第9話 茶会にて

 パーティーも後は散会するのみとなり、少しずつ人が少なくなり始めたところで、ユイはリアルトの使いの者に声を掛けられた。

 そしてリアルトが待つ部屋に向かって案内されることとなり、しばらく歩いたところで、部屋の外で落ち着きなくキョロキョロしている皇帝の姿をユイは目にした。


「一応、あの方が皇帝なんだよな……」

「そのはずだよ。好戦的でケルム帝国を過去最大の面積まで増大させた、皇帝の中の皇帝リアルト。間違いなく、その人のはずさ」

 ユイ達の存在に気づいてニコニコとした笑みを浮かべるリアルトを目にしながら、アレックスはリアルトの一般的な評価を口にする。


「と言うことは……たぶん、そういうことだね」

 案内の者の存在に気を払いながら、ユイは要点を省略してアレックスに向かいそう口にする。

 ユイの省略した部分を理解したアレックスは、ユイの耳元に顔を寄せ、周囲に警戒しながら口を開いた。


「ユイ、十分気をつけるんだよ。今更君に言うまでもないけど、剣であろうと政治的駆け引きであろうと、致命的な一撃を与えるには相手が油断したときが最も有効なんだ。敵が警戒している時よりも遙かにね」

 アレックスのその言葉に対して、ユイは溜め息混じりに一度頷く。そして表情を途端に明るいものに切り替えると、笑みを浮かべながら少し離れたところまで聞こえる程の声量で謝罪を口にした。


「お待たせしました、申し訳ありません」

 ユイはそう口にするなり、案内の者を追い抜いて、やや早足でリアルトの下へと歩み寄る。

 そんなユイに対し、リアルトは満面の笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開いた。


「おお、約束通り来てくれたようじゃな。すまんな、いつも突然で。何しろ予定など立てて動こうものなら、どこで横やりが入るかわかったものでなくてな」

「いえいえ。わざわざ私のために時間を割いて頂き、ありがたく思っています」

 明らかに多忙であることがわかるリアルトに対し、ユイは苦笑いを浮かべながらそう口にする。

 そんなユイの言葉を受けて、リアルトは笑顔を崩すこと無く、首を左右に振った。


「何を言う。せっかくクラリスの英雄殿が予と茶に付き合ってくれると言うのじゃ。それより大事なことなどあるものか。さあ、中へ入ってくれ」

「ユイ、僕は外で待っているよ。先ほどの会にて多少飲み過ぎたから、少し歩いて酔いを醒ましたいしね。それじゃあ」

 そう口にするなり、微笑みだけをその場に残して、アレックスは颯爽とその場から歩み去ってしまった。


「ふむ、アレックス殿は気を使われてしまったかな。次の機会には、彼も一緒に茶を楽しんで貰いたいものじゃ」

「はは、すいません。彼も団体行動が苦手なもので」

 残念そうな表情を浮かべるリアルトに対し、ユイは団体行動ができない部下たちを脳裏に数人思い浮かべながら、頭を掻きつつそう口にする。


「まあ、行かれてしまったものは仕方ないか。では、中へ入ってくれ」

 リアルトはそう言うなり、皇帝自ら部屋のドアを開く。

 そうしてリアルトの手により開けられた扉の先の空間は、ユイの目を丸くさせるに十分であった。


「これは……すばらしいですね」

 リアルトに促されるようにして、中へ通されたユイはゆっくりと室内を見渡す。

 白塗りの壁に、華美過ぎないながらも非常に洗練された調度品が適度な間隔に配置され、全く圧迫感を感じさせない造り。そして庭に面する正面は一面ガラス張りであり、まるで外界に繋がっているように感じさせるその開放感あふれる空間は、まさに見事と言うより他になかった。


「ふふ、わしの趣味でな。リラックスして茶を飲むために、用意した部屋じゃ。なかなかのものじゃろう」

「室内なのに、まるで外で茶をしているように感じさせる作り。いや、このような洗練された空間はクラリスでは見たことがありません。しかも演奏者もいないのに、音楽が流れているのは……まさか魔石を使った自動演奏機ですか」

「その通りじゃ。ふふ、魔石の本場であるクラリスの英雄殿を驚かせることが出来るとは、まさに光栄の至りじゃな。その角に大きな箱の様なものがあるじゃろう。あれがそうじゃ」

