第15話 怪しい仲

「なぁ、兄貴。今日も隊長は部屋に引きこもりっぱなしですかね?」


 ユイ達がこのレムリアックに到着してから、はや十日。クレイリーとカインスはそれぞれに割り当てられた仕事を淡々とこなしていた。

 そして彼らの上司であるユイは、彼らしくもなく朝に姿を見せることもある。しかし昼以降、より正確に言えば毎日セシルが部屋を訪問して以降の時間帯には、部屋から出てくる姿を全く見かけることはなかった。


「ああ、またか……やっぱりサボっているんじゃねえだろうな」

「部屋でいつも何してるんでしょうね?」

「さあな。旦那に限ってはと思うが……セシル六位は美人だからなぁ」


 つるつるの頭を数回撫でながらクレイリーがそんなことを口にすると、カインスはやや戸惑った表情を浮かべる。


「ええ、まさか……だけど、隊長だって男ですから、いや、でも……」

「なあ、試しにちょっと覗きに行って見ないか? 別に部屋に入るなと言われたわけじゃねえんだしさ」


 クレイリーはやや下世話な笑みを浮かべると、脳内で様々な妄想を膨らませながら、まるでいたずら仲間を誘うようにカインスに提案する。


「ですけど、いつもこの時間は、オイラ達二人とも仕事を出されているわけでしょう。こりゃあ、立ち寄るなってことを意味しているんだと思うんですが……」

「だからこそ、この時間の旦那たちの姿を見てえんじゃねえか。わかんねえかな?」

「いや、わかりますけどね」


 クレイリーによる重ねての誘いに、カインスは困った表情を浮かべながら、当り障りのない相槌を打つ。

 すると、クレイリーはいよいよしびれを切らし、視線をカインスから逸らすと、自らの決意を口にした。


「そうか。どうしてもお前が行きたくないっていうんだったら、俺は一人で行ってくるぞ」

「待って下さいよ。行かないとは言っていないじゃないですか。兄貴が行くって言うんなら、オイラも行きますって」


 カインスは周りを一度見回しつつ、慌てて自らも同行することを彼に告げる。

 すると、共犯ができて嬉しかったためか、クレイリーの表情は一層下卑たものとなった。


「なんだ、やっぱりお前も見たいんじゃねぇか」

「隊長のプライベートって、まったく謎ですからね。でも、兄貴。中に入ってですね、もし見てはいけないものを見てしまったら、その時はどうします?」

「そん時はだ……そりゃあ、すぐに王都に向けて早馬を走らせるさ。あの旦那にもようやく春が来たってな」


 あの上司あってこの腹心あり。

 そんな言葉が脳裏をよぎったカインスは、大きな溜め息を吐き出すとともに首を左右に振る。


「……さすが兄貴ですね。こういう事をさせたらやっぱり鬼ですよ」

「へへ、そんなに褒めるなよ」

「いや、全く褒めてないんですけどね……」


 カインスの弱ったような発言を耳にしながら、クレイリーは満面の笑みを浮かべると、そのまま足取り軽くユイの執務室へ向かい始める。

 途中で、最近彼らの部下となった者達と何人かすれ違い、簡単な挨拶を済ましながら、二人はあっという間にユイの部屋の前へと到着した。


「じゃあ、お前がノックしろよ」

「ま、待ってくださいよ。積極的に入りたがったのは兄貴じゃないですか。ここは兄貴がするべきでしょう」

「ばぁか。もし何かあったら、ドアを開けた奴は逃げれねえじゃねえか」


 クレイリーが全くもって外道な発言を口にすると、カインスは呆れたように首を左右に振り、そして抗議の声をあげる。


「やっぱりオイラを見捨てて逃げるつもりだったんですね。兄貴の薄情者!」

「おい、あんまりうるさい声を出すな。中にバレちまうじゃねいか。じゃあ、仕方ねえから二人同時に中に入ろう。幸いにも、旦那に報告するための資料が、ちょうど手元にあるしな」


 そう口にしたクレイリーは、レムリアックにおける納税関係の調査報告書の束を懐から取り出す。

 その紙の束を目にしたカインスは、あまりのタイミングの良さ故に、クレイリーに向かってある疑念を抱いた。


「それ、昨日兄貴がまとめていたやつですよね。もしかして既に完成していたのに、このためにわざと午前中に提出しなかったんじゃあ……」

「へへ、でも旦那から言われている期日は明日までだ。別にそれまでに渡せば構わねえだろ。とにかくだ、これを見せびらかすようにして、一気に中に入るぜ」


 クレイリーはいやらしい笑みを浮かべながらそう口にすると、そのまま部屋のドアをノックする。そして中からの返事を待つこと無く、カインスを引っ張りながら中へと入り込んだ。


