第8話 花の姫

 ミリア・フォン・ケルム第四皇女。通称、花の姫。


 リアルトの末の娘である彼女は、姉たちが既に嫁いでしまっていることもあり、皇帝の手元にいる唯一の娘であった。

 今年十八歳を迎えることとなったミリアであるが、その穏やかで優しい性格とその場の空気を変えるほど可憐な容姿から、民からも臣下からも、そして何より皇帝から愛されており、花の姫とも呼ばれている。


 そんな彼女の誕生を祝う場に、予想外の人物の来訪が公表されたのは、まさにパーティーが行われる当日であった。


「おい、聞いたか?」

「ああ、聞いた……奴が来るらしいな」


 未だ同盟関係が成立していない国の大使であり、先年の戦いにおいては帝国軍を蹴散らしたユイ・イスターツ。その男が皇帝直々の招きでこの場へと来場するという噂は、あっという間に会場内に広まり、そして会場内の到るところでその話がささやき合われる。


「しかし陛下も思い切ったことをなされたものだ。よりによって宿敵の中の宿敵を、愛娘の祝いの場に呼ばれるとは……」

「いや、これはクラリスとの関係修復を内外にアピールする為ではないか。最近、キスレチンやフィラメントも我が国に対し不穏な動きを見せている。せめて北のクラリスとは、国交を修復しておきたいのだろう」


 政治的な思惑からユイ・イスターツの来場の理由を話す者は、現在帝国が置かれている現状からその理由を考察する。

 しかし会場内でもっとも話題となっていたのはそのような内容ではなく、ユイ・イスターツ本人自体の話であった。


「しかしユイ・イスターツ……か。なんでも、身の丈は普通の男の倍はあり、片手で両手持ちの斧を扱うほどの猛者だと聞く。そんなむさい男が、あのミリア様の誕生祝いの場に馴染むだろうか?」

「いや、ユイ・イスターツとは眼鏡をかけていつも冷徹な笑みを浮かべる、まさに悪魔のごとき魔法士だと聞いたぞ」

「いやいや、そのどちらも間違いだ。クラリスにはたくさんのユイ・イスターツが存在して、ここに来ているのはその内の一人にすぎない。つまりユイ・イスターツとは奴らの使う、共通の暗号なのだ」


 集まった者たちは口々に好き勝手な想像や風聞を口にし、全く原形をとどめないユイ・イスターツ像がその場に構築されていく。


 そんな周囲の状況の中、その空間で築き上げられつつあるユイ・イスターツ像と程遠い本人は、会場内へと何の躊躇もなく正面から来場していた。

 そしてその特徴的な黒髪を目にしても誰からも本人と気づかれなかった彼は、会場の隅でアレックスに向かって苦笑いを浮かべる。


「聞いたかい、アレックス。いやぁ、みんな好き放題言ってくれるね。本物はここにこうして居るっていうのに」

「はは。ユイって意外と目立たないからさ。仮にエインスでも連れてきていたら今頃は貴婦人方に囲まれているんだろうけど、残念ながら君じゃあね」


 いつもの笑みを浮かべながら正装をしたアレックスは、ユイに向かってそう返答する。

 一方、空気の如き扱いのユイと異なり、アレックスはこの会場に来訪後、エインス程ではないにしろその整った容姿からチラチラと貴婦人方の視線を受けていた。そして彼は手慣れた様子でその全てを軽い微笑みで躱し続けている。


「悔しいが、あいつや君がもてるのは認めるさ。だけどね、私だって君たちの側にいなければもう少しは……」

「負け惜しみはやめようよ、ユイ。それにさ、もしどこかの御令嬢に声をかけられたところで、別に相手をする気はないんだろ? それじゃあ声をかけてくれた女性に失礼だよ」


 自慢気などさらさらなく、いつもと変わらぬ笑みを浮かべたアレックスがそう口にすると、ユイは頭を掻きながらその発言を否定する。


「別に禁欲主義者というわけではないさ。ただ今はまだそんな気になれないというだけだよ」

「はぁ……君の周りの女性には同情するよ、全くね」


 アレックスが溜め息混じりにそう言葉を吐き出すと、ユイはわずかに不満気な表情を浮かべる。しかしその場の空気をわきまえて気分を切り替えると、彼は少し騒がしくなった壇上へと視線を移した。


