第6話 エーデミラス

 エーデミラス。

 それは帝国における一都市の名称であり、この地は帝国南部地域におけるあらゆる物流の中継地点として機能している。


 エーデミラスは帝国が現在の規模に肥大化するまでは帝国最南端の都市であり、この都市の南にかつて存在したハーセプト王国との国境に接して、この街は存在していた。


 かつて帝国がまだ現在のように強国とはとても呼べない時代、この街はハーセプト王国から幾度となく侵略を受ける日々を送っていた。

 それ故に当時のアルク・フォン・レンド第三代皇帝は、このエーデミラスの最南部に関所を兼ねた堅牢な城塞を築きあげることで、彼らの侵攻に対する防御拠点を築き上げる。


 この時に建設されたのがエーデミラス城塞と呼ばれる堅牢な城塞であり、帝国軍人がエーデミラスと口にすると、一般的に都市ではなくこの城塞を指すことが多い。


 さてこのエーデミラスの城塞としての完成度は、その当時の帝国の国力の限界もあり、近年大陸西方の覇権を争っているキスレチン共和国との間に設置されたロンガード要塞に比べればそこまで堅牢な城塞とは言い難いのが実際である。

 しかしながら長年にわたり帝国を守り続け、今日に至るまで一度も落とされたことのないエーデミラス城塞は、有る意味帝国軍の精神的支えとして大きな役割を担っていた。


 そんな今回の戦における帝国の要ともいえるエーデミラスにおいて、城塞防衛指揮官の役割を担い、一万五千もの帝国兵を率いてこの城塞に篭もるのが、帝国南部方面軍の将軍を務めるシスプラムである。


「……なるほど、国境部隊からの報告が正しかったということかな。ふふ、やってくれるではないか、魔法教の狂信者どもよ」

 魔法公国に放っていた密偵からもたらされた情報。それは魔法公国は宣戦布告の後に軍の編成を開始したというものである。


 その情報は複数ルートから同一の報告がもたらされたこともあり、帝国軍の中枢はそれを基に、十分な余裕を持って南部への増援軍を派遣する予定を組み上げようとしていた。

 ところが、首都で軍の編成をしているはずの魔法公国軍は、現れるはずのない南部の国境に突然姿を現すと、あっという間にこれを陥落させる。

 このまったく予期せぬ事態は、帝国の中枢のみならずこの南部方面軍を混乱に陥れていた。


「将軍。ぎりぎりのところでしたが、市民の避難は完了いたしました。どうにか周辺の警戒に当たらせていた部隊も連れ戻すことができましたので、予定していた九割方の兵達は城塞内および都市側に配置しております」

「うむ……まあ、最低限の備えはできたということだろうて」

 副官であるイリノンの報告を受け、南方面から国境を越えて進軍してきたフィラメントの兵士達を睨みつけつつ、忌々しげな表情でシスプラムはそう呟く。


「シスプラム将軍。今回の不測の事態は、やはり奴らが偽の情報を我が軍に流していたと、そういうことでしょうか?」

「ああ、おそらく間違いないだろうな。先日の騒ぎから今日に至るまで、いくらなんでもあまりに期間が短すぎる。奴らはかなり以前より周到に準備を重ねていたと……おそらくはそういうことなんじゃろう」

「なるほど。あの国がそんな風にまとまるとは、いささか意外ですが……あの国は御三家ごとに主張がバラバラで、ある意味キスレチン以上に国家としての体をなしてないと思っておりました」

 そう口にしながら、イリノンは視線をシスプラムから敵軍へと移した。


 その彼の視線の先にはくっきりと三色に色分けされた一団が存在する。


 深緑色を自軍の色とするミラホフ。

 黄土色を自軍の色とするマイスム。

 そして群青色を自軍の色とするディオラム。

 

 彼らは自らの運営する魔法学校のスクールカラーにその身を包み、ある意味お互いを相容れぬと喧伝しているようでさえあった。


「確かにその通りじゃ。普段の奴らに協調性などというものはないとわしも思う。しかし、いやだからこそ奴らは恐ろしいのだよ。他の魔法学校に負けるわけにはいかないというそれぞれのプライドが、思わぬ士気の高揚を生むことがある。そしてそれ自体は、決して馬鹿にできるものではなかろう。ましてや今回のように、あらかじめ奴ら同士で入念に準備をしていたと考える場合はな」

「……確かに。私も自分の認識の甘さを後悔いたしております」

 イリノンは自らの見識の浅さを恥じると、すぐに誤りを認める。

 帝国軍の北と南を守る二大宿将とかつて呼ばれ、そして現在は唯一の宿将となったシスプラムが、若いイリノンを副官として任用したのは、その才以上にこの素直さが故であった。


「まあ、基本的には卿の言うことは誤りではない。そして、この戦いにおいて、わしも連中につけ込むところがあるならば、まさにその奴らの強すぎる自己主張だと思うておるからな」