「旦那ぁ、頼まれていた仕事ができやしたぜ……って、だ、旦那!」


 クレイリーの中にある好奇心は、ソファーで横になったユイが、セシルに膝枕をされている光景を目にして最高潮に達する。


 しかしながら彼は、下卑た表情を一瞬で凍りつかせることになった。

 それは横になっているユイが、胸を押さえながら荒い呼吸を繰り返していたためである。


「あ、ああ、クレイリーか……はは、早かったね。ちょっと待ってくれ、今起きるからさ」

「ダメよ、ユイ君。まだ無理しちゃ」


 急に起き上がろうとするユイに向かって、セシルは慌てて彼を押し留めようとする。

 しかし、ユイの動きの方がわずかに早く、セシルの手は空を切った。


「大丈夫だって、よっと……あれ?」


 横になっていたソファーから身を起こしたユイは、急にバランスを崩すとそのまま前のめりに転倒する。


「だ、旦那!」


 転倒したユイに向かって、慌ててクレイリー達は駆け寄ろうとした。

 しかしユイは片手を前に突き出すと、焦る彼らを静止させる。そして片膝をつきながらゆっくりと身体を起こし、ソファーへとその身を移した。


「はは、大丈夫さ。ほんのちょっとだけ疲れが残っていてね」

「本当に大丈夫ですか、隊長?」


 カインスは心底心配そうな瞳でユイを見つめる。

 すると、カッコ悪いところを見せたとばかりに苦笑いを浮かべながら、ユイはゆっくりと時間を掛けて呼吸を整えた。


「ああ、心配させたね。私は大丈夫さ。それよりも、クレイリー。さっき手にしていた、納税のまとめを見せてくれるかい?」

「え、ええ。こちらになりやす」


 突然仕事の話に引き戻されたクレイリーは、わずかに戸惑うような表情を浮かべたが、言われたとおりに手に持っていた資料を渡す。

 震える手でその紙の束を受け取ると、ユイは疲労感を漂わせながらも、次々と目を通していった。


「ふむ……なるほどね。まぁ、こんなところか。それで、カインスの方も順調かい?」

「はい。人員が足りないことは置いておくとしても、ここの兵士たちは素直でいい奴ばかりですし、どうにか形になると思います」


 ユイからの問いかけに対し、カインスは行った訓練を経て自らが抱いた印象を告げる。

 その報告を受けたユイは、満足気にゆっくりと一つ頷いた。


「……そうか。だとしたら、そろそろ動くことにしようかな」

「ダメよ、ユイ君。せめて体の状態が完全に戻ってからにして」


 ユイの発言を耳にしたセシルは、すぐに彼に向かって自重を促す。

 そんな心配する彼女の気持ちをユイは理解しながらも、彼は苦笑を浮かべながら首を左右に振った。


「ありがとう、セシル。でもさ、あまり悠長にしていられないんだ。なんせ彼らのこともあるからね」


 そう口にしたユイは、セシルに自らの意図を伝えるかわりに、目の前の二人に向かって視線を向ける。

 そのユイの言葉と動作の意味を理解できなかったクレイリーは、困ったような表情を浮かべながら説明を求めた。


「あっしらが、どうかしやしたか?」

「いや、別に対したことじゃない。それよりもクレイリー。私の住処のことなんだが、流石にこの市庁舎に住むのも飽きてしまってね。そろそろちゃんとしたところに引っ越したいんだ。ちょっと手配をお願いできるかな」


 突然話題を切り替えたユイに対し、言い様のない違和感を覚えながらも、クレイリーはすぐさま返事する。


「はぁ、それはかまいやせんが……何処か住む当てでもあるんで?」

「できればロマオウリ地区に手配してくれ。大きさはどんなものでもいいし、あと別に古い空き家でも構わないからさ」


 レムリアックの中でも比較的国境に近い南部地域の名前をユイが口にすると、クレイリーはわずかに考えるそぶりを見せた。


「ロマオウリ地区でやすね……って、旦那! 本当にあっしの資料をちゃんと見やしたか?」

「ああ。君が先日提出してくれたルゲリル病の発生地域は、既に読ませてもらった。だからこそ私は、ロマオウリ地区に住もうと思っている」


 一昨日にクレイリーにより提出されたルゲリル病の発生分布を示す地図。

 その中で、他地域に比べ圧倒的にルゲリル病の発症者の多い地域こそ、ユイが口にしたロマオウリ地区であった。


 だからこそクレイリーは、慌ててユイを止めにかかる。


「旦那のことですから何か考えがあってのことと思いやす。でも、止めてくだせえ。はっきり言って、未感染者があそこに住むなんて自殺行為ですぜ」

「そうかもしれないね。でも……いや、だからこそあそこに住むのさ。あとカインスは王都に連絡してくれないかな。例の準備が予想より早く必要になりそうだってね」

「連絡は構いません。ですが……」


 急に話を向けられたカインスは戸惑いの表情を見せる。

 すると、疲労を隠せぬ青白い顔のままながらも、ユイはカインスに向かい精一杯の笑みを浮かべた。


「大丈夫だって、私なりに考えがある。それにだ、君たちが王都に有ること無いこと好き勝手に伝えることよりも、私の連絡を優先してもらいたいってお願いは無理なことなのかな?」

「えっ……まさか外での会話を聞いていらしたんですか」


 突然、ユイの口から告げられた爆弾に、カインスは表情を一変させると、思わず動揺して身じろぎする。


「そりゃあ、部屋の前であんな大声で騒いでいたら嫌でも聞こえるさ。というか、このボロボロの建物のどこに壁の薄くない部屋があるというんだい?」

「いや、あれはですね、その、あの、事情がですね、こう、ありやして……」


 必死に脳内で言い訳を考えながら、時間稼ぎするように途切れ途切れ言葉を発するクレイリーに対し、ユイは首を左右に振って笑いかける。


「ああ、いいよいいよ。別に気にしていないからさ。それよりも、さっき私が言ったことを少しでも早く進めたいので、二人とも今すぐに動いてくれるかな。私のことを覗きに来れる程度には暇なんだろう?」


 ユイのその笑顔を目にした二人は、困った表情で顔を見合わせる。

 そして彼等は受け入れ難いユイの指示を、目を伏せながらやむを得ず承諾することとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る