第12話 メディエーター

「……アレックス先輩」

 模擬戦終了後に選手のために与えられた控室。

 たった一人の人物のために用意された空間であったが、そこへ険しい表情を浮かべた青年が姿を表す。


「どうしたのかな、エインス。そんな怖い顔をしてさ。クラリスの名誉を失わない試合はしたつもりだけど」

 自らの上役にあたる金髪の青年の姿を目にしたアレックスは、薄い笑みを浮かべながら落ち着き払った様子でそう口にする。

 しかし返された言葉は、文脈を無視した極々短い問いかけであった。


「先輩は知っていたのですか?」

「何を……っていうのも、もはや無粋かな。ああ、彼のことなら先日の前夜祭の時に気づいていたよ」

 そのアレックスの回答が口にされた瞬間、エインスは強く下唇を噛む。そしてそのまま、普段なら絶対詰め寄らぬ相手に向かって、彼は強い口調で問いかけた。


「どうして……どうして教えてくれなかったんですか!」

 滅多に見せることのないエインスの苛立ち。

 それを真正面からぶつけられたことに、アレックスはほんの僅かに驚きを見せた。

 しかし、目の前の青年と先ほど戦い終えた仮面の男との関係を思うと、無理もないとすぐに思い直す。だからこそ彼は、ほんの少しだけ意地の悪い言葉を口にした。


「逆に聞こう、どうして知る必要があったんだい?」

「え?」

 アレックスの言葉に、思わずエインスは虚を突かれた表情を浮かべる。

 だが、そんな彼に向かって、アレックスは一切の配慮を行うことなく、更に言葉を重ねていった。


「エインス。多分君は、今大きな分岐点に立っている。それは自覚できているかい?」

「分岐点……ですか」

「ああ、分岐点。つまり四大大公の一人として、そして軍務大臣代理としてクラリスを自らの手で引っ張っていくのか、それとも誰かに頼りながら今後も歩いていくのかというね」

 アレックスの口にしている言葉の意味、それはエインスにもすぐに理解できた。つまり彼は軍部のほぼ頂点に立っておきながら、未だにあの人物に頼るのかと言っているのである。


 だが逆にその問いかけに対し、エインスは一つの疑問を覚えた。

 それはこのような問いかけが、まったくもってアレックスらしからぬということである。


 そう、目の前の赤髪の男なら、このような問いかけを口にする事無く、シンプルに行動を促すことを好む。

 だからこそ、ここに至り彼はひとつの事実に辿り着いた。


 つまりこの問いかけ自体が、とある黒髪の男の頭の中から出てきたものだということに。


「アレックス先輩。今の言葉は、あなたからではなくあの人からの言葉ですね。つまり先輩は、僕に……いや、クラリスに対して独り立ちしろと?」

 エインスの口から発せられたその言葉を受けて、アレックスは一瞬口元の笑みを消す。しかし僅かな間の後に、彼は先ほどとは異なる嬉しそうな笑みを浮かべ直した。


「ふふ。鋭くなったね、エインス」

「わかりますよ。あなた方お二人よりも、僕の方があの人と過ごした時間は長いんですから」

 自らの回答が眼前の男の期待以上であったことを理解し、エインスは肩を落としつつも、やや誇らしげにそう口にする。

 一方、アレックスはそんな彼に向かって大きく一度頷くと、再びゆっくりとその口を開いた。


「そっか……まあ、君の想像通りさ。そしてもし君が彼に気づいた場合、これだけは伝えるように頼まれていたことがある。『私の存在を度外視して、クラリスにとって最善と思われる選択を行ってくれ』、これが彼から君への伝言さ」

「クラリスにとって、最善と考えられる行動……」

 アレックスから伝言を受け取ったエインスは、顎に手を当てながらその場で静かに考えこむ。

 すると、そんな彼に向かって、アレックスは静かに語りかけた。


「ああ、あくまでクラリスにとっての最善。それこそ彼が君に求めるものさ。おそらく彼はとても大きな絵を描こうとしている。それはこの大陸西方……いや、大陸全土を見渡した上でのものかもしれない」

