第12話 払える代償

「ミ、ミリア様……どうしてここに」

「おわかりになりませんか? 貴方に……そう、ユイ・イスターツ様にお会いするためにです」

 動揺を隠せないユイとは異なり、ミリアはわずかに顔を赤らめつつも、はっきりとした意思を込めてそう告げる。

 そんな彼女に視線を向けられたユイは、弱った表情を浮かべると、思わず頭を掻いた。


「ミリア様。別にこんな時間でなくても、私は何時でも貴方にお会いしますよ。今日はようやく仕事を終えたところでして、申し訳ないのですが、できれば日を改めて頂けませんか?」

「いいえ、嫌です」

 春の暖かな日差しのように、いつも穏やかな笑みを浮かべていたミリア。そんな彼女が、毅然とした表情ではっきりとした拒否を口にする。

 これまで箱入り娘だという印象しか抱いていなかったユイは、そのミリアのはっきりとした意思表示に戸惑い、言葉を詰まらせた。


「ミリア様……」

「私は今日、貴方に会うためにここに来たのです。そして貴方に頼みを伝えるためにここにいるのです」

「頼み……ですか。もちろん私のできる範囲の事ならお手伝いしますよ。ですから、また改めてですね——」

 困ったように頭を掻きながら、ユイはとりあえずこの場を収めようとそう口にする。

 しかし彼が言い切るよりも早く、ミリアは彼に向って口を開いた。



「その貴方の出来る範囲に、この国を救うことは入りますか?」

「……どういうことでしょうか?」

 ミリアの言葉の意味するところを、ユイは理解していた。そしてそれ故に、なぜミリアがここにいるかも、彼は正確に理解する。だからこそ彼は、あえて彼女に向かいとぼけて見せた。


 しかしそんな彼のその場しのぎの対応は、ミリアにさえすぐに看破される。


「貴方ほどの人ならわかっているでしょう。フィラメントからこの国を、ケルム帝国をお助け下さいませんか」

「それは……」

 駆け引きも打算もなく、ただ純粋な願い。

 それをストレートにぶつけられ、思わずユイは面食らうとともに、口ごもる。

 一方、そんな彼に向かい、ミリアは更に自らの思いを彼へとぶつけた。


「貴方は先ほど言われました。『できる範囲の事なら』と。そして貴方にはフィラメントからこの国を救うだけの能力があるはずです。英雄、ユイ・イスターツにならば」

「……買いかぶりすぎですよ。どうもこの国の方は、私を過剰に評価しすぎるきらいがある。私なんてその辺りにいくらでも転がっている、少しばかり幸運なだけの軍人にすぎません」

 視線の重なったミリアの瞳に思わず吸い込まれそうになり、ユイは慌てて顔を背ける。そして首を左右に振りながら、どうにかと言った体で返答を口にした。


 一方、そんな彼のはぐらかす様な回答に、表情に憂いを帯びたミリアは、やや低い声で彼に向かい一つの問いを発する。


「では、私の愛するこの国が、そして臣民が、ただの幸運なだけの人物に負けたと、そう貴方は言われるのですか?」

「ミリア様……」

 ほんの僅かに陰を含んだミリアの問いかけ。

 それに対して、ユイははっきりとした回答を口にすることができなかった。


「ごめんなさい、答えづらいことを聞きましたよね。でも貴方が出来ないと思っていらしても、私は貴方なら……そう、貴方なら私達を救ってくださることができると思っているんです。だから、もし、あ、あなたが求めるなら……代償として……わ、私をあなたに捧げ……ます」

 顔を上気させ、最後の方は蚊の鳴くような声でミリアはそう告げる。

 現在ここにミリアが存在するという状況。それ自体が、彼女の今の発言が本気であるということをユイに対して如実に示していた。

 だからこそユイは戸惑い、思わず髪の毛を掻き毟る。


 幾許かの時間、二人の間に沈黙が訪れた。

 そんな二人のうち、最初に口を開いたのは、目の前の女性の背後に二人の男性の影を見たユイであった。


「……全く、あなたほどの女性がそんなことをおっしゃられてはいけませんよ。私でさえ、本気にしかねない。さあ、ご家族の元へ帰りましょう」

 やわらかな口調で告げられた、明確な拒絶の言葉。

 だがそんなユイの言葉の中に『家族』という単語が含まれていたことから、ミリアは目の前の男性の言葉が、彼女ではなく彼女の背後に存在する二人に向かって告げられたものであると理解する。

 そしてそれ故に、ミリアは羞恥と緊張で高鳴る胸を抑えながらも、ユイの誤解を解こうとはっきりと口を開いた。


「本気とは……受け取って頂けませんか」

「え?」

 予想もしないミリアの言葉に、ユイは彫刻になったかのようにその場に静止した。

 すると、そんな彼に向かってミリアは自らの思いを口にする。


「確かに、父には貴方を私の夫とするよう、期待されているのは事実です。今日も私のところに、その話を持って来られました。でも、具体的に何かを指示されたわけではありません。父は、今このとき……私が貴方の部屋にいることを知りません。私は……わ、私の意志で……ぅう……貴方の部屋に入ったのです」