「ならば此度の戦いは、やはり群青色のディオラム勢を率先して叩くべきでしょうか? 彼らの回復魔法は、我が軍にとって長期戦を不利にさせるでしょうから」

 ディオラム魔法学校の校色である青い武装に包まれた一団に視線を向けながら、イリノンは隣のシスプラムへと問いかける。


「うむ、そうだな。今回の戦いで最も肝要なことは負けないことだ。戦いが長引けば長引くほど我が軍は有利となり、そして敵軍は不利となる。だからこそ卿の考えることが自ずと基本方針となろう。もっとも先方も我らがそう狙うであろう事ぐらい、予想済みであるだろうがな」

「確かに……では、如何なされますか?」

 シスプラムの発言を耳にして納得したように一つ頷くと、イリノンは彼へと方針を問いかける。


「あくまで基本方針は専守防衛、これ自体に変わりない。そして我が軍が攻勢に出る機会があるとするれば、それは――」

「グレンツェン・クーゲル……そう、帝都の魔法士隊が到着した後ですね」

 上官の意図を読み取ったイリノンは、重ねるようにそう発言する。

 すると、シスプラムは彼の見識を肯定するように大きく頷いた


「ああ、その通りだ。もちろん敵の中に、クラリスから今この国に来ている化け物がいるならば話は別だが、あんな異能者など二人とはいない」

 当人がそれを聞けば、肩をすくめながら頭を掻くような発言を、シスプラムは吐き捨てるように口にする。

 もちろんその発言を耳にしたイリノンも、すぐに彼の見解に賛同した。


「というか、いてもらっては困りますよ。私としてもあの戦いの……そう、リンエン将軍の二の舞はごめん被りたいですからね」

「リンエンは紛う事なき名将であり、そして我らが同期の桜であった。だが、あいつが花を散らせたとは言え、このわしまでが同じ目にあうわけにはいかんのでな。わしには散らすような華麗な花は無いのじゃから」

 帝国の軍学校で同期であり、そしてクラリス侵攻時に帰らぬ人となったリンエンのことを脳裏に浮かべながら、シスプラムは力強い口調でそう告げる。


「とにかく、きっと今頃は魔法公国の強襲の報を受けた皇太子殿下も、こちらに向けて急ぎ援軍を手配されていらっしゃる頃です。なんとしても、その時までこの城塞を守りぬかねばなりません」

 イリノンは確認するように再び基本方針を口にすると、シスプラムは力強く二度頷く。


「そのとおりじゃ。先ほどの国境部隊からの情報によると、奴らは三軍合わせ約二万名の魔法士隊で進軍して来ておる。現状では人数的にも我らの方が少ない上に、奴らは恐るべき事に全兵が魔法兵じゃ。とするならば、奴らにはなくて、わし等には存在するこの城塞を、せいぜい有効に使わせてもらうことにしようかの」




「フィレオ様。このまま前進すれば、先頭部隊はまもなくエーデミラス城塞に駐在する敵部隊の射程距離にさしかかるかと思われます」

 フィレオの部下であるマイスム家の報告兵が彼の下へ駆け寄ってくると、彼は大きく一つ頷く。


「どうやら城塞の中の連中は落ち着きなく慌てふためいているようだな。ここからでも、その姿が手に取るようにわかるわ」

「キッキッキー。ヒャヒャ、城塞の上を見て見なよ。死にたそうにしているゴミクズ君たちがいっぱいだぁ。殺してくれ、殺してくれってボク達の方に歌っているよ」

 フィレオの隣で指をしゃぶっていたウイッラは、明らかにこちらを観察している人影を目にして、感極まった声でその場で叫ぶ。

 そんなウイッラの反応にやや困惑しながらも、フィレオは決して表情に出すこと無く彼に向かって語りかけた。


「……ウイッラ殿。では当初の打ち合わせ通り、我らから戦端を開くこととしようか。時間を稼がれては、せっかく貴公が奴らの諜報網を逆用してくれたことも意味を失うのでな」

「イイヨ。うん、スゴくイイ! 早く殺しを始める、ボクたちから殺しを始めル。アア、悶え苦しむゴミクズちゃんたちを思うだけで、今日は素敵に眠れそうダ」

「……ならば早速その方針としよう。予定通り、メディウムの兵達は後方へ回し、先陣は我らマイスムが陣取る。では、まずはあの古ぼけた城塞に穴を穿つこととしようか」

 フィレオは生理的嫌悪感から、その場から離れたい気持ちでいっぱいであったが、どうにか自制して自軍の方針を口にした。

 しかし、そんな彼の感情などまったく気にする様子もなく、ウイッラは唾液がまとわりつく人差し指で城塞を指さし、そして両口角を吊り上げる。


「フフ、アナヲウガツ! そう、アナを穿つ。生きたまま、深く深くアナを広げるんだ。フフフ、若いモノをエグルのも快感だけど、目の前のボロっちい城塞をコワシテクズスことも、最高にカイカンサァ。さあさあ、早速黒く深くそして全てを包むように壊そうヨ」

「あ、ああ……帝国軍の言う不敗の城塞を、ただの経年劣化したボロだと我らが証明してやろう」

「フヒヒヒ。ボクもカレラのお遊びの魔法と、ボクラの本物の魔法とが違うと教えてあげようカナ。ゴミクズ君達の、その命と引き換えに……ネ」

 そう口にして気味悪い引き笑いを発すると、ニタニタした笑みを浮かべながら、ウイッラは再び指しゃぶりを再開した。

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