第10話 絵を描く者は
茶会での暗殺未遂事件が起こった翌日、皇帝の意により事件の詳細は外部に伏せられたまま、極秘裏に皇太子ノインと第二皇子トールがリアルトの下へと呼び出されていた。
「それで突然のお呼びだしですが、一体どのような御用件でしょうか?」
「うむ、実は先日ちょっとした出来事があってな。それをお前達に話しておこうと思ったのじゃ」
ノインの問いかけに対し、リアルトは顎をさすりながらそう返答する。
その父親の回答に、ノインは眉をピクリと動かすと、再びその口から問いを発する。
「陛下。聞けば、あの男と極秘裏に会談されたという噂を耳にしましたが……もしやそれに類する事でしょうか?」
「まあ、関係無くはないな。ただあやつと行っておるのは会談ではなく、ただの茶飲み話じゃ。それ自体は、お前が目くじらを立てるような事ではない」
「しかし、あのような汚れ者をパーティーにお呼びになり、ミリアに贈り物までさせるとは……どうか兵達の気持ちもお考えください」
その権力の基板が軍にあり、軍人皇太子の異名を持つノインは、厳しい表情を浮かべながらリアルトに向かいそう意見する。
一方、その息子の発言に対し、リアルトはすぐさま首を左右に振ると、苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「そうは言うがな、ノイン。奴と我が国の関係はともかく、あの者自体はなかなかに興味深い青年じゃぞ、ユイ・イスターツはな……っと、本題を忘れるところであった。その出来事というのがじゃな、先日奴との茶の席にて予とミリアが暗殺されかかるという、ちょっとしたはなしなんじゃがな」
「な、なんと! まさかイスターツの奴が」
茶の席と聞いた瞬間、ユイを犯人と結びつけたノインはいきり立つと、テーブルに両手を叩きつける。
「だから先走るではない。その場にいたイスターツの奴も一緒に殺されかけたのじゃ。むしろあの者達のお陰で命拾いしたと言っても過言ではない」
「……一体、何があったというのですか?」
ここまで口を開かなかったトールが、真剣な表情でリアルトに向かって先を促す。
その問いを受けたリアルトは一度頷くと、ゆっくりと先日の詳細を口にし始めた。
「祝賀会の後に、イスターツの奴とミリアと三人で茶会を催してな。その際に、執事のペラムに化けた刺客が入り込んできたと言うわけじゃ」
「茶会に関しては言いたいことが山程ありますが……それは置いておくにしても、犯人は一体何者です?」
ノインはイスターツと皇帝が仲良くしている事実を聞き、その精悍な顔の額にしわを作る。たが、彼とて最大の問題点はそこではないと割り切り、事件に的を絞り問いかけた。
「うむ、それじゃがな……どうも執事のペラムに化けた男じゃがな、どうやら魔法を使って化けておったようでな」
「魔法……ですか」
トールは使用された魔法がどのようなものか想像がつかなかったが、その種の特殊な魔法を扱うことができる犯人として脳裏にある国を思い浮かべる。
そのトールの反応を目にしたリアルトは大きく首を縦に振ると、さらなる詳細を口にした。
「その通りじゃ。そして後で極秘裏に尋問に掛けた結果、犯人はフィラメントの手の者と言うことが判明した」
「フィラメント……まさか奴らが」
この時点での帝国へ何らかの策謀を働く理由が思いつかず、ノインは意外そうな表情を浮かべる。
そのノインの反応に皇帝はまだまだだなと言いたげな顔つきとなった。
「考えてみればおかしなことはあるまい。奴らは昨年より魔石の価格を吊り上げ、帝国に多数の凍死者を出させおった。おそらくは、クラリスとの関係悪化を利用した帝国弱体化策だったのであろう」
「確かに。あの時点では完全に国交の無いキスレチン共和国やクラリス王国との貿易は絶たれておりましたから、その可能性は十分にありますね」
内政面で定評があるトールは、リアルトの発言をもっともだと考え、大きく頷く。
「うむ、奴らはイスターツの存在が邪魔であったのじゃろう。レムリアックのせいで魔石価格が下がり、いくら魔法公国が魔石の供給量を絞ろうとも無意味になってしまったからな」
「なるほど、そうして計画が頓挫してしまった彼らは、帝国とレムリアックとの関係を引き裂くために、陛下とイスターツの暗殺を計ったと……そう言うことですか」
皇帝の意図するところを正確に把握したトールは、皇帝が省略した部分を補う。
その回答に対し今一歩とは思いながらも、そう的はずれなものでもないことから、あえて指摘せずにリアルトは口を開いた。
「ふふ、戦の匂いがしよるのぅ」
「取りあえずは、すぐにでもフィラメントに抗議を行いましょう。奴らの非はすぐにでも問うべきです」
リアルトの発言を受けて、トールはすぐさま抗議することを提案する。
