第13話 もう一人の姫
翌日の昼。
とある一名を除く主だった人員に対し、ユイは自らの執務室へと集まるように指示を発した。
そうして呼び出されたアレックス達は、一同揃い踏みでユイの執務室へと足を踏み入れる。すると、彼らの視線の先の人物は、机に足を投げ出した状態で大きなあくびをしていた。
だらしないという言葉が誰よりも当てはまるそんな姿を目にして、フェルナンドは額に手を当てると、溜め息混じりに口を開く。
「あの、ユイさん。なにかお急ぎのことと伺い、こうして駆けつけた訳ですが……一体、何の御用ですか?」
「ん? ああ、そういえばそうだった。いやぁ、どうにも眠くてね」
急な呼び出しを受けて、自らの仕事を置き去りにしたまま駆けつけたフェルナンドは、やや不満気な表情を浮かべる。
しかしながらそんな彼の前で、ユイは相変わらずマイペースに大きく伸びをすると、アレックスが苦笑しながら口を開いた。
「また昼まで寝ていたのかい?」
「ああ。と言うか、世の中の共通認識が間違っているんだよ。なんで人間は朝から働かなくちゃいけないのか、この私には全くもって理解に苦しむね」
「あのですね、ユイさん。そんなくだらない議論をするためにここへ皆を集めたんですか?」
呆れ顔のフェルナンドは、目の前の上司に向かい、早くその目的を告げるよう溜め息混じり促す。
「おっと、危うく本題を忘れるところだった。どうも最近物忘れが激しくてね。そうそう、集まってもらったことだけど、私は今回の帝国の戦争を手伝うことにしたから。うん、それだけ伝えておこうと思ってね。以上、解散」
ユイは伝えることはこれで終わりとばかりにニコリと笑みを浮かべると、目の前の部下たちから視線を外し、机の上に置いてある読みかけの書籍へとその手を伸ばす。
そんな彼の行動を目にしたフェルナンドは、今回のユイの発言の可能性は考えていたものの、あまりにも唐突かつ一方的な内容に抗議の声をあげた。
「ちょ、ちょっとユイさん。いきなり解散って……解散できるわけ無いでしょ!」
「へ、なんで?」
大きな声を発したフェルナンドへと視線を向けると、ユイは不思議そうな表情を浮かべ首を傾げる。
「なんでって……あのですね、一体どういうつもりなんですか!」
「いや、外交大使としてではなく私個人が私人としてね、ちょっと友人の手伝いをするってだけだからさ」
「友人って言うと、もしかして最近良くここに遊びに来ている彼かい?」
いつもの笑みを浮かべたまま、アレックスはキツネ目をわずかに細めると、ユイに向かってそう問いかける。
すると、ユイは頭を掻きながらあっさりと彼の予想を肯定した。
「ああ、その通りさ。公人ではなく私人として、彼を手伝う。だから今回は君たちを巻き込むつもりはないよ。一応、急に私がいなくなった場合に、心配させたら悪いかなと思ってね。というわけで、これからしばらく私がいなくなるかもしれないので、それを踏まえてみんな適当に働いてくれたまえ」
「ふぅん、君個人が……ね。なるほど」
アレックスは意味ありげな笑みを浮かべると、わかったとばかりに二度小さく頷く。
そんな彼を目にして、眉間に皺を寄せたフェルナンドは慌てて口を開いた。
「アレックスさんも、なるほどじゃないですよ。一緒にユイさんを止めてください!」
「いや、ユイが私人として戦いに手を貸すのなら、当然ながら僕も私人として手伝うつもりだしね。最近相手がいなくてちょうど退屈していたところだからさ」
なんでもないことのように、アレックスは浮かべた笑みを崩すこと無く、あっさりとそう宣言する。
それを耳にしたユイは、途端に弱った表情となると、彼に向かって苦言を呈した。
「おいおい、今回の相手はフィラメントだぞ。別に剣士相手じゃないんだからさ、大使代理としてここでおとなしくしておいてくれ」
「はは、魔法士相手に戦うのも一興だよ。別に僕は剣士の相手しか出来ないわけではないからね」
「魔法士殺し……か」
朱と呼ばれる前のアレックスの通り名を無意識に口にして、ユイは思わず苦笑する。
「それにちょうど彼らにも良い実戦訓練だ。せっかくの機会を逃すつもりはないよ」
「え……僕達……ですか?」
突然話をふられたレイスは、自分とフートを指さしながら、顔を引き攣らせてそう口にする。
「レイス君、他に誰か居るのかな?」
「いえ……是非、是非に参加させてください!」
アレックスの笑みが次第に冷たいものへと変わりかけたことを悟った瞬間、レイスは自らの危機を感じ、この戦いに参加するほうがよほど安全だと判断する。
「ふふ、というわけで僕らは君が嫌だと言っても勝手に戦わせてもらうから、そのつもりで」
「ちょっとアレックスさん。ダメですよ、そんなことをしたら」
アレックスが本気であることを理解し、フェルナンドは彼へと向き直ると、再考するよう求める。
しかしそんなフェルナンドの発言を丁寧に無視して、ユイは椅子に腰掛けたまま肩をすくめた。
「全く、君は……わかったよ。そのつもりで考えておくから」
首を左右に振りながら、戦場では誰よりも心強い親友に対し、内心で感謝する。
一方、次々と話を進めていくユイとアレックスに対し、フェルナンドは弱り切った様子で頭を抱えた。
「アレックスさん。貴方まで……」