「ですが……」

「私に恥をかかさないで下さいっ! 私だって大人です。今、自分がしている行動がどういうことかくらい分かっています。そしてわかってくださらないので、はっきり言います。国の為だけなら、私はここには来ませんでした。なぜかって? それは貴方だからです。以前に私と父の命を救って下さった貴方だから、私はここにいるんです!」

 そうはっきりと宣言したミリアの顔は羞恥の為に紅く染まり、その瞳には今にも零れ落ちそうな一滴の涙が浮かぶ。

 そんな彼女の瞳を目にして、ユイはようやく先ほどの彼女の言動が事実であると理解した。

 しかしながら、それでもなお、彼は目の前の女性に向かい抗弁を試みる。


「あれは私も命を狙われたからですよ。結局自己保身の延長にあなた達がいらっしゃっただけ……そうは思われませんか?」

「ご自身が思ってもいないことを口にして、私を説得しようとされるのはやめて下さい。私の目がそこまで節穴だとお思いなのですか?」

「私のところへ来られようとするくらいですから……いえ、失言です。今のは忘れて下さい」

 さすがに自らの言動に、彼女を侮辱する成分が多分に含まれていたことに気づき、ユイは思わず唇を噛む。


「お願いです……この国を救って下さい 。それとも……私ではご不満なのですか?」

 そんな彼の思考を知ってか知らずか、ミリアは涙を流しながら上目遣いにユイの顔を見上げる。

 美しくも儚いその表情に、ユイは思わず息をのむ。

 そしてユイは一度その目をつぶると、無数に有していた選択肢の中から、最も茨の道だと考えていた一つの選択肢を選ぶことを、ここに決断した。


「ミリア様……誠に申し訳ありませんが、クラリス王国のユイ・イスターツ大使は、やはり貴国の戦争を手伝うことはできません」

 ミリアの目を見つめながら、硬い表情を崩すことなくユイはそう述べた。

 するとその瞬間、ミリアは俯き、か細い声を吐き出す。


「……そう……ですか」

「ええ、申し訳ありません……ですが、ウォール商会の商売人であるユイというただの男なら、話は別です」

「えっ?」

 突然ユイが話し始めた内容に、ミリアは驚くと、すぐさま顔を上げる。

 その彼女の視線の先には、いつもの苦笑いを浮かべるユイの表情があった。


「ですから、ウォール商会に属しているユイという商人ならば、商会の利益のために、止むを得ず帝国軍に協力することがあるかもしれません。まあ、これはあくまで独り言ですが」

「……で、では!」

 先程まで曇らせていた表情をぱっと明るくさせたミリアは、期待に満ちた目でユイをまっすぐに見つめる。

 その視線の先に存在する男は、頭を掻きながら照れくさそうに口を開いた。


「あくまでビジネスです。それもあなたとわたしの間での取引ではなく、ウォール商会とケルム帝国との商売。もしそのような形でよければ、一商人のユイという男が、貴国のお手伝いをして差し上げましょう」

 彼が全てを述べ終わるか終わらないかのタイミングで、ミリアはまっすぐにユイの胸へと飛び込んだ。そして彼女の大きな瞳からは大粒の涙が流れ落ちていく。


「ありがとう、本当にありがとう。もうミリアは貴方のものです、ユイ。ですから……その……わ、私を」

「ちょ、ちょ、ちょっとお待ち下さい。ミリア様、先にも申しあげました通り、今回お助けするのはウォール商会の男ですよ。それに……」

 ミリアの肩に優しく手を置くと、ユイはゆっくりと自分から引き離す。そして彼は彼女の目を覗きこむように見つめながら、諭すように口を開いた。


「それに、貴女や周囲が英雄と呼んでいる男は、そんな大した男じゃないんです。だから期待に応えられる働きなんて出来ないかもしれない。ですから……私……いえ、そのウォール商会の男が仮に何らかの報酬を頂くとしたら、それは全てが納得できる結果で終わった後のこと。それでいかがですか?」

「はい、はい……わかりました、ユイ」

 ミリアは左手の指で軽く涙を拭い、上品にドレスを持ち上げて挨拶をする。そして目元に手を当てながら、足音を立てること無く、そのまままっすぐにユイの部屋から出て行った。


 そうして一人残された部屋で、ふらふらと窓際へと歩み寄ったユイは、そのまま窓を開けると、室内よりわずかに涼しい外の空気を吸い込み、そして大きな溜め息とともに吐き出す。


「はぁ……これでまた少し働かなくてはいけなくなったか。労働というものはさ、まったくもって私の性分じゃないんだけどね」

 本心からのその呟きは、ミリアの静かな足音とともに、帝国の夜空へと溶けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る