第11話 英傑

 圧倒的不利に思われた中での、仮面の男による思わぬ反撃。

 キスレチンの市民でほとんどを占められた観客席からは、思わず悲鳴に近い叫び声が上がった。


 ただし同じ観客席でも、この各国の要人のために用意された特別席を覆う空気は、若干異なる様相を呈している。

 それはウフェナに対抗し得る程の兵士を有していたラインドルへの警戒と、自国有利にくじを細工したキスレチンに対する少なからぬ反発心が混じりあったが故であった。


 もちろんそんな中にも、例外と呼べる者が存在する。


 忌々しい表情を浮かべながら仮面の男を睨みつけるキスレチンの高官達の隣で、驚きの表情を浮かべる美男子。

 彼はたった今繰り出されたとある技を目にするなり、目を見開くとともに、その唇を震わせた。


「え!? あれは……水面……蹴り」

 かつて彼自身が、その身をもってなんども叩き込まれた体術の一技。


 妙技とも呼ぶべき東方の特殊な足払いを、ラインドルの代表である仮面の男が繰り出した瞬間、彼の心臓の鼓動は高鳴った。


「どうかされましたかな、ライン大公?」

 ウフェナの無様な姿を目にして不機嫌著しかったトミエル大統領であったが、この西方会議のホストとして、隣席に腰掛ける若者の表情が優れぬことを気にかける。

 途端、エインスはハッとした表情となると、慌てて首を左右に振った。


「いえ、珍しい技を目にしましたもので」

「……確かに、あのような形の体術は見たことがありませんな」

 しぶしぶといった表情で、トミエルは相手国の代表の技量を賞賛する。そして不甲斐ないウフェナに向かって、彼は胸の内で毒づきながら、再びコロシアムの中央へと視線を移した。


 一方、内心の動揺をどうにか押し殺したエインスも、再開されようとする戦いへと慌てて視線を向ける。

 しかし彼の視線が追うのは、目の前の試合の内容ではなく、ただ仮面の男の姿だけであった。


「ラインドルの代表団……顔を隠す必要がある……そして東方の体術……あの仮面の人はもしかして……」

 トミエルに聞き咎められないよう注意しつつも、彼の口腔内では、言葉にならぬそんな声が思わず発せられていた。




「妙な足払いを使うな。いや、馬鹿にしているのではない。実に素晴らしい体術だ。さすがの私もかわしようが無かった」

 地面へと転倒させられた瞬間、無様であることを承知で地面を転がり、距離を取り直したウフェナは眼前の男に向かってそう賞賛する。

 だが、そのウフェナの発言に対して、仮面の男はその口元をほんの僅かに動かすのみであった。


「認めよう、先ほどの攻撃は賞賛に値する。しかしだ、あまり調子に乗るなよ。貴公の折れ曲がったレイピアを前にし、この私には多少の慢心と戸惑いがあった。だが、もはやそんなものはこの私に存在しない。さあ、対等なる敵手よ、かかってきたまえ!」

 無手のまま半身の姿勢で静かに構えているアインに対し、ウフェナは自らの決意を示すかのように高らかと声を張り上げた。


 その瞬間、アインは一気に前方へ向けて加速する。


 一方、迎え撃つウフェナはタイミングを計って両手剣を振りかぶった。そして迫り来るアインの速度を計算し、一歩前へと踏み込む。だがアインとウフェナの両手剣が交差することはなかった。


 それは迫りつつあったアインがウフェナの剣の間合いの直前で急制動し、右側面へ回り込もうとしたからであり、また何かしら動きに変化をつけてくると予測していたウフェナが、フェイントのみで剣を振り下ろさなかったためであった。