しかしリアルトは二度首を左右に振ると、そのまま彼の意見を退けた。
「落ち着くのじゃ、トール。奴らにそう言ったところで、知らぬ存ぜぬを貫き通すに決まっとる。それよりも、イスターツの奴がなにやら企んでおるようじゃから、奴の思惑に任せた方がおもしろそうじゃ」
「イスターツ……ですか。しかし、陛下の命を狙われながら、他国の者に任せるなど」
ノインが納得いかないと言った表情でそう口にすると、リアルトは実際に事件が起こった際に、彼が直面したユイの能力の一端を彼らに説明する。
「じゃがな、あやつらは予達の暗殺を防ぎ、そしてすぐにフィラメントの仕業と看破しおった様子じゃった。どういう方法で、その答えに辿り着いたのかわからんが……恐らく例の魔法が鍵となったのじゃろうな」
「例の魔法?」
ノインはリアルトが口にした言葉に引っかかりを覚えると、思わず聞き返す。
「報告書で聞いておるじゃろう。グレンツェン・クーゲルを乗っ取った魔法改変能力。どうもあのフィラメントの賊の魔法に対してそれを使用した際に、奴は何かに気づいたようじゃ」
「……やはり、あの報告書は真実だったのですか」
トールは重々しい口調でそれだけを言葉にする。
帝国の上層部にもたらされた一通の報告書。それはラインドルに送り込んでいた工作員からもたらされたものであり、ユイ・イスターツの扱う特殊な能力にて、ムラシーンという名の魔法士を倒したこと。そしてその能力は帝国の先年の戦いでグレンツェン・クーゲルがコントロールを失い、自軍に向かって跳ね返された際に使用されていた可能性を告げるものであった。
「ふふ、刺客に襲われはしたが、此度の事件の収支は明らかに黒字じゃな。奴の能力をこの目で直接見ることができたのじゃから。まあ、さすがにその原理まではわからんかったが、貴重な体験ができたわ。しかし、奴はただ者では無さそうじゃて。やはりわが娘の婿として、あやつほど相応しい男はおらんかもしれんな」
「なっ、なんですと!」
予想だにしない皇帝の発言に、思わずノインは抗議の声を上げる。
一方、皇帝は彼のそんな反応さえおかしいことのように、そのまま笑い飛ばした。
「ふふ、そういきり立つな、ノイン。あくまでまだ仮の話じゃ……じゃが、奴を我が国に取り込むための、予の切り札でもあるがな」
「……隊長、間違いないよ。その魔法式はフィラメント独自のもの。それもミラホフ家に属する魔法士が使うものさ」
大使館の執務室にて、ユイは先日彼が目にした稲妻の魔法式をナーニャに説明した。
すると、その魔法式の内容を耳にするなり、彼女は表情をわずかに歪ませながらフィラメントの者だとすぐに断言する。
「ミラホフ家……か」
「ああ。知っていると思うけど、フィラメント公国にはクラリスや帝国なんかと違い、多数の魔法学校がある。そしてその学校の卒業生ごとに、ある種の派閥ができあがっていてね、特に力があるのが御三家と呼ばれるディオラム家、ミラホフ家、マイスム家の三系統さ。その中でも精神や認識に関する魔法を得意とするのが、ミラホフ魔法学校を出たミラホフ家の奴らさ。まあ、今回は稲妻の魔法だけど、やはり家ごとに魔法式には癖がある。そして隊長の言う魔法式は明らかにミラホフ特有の癖があるね」
フィラメント魔法公国はクラリスやケルムなどと異なり、その国の成り立ちが非常に特殊な国家である。元々は、古の大賢者であるフィラメントが弟子を養成するための開いた魔法塾がその国の起こりであった。
大賢者と言われるフィラメントが、魔法の指導を行う。
その噂はたちまちに世界中へ広がり、各地からフィラメントへの弟子入りを志願する者がその土地へと集まった。そのあまりに多くの弟子入り希望者に、さすがのフィラメントも一人ではその育成をまかなうことが出来ず、彼は三人の愛弟子にそれぞれ教育を担当させることになる。
彼らの名前はそれぞれディオラム、ミラホフ、マイスムと言い、後に魔法公国の御三家とも称される三大魔法学校の祖となる者たちであった。
そうして教育者が増えると、さらに弟子を受け入れることができる土壌は広がり、さらに魔法士の数は増えていく。そしてそのように人が増えていくに連れ、彼らに対して商売を試みる商人などがその地域へ足を運び始め、次第にその土地は大きな都市を形成していった。
そうしていつしか一大魔法都市が誕生すると、その力はいつしか周囲の国家に匹敵する程のものとなり、周辺国との小競り合いを経て、現在のフィラメント魔法公国を形成するに至る。
「ってことは、似たような魔法式を使っていたムラシーンも、ミラホフ魔法学校出身ということでいいんだね?」
「その通りさ。ただあの学校出身者は昔から陰湿な野郎が多くてね、あたいの気が合わない奴ばかりだったよ」
ナーニャは当時の記憶を思い出したためか渋い顔をすると、酒臭い溜め息を吐き出す。
