第16話 ユニバーサルコード

 ロマオウリ地区。

 それはクラリス王国の南部国境に接し、レムリアックでも最も南に位置する地域である。


 この地域には現在発見されているだけでも、非常に多くの魔石採掘地が存在していた。更に、魔石の埋蔵が噂される未探索の土地が少なからず存在し、そのことから国内でも最高の魔石埋蔵量を誇るのではないかと噂される地域である。


 ではなぜ噂止まりで、埋蔵されている魔石の採掘が行われないのか。

 それはこの地域が、国内で最もルゲリル病の発症確率の高い地域とされているためであった。


 基本的に魔石の産出地域と、ルゲリル病の発病分布は一致する傾向にある。

 しかしながらカーリンなどの土地では、ルゲリル病の発生患者は数年に一人程度のもので、通常の病による死亡者数のほうが圧倒的に多かった。それ故に、別段問題視されていないのが現状である。


 だがこのレムリアック……特にロマオウリ地区は明らかに違った。

 それ故に、レムリアックの魔石は人々の生き血を吸って生みだされているなどとまで評され、現在ではこの地域に一攫千金を夢見て訪れるものなど存在しない。


 このような背景の為、現在ロマオウリでは昔からここに住み続けているルゲリル病の既感染者のみが、ほそぼそと魔石採掘に従事していた。


 いつまでも時代に取り残されたかのようなロマオウリ。


 そんな代わり映えのしない彼の地に暮らす人々が驚愕する事態が起こったのは、この年の秋口のことであった。

 そう、領主ユイ・イスターツによるロマオウリ移住である。





「さて、これで前準備としてできることは殆ど終わりかな……」


 ロッキングチェアに腰掛けながら淡々と書きものを行っていたユイは、そう口にすると手にしていたペンを目の前の机の上に置く。そして彼は一度大きく伸びをした。


「しかしこれであとは、時間と運の問題だけだね。まさに人事を尽くして天命を待つっていうやつかな」


 ユイはそう呟くと、膝の上に乗せられた赤い背表紙の本へと視線を移す。

 一ヶ月前はほぼ白紙同然であったこの本は、その所有者の汚い字と、とある偏屈研究者の丁寧な字で埋め尽くされ、今やほんの僅かな空白を残すのみとなっていた。


 そして残された空白は、今現在のユイには埋めることが出来ない。

 だからこそ彼はこのロマオウリに居を構え、この空白を埋めるための条件が整う日を、緩やかに待ち続けるつもりであった。


「しかしこうなると、本当にやることが無いな。まあ、しばらくはリゾートでのバカンスだと思って、のんびり過ごさせてもらうとしようか」


 リゾートと程遠いただの田舎に住んでいる事実に苦笑しながら、彼はあえてそう口にする。そして一息つけようと思い、彼はコーヒーを自らで入れるために立ち上がると、そのタイミングで玄関のドアが外からノックされていることに気がついた。


