第7話 初戦

「敵前衛、長弓隊の射程範囲内に侵入いたしました。どうやらマイスム家が先陣に位置しているようです」

 イリノンは眼下に迫り来る黄土色の魔法兵達による接近を目にしてながら、隣に立つシスプラムへ報告する。


「そうか……ならば、わしらから挨拶してやろうて。弓隊構え!」

 シスプラムは彼の右手を高々と挙げると、一度弓隊の面々を見回した上でその手を振り下ろす。


「放て!」

 シスプラムの号令が下るや否や、一斉に帝国軍の弓兵達は長弓につがえた矢を放っていく。

 城塞故の高低差を利用したその無数の矢は、帝国式の厳しい訓練の成果を示すかのように、フィラメント軍の前線へ一斉に降り注がれていった。

 しかし帝国軍が先手をとったと確信した瞬間、先陣を進む黄土色の軍装に身を包む一団が一斉に魔法を唱えると、彼らの頭上に強風が吹き荒れ、たちまちに全ての矢を彼方へと吹き飛ばす。


「なんだと! 馬鹿な!」

「風の集合魔法……いや、違うな。ただ単純に高位の風魔法士が一斉に風を操ったという事か。しかしなんたる風力……いや、魔法力!」

 仮にあの矢の攻撃を受けるのが帝国軍の魔法士隊であれば、恐らく防ぎ得なかったであろうと思われる豪雨のような矢の斉射。

 しかしそれを軽く魔法で吹き飛ばされてしまったことに、イリノンはわずかに狼狽する。


「一度ばかりで諦めるんじゃない。奴らの魔法と我らの弓との最大の違いはなにか? それは間断なく敵へと放てることじゃ。さあ、第二射用意。放て!」

 イリノン同様に驚きと戸惑いを見せる弓兵達に向かい、シスプラムは強い口調でそう言い放つと、考える余裕を与えないよう第二射を指示する。

 そうして急ぎ放たれた二度目の斉射。

 しかし今度は、群青色の服装に身を包むディオラムの兵士達が、無数の氷の盾を編み上げ、無残にも彼らの矢の多くははじき返される。


「ふむ……やはりこの距離からの射撃では、そうやすやすとは先手を取らせてはくれんか」

 次々と弾かれていく自軍の矢の軌跡を目にしながら、シスプラムは険しい表情でそう口にする。


「ですが閣下。これで二つのことがわかったかと思います。やはり敵軍は各魔法学校ごとに分かれて、部隊編成が行われていると言うこと。これは先ほどどの部隊が魔法を唱えていたかを確認しましたので明らかです」

「……そしてもう一つは、奴らが集合魔法を使っているわけではないという事か」

 彼の発言を先回りしたシスプラムの言動を耳にして、イリノンは大きく頷き賛同の意を示す。


「その通りです。かなりのミラホフ家の斥候が、我が国の中枢に入り込んでおったようですが、さすがに機密中の機密である集合魔法は連中にも盗めなかった様子。先ほどの氷の壁にしても、ディオラムが唱えたこともあるのでしょうが、集団で同調しているわけではないのでそこかしこに穴が有りました。つまり完全に手詰まりというわけではありません。恐らくこの辺りに我が軍の勝機があるかと」

「確かにな。それに集合魔法を本当に奴らが使えるのならば、既にこの間合いで城塞を壊しに掛かっておる……か」

「はい。私もそう考えます。集合魔法を使えるのなら、わざわざ我が軍の弓兵や魔法兵の射程距離内に進軍する必要はない。にもかかわらず、城塞へ前進しているのは、やはり長距離用の大型集合魔法を敵方が開発できていない何よりの証拠です」

 そのイリノンの力強い発言を受けて、司令官は満足そうに一度頷くと、今後の方針を示す。


「だとすれば、わしらとしてやることはシンプルじゃ。間断なく奴らに城塞から攻撃を仕掛け、援軍を待つ。イリノン、矢の備蓄は十分じゃろうな?」

「もちろんです。物資の補給計画に関しては、帝都におられる殿下自ら立案された計画が既に進行しておりましたので、一足先に運び込まれております」

 とある黒髪の男がぶつぶつ愚痴を呟きながら立案した補給計画。その成果を、そうとは知らずにイリノンは誇らしげに答える。


 一方、その回答に満足したシスプラムはわずかに口元を緩めると、そのまま迫り来るフィラメント軍へと視線を移した。


「ならば、ケチらずにどんどん射つしかないのう。さあ、第三射用意……む、待て。敵の魔法攻撃か。総員、敵攻勢魔法に備えよ」

 敵軍の正面に無数の炎が形成されていく様を目にして、シスプラムは急ぎ防御の指示を出した。そして彼が指示を口にしたまさにそのタイミングで無数の炎の矢が城塞目がけて解き放たれる。


 一斉に飛来する炎の矢。


 一般的にこれだけ長距離での魔法射出は、集合魔法などの特殊なケースを除けば、世界改変に必要な魔力が膨大であるため、満足に威力を保つことさえできない。それは世界による事象改変への修正力のためであるが、フィラメント軍の放った魔法は威力こそはかなり弱まってはいたものの、大量に要塞へと降り注がれた。


「くぅぅ、やはり奴らならばこの距離でも弓隊に応戦できるのか。これはいくら距離があるとはいえあなどれんな。恐らく火災発生した箇所もあるだろう。手の空いているものは至急被害の確認と消火活動を行え!」