 そこまで口にしたところで、一度アレックスは小さく息を吐きだした。


 彼は自らの口にしていることが、普通ならば途方もなく、そして突拍子もないものだと自覚している。だが彼の知る親友ならば、おそらく当たり前のようにそこまで考えていて不思議ではないと、アレックスは奇妙な確信を持っていた。


 だからこそ、彼は親友の期待するであろう役割を、目の前の後輩に告げる為、再びその口を開く。


「ただし、エインス。いかに彼であっても、それはとても一人では描ききれない代物さ。だからこそ彼は、その絵の一部を君によって描いてもらうことを前提にしているのだと、僕は思う。この意味がわかるかい?」

「……要するに、いつものようにあの人の無理難題に応えてみせろってことでしょ? わかりますよ、これまで散々な目にあってきたんですから」

 あえて皮肉げに言ってみたものの、それはエインスの本心ではなかった。彼は自らへの信頼を理解したからこそ、内心では期待に応える覚悟を定めていたのである。


 アレックスにしてみれば、そんなエインスの本音はまるわかりに等しかった。だからこそ彼は、念を押す様に目の前の青年に課された役割を口にする。


「ふふ、それは結構。ただしこれまでは、君は色を塗る役割だけだった。でも、今回から彼の下絵は存在しない。つまり君が担当する箇所は、すべて君が描き切るんだ」

「僕が全てを……ですか」

「ああ、どうだい。彼の存在に気づいてしまったこと、正直言って後悔しないかい?」

 ほんの僅かに戸惑いを見せたエインスに向かって、アレックスは答えのわかりきった問いかけを行う。

 すると、彼の予想したとおり、表情を引き締め直したエインスの口から、力強い返答がなされた。


「しませんよ、もちろん。後悔なんて」

「ふむ……つまり彼の信頼に応える自信はあるということだね」

「当たり前です。そうでなければ、英雄の最初の弟子なんてとても口にできませんから」

 女性であれば誰もが見惚れるであろうエインスの微笑み。

 ある意味、場にそぐわぬような彼の笑みを目にしたところで、アレックスはその内心を誰よりも深く理解する。そしてそれ故に、彼はもともと細いキツネ目を一層細めると、満足そうに大きく一つ頷いた。


「結構。ならば僕も、しばらくは君がキャンバスに絵を描く手伝いをしよう」

「いいんですか?」

「彼にダメとは言われていないしね。それに、陸軍省の次官が、軍務大臣代理を手伝うのは当たり前じゃないかな?」

 両手を左右に広げながら、なんでもないことのようにアレックスは肩をすくめてみせる。

 他の誰よりも心強い剣士の協力。

 それを仰ぐことができる感謝を、エインスはこの場にはいない人物に向けて高らかと宣言する。


「……ありがとうございます、アレックス先輩。ならばせいぜいあの人に見せつけてやるとしましょう。あの人が描ける以上のクラリスの未来を」





 キスレチン共和国のほぼ中心部に位置する外務本省。

 その最上階に備えられた一室で、部屋の中に隠し置いていた琥珀色の液体を、ハムゼは躊躇することなく喉へ流し込んでいた。


「申し訳ありません、大臣。ただいま来客がありまして……」

 ノックとともに部屋の外から発せられた警備兵の声は、明らかに緊張感に満ちている。

 もちろんそれは二つの理由から、やむを得ないものであったといえた。


 その一つが、大臣執務室へ入る際にハムゼが強い口調で誰も通すなと言明した直後であったためである。

 だからこそハムゼは、不機嫌さを隠しきれぬ声色で部屋の外に向かって怒鳴りつけた。


「馬鹿者、こんな時間に来客だと。先程、私はいないことにしろといったばかりではないか。第一、今日はもはや人と会える気分ではないわ」

「そこを曲げて、なんとか私と会ってやってはもらえませんか。ハムゼ君」

 ハムゼの同意を確認することなく開け放たれた扉。

 そこから姿を表したのは、この国において彼が最も敬服する人物その人であった。


 それ故にハムゼは、長いあごひげを伸ばしたその姿を目にするなり、慌てて居住まいを直す。


「こ、これは失礼いたしました。どうぞお入りください」

「ああ、いやいや楽にして下さい。今日のところは、迷惑を承知できたのですから。それに今の私は、表向き病気療養中ということになっています。この場にいるのは多少問題かもしれませんからね」