「ん? お客さんかな」


 今はまだ太陽も高い昼間である。


 少し離れたところではあるが、お隣さんとも呼べるデイール家の奥様が、畑でとれた野菜をおすそ分けに来てくれる時間にしてはいささか早すぎた。

 だからこそユイは首を傾げながら、玄関のドアに向かって歩み寄る。


「はい、どちら様ですか、って……君か」


 扉を開けた先でユイが目にした人物。

 それは眩しい健康的な笑顔を有するデイール婦人ではなく、彼のよく知る亜麻色の髪をした美しい女性であった。


「こんにちは、ユイ君。突然で驚かせたかな」


 ユイの驚いた様子を目にして、セシルはやや嬉しそうに微笑むとそう問いかける。

 すると、ユイは苦笑しながら、彼女の指摘を肯定した。


「さすがにね。ロマオウリには、今ついたところかい?」

「ええ、ちょうど先ほどね。もし良かったら中に入れて貰えるかな?」


 ユイの体の隙間から部屋の中の混沌具合が覗えたが故に、セシルは思わず笑い出しそうなのを堪えながら、そう問いかける。

 一方、そんな彼女の反応を目にしたユイは、キョトンとした表情を浮かべながらゆっくりと体を動かすと、躊躇なく彼女を中へと通した。


「どうぞ、ちょっとだけ散らかっているけどね」


 本と書物が散乱し、足元を見ながら歩かなければならない部屋を、彼は『ちょっと』と称した。そして特に気にした封もなく、そのまま部屋の奥に向かって歩き出す。


 そんな彼の行動を目にしたセシルは、学生時代から一向に成長の見られぬ彼の生活力に、思わず苦笑せずにはいられなかった。


「ユイくんのこういうところ、まったく変わっていないね」

「ん? 何の話?」


 セシルの発言をまったく理解できなかったユイは、怪訝そうな表情を浮かべながら首を傾げる。


「いいの、こっちの話しだから」


 ユイに向かってセシルはそう告げると、彼女は手近にあったソファーに歩み寄り、その上に置かれた本を動かすとそのまま腰掛けた。

 いささか納得の行かない表情を浮かべながら、ユイはこれ以上教えてくれなそうだと判断すると、仕方なく話題を変える。


「それでえっと、今日はどうしたんだい?」

「様子を見に来ただけよ。悪い?」


 ユイの問いかけに対し、セシルはやや不満そうに唇を尖らせながらそう返した。

 その反応に、ユイは自らの言葉のセレクトがまずかったと判断すると、頭を掻きながらすぐに否定する。


「ううん、そんなことはないさ」

「そう、ならいいんだけど……って、まあ実際のところ、あの人達にちょっと背中を押されたんだけどね」


 ほんの少しだけ舌を覗かせながら、セシルは自らをこの地に向かえるよう、仕事の代行を買ってくれた人物たちのことを口にする。

 その瞬間、ユイは黒幕の存在を理解すると、この場にいないスキンヘッドの男たちに向かって、一つ舌打ちをした。


「まったくあいつらは」

「まあまあ、そう言わないであげて。あの人達もね、本当にユイくんのことを心配していたんだから」

「ああ、わかってはいるよ。だけど、なんかこう……ね」


 きっと遠く離れた場所でニヤニヤしているだろうクレイリーたちの事を思い浮かべ、ユイは珍しく悔しそうな表情を浮かべる。

 そんな彼の表情を目にして、セシルは思わず苦笑すると、ユイを気遣うように口を開いた。


「ユイ君。もちろん私が君の顔を見に来たかったのが一番の理由よ。それで、こっちに来てからどうかな?」

「そうだね、なかなかに悪くはないよ。だいたい当初の予定通りに進んでいるから、こいつも例の箇所以外はほぼ完成したしね」


 そう口にすると、ユイは手にしていた赤い背表紙の本をセシルに指し示す。

 一方、そんな彼の仕草を目にしたセシルは、すぐに首を左右に振った。


「仕事の話じゃないわ。君の体調がどうかと思ってね?」

「体調かい? そうだね、喜ぶべきか、喜ばざるべきか悩むところだけど、悪くはない……かな」


 両腕を軽く左右に広げながら、ユイは自らの状態をそう評する。

 その回答を受けたセシルは、わずかに表情を曇らせた。


「私としては、喜ぶべきだと思わずにいられないけどね……ともかく、少しはこの土地にも慣れてきたみたいだね」

「うん、おかげさまでね。のんびりしていて、とてもいいところだよ」


 気を使って話題を変えてくれたセシルに感謝しながら、ユイは窓からポツポツとしか家が見当たらない過疎の村へと視線を移す。


「そうなんだ。確かにこのあたりは全然開発されていないし、住んでいる人も少ないからね。ある意味、昔ながらのレムリアックそのものと言っていい村だよね」

「まあね。でも、道が全く整備されていないのには少し参ったよ。お陰でここに荷物を運ぶのが一苦労でさ」


 頭を掻きながらユイはそう口にすると、引越しをする際の苦労を思い出す。

 クレイリーに家を手配させたのはいいが、ユイは彼等がこの地域への立ち入ることを厳重に禁じた。


 それ故に、ほとんどの道が舗装や整備をされていないこの村への転居を、彼はほぼ一人で行う羽目になる。その影響か、移住後しばらくの間は彼自身何もする気力がわかなかった。