 シスプラムは城塞目がけて一斉に放たれたフィラメント軍の魔法を受け、矢継ぎ早に指示を周囲の部下へと下す。

 そんな彼の声を隣で耳にしていたイリノンは、ゴクリと音を立てて唾を飲み込みながら、この城塞でよかったと安堵の溜息を吐き出す。


「やはりフィラメントの魔法は恐るべきものですな。我が軍の魔法師ならば、これだけの距離から奴ら目掛けて十分な威力の魔法を放てる者が何人いるのやら……ですが、さすがに奴らのことがわかっていればこそ、我らの対策が実を結んだということでしょう」

「ああ、このエーデミラスは年季物のポンコツとはいえ、ハーセプト王国亡き後は、長年魔法公国を仮想敵としてちまちまと改装してきた代物じゃ。そんな簡単に奴らの思い通りにはさせんよ」

 全くの無傷というわけにはいかなかったものの、次々と届けられてくる報告が、比較的軽微な被害にとどまったことを彼に伝える。

 それらの報告を確認したシスプラムは、大きくひとつ頷くと満足そうに右の口角を吊り上げた。


「さて将軍。連中の攻勢に対し、我が軍はどう応対いたしましょうか?」

「もちろん放てる限りの矢を持ってじゃて。さあ、今こそ攻撃だ。やつらが攻勢魔法を放つときは、防御がおろそかになっている。自らの攻撃の妨げはできんじゃろうからな。まさに今こそが好機。第三射、放て!」

 そのシスプラムの号令と共に、フィラメントがほぼ同時に解き放った二撃目の炎と交錯し、帝国軍の矢が敵陣へと放たれる。


 その帝国の反撃に対し、フィラメント軍はわずかに動揺した。

 確かに指揮系統はフィレオを司令官として一本化したものの、各魔法学校間での完全な連動は困難である。それ故、炎の魔法を編み上げて攻撃中のマイスム家の部隊と、防御のために氷の盾を創りあげようとするディオラム家の部隊が互いに遠慮し合い、フィラメント軍は攻防ともに不十分となった。


「魔法公国軍にようやく十分な被害が認められます。もちろん我が軍の被害も、射手始め一部兵士に負傷を認めますが」

 敵の攻撃の最中に強行して攻撃を放ち返したため、自軍の被害も先ほどと比して少ないものではなかった。それ故に、イリノンの声には若干の苦いものが混じる。

 一方、全軍を指揮するシスプラムは、その報告を受けてもなお、フィラメント軍に向けた視線をぴくりとも動かさなかった。


「先ほどの攻撃は多少の相打ちは覚悟の上じゃったからな。しかし、見て見ろ連中を。先ほどの攻撃で浮き足立っておる。だいぶ魔法公国軍の欠点が見え始めたのではないか?」

「……と言われますと?」

「奴らはその兵士の全てが魔法兵じゃ。確かに個人対個人の戦いをすれば、魔法兵は他のどの兵種よりも基本的には強いであろう。しかし集団での戦闘となれば話は別じゃ。奴らは魔法に重きを置きすぎるあまり、その行動がどうしても散発的になる」

「なるほど。魔法詠唱と同調のためのタイムラグですか」

 指揮官の意図するところを理解したイリノンは、なるほどとばかり頷きながらそう言葉を紡ぐ。


「うむ。奴らに比べ魔法兵の少ない我が軍では、最初からその欠点をわかっており、そのタイムラグを補うための戦術を多数考案しておる。しかしながら、奴らは普段から個人行動を好む魔法士達の寄り集まりであり、他国との大規模戦闘の経験も無い。そしてさらに言えば、常に奴らはお互いが使用する魔法同士の相性を考えねばならん。これらはきっとわしらの勝機になるじゃろうて」

「たしかに……先ほどの防御用の氷の壁も、炎の矢への影響を考え中途半端にしか発動しておりませんでした」

 最初に先制攻撃として矢を浴びせかけたときに展開された氷の壁と比べると、先ほどのものは明らかに質と量ともに下回っていたことに気づき、イリノンは納得とばかりに頷く。


「うむ。奴らのことじゃから、それぞれの学園の得意とする魔法以外もおそらく使えるんじゃろうがな。これが遠慮なのか、それとも指揮官が学園毎への偏見が強い男なのかはわからんが、出来る限り有効に使いたいものじゃて」

「まったくです。さて、連中はそろそろうちの魔法士隊の射程に入りました。如何されますか?」

「ふふ、決まっておる。こういったものは先に焦って新たなカードを切った方が負けじゃよ」

 シスプラムはわずかに表情に笑みを浮かべると、カードゲーム好きの彼らしく、カードに例えてそう返答する。


「では弓隊に四射目の準備を行わせます」

「うむ、そしてうちの魔法士隊にはいつでも魔法を編み上げられるように準備させておけ。奴らほどではないにしろ、魔法を使えるのはお前たちだけではないと教えてやらねばならんからな」


 この日、帝国軍と魔法公国軍との初めての衝突は、前哨戦と呼んで差し支えのない遠距離での攻防に終始することとなった。

 それ故に双方の被害は比較的軽微のまま、その日の戦いは終了する。


 そして戦いが真に動き始めることとなったのは、強行軍でこの地へと向かってきた、トール第二皇子と軍務長官パデル率いる帝都からの援軍が到着してからのことであった。

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