 動揺隠せぬハムゼの姿をその目にしながら、長いあごひげを蓄えた初老の男は、ゆっくりと首を左右に振る。そしてそのまま、手近な椅子に腰掛けると、彼は足を組むと同時に再び口を開いた。


「しかし、実に素敵な見世物でした。君はそう思いませんでしたか?」

「い、いらっしゃっていたのですか!?」

「ええ、一般の客席に混じって。隣に座っていた若者に、生ぬるいエールを分けてもらいましたよ。ふふ、実に貴重な体験でした」

 男はあごひげを撫で付けながら嬉しそうに笑う。

 一方、眼前の男がコロセウムに来ていたなど全く寝耳に水の話であり、ハムゼは困惑した表情を見せた。


「お忍びであったとて、言ってくださればしかるべき席を用意させて頂いたのですが……しかし此度のこと、ご不快ではありませんでしたか?」

「不快? 一体、何のことですか」

「ご覧になられましたとおり、ウフェナのあの醜態です」

 思い出すだけで腸が煮えくり返り、ハムゼは絞りだすような声で、どうにかそれだけを告げる。

 しかしハムゼの眼前にいる男は、その様子を目にして苦笑を浮かべてみせた。


「おかしいですね。私にはそんなものを見た記憶がありません。ただ実に素晴らしい戦いを観戦させてもらった記憶しかです」

「素晴らしい……ですか。しかし結果としては最悪もいいところでしょう。帰路につく市民の様子が、全てを物語っていましたよ」

 卑怯な技があったためとはいえ、キスレチンを代表するウフェナがラインドルの代表の前に敗北したことで、あわや暴動が起こりかねないほど観客の不満は鬱積していた。

 酒が入っていた客はいたるところで小競り合いを起こし、そして八つ当たりの対象はコロセウムの警備を行っていた兵士にまで向けられる。その結果として、数十名を超える市民が負傷し、そしてその数倍の逮捕者が発生することとなった。

 もし戦いの後に、仮面の男が意識を失ったウフェナを担いで運ばなければ、暴動が起こってもおかしくはなかったと彼は考えている。


 そしてそれ故に、ハムゼは肌でひとつの事実を直感していた。

 この日の敗北は、現政権にとって厳しい結果をもたらす種となりかねないと。


 しかしあごひげを伸ばした男は、現政権の閣僚であるにもかかわらず、まるで他人ごとのような発言を口にした。


「ふむ、市民の皆様の不満が政権へと向けられましたら、確かに内閣の一員としては最悪といえるかもしれませんね。でも、それはあくまでトミエル内閣という視点からの物差しですよ。つまり少し視点を変えてみれば、全く異なる解釈が成り立ちます。言いたいことはわかりますか、ハムゼ君」

「そ、それは、現政権の倒れた後の事をおっしゃっていると……そういうことですか?」

 現内閣の一員でありながら、あまりに大胆な発言。

 それを耳にしたハムゼは声を震わせながらそう問いかける。


 すると、一切の迷いを見せること無く、眼前の男の首は縦に振られた。


「ふふ、我々は与党の一員といえども、全ての最終的な責任はトミエル氏と民主改革運動が負うのです。もし彼等が違うというのならば、我々が手助けして、その背中にくくりつけてやればいい。簡単な事じゃないですか」

「なるほど……確かにわれらに矛先が向けられるのは避けねばなりませんからな」

「その通りです。我らに不満が向くということは、我らの神に不満が向けられるのと同義。残念ながら、そんなことは許されることではありません。たかがキスレチン程度の国家に住む者達が、我らが神を冒涜するなどと許されざる話です。哀れな彼等は、神への供物にすぎないのですから」

「……はい。おっしゃる通りです」

 目の前の男から垣間見える狂気に当てられて、ハムゼは震えながら返事を行う。

 すると、あごひげの男は頬を歪ませながら軽く笑い声を上げた。


「はは、まあ君がこの国を思うこと自体は決して悪いことではありません。いずれこの国は、我らが神に捧げられるのです。そのための供物は、できるだけ良い状態でなければいけませんから。さて、まあそれはいいとして、そろそろ君も気づきましたか?」