 皇帝は自慢げに自動演奏機へと歩み寄り、隣に置かれている加工済みの魔石をその中へと入れていく。


「正直、驚きましたよ。こんな茶室は初めてです」

「そうじゃろう、そうじゃろう。さて、せっかくくつろぐために用意した部屋じゃというのに、立ち話というのは無粋じゃ。奥のイスに腰掛けてくれ」

 リアルトはユイを促し、部屋の中央やや奥に設置されたテーブルのイスに彼を座らせる。そして自らは四脚用意されたうち、あえてユイの向かい側ではなく斜めに位置する席へと腰掛けた。


 その対面に座らないというリアルトの行為に、ユイは違和感を覚えて首を傾げる。しかしそんな違和感も、次のリアルトの一言であっさりと氷解した。


「そうそう、もう一人だけ今日は客を呼んでおってな。と言うよりも、そやつがイスターツ殿と茶会をしたいというて、急遽この場を用意したのじゃよ。さあ、入ってきなさい」

 リアルトが声を張り上げた上で、二度手を叩く。

 すると、廊下側ではなく部屋の奥に設置されていた控え室へ繋がるドアがゆっくりと開き、そこから先ほど対面した麗しい女性が姿を現した。


「娘のミリアじゃ……と、説明するまでもなく先ほど顔を合わしたばかりじゃがのう」

 白銀の艶やかな髪に、大きな愛らしい瞳。そして透き通るかのような白い肌の可憐な女性は、まさしく先ほど皆に祝福を受けた第四皇女のミリアその人であった。


「初めましてというのは変ですよね、先ほどもお会いしましたし。でも、ちゃんと挨拶したわけではありませんから……初めまして。ミリア・フォン・ケルムと申します」

「どうも、ユイ・イスターツです。こちらこそ今日はこのような茶会にまでお呼び頂けて光栄です」

 ユイがイスから立ち上がって一礼すると、ミリアは彼に向かって微笑みかけ、そのまま彼の向かいの席に腰掛けた。


「あの……今日初めてお会いした時、実はすごくびっくりしたんです」

「びっくり……ですか?」

「だって城の者たちや侍従達からは、貴方は怪物のような筋骨隆々の大男で、見るからにとても恐ろしい方だと聞いていたんですもの。父は好青年だと言ってくださっていたけど、実際に壇上へと上がられてその姿をお目にするまで、正直ドキドキしていましたの。でも実際に貴方が私の目の前に現れたとき、なんて穏やかな方だろうと感じてしまって、思わず緊張が解けると同時に吹き出してしまいました」

 ミリアの言葉を耳にしたユイは、会場で最初に噂になっていた自分のイメージが思ったよりも拡散していることに頭痛を感じつつ、仕方ないとばかりに苦笑いを浮かべる。


「はは、これはすいません。この国の方にそのように言われる理由も、まあ仕方ない面はありますが……実際はこのようなただの左遷軍人ですよ」

「ユイ殿の自己評価はともかく、ミリア。だからいつも予の言うことを信じろと言うておるじゃろう。そんなに予の言うことより、あやつらの言うことの方が信用できるか?」

「だってお父様は時々ひどい嘘をおつきになられますもの。私が子供の頃、夜に私の寝室の近くにお化けがよく出ると言って、私が毎日布団の中で震えていたことは忘れていませんからね」

