメア教という絵の具で塗りつぶそうとしている連中がいる。そんな彼等に対し、素直にキャンバスを差し出すわけには行かないのさ。だから私は表舞台に戻ることにするよ」

「いいのかい? こんな片田舎に住んでいる私が言うのも何だが、歴史の潮流の中心に立つ以上、もはやあと戻りできないかもしれないよ」

 この空間にいるものの中で最年長であり、そして最も若い男性の声。

 それが発せられると、アインは苦笑を浮かべながら、彼に向かって言葉を返した。


「はは……昔、あなた方は成すべきことを果たされた。不肖ながら、今度は私達の番だということですよ」

「バトンは引き継がれる……か。いいだろう、新しき英雄。こいつのことは私に任せておきたまえ。君が必要とする時までには、仕上げてみせよう。魔法排斥主義者なんて言う無粋な連中に、ここを踏み荒らされたくはないんでね」

 フォックスはそう口にすると、その若く端正な顔に笑みが浮かべる。

 その言葉を受けて、アインは眼前の賢者に向かい一つ頭を下げると、その視線を隣の教え子へと向けた。


「よろしくお願いいたします。というわけで、クレハ。例の客人たちの案内は頼む。市内についたら、あとはフェルムに引き継いでもらっていいから」

「……本当に大丈夫なの?」

 クレハは値踏みするような視線を、アインの隣に腰掛ける青年へと向ける。

 すると、黒髪の男はニコリと微笑んでみせた。


「誰の教え子だと思っているんだい?」

「だから余計によ……まあいいわ。私も彼らばかりにかまけている訳にはいかないしね」

 自信あり気なアインの言葉を受けて、クレハは無表情のままその提案を受け入れる。

 一方、いつの間にか全く知らない案件に巻き込まれる形となったフェルムは、オロオロした様子を見せながら、疑問を口にした。

「ちょ、ちょっと待って下さい。僕は何をしたらいいんですか。それに客人とは一体?」

「はは、いやちょっと変わったお客さんたちがミラニールへ着いたら、その後のエスコートをお願いしたいという話さ。予定通りならば、最終日の前日にはミラニールに到着する予定でね」

「もちろんエスコート自体は構いません。それよりも気になるのは、変わったお客さんというのが、どなたかということですが……」

「ああ、それなんだけどね。一人はとある国の赤い髪を持つ女性。そしてもう一人は……」

 そこまでを口にしたところで、アインは太陽が沈みゆく方角へと視線を向ける。

 そしてその口から、想像だにせぬ二人目の人物の名が告げられた。


「え……ええ!?」

 その名を耳にするなり、フェルムは驚愕のあまり、口を開けたままその場で硬直する。

 その表情を目にした瞬間、アインは嬉しそうに笑みを浮かべた。

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