第11話 もう一人の後輩
「ユイさん! この忙しいのに、こんな時間まで一体どこをほっつき歩いてきたんですか?」
正午過ぎにふらりと姿を消したユイが、深夜と呼んでも差し支えない時間に自らの執務室へと戻ると、部屋の奥から突然彼に向って非難の声が浴びせられる。
こんな時間まで部屋の中で自分を待っている存在がいると考えていなかったユイは、一瞬虚を突かれた表情を浮かべたが、午後行うはずであった事務仕事を全て押しつけたその声の主に向かって視線を向けると、悪かったとばかりに頭を掻く。
「はは、ごめんね。いやぁ、オメールセン君がどうしても来てほしいっていうからさ。ケンメル氏のお店に足を運んだのだけど、意外と話が分かる御仁だったものでね」
帝国最大の貿易商の名を挙げながら、ユイは苦笑を浮かべつつゆっくりと自らの椅子へ腰かける。
一方、予期せぬ人物名を耳にしたフェルナンドは、非難から興味へとその瞳の色を変えると、すぐさま問いを口にした。
「ケンメル氏……ですか。オメールセンの奴は、どうだったのですか?」
「うん。やはり彼は有能だね。ケンメル氏相手に一歩も引き下がらない。あの胆力は普通の商人が持てるものではないな。実際に帝国内での販売網は拡大傾向だし、何より素晴らしいのは、注文だけ取って置きながら、なんだかんだと口実をつけて商品をまだ搬入していないところさ」
「つまりは今度の戦いの推移を見守るつもりですか。なるほど……さすがに抜け目ない男ですね」
近い内に起こるであろう帝国と魔法公国の決戦。
その戦いにて帝国が敗北した場合、魔石の代金が回収不能となる可能性が存在する。それ故にオメールセンは、この戦いが終わるまで直接の取引自体は先延ばしにしようと画策していた。
「ああ、君の言う通りさ。まあ、売るだけ売って回収できないなんて事態になったら、完全に丸損だからね。荷物は帝都内に購入した倉庫に運び込んでいるみたいだけど、いつでも運び出す準備はされてある。つまりはそういうことさ」
「なるほど。やはりただの小悪党ではないって事ですか」
「ただの小悪党なら、あんな組織を一代で築くことはできないよ。先日ある男に脅されたためか、契約違反はしなくなったみたいだけど、それでも契約の隙間を縫って自らのポケットに入れている金額は今でも多い。でも、見て見ぬ振りをして上げられる程度には有能な男さ」
その言葉の中に含まれていた内容を耳にして、フェルナンドはわずかに表情を厳しくする。
「いいんですか?」
「かまわない。むしろアレックスの奴に脅されながら、それでも契約の隙間を突こうなんて考えている彼を、私は評価したいと思うね。それに彼みたいな人間を相手取る場合、多少は見ない振りをしてあげることが、長くそして上手く付き合っていくためのコツさ。第一、取引相手に対するカードはいくつも持っておくべきだし、そのカードを切るべきタイミングは今じゃない」
あっけらかんと笑いながらユイはそう口にすると、オメールセンがチョロマカしている案件のリストをフェルナンドに向かって放り投げる。
そのリストを目にして、フェルナンドは一瞬目を見開くも、目の前の男ならこの程度のことはやりかねないと考えなおし、溜め息を吐き出しながら天を仰いだ。
「……まったく、貴方という人は」
「ふふ、まあその辺りが帝都におけるイスターツとオメールセンの現在の活動内容さ。できるだけ上手く貴族院の方々に伝えておいてくれると助かるかな」
フェルナンドの予期せぬタイミングで、不意に放たれたユイの言葉。
その言葉が持つ力は、正に絶大であった。彼の口から貴族院という単語が発せられるや否や、フェルナンドは一瞬惚けたかのように棒立ちとなり、そして震える声で言葉を絞り出す。
「……な、なぜそれを。まさかアレックスさんが?」
「私の情報源は他にも存在する。もちろんアレックスからもたらされる情報は貴重なものだけど、彼は僕に全てを伝えてくれるわけじゃないしね」
だからこそアレックスの代わりはいないのだと思いながら、ユイは二度頭を掻く。
一方、そんな彼の思考を知るはずもないフェルナンドは、アレックス以外の可能性を脳内で探り、一つの回答へと行き着いた。
「なるほど……アーマッドそしてアズウェル先生のラインからもたらされた情報ですか」
「別に否定も肯定もしないよ」
言外に当たりだと言っているようなものである事を自覚しながら、ユイはあいまいな笑みを浮かべつつ、あえて明言を避ける。
そんな彼の言動に焦りを感じたフェルナンドは、自らの立場を考え、ユイに向かい問いかけた。
「……それでどうされます。解任されますか?」
「解任? 一体、誰をだい?」
眉間にしわを寄せて、顔に疑問符を張り付かせるユイに対し、フェルナンドは意外そうな表情を浮かべると、馬鹿にされているのかと感じやや語気を荒くする。
「そりゃあ、この僕に決まっているじゃないですか!」
「ああ、なるほど。そう言う考え方もあるか。まあ君が本当に彼らのような貴族主義者でさ、私の足を引っ張るのが目的ならそれも悪くないけど……でも、君の本当の目的はそうじゃないだろう?」