 もっとも彼の部下たちにこの話をすれば、『たとえ転居に苦労しなくても、どうせ何もしなかったでやしょう』と呆れられるのは明らかだったが。


「仕方ないよ。レムリアックの中でもこのあたりに住んでいる人たちは、ずっと昔から住み続けている人ばかりだし、あまり外とやりとりすることもないからね」

「はは、まあね。でも、みんなすごくいい人達だよ。最初ここに来た時にさ、近所の人たちはみんな心配して、入れ替わり立ち代り私を説得しに来てくれたんだ。危ないからってね。でも、私が居座るとわかったら、なんか本当に優しくしてくれて。昨日なんか、隣のおばさんが大根を分けてくれてさ」


 もちろん王国預かりとなる以前は、この地を所領とした貴族も存在している。

 しかしながら、直接ロマオウリに足を運んだ領主などまさに皆無であった。それ故に、一般的な領主と領民という関係よりももはや近所づきあいに近い形で、ユイはこの地の人々と触れ合っている。


 そうした経緯もあり、ロマオウリに引っ越して来て間もないにもかかわらず、既にこの地の人々はこの風変わりな領主を敬愛し、ユイも彼等に対し親愛の情を覚えずにはいられなかった。


「あのね、ユイ君。今更かもしれないけど、こんな危険なこと辞めようよ。こんな言い方するのは自分でもどうかとは思うけど……でも、別にあなた自身が実験台にならなくても、他にいくらでも人がいるじゃない」


 村の話を口にしてニコニコと笑顔を見せるユイに対し、セシルは真剣な表情を浮かべながら、改めて説得を試みる。

 自らを心配するセシルに、ユイは心から申し訳なく思う。しかしながら彼は、彼女の提案に対し首を横に振った。


「そうだね。君が言うように、他の人間をこの地へ送ることを考えていなかったといえば嘘になる。でもね、私にはその選択肢は選べないよ」

「でも、君のためならっていう人はきっと少なくない……と思う。私がもう一度ルゲリル病に罹れるのだったら、私だって君の代わりになるつもりはあるもの」


 決して建前で言っているわけではなく、本気でセシルがそう考えていることは、自らに向けられた彼女の瞳が雄弁に語っていた。

 だからこそユイは、弱ったような表情を浮かべ頭を掻く。そして言葉を選びながら、彼女に向かって優しく語りかけた。


「……気持ちだけは受け取っておくよ、セシル。でもね、自己満足というか自己中心的な考えかもしれないけど、私は私の目に届く範囲にいる人をできる限り犠牲にしたくないんだ」


 そう口にしながらも、戦いの際にはいつも彼等を矢面に立たせていることにユイは思いが至り、その自己矛盾に顔をしかめる。

 そんなユイの苦悩を見て取ったセシルは、彼の顔を覗き込見ながら、まるで訴えかけるように語りかけた。


「……でもね、この国には必ず君が必要だと思うの。万が一、ここであなたを失うことになれば、この国は――」

「私に消えてもらいたいと思っている人間も少なからずいるようだけどね……セシル、そんな怖い顔をしないでくれるかな」


 セシルの言葉に被せる形で、貴族院の面々のことを脳裏に描きながらユイは口を開く。

 しかし、その内容を耳にしたセシルは、すぐに彼を強く睨みつけた。


 その強い意志を感じさせるセシルの視線に根負けしたユイは、仕方ないという表情を浮かべて本音を口にする。


「真面目な話をすると、自分で試すのが一番上手くいく確率が高いと思っただけだよ、本当に……それにあんまりグズグズしていると、クレイリーやカインスたちまで発病してしまうかもしれないからね」


 僅かに遠くを見るかのように視線を天井へと向けると、ユイははっきりとそう言い切った。

 そんな彼の姿を目にしたセシルは、昔から一度決めたことは曲げない彼の性格を思い出して、溜め息を一つ吐き出す。そして渋々説得することを諦めると、多少未練がましい口調で彼に向かい呟いた。


「君が彼らのことを思っているのはわかっているわ。でもね、君が彼らを心配している以上に、彼らも君のことを心配しているのよ……はぁ、君は昔からそう。最後は全部自分一人で片付けようとする。本当に君はエゴイスティックよ」

「……別に否定はしない。さすがに多少の自覚くらいはあるからね。でも、仮に人生をやり直すことができたとしても、私はたぶんもっと他の賢い方法を取ることはできないよ。おそらく何度失敗しようとも、私はこの生き方を、そしてこの選択を行い続けると思う。私がユイ・イスターツであり続ける限りはね……って、止めよう止めよう。せっかく君みたいな美人がここに来てくれたんだ、湿った話はここまでにさせてくれないかな」


