第10話 仮面の下に秘めたるもの

「まさにバケモノだな。君の差配は正しかったというわけだ、ファッテソン農商大臣」

 一般の観客席よりも一段高い位置に設営された特別席の片隅。

 先ほどの戦いを目にした各国の代表団が驚愕の表情を浮かべるなかで、圧倒的な力の差を予期していたキスレチンの外務大臣であるハムゼは、くじの細工を行った農商大臣のファッテソンを小声で賞賛する。


「いえ、もちろんウフェナ君の名前に傷がついてはいけないとは思っていましたが、さすがにここまでとは……」

「ああ……ただ惜しいことに、いくら個人として強かろうと戦いは数だ。彼がクラリスの陸軍を率いたとして、皆が彼のように戦えるわけではない」

「それはそうですが……」

 確かにハムゼの口にしていることは正論である。

 だがそれでもなお、圧倒的な技量差を目にして、ファッテソンは素直に頷くことができなかった。

 一方、そんな彼の動揺を見て取ったハムゼは、軽く彼の肩に手を置く。


「まあ、落ち着き給え。我が軍を糾合すれば、クラリス軍など勝負にもならん。それに極論すれば、クラリスと戦わなければ彼と戦うことなど考える必要はない。その点は我ら外務省に任せてもらおう」

「……確かに。我が国の力を以てすれば、如何にバケモノが一人いたとして、問題はないですな」

 圧倒的な国力差がある事を思い出し、どうにか気持ちを落ち着けたファッテソンは、そこで一度大きく深呼吸する。そして改めて、彼は頭のなかの思考を切り替えた。


「ところでハムゼ外相。ラインドルの代表である例の仮面の男の身元はわかりましたかな?」

「……その問いかけをしてくるということは、第一情報部の方でもまだ洗えていないというわけですな」

 ハムゼのその言葉と表情。

 それはファッテソンに対し、ひとつの回答を暗に示していた。

 つまり第二情報部を率いるハムゼも、未だアインという名の仮面の男を洗えていないという事実を。

 それ故に彼等は、通常ではあり得ぬやりとりを行うことをほぼ同時に決意する。


「ええ。どうやらラインドルの王立大学に、同姓同名の他国出身の研究者が存在するところまでは判明しました」

「研究者? それはうちでも把握していない情報だな。うちの部署でわかっていることは、あの男はラインドル国王直々の指名で、今回の西方会議に参加したということだ」

 組織としては犬猿の仲である第一情報部と第二情報部の掴んでいる情報を、お互いが牽制しつつ提示する。

 彼等の口から告げられた情報が事実であるかには、一考の余地があると互いに理解していたが、それぞれ政権の中枢にいる以上、今は信用するべきだと考えた。

 だからこそ、ファッテソンは極めつけの情報をハムゼに提供する。


「ほう、となると面白いこととなりますな」

「面白い? 何がだ?」

「うちで把握した話ですが、先ほどの朱と仮面の男がコンタクトを取った可能性があるということです」

「な、何? それは本当か!」

 自らが掴んでいない上、極めて聞き逃すことのできぬ情報。

 それがファッテソンの口から飛び出したことで、ハムゼは思わず動揺を見せた。


「あくまで可能性。ですが、前夜祭の日に彼らがすれ違いざまに何らかのやりとりをしたことを目にしていたものがおります」

「やりとり……だがそれだけでは、コンタクトを取ったとは言いがたい気がするな」

「いえ、話はこれだけではありません。その前夜祭のあと、彼を監視していた我らが諜報員を全て叩きのめしてくれた上で、朱は夜間にクラリスが借り上げている屋敷から何処かへ向かっております。しかも同日、ラインドルの使用している旧コニーク邸の警護兵が、物音一つ立てず軒並み気絶させられておりました。果たしてこれは偶然でしょうか?」