「ふん、私のことは放っておいてくれ。それよりもさ、主賓のお出ましのようだ。少し静かにするとしようか」

 壇上へと向けられたユイの視線を追うように、アレックスも視線を動かす。

 その彼らの視線の先には、父と同じ白銀の長い髪をした可憐な女性が、ゆっくりと壇上の中央部に向かって歩んでいた。


「これは、これは……なるほど噂に聞く花の姫か。エインスあたりが今日の話を聞いたら、さぞかし悔しがったことだろうね」


 アレックスは会場の注目を一身に集めるその女性に視線を合わせたまま、この場にいない女好きの名前を口にする。

 すると、ユイはわずかに口角を吊り上げながら、彼の後輩がいた場合の絵を思い浮かべつつ、彼の意見に賛同した。


「違いないね。確かに、これはなかなかお目にかかれないほどの美人さんだ。なるほど、花の姫か。君が言っていたリアルト皇帝が手放したがらないっていう噂も、あながち嘘じゃないのかもね」


 頭のてっぺんから足先まで、非の打ち所の無い整った美。しかし美しすぎる女性にありがちな人に気後れをさせるような雰囲気は微塵もなく、太陽の光をいっぱいに浴びた明るい野花の様に、穏やかで優しい空気が彼女を包みあげていた。


 ユイでさえ時が止めたかのように彼女の一挙手一投足に釘付けとなる中で、ミリアはゆっくりと壇上の前へ進み出ると、微笑みを浮かべながら会場内の皆に向かって柔らかな言葉を発する。


「今日は私のためにこれほどたくさんの方にお集まり頂き、本当にありがとうございます。このミリア、今日のこの日のことを決して忘れることはないでしょう」


 会場内の人々に対する感謝の言葉から始まったミリアの挨拶は、彼女の発する言葉の中に何度もこの場に来場した人々に対する謝辞を挟む。そしてその一言一言が彼女の柔らかい声で紡がれると、会場内の雰囲気は予想外の来訪者による喧騒など消え去って暖かなものとなった。


 そして彼女が言葉を発し終わり、最後に会場に向けて深々と一礼すると、割れんばかりの拍手が彼女に向かって送られる。


「皆の者、予もミリアに代わり皆に礼を言う。我が娘のために、この場に足を運んでくれたこと、予は決して忘れんぞ」


 ミリアの隣で満面の笑みを浮かべながら彼女の挨拶を耳にしていたリアルトも、会場に向かって短いながら感謝の言葉を口にした。すると、再び会場中から盛大な拍手が送られる。


 そうして主賓の挨拶が終わったところで、帝国の儀礼庁の長官が壇上の端へと上がり、会の進行を始めた。


 最初に予定されていたのは、会場の参列者の中でも国内で有力者と言われる者達からの、皇女への贈り物の時間であった。まず皇室から第一皇子であり皇太子でもあるノインと、第二皇子であるトールが順に妹に対して贈り物を贈る。


 そしてその後は、国内の大貴族が皇女を祝うために、ある者は東方で作られた絹の織物を贈れば、またある者は国内でも有名な景勝地の別荘を彼女に贈った。


 もちろん当然のことながら、その贈り物は純粋な祝いからだけのものではなく、国王へのアピールや、財産の誇示、そして皇女に対して自分の子息を紹介するための印象づけの意味合いも少なからず含まれていた。

 それ故に、贈り物の品々は庶民では目にさえ出来ぬものも少なくはなく、驚きの品が贈られる度に会場には歓声と羨望の溜め息が発せられる。


 そうして、国内の有力貴族の多数の贈り物が全て贈り終わると、儀礼庁の長官は一度間を取り、やや緊張した面持ちとなった。そして今回の最後の贈呈者であり、いわくつきの国外の大使の名前を彼は呼び上げる。


「それでは最後に、この度クラリスからお越しいただき我が国の大使へと就任されましたユイ・イスターツ閣下より、お祝いの品の贈呈がございます」


 その名前が呼び上げられた瞬間、それまで和やかだった会場は途端に静まり返った。そして会場の者たちが頭を掻きながら壇上へと歩み寄る黒髪の青年の姿に気が付くと、様々な感情の入り混じった視線が一斉に彼へと注がれる。