 ユイは頭を掻きながらそう口にすると、腰掛けていた椅子から立ち上がり、台所へ向かって歩き出した。


「ユイ君……」

「セシル、コーヒーでも飲まないかい? 実はここに来てからすることがなくてさ、だいぶコーヒーを淹れるのがうまくなってね」


 まだ言い足りないといった表情を浮かべるセシルに対し、ユイは苦笑いを浮かべながら話題を逸らそうとする。

 そしてセシルの返事を待つこと無く、二人分のコーヒーカップをユイは左手で掴み、そのまま運ぼうと持ち上げた。


 するとその瞬間、突然彼の腕は力なく地面に向かってまっすぐに垂れ下がる。

 当然ながら、彼が手にしていたコーヒーカップも重力に逆らうことができず、地面に向かって落下すると、大きな音と共に砕け散った。


「ユイ君!」


 そのユイの一連の動きを目撃したセシルは、彼の身に起こった事態を察して、悲鳴に近いような大きな声を上げる。

 脱力して地面に向かい垂れ下がる左腕を、まだ力の入る右腕で支えたユイは、途端にやや引きつった笑みを浮かべた。


「これは、いよいよということかな……はは、本当にロマオウリまで足を運んだ甲斐があった。セシル、これはルゲリル病の初期症状で間違いないよね?」

「え……ええ。腕や足の脱力から始まって、いずれ心臓や呼吸が止まってしまうのがルゲリル病。私が幼いころに罹った時も、最初は足の力が入らなくなったそうよ」


 母親から聞かされた幼いころの出来事を、セシルは震えながら彼に向かって説明する。

 すると、ユイは僅かに顔を歪め、そしてニヤリと笑った。


「はは、時は来た……かな。ようやく準備は整った。それじゃあ、残された空白を埋めるために、情報の海に漕ぎ出してみるとしようか」


 ユイはそう口にすると、ゆっくりと両目をつぶり、二週間前まで毎日セシルの前で披露してきた呪文を唱える為、精神を統一する。

 ゆっくりと自らの体の奥底へと全ての意識を傾け、そして彼の口からは力ある言葉が発せられた。



「ユニバーサルコードアクセス」



 その呪文を口にした瞬間、ユイの認識は周囲へと拡散するかのように広がりを見せ、そしてそれとともに彼の意識は現実との境界を失い始める。


 自らが世界へ溶けだすかのような感覚。

 ある種の喪失感が彼を襲い始めると、次の瞬間には膨大な量の情報の波が、逆に彼の脳に目掛けて雪崩のように押し寄せ始める。

 一気に押し寄せてくる破壊的な情報の波に襲われて、自らの脳に多大な負荷が掛かっていくことをユイは感じ取った。


 自分自身以外の異物が脳の内側を占拠していくような不快感を必死に押さえ込み、ユイは膨大な情報の中から自らが望むものを手繰り寄せる。

 そして彼は自らの内側に、求めるべきコードを見出した。


「……なるほど、先週見た僕自身のコードと一部大きく変わっている。おそらくこの部分を書き換えることこそが、ルゲリル病の本質でありキーコードというわけだ。だとしたら当初の予定通り、ムラシーンの使っていた魔法構成をお借りした上で、セシルの同部位に書かれていた治癒後のコードを組み込めば……うっ!」


 仮説に仮説を重ねた魔法式を、情報の過負荷で苦しむ脳内で構成しようとし、ユイは突然体の中の血が燃えたぎるような感覚を味わう。

 そして次の瞬間、彼はまるで糸の切れた操り人形のように、突然自らの体を支える全ての力を失った。


「ユイ君、ちょっとユイ君! しっかりして!」


 セシルの目の前で痙攣するかのように全身を一瞬震わせると、ユイはスローモーションのように地面に向かい前のめりに崩れ落ちていった。

 途端に、その場には女性の悲痛な叫び声が響き渡る。


 泣きそうな表情を浮かべながらユイに向かって駆け寄ったセシルは、意識を失った彼の名を何度も叫びながらその体を揺さぶり続けた。

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