 ファッテソンはそう口にすると、眼前のハムゼの表情を窺う。

 そのやや自慢げな表情を目にして思わず舌打ちをしそうになったが、ハムゼはかろうじてのところで踏みとどまった。


「なるほど、興味深い話だ。確かにそれだけの事をやってのけるとしたら、あの朱くらいしかいないかもしれん」

「ええ。普通なら監視兵と警備兵をたった一人で昏倒させたという仮定からして、笑い飛ばしてやりたいところです。ですが、あの技量を魅せられてはいささか……」

 そう口にすると、ファッテソンは思わず首を左右に振る。

 一方、そんな彼の気持ちをわからぬわけではなかったが、ハムゼはその見解に素直に頷くことはできなかった。


「ただファッテソン殿。面白い話ではあるのだが、今の話だけでは二人がコンタクトを取ったと言うには、少し飛躍し過ぎな気もするな。仮にコニーク邸の警備兵を昏倒させたのが朱であるとしても、その目的が仮面の男とコンタクトをとるためとは限らないだろう。仮に前夜祭の接触が事実であったとしてもな」

「かも知れません。ですが、ラインドルと接触する目的で、警備兵を叩きのめすでしょうか? 私にはそう思えない。となれば、何らかの目的で以前より知己である仮面の男に会おうとした。そして仮面の男は朱と同様にラインドルに対し従順ではない……こんな予想が成り立つのは理解頂けるかと思います。もちろん仮面の男の中身が、ラインドル王立大学にいる他国出身の研究者であるという仮定の上でですが」

 もちろんファッテソンとて、無数にある可能性の一つにすぎない話であると理解している。だがこの地位まで彼をたどりつかせた勘のようなものが、朱のアレックスだけではなくあの仮面の男は危険であると、彼に向かって警告していた。

 一方、ファッテソンよりはるかにリアリストなハムゼは、さすがに目の前の男に遠慮し鼻で笑いはしない。だが、仮説を重ねれば重ねるほど、真実から遠ざかるというのが、彼の持論であった。


「ふむ。いや、想像の翼を広げた面白い話だ。だが話の殆どの部分が、推論と根拠不十分な情報ではな……さしあたって、今のところは結論を保留とさせて頂こう。今から始まる戦いで、ウフェナくんが仮面の男の正体を暴いてくれる手はずだからな」

「……そうですな。顔がわかれば、より情報も集まりやすくなる。確かにこの話は、あの男の素顔を目にしてからでも遅くはないですな」

 そう口にすると、ファッテソンはその視線をコロシアムの中心へと向ける。

 するとそこには、今にも戦い始めようとする一人の大男と、この場に及んでも視界の悪い仮面を付けたままの不可思議な男が存在していた。



「覚悟はいいかな、仮面の男よ?」

 細身のレイピアを手にしながら、ゆっくりと眼前に歩み寄ってきた男を目にして、ウフェナはそう問いかける。

 だが、仮面の男は口元をわずかに歪めると、軽く肩をすくめてみせた。


「ふむ、返事を口にはしない……か。それとも言葉を発することができんのかな。まあ難しいことは上に考えてもらうとしよう。私はただ、貴公相手に全力を尽くすのみ」

 そう口にすると、ウフェナは彼の身丈と同じほど巨大な愛剣を両手で握る。


「ツーハンデッドソード……形状から言えばフランベルジュだが」

 まるで炎がゆらめいているかのように見える刀身から、帝国ではフランベルクなどとも呼ばれる特殊な剣。

 それを目にしたアインは、軽い驚きとともに思わずそう呟く。

 一方、そのかすかなつぶやきを耳にしたウフェナは、思わず嬉しそうに笑った。


「ほう、貴公はこいつを知っているのか。このフランベルジュを」

 ウフェナは興味深げな視線を向けながら、アインへとそう問いかける。

 だが仮面の男は垣間見える口元を、わずかに動かすのみ。つまり、再び彼の声帯から声が発せられることはなかった。


「ふふ、スマンな。いや、人形相手に戦うとなれば寂しいものだからつい嬉しくなってな。これ以上の言葉は無粋、ここからは互いに剣にて語り合うとしよう」

 そう口にすると、ウフェナは両手剣を握り直す。そして一度小さく息を吐きだすと、一足飛びでアインへと斬りかかった。


「っつ、速い!」

 巨体に似合わぬその速度に、アインは思わず感嘆の言葉をこぼす。そして彼が危険を感じ取り体を側面へと投げ出した瞬間、先程まで彼が存在した空間には、巨大な質量を持った剣がまるで空間を断ち切るかの勢いで振り下ろされた。