 一瞬で注目の的となってしまったユイは、その好奇と嫌悪の入り交じった無数の視線を、ただの針のむしろとしか感じることが出来なかった。それ故に、次第に早足となりながら壇上へと上がり、そそくさとミリアの前へ歩み寄る。



 一方、弱った表情を浮かべる彼に対し、もう一人の当事者たるミリアは、彼の姿を認めるなりなぜか一瞬だけ吹き出すような仕草を見せた。しかしそれもほんのわずかのことであり、彼女はすぐにユイの緊張をほぐすような柔らかい笑みを浮かべなおす。そして、ユイが言葉を発するよりも早く、隣に立つリアルト以外の者には聞こえない程度の声を口から発した。


「貴方がユイ・イスターツ様ですね。お噂はかねがね伺っております。お会いできて光栄ですわ」

「恐縮です……残念ながら、あまり芳しい噂ではないかもしれませんが」


 頭を掻きながらユイが苦笑いを浮かべると、ミリアは小さく首を左右に振り、彼の発言を否定した。


「もちろん、そんな話を聞いたこともありますわ。でも、先日私に貴方のことを伝えてくださった方は、とてもすばらしい青年だと言われていましたよ」

「そうですか……意外な話ですが、それは一体どこのどなたが?」


 帝国において彼を肯定的に評する人物が居たことに驚いたユイは、訝しげな表情を浮かべながら彼女へと問いかける。

 すると、ミリアはいたずらっ子のような笑みを浮かべながら、隣に立つリアルトに視線を向けた。


「おわかりになりませんか? 私の隣に立っている男性の方ですよ」

「り、リアルト陛下ですか。貴方にそんなことを吹き込んだのは」

「おいおい、吹き込んだとはあんまりではないか、イスターツ殿」


 思わず礼を欠いた表現を口にしたユイは、慌てて自分の口を手で押さえる。しかしリアルトは彼の発言を咎めることはせず、冗談めかして笑い飛ばした。


「こ、これは失礼を、ともかく会の最中でございますし、あまり壇上に長居するわけにも行きません。つまらないものかもしれませんが、どうぞこれをお受け取りください」

「これは?」


 ユイが差し出した黒色の小箱を、ミリアは興味深げに受け取る。そして、彼女はユイに視線を向けて、その箱を開けていいかどうか伺いを立てた。

 その視線を受けたユイは、やや気恥ずかし気な表情を浮かべながら小さく頷く。そうして開けられた小箱の中には、まるで透き通るかの様な美しい赤色の宝石をあしらったペンダントが、その中央に座していた。


「これは我がレムリアックの名産である魔石を、装飾用に加工したものです」

「えっ、これがあの魔石ですか! ……まるでそこに何もないかのように淡い赤色に透き通っています。魔石ってこんな素敵な物もあるのですね」


 箱の中からペンダントを取り出すと、ミリアそのほんのりと美しく透き通る魔石の虜になったかのように、彼女の視線は釘付けとなる。


「ええ。もちろん全ての魔石がそのようにできるわけではありません。ですが、非常に純度の高い魔石ならば、魔力を外にこぼれぬよう加工することでこのような装飾品にもなりえます。もちろん中には魔力が込められたままですので、いざという時には、魔石としての使用も可能ですよ」

「イスターツ様、ありがとうございます。このような素敵なもの、本当に大事にさせて頂きますわ」


 そう口にしたミリアは、心の底から気に入ったのか魔石を胸で抱きしめると、感謝の言葉を口にする。


「はは、喜んで頂けて幸いです。なにかペンダントに問題があれば、遠慮なく言ってください。それでは私はこれで」


 ユイはそう口にして頭を下げると、そのままそそくさと壇上から降りていく。

 そして頭を掻きながら彼が会場内を歩いて行くと、彼の進行方向にいた人々は、慌ててその場から距離を取る。そうしてアレックスのところまで彼が戻った時には、彼等の周囲には大きな円を描くような空白のスペースが出来あがっていた。


「なかなかに警戒されているね、ユイ」

「全くだよ。さっきまで誰も私たちのことなんて見ていなかったのにね。まあ、それは今更のことだしどうでもいいさ。そんなことより、この後は立食形式のパーティーらしいね。別に誰かと話す当てもないし、ご飯だけ食べたらさっさと立ち去るとしようか」