「あ、そうそう。フェルナンド、君にも二つほどお願いしたいことがあるから」
「何ですか? 言っておきますけど、僕は戦場には出ませんからね」
突然に指名に対して、釘を差すようにフェルナンドはユイへとそう宣言する。
するとユイは、頭を掻きながら口を開いた。
「せっかく昔、戦い方を教えたのに……まあ、それは良いよ。まず一つ目のお願いなんだけど、君に提供して欲しいものがあるんだ」
「提供? 何をです?」
会話の矛先が変わり、フェルナンドは怪訝そうな表情を浮かべると、ユイへそう問いかけた。
「君の研究内容さ」
「……どういうことですか?」
予想外のユイの言動に、フェルナンドは警戒を隠さない。
そんな彼の思考を汲み取ってかゆっくりと、しかしはっきりとした意志を持って、ユイは彼に向かって言葉を口にする。
「先に代金を頂いておこうと思ってさ、例の件のね」
「昨日の夜の件ですか……お約束をお守り頂けるなら……かまいません」
ユイが指していることの意味を正確に把握したフェルナンドは、一瞬で表情を硬くすると、とぎれとぎれにそう言葉を絞りだす。
「ありがとう、約束は守るよ。具体的に提供してもらいたい研究の話は、今晩にでも君の部屋で直接話しをしよう」
「……わかりました。それでもう一つのお願いとは?」
「ああ、少し情報工作をしてもらいたいと思ってね。私達が帝国軍に加勢すると言う情報を、出来る限り君のところで食い止めてくれ。この戦いが終わるまでという時間限定で構わないからさ」
両手を広げつつフェルナンドに笑いかけながらユイがそう依頼すると、フェルナンドは彼の言葉にあったある単語に引っかかりを覚え、途端に眉間の皺を深くする。
「時間限定? どういうことですか。クラリス本国に、あなたが無断で帝国に加担したことが伝わってもいいと?」
「はは。そりゃあ、伝わらない方がいいだろうね。だけど、いくら頑張ったところでそれは無意味なのさ……おや、納得行かない顔だね。ふふ、大丈夫。何故かは、この戦いが終わったらすぐにわかるからさ。そんなことよりも、この件に関してはお願いできるかい?」
怪訝そうな表情を浮かべるフェルナンドに向かい、ユイはちょっとしたお使いを頼むかのような気軽さで、改めて彼へと依頼を告げる。
すると、フェルナンドは顎に手を当てて熟考した後に、首を縦に一度動かした。
「わかりました。僕が出来る範囲でしたら、なんとかしてみせましょう。ですが、できるかぎり表立っては動かないでください。クラリスの張っている諜報網の全てを、僕が握っているわけではないんですから。もっとも、そんなことはあなたが一番ご存知だとは思いますが……」
「ああ。出来る限り、事が始まるまでは目立たないようにする。というわけで、交渉成立だね。では、今後の細かい日程や方針は、明日にでも皆に伝えるから、取り敢えずはそのつもりでいてくれ。じゃあ、改めて解散」
この場ではそれ以上口にするつもりはないとばかりに、ユイは皆に向けて改めて解散を告げると、呼び出された面々は順に執務室から退室していく。
そうして、その場にはユイ一人が残された。
彼は先程まで浮かべていた笑みを表情から消し去ると、引き出しからひとつの資料を取り出した。この資料がユイの下にもたらされてから、何度も何度も確認するように目を通してきたその文面を目でなぞると、彼はいつもの様に小さな溜め息を吐き出す。
そして再び彼は資料を引き出しへとしまうと、最初のように足を机の上へと投げ出した。
午後の穏やかな日差しに誘われ、その目を閉じようとしたところで、彼はノックなしに彼の部屋のドアが静かに開けられた事に気がつく。
「君か……今日は、君をここに呼んだつもりはなかったんだけど?」
珍しく酒の香りを漂わせていない視線の先の人物に向かい、ユイは穏やかな声でそう告げる。
「……隊長。本気で奴らと戦うつもりなのかい?」
ノックさえすることなく、部屋の中に入り込んできた赤髪の女性は、目の前の上官の言動を無視して、そう問いを発した。
「ああ、君には申し訳ないが、ここで帝国にこけてもらう訳にはいかない。それ以外に理由がないわけではないけど、レムリアックの立場からも、現状ではまだ最大の取引相手を失うわけにはいかないからね。もちろん、君は思うところがあるだろうし、今回はのんびり酒でも飲んで、休んでいてくれたらいい」
「いえ。私にそんな気遣いは結構です」
「私……結構ですって……え?」
聞き慣れぬ彼女の言葉遣いに戸惑いを感じ、ユイは思わずバランスを崩すと、椅子から転げ落ちた。
強く打った背中をさすりながら立ち上がるも、そんな彼の姿に茶々すら入れること無く、赤髪の女性は彼をまっすぐに見つめる。
そして誰よりも粗暴で、誰よりも自由奔放であった彼女は、他の誰にも見せたことの無い真剣な表情で、上官に向かって言葉を発した。
「隊長……いえ、ユイ・イスターツ閣下。私、ナーニャ・ディオラムから一つお願いがございます。もし宜しければ、お聞き届けいただけませんでしょうか?」
彼女はそう口にすると、上官に向けてゆっくりとそして気品を漂わせながら、優雅に一礼した。
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