「気づいた? 一体、何をでしょうか?」

「我らの仇敵のことですよ」

 それまでの寛容な口調とは一変し、粘りつくような声で男はそう口にする。

 途端、ハムゼの表情はまさに一変した。


「す、少しお待ちください。それは一体どういうことですか!」

「……君達も薄々怪しんでいたのじゃないですか? あの仮面の男のことを」

 眼前の男の口から飛び出した特定の人物を指すその言葉。

 それを耳にした瞬間、ハムゼは顔面を蒼白にさせると、一つに事実を突きつけられたことに気がつく。


「まさか……それでは奴の中身は!」

「ええ。だが私が奴の存在に気がついたのと同様に、奴もそろそろ私のことに気づいておる頃でしょう。いや、もしかするとその探りを入れるために、わざわざラインドル国王を利用したのかもしれませんね」

「……あの男が……つまり仮面の男が調停者だと言われるのですか?」

 もう一人の調停者は既に消え去り、現存するものはただ一人。

 その最後の一人であり、近年の大陸西方において最も有名な人物があのマスクの下にその素顔を隠しているのかと、改めてハムゼは問いなおす。


 そしてその問いは、眼前の人物によってあっさりと肯定されることとなった。


「その通りです。冷静に考えてみなさい。ウフェナ君を無手で倒す者など、剣の巫女の後継者を除いて他に思い当たる人間など、そうはいませんよ。違いますか?」

「だからこそ奴は、あの厄介な腐れジジイ……そう、フォックス・レオルガードと会いたがっているわけですか」

 できることならば早急に亡きものとしたいこの国に居座る厄介者の名を、ハムゼは吐き捨てるように口にする。

 それを受けて、あごひげの男はそのとおりだとばかりに大きく頷いた。


「ふむ、ようやく君も状況が理解できたようですね」

「……いかがいたしましょう。秘密裏に密殺いたしますか?」

 もはや真実を理解した今、ハムゼとしては躊躇する理由を有してはいなかった。そしてだからこそ、迷うこと無く非合法な手段を第一に模索する。


 仮に彼がたどり着いた真実が誤りであったとしても、殺害してから確認すれば良いと思うほどに、彼がこれから相対する敵は、早急に手を打つべき相手であった。


 だが真剣な表情で語ったハムゼの提案を、眼前の男は軽く笑い飛ばす。


「無手でもってウフェナ君に勝ち得る者を、情報部如きがですか? よほど多数の人員を動員する、派手な案件となることでしょうね」

「ですが……」

 思わず反論を口にしかかるも、ハムゼは否定材料が乏しいことをすぐに理解した。


 何しろ仮面の男は、前夜祭でも料理はおろか、水でさえ一切手を付けなかったことは既に調査済みである。毒殺が困難である以上、確実に彼を殺害出来るだけの人員を動員する必要があった。


 だが、確かに眼前の男が言うように、相手はこの国の英傑を無手で倒した男である。それ故、殺害するのに必要な人員を考えれば、確かに密殺などと呼べるシロモノでなくなることは明白であった。


 一方、眼前の男は押し黙ってしまったハムゼに対し、軽い口調でそのまま指示を与える。


「ハムゼ君、今は奴を泳がしておけばよいのです。むしろ蠢く虫どもをあぶり出すのには、まさに好機でしょうからね」

「蠢く虫……ですか」

「ええ。私達の神に仇なす者達には、等しく死を与えねばなりません。そして調停者の周りには、特に神に仇なす不届き者が集まるに違いないのです。だからこそ、奴と奴に近づく者たちへの監視を怠ってはいけませんよ。この国を我らが主へと捧げるその時まではですが」

「はっ、全てはケティス様のご指示通りに」

 そう口にするなり、ハムゼはこの国の軍務大臣であり、そして統一宗教主義戦線のケティス・エステハイム枢機卿に向かって深々と頭を垂れる。


 その仕草を軽く頷きながら受け止めると、ケティスは愉悦に満ちた笑みを浮かべた。


「さて、それでは約束の時まで、私達の掌の上で踊り狂うのを眺めるとしましょうか。愚鈍なトミエルさんに、西方会議にノコノコと姿を現した各国の脳なしさんたち、そして我らが仇敵である調停者ユイ・イスターツの姿をね」


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