「ど、どうしてそれを!」
貴族院の面々でさえ知り得ぬ秘中の秘。
それを貴族院とは縁もゆかりもないユイが言及したことに対し、フェルナンドは思わず動揺する。
「貴族院の私に対する策はさ、一見私が不利になるように仕組まれていた。そう、これまではね。でも逆に一定の条件を満たすことができれば、私が彼らに対抗する力を持てるように巧妙に計算されているものばかりだったとも言える。例えばレムリアックの件といい、この帝国赴任といいね」
これまでの貴族院の介入案件に対して、ユイはいくつかの疑問を有し続けていた。
それは彼が貴族院からの工作を乗り越えるに連れて、彼の個人的な願望とは異なり、自らの地位と立場が強化されていくのである。
そしていつしか彼は、それが偶然ではないのではないかと考えていた。
おそらく貴族院の中に明らかに思想のことなる異分子が紛れ込んでおり、その者の思惑が反映された結果ではないかと、彼は気づくに到ったのである。そこに思考がたどり着いたとき、クレハからもたらされた情報と、目の前にいるフェルナンドの能力を計算に加え、ようやく彼の予測に明確な一筋の道筋が描かれることとなった。
「貴方なら、そう貴方なら僕の期待に応えてくださると思っていましたから」
「はぁ……応える側の身にもなって欲しいものだけどね、まったく。特にレムリアックの件なんか無謀にも程があるだろ。本気で私がルゲリル病を駆逐できると思っていたのかい?」
「さすがにヒヤヒヤしてはいましたよ。あなたが失敗すれば、一つの計画が完全にご破算となるところでしたから」
全てを観念したかのように、フェルナンドはユイの真似をして頭を掻く。
一方、その仕草を目にしたユイは、わずかに目を細め彼に向かって問いを発した。
「へぇ、今の口振りだと、君にとって何らかの根拠があったわけだ。私ならルゲリル病を克服できると言う根拠がね。それは何なのかな?」
「そりゃあ、やる気さえあれば、貴方なら大抵のことは成し得ると僕は思っていますから。もっともさすがにこれがなければ、レムリアックを貴方に贈る算段は流石にしなかったでしょうが」
そう口にしたフェルナンドは、懐から小さな書籍を取り出すと、それをユイへと手渡した。
「本……これがどうして根拠となるんだい?」
「これはアズウェル先生にお借りしたただの辞書ですよ。ただ問題は、その中にしおり代わりに挟まれていたメモ用紙があったことでして」
そう口にしたフェルナンドは、意味ありげにニコリと微笑む。
ユイは軽く首を傾げながら、辞書に挟まれていたメモ用紙を手に取ると、途端にその表情を引き攣らせた。
「これは世界のソースコードと魔法の……あのゴミ部屋教授め」
挟まれていた一枚のメモには、かつてユイとともに研究を行った、世界の構造に関する走り書きが記されていた。
そしてそのことから、ユイはすべての事情を理解した。
つまり荒れ果てた部屋の中で栞を見つけられなかったアズウェルが、研究中の内容を記したメモをしおり代わりとし、そのまま気づかずにフェルナンドに渡してしまったという事情を。
「ええ。それを見て、確信していました。魔法の構造式だけでなく、世界の構造まで見通すことのできる貴方なら、ルゲリル病でさえ解析して対策を立てられるだろうと」
そのフェルナンドの発言を耳にして、ユイはわずかに苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。そして髪をくしゃくしゃと掻きむしると、大きな溜め息を一つ吐き出した。
「あの研究馬鹿の老人は本当に……しかし、なるほどね。たった一枚の切欠、それだけで君はこの世界の仕組みに勘づき、私が扱っている真の魔法へ辿り着いたというわけか。王立大学創立以来の天才という異名は、やはりダテじゃないというべきかな」
「天才……ですか。残念ながら、そんな呼び名はとっくに忘れましたよ。少なくともアズウェル・フォン・セノークやユイ・イスターツという人間と出会ったその日からね」
フェルナンドは首を左右に振って、ユイの発言を苦笑混じりに否定する。
その言動を耳にしたユイは、困ったように頭を掻くと、目の前の青年に向って問いを発した。
「それで、そこまで話した上で、私にどうしろと言うんだい? 君の妹を何とかしろってことかな」
「……と言うことは、僕の妹の件も既にご存じなんですね?」
ここまでばれているということを省みて、すでにユイならば調査済みだろうと確信しながらも、念のためにそう問いかける。
「ああ、悪いけど先日調べさせてもらった。まさかブラウ大公の親戚筋に、無理矢理婚姻を結ばされているとはね」
「婚姻? あれはただの人質契約ですよ。この僕に対するね」
「だからこの私に貴族院を叩き潰せと?」
フェルナンドの内に秘められた静かな怒りに気がつき、ユイは彼に向かってそう確認する。