「私の読み通りだな。チェックメイトだ!」

 アインが変化をつけてくると読みきったウフェナは、アインの足が止まったタイミングで、勝利の確信とともに彼へと襲い掛かった。

 そしてフランベルジュを振り下ろそうとしたまさにその時、突然目に何かが飛び込んで来る。

 途端、彼は反射的に剣を握っていた右手を自らの目へと動かした。


「き、貴様。卑怯な!」

 そう言葉を吐き出すと同時に、彼は眼前の男が足元の砂を蹴りあげたのだと理解する。


 そして彼は自らの窮地に気がついた。


 この至近距離で視界を失った上、逆撃できない体勢であることが何を意味するか。

 それを当然のことながら、眼前にいる卑怯者の体術をその体で味わうことに他ならなかった。


「……済まない。これは皆に教えている私の常套手段なんだ。さすがに君の剣を何度もかわす自信はなくてね」

 砂を蹴りあげると同時に、間髪入れずウフェナの懐へと飛び込んだアインは、そのまま剣を握っているウフェナの左腕を掴む。

 そして勢いを殺すことなく、ウフェナの左腕を支点としながらグルリと宙を一回転すると、重力に任せるまま彼は地面へと倒れこんだ。


「うごぁああ!」

 不安定な体勢のままアインによって地面に引きずり倒されたウフェナは、自らの左肘が有り得ぬ角度まで伸ばされていることを理解する。

 そしてまさにそのタイミングで、仮面の男が彼に向かってボソリとつぶやいた。


「勝負あった……かな。降参してくれないかい」

 剣ではなく無手でもっての敗北要求。

 それはまさにウフェナにとって屈辱以外の何物でもなかった。


 だが激しい痛みを感じる自らの左腕は、これ以上ない悲鳴を上げ続ける。


「ま、まい――」

 絶望と痛みに後押しされ、自らの敗北を認めようとしたウフェナ。


 しかしその瞬間、彼の耳は無数の声を拾った。

 そう、この会場に詰めかけたキスレチン市民の祈りに満ちた声を。


「まいらん、まだまいらんぞ。私は、そしてキスレチンは負けていない!」

 卑怯な攻撃を見せたアインに対するブーイングと、彼らの誇る英傑の勝利を願う叫び。

 それを耳にしたウフェナは、一つの覚悟を決める。それはたとえ左腕を失おうと、この戦いに勝利するという覚悟を。


「な、馬鹿な!」

 ウフェナの叫びにも満ちた決意の言葉が吐き出された瞬間、アインは有り得ぬ事態に直面した。

 子供ではなく大の大人ではある彼が、左腕一本で宙へと持ち上げられたのである。


 そして次の瞬間、腕ひしぎの形で左腕に捕まっていたアインは、全力で大地へと叩きつけられることとなった。


「ぐほっ」

 背中に激痛が走るとともに、思わず息が止まり、体の中の酸素が全て外に吐き出される。

 さらに叩きつけられた衝撃で、彼の脳はシェイクされると、アインは完全に平衡感覚を見失った。


 しかしまさにそのタイミングで、彼は背中に痛み以外の冷たい汗が走る感覚を覚える。

 だからこそ、彼は這うような形でその場から体を動かした。


 そして次の瞬間、先ほどまで彼の体が存在していた大地に、右手一本で振るわれたフランベルジュが突き刺さる。


「はぁ……はぁ……なかなかにしぶといな」

「それは……貴方の方ですよ。あの状況から切り返されたのは……正直言って初めてです」

 大地に叩きつけられた衝撃でズレかけていたマスクを直すと、アインはウフェナに向かって、そう返答する。

 するとウフェナは、痛みに歪めていた表情を、わずかに緩めてみせた。


「ほう……初めてまともに返事を返してくれたな」

「生粋の無口ではありませんからね。それに貴方ほどの勇士に対し、言葉を返さぬのは、さすがに失礼だ」

「そうか……ならば私は貴公に詫びよう。貴公を悠々と蹴散らし、命令通りにそのマスクを剥がそうなどと考えていた、この私の思いあがりをな」

 ウフェナはそう口にすると同時に、一度大きく息を吐き出す。

 そしてわずかに呼吸が整ったところで、右手一本で巨大なフランベルジュを構え直した。


「では、私こそ貴方に敬意を評し、一つお話しましょう。そう遠からぬうちに、このマスクは外すつもりです。ただ申し訳ありませんが、今はまだその時ではない。というわけで、お話は終わりです。これ以上戦うのは超過勤務が過ぎる。キスレチンの英傑殿、そろそろ決着としましょう」

「おう、仮面の強者よ。覚悟せい!」


 アインの声に反応し、ウフェナは全力で彼めがけて剣を振り下ろす。


 両手剣であるにも関わらず、右腕一本で振るったその軌道は、恐るべきことにほんの僅かなブレも存在しなかった。つまり再び懐に飛び込もうと迫り来るアインの正中から、少しのズレも存在しなかったのである。


 もはやどう立ち回ろうとも、迫り来る刃をアインはかわし様がなかった。

 仮にこれが、両手で振り下ろされたものであったのならば。


「……あなたは実に恐ろしい人だ。私の出会った中でも、指で折れるほどのね」

 アインはそう口にしながら、速度の欠けたウフェナの剣撃をわずかに体をずらしながら回避する。

 そして、既に何かを悟りきった表情を浮かべるウフェナの後頸部に、その意識を刈り取る肘打ちを彼は放った。


 次の瞬間、コロセウムの中心には明暗が、そして勝者と敗者が生まれる。


 その絶望的な光景が生み出されると同時に、観衆たちのあるものは泣き崩れ、ある者は沈黙し、そしてある者は仮面の男に向かって罵声を浴びせた。


 混沌という形容がまさに相応しき会場の中心、そこでアインは大地へと沈んだままのウフェナに向かい歩み寄る。

 そして英傑との呼び名に違わぬ誇り高き男の側で屈みこむと、彼は目の前の大男をゆっくり背負い上げる。


 途端に、先程まで散発的に発せられていた罵声はピタリと止んだ。

 そしてウフェナを背負ったアインがゆっくりと入場口に向かい歩み出すと、今度は二人の健闘を称える拍手が、自然発生的に生まれていく。



 そうして会場中からの視線をその背に浴びながら、激闘を行った二人の男は、ゆっくりと日の当たらぬコロシアムの中へ引き上げていった。

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