 口を尖らして拗ねた口調でミリアがそう言うと、リアルトはわずかに渋い顔をした。


「それはお前がまだ八歳の頃の話ではないか。時効じゃ時効」

「イスターツ様、すいませんこんな父で。先日も突然大使館をお伺いされたと聞いて、ご迷惑ではなかったですか?」

「いえ、そんなことはありませんよ。私も皇帝の中の皇帝と呼ばれるリアルト陛下に、一度お会いしたいと思っていましたから」

 ユイが慌てて首を振り、皇女におとしめられるリアルトを持ち上げるように発言する。

 一方、ユイのその言葉を聞いて気を良くしたリアルトは、勝ち誇った笑みを浮かべた。


「どうじゃ、ミリア。父はかのように偉大なのじゃ。ふふ、お前ももう少し素直に敬っても良いのじゃぞ」

「だめですよ、イスターツ様。父は褒められるとすぐに調子に乗る方なんです。少し冷たくするくらいでちょうど良いんですから」

 困った人を見る目で、隣のリアルトを見ながらミリアはそう告げる。

 すると、娘を溺愛しているリアルトは、悲しそうな表情を浮かべた。


「ううむ、父の気持ち子知らずという奴じゃな……予は悲しいぞ」

「はは、親子ともに御仲がよろしいようで羨ましいです。素敵なことだと思いますよ」

「イスターツ様は、御両親とは御仲が悪いんですか?」

 ユイの言葉に引っかかりを覚えたミリアは、彼に向かってそう問いかける。

 その問いかけに対し、ユイはすぐに首を振って彼女の発言を否定した。


「いえ、そのようなことはありませんでしたよ」

「ありませんでしたってことは……つまり」

「ええ、十数年前に他界しまして。でも、貴方のように周りに誇れる立派な両親でした……っと、失礼しました。皇帝陛下と私のような庶民の親を比較するとは、ご無礼を」

 ユイは自分の出自を考え、慌てて皇帝に向かい謝罪を口にする。


「よいよい、誰にとっても親は親、子は子じゃ。その関係の前には、立場や権威など関係ないじゃろ……むしろ、つらいことを思い出させてしまったな、すまん。おっと、そんなことより、当初の目的を忘れるところじゃった。今日はユイ殿に茶を振る舞うために来てもらったんじゃったな」

「そうですね、すぐに手配しましょう」

 ミリアはテーブルに備え付けられた鈴を二度鳴らすと、部屋のドアが開け放たれ、壮年の執事が姿を現す。


「ペラム、茶の用意をしてくれるか。菓子も併せて運んできてくれ」

「承知いたしました」

 ペラムと呼ばれた執事は、リアルトの言葉を受けるなり指示に従うために退室する。そして、リアルトはユイの方へと向き直ると、彼に向かってやや自慢げに口を開いた。


「イスターツ殿、今日は珍しい茶が手には入ってな、貴公に是非ご賞味いただきたい」

「珍しい茶ですか?」

 皇帝が珍しいと言うくらいだから、一体どんなものかという興味が湧き、ユイはすぐさま問い返す。


「うむ、東方の茶でな。何でも緑茶と呼ばれる種類だそうじゃ。予達が普段飲む紅色のものとは、香りも含め一味違うぞ」

「ほう……緑茶ですか」

「おや、知っておられるのですか?」

 その存在を知っているかのようなユイの返答に、ミリアは興味を抱いて彼に向かい問いかける。


「ええ、母が東方の出でありましたので。と言っても、もう長いこと口にしたことはありませんが」

「そうか、むしろそれならばちょうど良かった。しかしイスターツ殿の母君が東方の出だとは知らなかったな」

 興味深げな表情でリアルトがそう口にすると、ユイは頭を掻きながら返答する。


「そうですね、確かに東方の人間は珍しいですから」

「その閣下の素敵な黒髪も、お母様譲りなのですか?」

「ええ、そうです。顔も母に似れば良かったのですが、残念ながら父に似てしまいまして。その所為で、うだつの上がらぬ生活を送っております」

 冗談めかしながら、ユイが苦笑いを浮かべると、ミリアは二度首を左右に振った。


「いいえ、十分以上にイスターツ様は御素敵ですよ」

「はは、お世辞を言われても何もお出しできませんよ。むしろ本物の美人さんにそう言われると、恥ずかしくなってしまいます」

 ユイのそんな発言を耳にすると、リアルトは瞳の奥をわずかに光らせ、興味深げな表情を浮かべる。


「ほう、我が娘を美人と申すか」

「いや、ミリア様を美人と呼ばずして、誰を——」

 ユイがミリアに視線を向けながら彼女を評しようとした瞬間、突然けたたましい音とともに部屋の扉が叩き割られると、先ほどの執事が中へ吹き飛ばされてきた。


「失礼。御歓談中の所、申し訳ありません。少し賊がおりましたもので」

 そう口にしながら、叩き壊された扉の後から姿を現したのは、執事をドアへと叩きつけた剣を手にするアレックスであった。


「アレックス、一体何があった」

「この部屋に出入りする者をチェックしていたのだけどね、先ほどこの部屋を出て行った彼と、今ここにいる彼は別人さ。おそらくすり替わったんだろうね」

 ユイの問いかけに対し、アレックスはいつものキツネ目のままあっさりと答える。


「しかし、どこをどう見てもペラムにしか見えんが……」

「見た目はそうですね。ですが、歩いている時の体の重心の動かし方、そして体運びがまるで違う。なにより茶を運んできた時は、無駄に気配を消そうとしていましたからね。ただの執事さんでは不要なことですよ。一応、彼がここに運ぼうとした茶と菓子は、後でその中身を確認した方がいいでしょうね」

 皇帝の問いかけに対し、アレックスは落ち着き払った口調で、笑みを浮かべたままそう答える。

 一方、アレックスによって叩きのめされた男は、あまりの衝撃に地面にうずくまるように倒れていたが、それでも体に奔る痛みを無理やり押し殺すと、必死の形相で体を起こしていく。