「いいえ。僕としては、とりあえずあの国が変わればいいのですよ。そう、あのばかげた貴族制度を作っているあの国がね。そのための人材として貴方を選んだ。ただそれだけのことです」
「今の女王はまともな方だよ。多少無軌道なところはあるけどさ」
「確かにそうかもしれません。でも次の代の君主はどうでしょうか。そしてその次の代は?」
そのフェルナンドの言葉の意味するところは明白であった。それはつまり王制の否定である。
そしてそれ故に、彼がそれを打破する人材として自らに期待していることを、これまでの彼の発言からユイは理解した。
「だから庶民出身の私に力を付けさせて、いずれ国家転覆へ向かわせる……か。確かに格好の人材だよ、私はね。何しろ国家経営なんてめんどくさいものは人に任せたがるんだから、独裁者になりようがないのでね」
「いや、さすがにそこまで言うつもりはありません。ですが、貴方ならこの国を民主共和制へ導くことにも、あっさり同意してくださりそうでしたから」
「別に政治体制なんかに興味はないからね。なるほど、程々に力を付けさせた上で、私にクーデターを起こさせる。万が一それが失敗しようとも、その際は弱ったクラリスに対し、キスレチンあたり招き入れようってのが、君の計画の全貌かな?」
フェルナンドの能力を踏まえれば、自らを使う策が仮に失敗しようとも、それくらいの次善策は考えているだろうと、ユイは考えた。
すると、その言葉を耳にしたフェルナンドは、正に図星と言うべき反応を見せた。
「……さすがですね。そこに思考が及ぶとは。いえ、だからこそ貴方を選ぼうとしたわけですが」
「そんなにクラリスの体制が嫌いかい?」
「嫌いですね。少なくとも、妹と僕とを引き裂いたクラリスを、僕は決して許しはしない」
短い言葉に込められた強い意思と怒り。それは空気の振動を通して、対面にいたユイにも痛いほど伝わってきた。
「ふむ……だけど君が思っているほど民主共和制なんて素晴らしいものではないよ。政治をどうやって運営するかという、考え方の一つと言うだけでね」
「さし当たって、今のクラリスよりはましでしょう。貴族院などがのさばり続け、身分という名の下に、不当な扱いが肯定されているあの国よりはね」
「……キスレチンは君が思うほどに、夢の国というではないさ。でも、君の考えはわかった。クーデターなんて絵空事はともかく、君の心に刺さった棘の一つは僕が何とかしてあげる。君も私の教え子の一人だからね」
ユイはあっさりと、しかしはっきりとフェルナンドに向かってそう告げた。そして目の前の青年が面食らって言葉を出せない間に、彼はゆっくりと頭を掻く。
「棘を何とかするって……それってユイさん、もしかして!?」
「ああ。知らない仲ではないからさ、彼女のことは私に任せてくれたらいい。その代わり、代償として君には一つのものを提供してもらいたいのだけど……まあ、それは後日伝えるよ。いずれにせよ、今日は自室へ帰らせてもらうおうかな。これ以上目を開け続けるのは、そろそろ限界でね」
何か口にしたげながらも、言葉が出てこない様子のフェルナンドに向かい、ユイはそれだけ告げてその肩を軽くポンと叩く。そして彼はそのまま部屋から立ち去っていった。
そうして幾何かの時が過ぎたであろうか。
ようやく思考の硬直が解けたフェルナンドは、その場から立ち去ってしまった人物に向かい、震える唇で呟きを漏らす。
「ユイ……さん。貴方は何を成そうとしているのですか。そして僕に何をさせるつもりなのですか?」
自分以外誰もいなくなったその部屋で、フェルナンドはゆっくりと目を瞑る。
その瞼の裏には、かつての彼とユイ、そしてもう一人の金髪の少年と過ごした思い出がうっすらと浮かび上がってきた。
同時に彼は、自らの瞳から一滴の水滴を重力のままに落下させていく。
その事実に気がついた彼は、妹と引き裂かれたあの日、彼女を再び取り戻すその日までは前しか向かないと己に誓った決め事を思い出し、涙を拭って瞳を開けた。
ユイとの全く予期せぬやりとりと、そして彼が妹を取り返してくれると言ってくれたこと。それが彼の心の全てを覆い尽くしていた。
そしてそれ故に、彼は彼らしからぬ一つのミスを犯してしまっていた。
そう、彼がこの部屋でユイを待っていた本当の理由を忘却してしまっていたのである。ユイに対して一つの警告を行わなければならないという、その目的を。
そうして彼が警告を行う機会は、永久に失われることとなった。
とある女性の来訪があったと、ユイに伝えるその機会を。
「お待ちいたしておりました。ユイ・イスターツ様」
すっかり見慣れたはずの自らの寝室。
普段と変わらぬよう部屋へ足を踏み入れたユイは、全く予期せぬ人影をその瞳に捉え、まるで石になったかのようにその場に固まる。
無人のはずの自室で彼が目にしたもの。
それは恥ずかしそうに俯きながら、ユイの寝台へと腰掛けた第四皇女ミリア・フォン・ケルムの姿であった。
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