「ほう、良い反応だ。だが逃げるだけでは、勝つことはできんぞ!」

 アインの回避を目にしたウフェナは、むしろ嬉しそうに口元を緩める。そして間髪入れること無く、体勢を崩しているアイン目掛けて、横薙ぎの一撃を払った。

 迫り来る銀色の波打った刃。

 しかしその追撃の一撃を予期していたアインは、敢えて体を地面へと沈み込ませ、ぎりぎりのところで回避する。


「ちっ、これもかわしたか!」

 二撃目も回避されたウフェナは、両手剣を振り切ると同時に、思わず舌打ちする。それはつまり、アインによる逆撃の機会を与えたことを理解したが故であった。

 そして間髪入れること無く、アインのレイピアが煌めく。


 観客たちは全く予期していなかったその光景に、思わず歓声を上げた。

 先ほどの戦いとは異なり、本命であるウフェナに対し大番狂わせが起こると感じたからである。


 だがその歓声は、一瞬で異なる叫びへと塗り替えられる。


 それはウフェナによる、全く予期せぬ行動が故であった。

 自らの肩元めがけ放たれたレイピアの突きに対し、彼は回避するのではなく、逆に前へと突進したのである。


「なっ!」

 次の瞬間、アインの手にするレイピアはウフェナへと接触する。

 但し彼が狙っていた肩ではなく、その腹へと。

 次の瞬間、彼のレイピアは鈍い音を立てて折れ曲がった。


「ふふ、そんな儀礼用の武器など持ち込むからこうなるのだ。模擬戦と銘打っているものの、ここは戦場。少なくとも私はそのつもりで戦っている。だからこそ、腹にプレートを仕込むくらいの用心をして当然と思ってもらおう」

 既に勝負あったとみなしたウフェナは、剣から片手を離すと、自らの腹を軽くとたたく。すると、コンコンという鈍い音が周りに響いた。


「……なるほど。少し考えが甘かったようだ」

 そう口にすると、アインは小さくため息を吐き出す。だが、彼はそのまま折れ曲がったままのレイピアを再び構え直した。


「おいおい、それでまだ戦うつもりか? 相手が赤子であるなら話は別だろうが、貴公の前にいるのはこの私だ。悪いことはいわん、降参したまえ」

 ウフェナはやや呆れた様子を見せながら、余裕を見せつつそう勧告する。

 だが、アインがレイピアを下ろす素振りを見せることはなかった。


「どうしても続けるつもりか。ならば仕方がない。勇気と無謀とがわからんようだが、その決意にだけは敬意を評しよう」

 そう言い切るなり、両手剣を握り直すと、ウフェナはまっすぐにアインに向かい構え直した。

 そしてもはや躊躇すること無く、彼に向かい暴虐とも言うべき勢いで横薙ぎの一撃を振るおうとする。

 

 眼前の男の命を絶つ決意を秘めた一撃。

 だがその一撃によって、仮面の男の血しぶきが上がることはなかった。

 何故ならば、ウフェナは思わぬ衝撃を感じ、振るいかけた剣を止めずにはいられなかったためである。

 そう、それは眼前の男が放り投げたレイピアが、まっすぐに彼の手にぶつかったためが故であった。


「き、貴様、何を!」

 すぐに剣を握り締めなおし、再びアインへと振るおうとするウフェナ。

 しかし、ほんの僅かに視線を外したその刹那、彼の視界からはまるで幽霊のように仮面の男は消え失せていた。

 そして次の瞬間、彼は両足に衝撃を感じると、天地がひっくり返り、後頭部を強く打ち付ける。


 大地に体を打ちつける直前にウフェナが目にしたもの。


 それは地面に沈み込むかのように低い姿勢から、体を回転する形で足払いを放ち終えた仮面の男の姿であった。

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