 そうしてひと通りの予定された行事が終了し、会場は歓談という名目の立食形式の食事が開始される。

 その時間が始まるや否や、様々な思惑のもとにその会場を忙しなく動き回る帝国の貴族達を横目にしながら、ユイは遠慮なく次々と美食という言葉では表しきれぬ料理の数々を口にしていた。


「ふぅ、さすがに皇族の祝いの席と言うだけあるね。このレベルの料理はなかなかお目にかかることができないよ」

「ユイは少し食べ過ぎだよ。少しくらいは遠慮しても良いんじゃないかな。そんなことじゃ、気がついたら太るかも知れないよ」

 アレックスがカバと呼ばれるスパークリングワインを口に運びながら、ニコニコした表情でそう忠告する。一方、忠告を受けたユイは、ドキリとした表情を浮かべると、自分の腹部に視線を向けて思わず呻いた。


「そうかな……確かに、最近、デスクワークが多いから注意が必要だね」

「君はデスクワークさえしていないと思うけど……でも、これもいい機会さ。僕に一ついい方法が——」

「いや、それは結構だから」


 アレックスが何を提案するかを最後まで聞くまでもなかった為、ユイは彼が言葉を言い終わるより早く拒否を口にする。


「……まだ何も言ってないじゃないか」

「大丈夫、だいたい言いたいことはわかっているから。それにもし君の提案を受けたら、動くから痩せるんじゃなくて、しばらく食事が喉を通らなくて痩せるんだよ」


 想定されうる未来をユイが口にすると、アレックスは否定すること無く残念そうな笑みを浮かべる。

 そうして二人が満足するだけの食事を口にし、そろそろお暇しようかと考えたところで、彼らはその背後からやや低めの威厳溢れる声を掛けられた。


「イスターツ殿、それにアレックス殿。どうかね、楽しんでくれているかね?」

「こ、これは陛下。お声掛け頂きありがとうございます」

「ええ、僕もユイにあわせてお呼び頂き、感謝いたしております」


 帰ろうと考えていた彼らを背後から呼び止めたのは、先ほど壇上でも親しげにユイに話しかけてきた男。そう、この国の頂点にいるケルム皇帝のリアルトであった。

 アレックスがキツネ目をさらに細め、そしてわずかに緊張した面もちとなったユイを目にしたリアルトは、温和な笑みを浮かべると彼らに向かって言葉を紡ぐ。


「はは、イスターツ殿はもちろんだが、アレックス殿の御勇名も我が国に鳴り響いておる。機会があれば、是非我らが兵士に指導していただきたい位じゃ」

「いや、それは止めておいた方が——」


 リアルトの本音と建前の入り混じった提案を耳にするなり、ユイは慌てて彼を押しとどめようと口を開く。しかし彼が言い切るより早く、隣に立っていたアレックスはリアルトに対して即答した。


「本当ですか、ではぜひ、今度貴国の剣士と御手合わせさせて頂けますでしょうか」

「ほう、良いのか? では、今度軍の者に伝えておこう」


 そのリアルトの発言を耳にしたユイは、隣でいつも以上の喜びを含んだ笑みを浮かべるアレックスを横目にして、額に手を当てながら後のことは知らないとばかりにその目を瞑る。


「ふふ。ユイ、別に君も同行して良いんだよ」

「間違っても羨ましがっている訳じゃないからさ……頼むから、私を巻き込まないでくれ」

「ふむ、是非イスターツ殿の剣技もみてみたいものだが……っと、危うく本題を忘れるところじゃった」


 噂の朱の剣士に興味津々のリアルトであったが、不意に我に返り、慌てて本来の用件を思い出す。


「本題……ですか?」

「ああ。イスターツ殿、この後に時間はあるかな?」

「特に予定はございませんが……」


 もう帰ろうかと思っていたこともあり、ユイはその問いかけの意味を深く考えず、素直にそう回答する。すると、その言葉を耳にしたリアルトはニヤリとした笑みを浮かべた。


「それは良かった。ならば、この後に別室で茶を一緒に飲まんか? 前回はその方の所で茶を振る舞って貰ったのじゃから、予にも茶を振る舞わせてもらいたくてな」


 その皇帝からの提案を耳にしたユイは、その言葉に含まれるわずかに危険な匂いを嗅ぎつける。

 しかしそれに気づいた時は、すでに全ては後の祭りであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る