「そうか……連中の思惑はだいたい読めるけど、今回のことは下手すれば戦争となるね。しかし今、帝国と戦って、彼らに勝算はあるのかな?」
「そりゃあ、あるんだろうさ。あの国の連中の性格を考えれば、きっと帝国に集合魔法を先に開発されたことが相当自尊心を傷つけたはずだからね。なにしろ魔法に関しては自国が一番だと自惚れている連中さ、それを証明するためにもきっと何かの対抗策は用意していることだろうね」
ナーニャが生まれ故郷の事を苦い思い出とともに口にすると、ユイは彼女に視線を向けながら小さな声で呟いた。
「なるほど……確かに君の性格を考えたらわかる気がするよ」
「ん、なにか言ったかい?」
「いや、独り言さ。はは、ありがとう。飲んでいる最中にすまなかったね、もう飲みに戻っていいよ。これは駄賃さ」
ユイは感謝を口にすると、ポケットから取り出した金貨を彼女に向かって放り投げる。
「ふん、別に大した話じゃないからこんなもんいらないけどね。まぁ、でもくれるって言うなら、気持ちとしてありがたく頂いておくさ」
ナーニャはそう口にするなり、後ろを振り返ることなく、そのまままっすぐ執務室から出て行った。
「はぁ、やっぱり不機嫌にさせてしまったか……まあ仕方ない。とりあえずナーニャのことは置いておくとして、これからどうするかなんだが……」
ユイが頭を掻きながらそう口にすると、部屋の壁にもたれ掛かっていたアレックスが彼に尋ねてきた。
「帝国と彼らを戦わせる方向に向かわせるかい?」
「うん、それも悪くはないね。レムリアックの商売のことを考えると、正直言って痛み分けが理想かな。しかし領主なんてやるようになると、どんどん思考が荒んでくるね」
ユイが頭を掻きながらそう自虐を口にすると、アレックスが彼の発言を肯定しながら結論を促す。
「まあ、うちの国とはそれ程関係ない火種だから、別にいいじゃないか。それで、君は実際どうするつもりなんだい?」
「そうだね……まあ先日の刺客が踏み込んできたタイミングを考えれば、私と皇帝をまとめて狙ったんだろうね。レムリアックのことを考えると、ここで帝国にこけてもらう訳にはいかないし、それに私も枕を高くして眠りたい。だから念の為に先手を打っておくとしようか……というわけで、クレハいるかい?」
背後の気配を感じていたユイは、虚空にクレハの名前を拡散させる。
するといつから控えていたのか、気がつけば部屋の隅に黒髪の小柄な女性の姿があった。
「一体、何の用かしら?」
「この国にいる魔法公国の息のかかった者を、ちょっと調べて貰うことは出来るかい?」
ユイは彼女に向かって、依頼を口にすると、クレハはわずかに考え込んだ後に厳しい返答を返す。
「……普通なら無理ね。いくら私でも、何もないところから連中の尻尾をつかむのは無理よ」
そっけない口ぶりでクレハはユイに向かい不可能だと口にする。
しかしその彼女の言葉を聞いたユイは、意味ありげな笑みを浮かべる。
「普通じゃなければ、どうなんだい?」
「先ほどナーニャが言っていたミラホフ家というキーワードを元に、父の持っているネットワークとアーマッド局長の力を借りて良いのなら、全く不可能とまでは言わないわ」
そう口にしたクレハは溜め息を一つ吐き出す。
その反応を目にしたユイは、満足そうに彼女に向かって微笑みかけた。
「なら、それでお願いするよ。アズウェル先生には、私の方から手紙を送っておくから」
「わかったわ。でも、過剰な期待はしないでね、あくまでここはクラリスじゃないんだから」
念を押すようにクレハはそう口にすると、次の瞬間にはその場から存在感が薄くなり、気がつけばその空間から立ち去っていた。
「良いのかい、ユイ。彼女だけに任せてしまって」
「はは、良くはないさ。彼女は優秀だけど、別に万能というわけではないからね。だからもう少し楽をするために、もう一人だけ力を借りようと思っている人物がいるんだ」
アレックスの発言に対し、ユイは含みのある表情を浮かべた。
その表情を目にしたアレックスは、わずかに額の眉を寄せてユイに問いかける。
「力を借りる? 一体、誰に頼るつもりなんだい。君にこの国に知己がいるとは知らなかったけど……オメールセン辺りかな?」
「オメールセンも考えなくはないけれど、彼ではたぶん奴らの喉元に手が届かない。だから直接は知らない相手だけど、彼らの喉元まで手が届く人物にこの際頼んでみるさ」
「直接知らない相手?」
ユイの言葉を聞いたアレックスは、わずかに視線を強めると、そのまま問い返す。
「ああ。この国で荒事を頼むなら最適の人物。つまり、この国の軍を傘下におさめている軍人皇太子さ」
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