「へぇ……まだ動けるんだ。薬物か強化魔法といったところかな。でも、残念ながらそこまでだよ」

 アレックスはそう言い放つと、ユイたち目がけて最後の力を振り絞り魔法を編み上げようとする男に向かい、一足飛びに間合いを詰めようとする。

 しかし実際に彼が動き出すより早く、意外な男の声がアレックスを静止させた。


「アレックス、待ってくれ。ここは私がやるよ」

「ユイ? ……ああ、なるほどそういうことか。わかったよ、君に任せる」

 普段はこういった仕事は人任せにするユイが発した静止の目的。その意図を理解したアレックスはなるほどとばかりに一つ頷くと、ユイに後を任せることにして足を止める。

 一方、彼らがそんなやりとりをしている間にも、その執事と入れ替わったとされる賊は、明らかに稲妻の魔法とわかる攻勢魔法を編み上げていた。

 その荒ぶるような魔法を目にして、ミリアは恐怖に怯えてうずくまる。そして彼女の隣にいたリアルトは、娘をかばうように彼女の前へと体を動かしながら、チラリとユイの方へ視線を動かした。


「マジックコード……アクセス」

 稲妻の魔法が男の前から射出されるまさにそのタイミングで、気の抜けた一つの声がその場に発せられる。

 そして次の瞬間、ユイは自らが触れた魔法コードを読み取って、ピクリと頬を動かし、意外そうな表情を浮かべる。

 しかしそれはほんの一瞬のことであり、瞬く間にユイはその男の編み上げた魔法を掌握すると、キーとなるコードを口から発した。


「クラック!」

 ユイがその呪文を唱えた瞬間、稲妻の魔法は完全にユイの制御下となり、そしていきなり稲妻は賊の前で弾ける。


「グホッッ……」

 執事の格好をした賊は、自らの編み上げた稲妻の破裂をその身に受けて、身動き一つしなくなる。

 一瞬の沈黙。

 その静止状態の中で最初に体を動かしたのは、笑みを顔に浮かべたままのアレックスであった。


「ユイ、どうだった?」

 ゆっくりとユイの下へ歩み寄った彼は、リアルトたちには聞こえない程度の声で、ユイに問いかける。


「ああ……想像の範囲ではあったけど、さすがに驚いたよ」

「へぇ、つまりは裏は取れたと」

 意味ありげな笑みを浮かべながら、アレックスはユイの瞳を覗き込みつつそう口にする。


「まあね。たしか彼の国には、ある程度人相や姿形が似ている場合、特殊な化粧のように本人に見た目を近づける魔法があると、アズウェル先生から以前に聞いたことがある。おそらく君じゃなければ、彼が入れ替わっていることを見抜けなかったかもしれないね」

「ふぅん、魔法でカモフラージュ……か。ふふ、なるほど。僕にもだいたいの話は見えてきたよ。そんな魔法を使えるのはあの国しかないからね。しかし、先ほどの稲妻の魔法の出力を見るに、ユイだけを狙ったんじゃなく、陛下と皇女様も併せて狙っていたみたいだね。手口を踏まえて、衝動的な犯行という可能性はまずないだろうし」

 頭を掻きながら苦い表情を浮かべるユイに対し、アレックスはいつもと変わらぬ笑みのままユイの耳元でそう返す。


「ああ。おそらく、私が訪れるタイミングがベストだと判断したんだろう。きっと政治的にも……ね」

「ふふ。さて、それでこれからどうするんだい?」

 アレックスはいつものキツネ目を更に細めながら、ユイに向かってそう問いかける。

 一方、問いかけられた当人は一度大きな溜め息を吐き出すと、渋い表情を浮かべながら口を開いた。


「そうだね。巻き込みたくはないのだけれど、どうせいずれバレるだろうし、もし呼ばなければ怒るだろうからさ……アレックス、すまないがナーニャの奴を大使館に呼びだしてくれ。どうせ今頃はどこかで飲んでいる頃だろうけど、すぐにでも裏をとりたい」

「彼女を関わらせたくないのに、彼女を必要とするということは……やはりこれを仕組んだのはあの国の人間ということだね」

 ナーニャに声を掛けるとユイが発言した時点で、アレックスも今回の事態を引き起こそうとした国に当たりをつける。


「ああ、彼の魔法コードの書き方はムラシーンに酷似している。そしてそれでいてより原始的な魔法コード。この魔法の主、つまりそこで転がっているペラムさんのそっくりさんは、おそらくフィラメント魔法公国出身の者だよ」

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